デブとバカと実技テスト
セリヴィエットは魑魅魍魎の類が、特にゾンビが嫌いだ。
爛れた皮膚に落ちくぼんだ眼窩、生気のない足取り、ノイズの如きうめき声。映画であろうと、当時6つだったセリヴィエットに容赦なくトラウマを植え付けた。なので、神聖な学び舎によろよろとした足取りの目の虚ろな男が居れば、反射的に三式八咫烏が抜刀しそうになったのも不可抗力である。
「待って!?」
ゾンビ、もといハルにとっては冗談ではない。只でさえ筆記テストで死に体なのだから、ここにセリヴィエットの一撃を貰っては本当に死にかねない。
「そんな不気味な顔をしないでください!」
「無茶言わないでよ!必死にやってもうボロボロなんだよぅ!」
「高々テスト一つで泣き言なんて情けないですよ」
「高々なんて言えるセリヴィエットさんは本当にすごいと思うよ……」
ハルは肩を落とした。読み書きはマクシミリアンに教えられていたので問題文を読めない事態にはならずに済んだが、それでも莫大な文字量を読み込むのは大変だった。おかげでフルに絞り過ぎた脳みそは、ミソッカスしか残っていない気がするが。
「筆者の問題を答えろって問題、あれ何の意味があるのかな!?僕は作者じゃないんだから、推察するしかないよね!?」
「それにはまぁ、同意しますけど。回答は埋めたのでしょう?」
「後は祈るだけだよ……っていうか、この話辞めよう!?できればもう思い出したくないんだけど!」
ゾンビから復活を果たした生者はかぶりを振ると、ふとヴィクトリアの姿がない事に気が付いた。
「お母様は実技試験の会場の準備に向かいましたよ」
「そっか。じゃあ待たせたら悪いかな。セリヴィエットさん、案内をよろしくお願いします」
「……」
しかしセリヴィエットはその場を動かず、目を細めるようにしてハルを見上げるだけだった。
「ハル=カルヴァード、この際なので一つ言っておきたいのですが」
「何かな、セリヴィエットさん?」
「それです。私を名前で呼ぶのをやめて頂けませんか」
数度目をぱちくりさせたハルは、言葉の意味を聞き返す様にオウム返しをした。
「名前で呼んじゃダメなの?」
「慣れていませんし、第一に私と貴方はステディな関係ではありません」
「そんなに嫌?」
「だって……男性にファーストネームを呼ばれるなんて、それじゃあ恋人同士のやり取りみたいじゃないですか……!」
「想像力逞しくない?」
思わず笑いそうになるハルに頬を朱に染めたセリヴィエットが食って掛かった。
「大体!貴方だって、親しくない人物に名前で呼ばれるなんて、好ましい事態ではないでしょう!?」
「僕は別に気にしないかなぁ。呼び方一つに拘るくらいなら、その脳味噌のストックを学習に当てるのが廃棄エリアで長く生きるコツだよ?」
「貴方の神経が図太いだけです!」
ハルの自論をセリヴィエットは切り捨てた。
「というか、フルネームで呼ぼうとするセリヴィエットさんの方にこそ僕を名前で呼んで欲しいくらいだよ」
マクシミリアンから貰ったカルヴァードの名はハルにとっての誇りではあるが、律儀に何度も呼ばれると逆にくすぐったくなる。なので、いっそフランクに扱ってほしいくらいであるのだが、セリヴィエットは不服そうに声を上げた。
「ば、バカじゃないですか!?学院内の風紀が乱れますよ!」
「そんなに危険度高いの!?」
「ええ、危険も危険!デデンデンデンデンデンジャラスですとも!なので、どうしても私を名前で呼びたいというのであれば、私に土をつけるなり実力を示してからにしてください!」
当方殴り合いを所望するとばかりに、機械仕掛けの鞘が揺れる。
