第六戦略主要都市≪ラ・ファミリア≫
シティへ到着するまで、ハルは苦痛という二文字を痛感していた。
始めて乗り込んだ走行車両に興奮し、車内を探検できた1日目はよかった。見慣れぬ景色をたっぷり堪能できた二日目も、まあ問題でないだろう。三日目からが問題だった。
いつもはSQ討伐に村民への奉仕と日々を忙しなく過ごしてきたハル。SQとの戦闘そのものが非常時であるし、何か手伝おうにもヴィクトリアの手配したスタッフは恨めしい事に超が付くほど一流であり、ハルの出る幕では一切ない。
朝昼晩としっかり三食出る食事は村での簡素な食事に慣れたハルにとって過剰な量と味付けで、毒なのではないかと錯覚する。運動できるほどのスペースが車内にはないので、狭い自室で出来るトレーニングにも限界がある。ふかふかのベッドは不気味なくらいに身体が沈むので、全然眠れない。
そんな日を過ごして、7日目になってようやく目的地へとたどり着いた。
「おぉぉぉぉぉ!」
退屈の反動か、窓から身を大きく乗り出しハルは歓喜に打ち震えた。
シティの一つ、第六戦略主要都市≪ラ・ファミリア≫は村とは比較にならないほど巨大だった。内海に面した大都市は周囲を白い城壁に覆われ、人類の希望とは名ばかりではないその威光と威容を放っていた。
「見てよ、セリヴィエットさん!シティだよシティ!綺麗だなぁ!大きいなぁ!」
「……子供ですか」
目を爛々と輝かせるハルに嘆息一つ、セリヴィエットが問いかける。
「そもそも、貴方もシティ出身ではなかったのですか?」
「僕の出身は第六じゃないからね。それに、居たのは5歳までだったから、これっぽっちも覚えてないんだ」
記憶を手繰っても、父と母の顔くらいしか思い出せないので、さっさと諦めてシティの外観をじっくりと眺めることにした。
「ハルさんには到着次第、学院へ来てもらいます」
ヴィクトリアがこの話を切り出すまで、たっぷり30分かかった。既に車両はポートへ水先案内の軽車両に従っていた。
「既に入試は終わっておりますが、今回は特例としてハルさんに受験してもらいます」
「ジュ、ケン……?」
「いわゆる入学するに足り得るかのテストですよ。簡単な筆記と実技の二つを行います」
テスト、筆記と聞いたハルの顔が苦渋に満ちる。
「まさか文字は読めますよね、ハル=カルヴァード?」
「大丈夫……多分」
「回答はマークシート方式ですので、最悪適当に塗り潰してください。私が裏で何とかしますので」
「お母様!?」
セリヴィエットの詰問するような声に、ヴィクトリアは怪しげに笑うのみであった。
「大丈夫です、任せてください!」
「どこからその自信は来るのですか……」
「分からなくなったらサイコロ振ればなんとかなるって父さん言ってたし!」
「……馬鹿がいる」
セリヴィエットは顔に手を当てて、沈黙した。
「その代わり、実技試験では全力をお見せ頂きたい。筆記の得点など些事であると、試験官に理解させてください」
車体が停止する。窓越しに橙色のジャケットを羽織った作業員が慌ただしく行き来する様を確かめたヴィクトリアが、席を立った。その後ろをセリヴィエット、そしてハルと続いてく。タラップを降りると、鉄が擦れる音、業務用アナウンスなどが騒々しく飛び込んできて、思わず耳を押さえてしまった。
「このカーポートは特別騒がしいのです。ご容赦を」
曖昧に頷き返し、ハルは改めて周囲を見渡した。広大な空間では先ほどまで乗っていた車両と同クラスの装甲車が何台も駐車され、先ほどまで旅を共にしてきた車両さえ見失ってしまうほどだった。
「ここが好きならば、放置するのも吝かではありませんよ、ハル=カルヴァード」
「興味はあるけど、ここまで煩いのはちょっと勘弁してほしいかな」
スタッフを避けつつ、エレベーターに乗り込むと三人を上層へと運ぶ。移動の傍ら、ヴィクトリアは雑談としてシティについて語りだした。
「全てのシティは、建設の根底に完全自給自足の概念が取り入れられています。これは戦略主要都市はSQによって汚染されず、人類が生活できる絶対的な安全圏であるべき、という願いにより実現した一つのエポックメイキングと言えるでしょう」
「(え、えぽっく……えっと?)」
横文字の意味を聞きたげな顔をするハルを、セリヴィエットは無視した。