「そうなった場合、手付きと見做して結婚を前提としたお付き合いをしていただくことになりますけども!」
「どうしたの、急に!?内容が未来まで飛んだよ!?」
「~~!」
途端、セリヴィエットの顔が物凄い勢いで紅潮する。顔を冷ます様に顔をべちべち叩いているが、その勢いではむしろ顔が赤く腫れあがらないだろうかと心配になってくる。
「変えようとは思うけど、ここにはヴィクトリアさんもいるんだよ?」
「お母様は理事長と呼べばいいじゃないですか」
「これからも顔を合わせる機会はあるでしょ?その時に理事長さんとかディルメンスさんって呼んだら何かと不都合じゃない?」
「……それは、そうですけど……」
「だからね、僕はこれからもキミを名前で呼ぶよ」
ここぞという時の押しの強さはハルの強さ、あるいは欠点と紙一重だった。これも村で培ったタフネスの賜物である。結果、折れたのはセリヴィエットであった。
「はい、分かった!わーかーりーまーしーた!言うだけ無駄だと分かりましたから、特別に許可します!」
「そう来なくっちゃ!じゃあ僕の名前も呼んでくれる?」
「それだけは死んでもお断りです」
が、ハルの希望を裏切る様にセリヴィエットはべー!と舌を出した。
「そこまで言われるの?嘘でしょ……」
心底がっかりした様子で、ハルがその場に座り込む。それを見ながら、セリヴィエットはブツブツと口の中で文句を言う。
「本当、軽薄な男……!ほら、早く立ってください!会場に向かいますよ!」
「一人で歩けるから!首根っこを掴むのは辞めてよ!」
隣に並んだハルが、困惑気味に自分を見下ろしてくるが見ないふりをした。世間知らずの田舎者の隣に立っている自身を嫌いになれずにいることも、見ないふりをして。
₡
学生寮の一つ≪キロカロス≫の寮長にして西洋史を担当するフェルマー・アナトミーはでっぷりと太った肉体を揺らして、昼食代わりのチョコバーに噛み付いた。自重を支えるのが億劫だからと職員室か寮長室から出てこないと揶揄された男が珍しく部屋を飛び出し、あまつさえ全力で走っているのは物珍しく、学生の視線を独占していた。
「何を考えているのだ、あの女狐は!」
入学試験がひと段落したこの時期に一人受験させると聞いた時だけでも噴飯ものだったが、ペーパーテストの成績がダウンロードされた瞬間など、持病の胃痛が悪化するかと思った。
「ディルメンス理事長はいるか!」
怒声を上げて現れたフェルマーに実技試験の準備を行っていた係員の手が止まった。怯える彼らの視線を辿り目的の人物を見つけると、跳ねる様に腹の肉を揺らしてフェルマーがどすどすと近付いていく。
「おや、アナトミー先生。ご機嫌麗しゅう。本日はどのようなご用向きでしょう?」
彼の怒りを涼し気に受け流し、ヴィクトリア理事長は礼を以て迎えた。理事長に就任したとはいえ、彼女がこの学院を預かるようになったのはここ4年ほど。SQの侵攻以前より教壇に立つ者への尊敬の態度をこんな時でも崩さない彼女が、却ってフェルマーの神経を酷く逆なでする。
「どのような、だと!?正気を疑うのは貴女だ!」
澄ました顔のヴィクトリアにフェルマーはタブレットを突きつける。時節外れの入学者、ハル=カルヴァードの成績が表示されたままだった。その平均得点、なんと31点。当然であるが、満点は100である。
「落伍者も甚だしいではないか!貴女は我が校を侮辱する気か!?」
「赤点が一つもないのは上々でしょう。そもそも彼は廃棄エリアの出身です。そのハンデを物ともせず、落第点を回避するのは地頭の良さの表れですよ」
「ならば猶の事、入学を認める訳にはいかん!我らが育成するのはシティを守る英傑であり、畜生に残飯処理をやらせるためではないのだぞ!」
苛立ちから、フェルマーがチョコバーの包み紙を係員に投げつける。理事長に投げつけないのは、怒り狂っていても骨身に染みた階級意識がさせたものであったから、ヴィクトリアは、
(このようなマッチョな権力者が、シティに特権意識を根付かせてしまったのかと勘繰りますね)
これだから器量の狭いだけの男性は扱いにくいのだ、という後に続く言葉を必死に飲み込んだ。
「しかし、我々は教育者です。才能ある者を指導しないのであれば、存在意義はありません。それがかつてのカルヴァードの姓を持つ者ならば、猶の事ですよ」
「どいつもこいつもアレを担ぎおるわ!役目を放棄して逃げただけのシティの恥さらしであろうが!」
「現代のナポレオンをそう呼べるのは世界広しと言えどアナトミー先生だけでしょうね」
係員が気を利かせてドリンクを差し出すが、ヴィクトリアはやんわりと断った。濃厚なチョコドリンクはフェルマーの好物であったからだ。代わりに、フェルマーがドリンクを分捕っていく。
「大体、あの男に息子などおらんだろうが。血の繋がらぬ子供に、次代の英雄たる資格などあるものかね」
「血よりも濃い繋がりがあるとは思いませんか?」
「下らん!理事長殿も今の体重が倍になるほどチョコを食べては如何かな?破砕者の才能は血統で決まると言ってもいい。頭に糖分をたっぷり回せばわかることではないか」
チョコバーをまるで煙草のように咥えて、フェルマーがその巨体をゆすった。この見学室からは、足元の大規模シミュレーションルームの光景が一望できる。今まさに件の落伍者が入室してきたのを視界に留めたフェルマーは表情に出さずにほくそ笑んだ。
(ドブ育ちめ。貴様の様な奴はシティには要らんのだよ)
₡
そんな醜悪な視線を受けているなどいざ知らず、ハルは始めて足を踏み入れたシミュレーションルームのに感動していた。
「でっかい!広い!これがシミュレーションルームかぁ!」
「大型犬ね、ホント」
一歩半引いた位置でセリヴィエットは息をつくと、説明を求められる前に改めて口を開いた。
「この部屋ではシティの集積したデータから再現したSQと戦闘を行えるほか、輝煌武装の試験運用なども可能です。とはいえ、私も入学前なので実技試験で体験しただけなのですが」
「SQを再現?」
あれです、とセリヴィエットが天井を指差す。小穴の開けられたボールが等間隔に吊り下げられている。
「あれはホログラフィックリアリティの投影機です。起動させることでSQを投影することが出来るんです」
「???」
「あのですね、10年前に市販されたゲームでも似たようなことが出来たはずですが。知らないんですか?」
「僕、ピコピコはやったことないんだよねぇ。村だとテレビよりもラジオの方が多いよ」
「無線通信機どうこうよりも、貴方がゲームをピコピコと呼ぶことに驚きです」
「言葉はもっと大切に使うべきだと僕は思うよ」
『やはりシティの外は遺物で溢れているな。時代に取り残されたことを認めようとしない浅慮さに呆れるわい』
中央のボールが煌めき、ガマガエルを思わせる肥満ボディの男を映し出した。それは結果として、ハルにホログラフィックリアリティの存在を印象付けるものだった。
『第二寮の寮長を務めるフェルマー・アナトミーである。これより私が貴様の実力を計らせてもらう』
「ハル=カルヴァードです。よろしくお願いします」
『フンッ!廃棄エリアの出身らしいどぶ臭い名前じゃあないか』
ハルを軽蔑するような声音で、一笑に付すフェルマー。シティに住む人間はここまで傲慢になれるのかとハルは呆れるよりも、驚きすら覚える。
「……寄りにも寄ってコイツが出しゃばるのね」
小声で言いつつ、セリヴィエットはフェルマーの視界から引き下がると、そのままハルの背中に隠れるように移動した。苦手なのか、と聞く前に、彼女は「ハル=カルヴァード」と硬い声で押し被せた。
「私は貴方を好みませんが、この男は貴方の4倍ほど好みません。ですので、とてつもなく不本意ですが貴方を応援します。頑張ってください」
さらりと放たれた言葉にハルは面喰ってしまった。ばつの悪そうなセリヴィエットの顔をまじまじと見つめ、彼女の頬が微かに赤らんでいることに気付いて、つい笑ってしまった。
「ありがと、セリヴィエットさん。キミが背中を押してくれると、やってやろうって気になってくるよ」
「馬鹿々々しいお世辞をどうも」
群青色の瞳を微かに揺らし、毒を一つ吐いてセリヴィエットは退出した。
『ワシを無視するとはいい度胸じゃないか、ドブネズミ』
ずい、とホログラムのフェルマーがアップで迫ってきた。
『貴様の様な人間には品格が足りんのだ』
「品格?」
『そうさ、品格だよ。いいかね、破砕者が秩序の破壊者とならない最大の理由を貴様が持ち得ていないと言っているのさ。おっと、愚か者にも分かりやすく言うとな、ワシの役割は増上慢の子供を躾けるところにある、ということだよ。かつてのナポレオンがラ・ベル=アリアンスで敗れたようにな』
悪辣に笑い、フェルマーは腹太鼓を鳴らした。ナポレオンがどんな人物であるかなどハルは知らない。が、それでもナポレオンも死後こんな男に名前を出されたくないだろうとそれだけは確信できた。
(セリヴィエットさんが苦手にする理由も分かっちゃうなぁ……)
『ではこれより貴様を推し量らせてもらおうか』
フェルマーが芝居がかって指を鳴らした。天井の装置が一斉に起動し、目も眩む光がハルの視界を覆いつくした。全方位に映像が投影され、殺風景な部屋が一瞬にして森林地帯に変わった。草木を踏み締める感覚だけではなく湿気を含んだ風まで再現されており、ハルは飛び跳ねるほどの感動に包まれていた。
「凄い、まるでワープしたみたい!」
『その余裕がいつまで持つかね。貴様に戦ってもらうのはこ奴らだ!』
映像のフェルマーが、またしてもパチンと指を弾いた。ハルの前方にライノスが次々に現れる。
「14、15……うわぁ、どんどん増えていくぅ」
『実力者らしい貴様に合わせて少し数を増やし、強化されておいた。特別に15分くれてやる。倒せば加点してやるが、自信が無ければ逃げても良い』
「ご心配ありがとうございます、フェルマー先生。でも、この程度なら問題ないですよ」
ハルは軽いストレッチをこなすと、輝煌武装を展開した。久しぶりに手に収まった相棒の感覚を確かめると、正面に切っ先を向ける。
「沢山倒すのが点数に繋がるなら、ペーパーテストなんかよりもずっと僕向きってなもんです!」
自信も気負いもない姿を、フェルマーは子供故の無知と受け取ったらしい。
『シミュレーションとは言え、怪我もするのだ!己の愚かさを痛感するがいい、落第者!』
罵詈が合図だったらしく、フェルマーの肥満体を突き破ってライノスが突進をかける。が、それを見越していたように、ハルは動いていた。
『!?』
「いらっしゃい、ま、せぇッ!」
ライノスがハルの姿を認めた時には切っ先が胴体を両断していて、ホログラムは一撃でポリゴンとなって消滅した。時間にして0.9秒。1秒にも満たない攻防に、フェルマーの顔が驚愕に歪んだ。
「これで1点なのかな?なら!」
尚も増殖するライノス目掛け、ハルが突っ走る。
「この調子でどんどん行ってみましょうそうしましょう!」
チョコ食べたくなってきましたので、コンビニへ走ってきます