「このラ・ファミリアは地上1層、地下に5層の積層都市。地下は食料など都市運営に必要な物資の生産エリアに充てられていますが、その代わり――」
ドアが開いた。エレベーターガールの真似事か、茶目っ気のある所作のヴィクトリアに促されるままハルがかごから出る。
「地上一層は文字通りの都市として運用しております」
エレベーターの外は、村では見られない景色のオンパレードだ。背の高いビルディング、青々とした街路樹、空中のAR広告、走る乗用車、そして、忙しなく歩き回る数えきれない人。
「わぁ……!街だね!」
「そりゃあ都市ですし」
「でっかい建物もあんなに沢山!」
「商業エリアですので、当然です」
「人もたくさんいるよ!」
「許容限界値である1000万人を収納していますから」
「あのビルすっごい螺旋階段みたいだ!目立つ目立つ!ああ、気になるなぁ!」
「あーもう!勝手に出歩こうとすーんーなーっ!」
リードから解き放たれた大型犬のように飛び出そうとするハルの首根っこを、セリヴィエットが素早く引っ掴んで押し留めた。小気味の良いやり取りが注目を集めてしまい、セリヴィエットはわざとらしく「ンン……!」なんて咳払いした。
「お母様、この男が余計なことをする前に学院へ急ぎましょう」
「ハルさん、観光する機会は後でご用意しますよ。ですので、今はこれにてご容赦を」
くすくすと笑うセリヴィエットがここからの道のりを徒歩で選択したのは、ハルの為であっただろうが、セリヴィエットはその限りではない。
「セリヴィエットさん!あれあれ!あの建物ってさ!」
お上りさんであるハルに事あるごとに質問をされるのだ。無視すると、心底悲しそうな目で見てくるので、結局は焦れて答えてしまうのは彼女の優しさであった。しかし、学院まで到着に要した30分は、彼女にとっては数倍にも感じられたらしい。
「……やっと着いた……」
「うぉぉぉ、やっと着いたぁ!」
校門に到着しても、立っていられるのはディルメンスのプライドに依るところが大きく、衆目さえなければその場に座り込んでいただろう。
虚脱するセリヴィエットの活力を吸い取ったかのように、ハルは到着の喜びを全身でアピールしている。
広大な敷地を要するロジュニア学院はクラシックなデザインの塀に囲まれていた。塀の中には緑豊かな自然があり、その中央にポストモダン建築の瀟洒な校舎がある。耳をすませば、微かに水の噴き出す音が聞こえるので、噴水もどこかにあるのだろう。
「勝手に動いたら斬るます」
機先を制すように背後からセリヴィエットに釘を刺され、ハルは慌てて止まった。若干発音が怪しい部分があったが、勘違いと思う事にする。
「ようこそ、ロジュニア学院へ。理事長として一先ずは貴方を歓迎しましょう、ハル=カルヴァードさん」
翼を広げた鳥を象った校章を背にして、ヴィクトリアは口を開いた。それまでのセリヴィエットの母親としての声ではない。
「ここには、破砕者候補生にとって必要な物・施設が全て揃っております。ジムに始まり、仮想訓練場、輝煌武装のメンテナンスルーム、SQの情報を集積した端末。ここはそういう学院です」
ヴィクトリアの瞳の奥に、知らない気配があった。ハルでは理解が及ばない、学び舎を預かる女傑としての責務が放つ圧力。
「生徒は3学年合わせても800名を割ります。そして、昨年の新1年生412名の内、2年生に進級出来たのは164名」
「意図して数を減らしている?」
問いかける様な目を向けられ、ハルは思ったことを率直に口に出した。
「当たらずとも遠からず。ハルさんとて、先輩から薫陶を受けているのであれば、破砕者の一つ事実を知っているでしょう?」
「無能と凡夫では生き残れない、ですか?」
「そう。力無き人々は、恐怖から逃げることを許されています。ですが、我々は侵略者を撃滅するべく存在する。社会により生み出された以上、私たちに与えられる恩恵と労役は同一でなければなりません」
「だから、生徒をふるいに掛けている、と」
「研鑽を怠れば、我が身に不幸が降りかかるのが明白。困難に挫ける腑抜けならば、これが私に出来るせめてもの慈悲なのです」
ハルとて、マクシミリアンに拾われてから修羅場を何度も潜り抜けているから、ヴィクトリアがバトル・ノーブルとしての当然の矜持を表明した、と理解できた。しかし、学院については何にも知らない以上、ハルは言葉に窮する。
(スパルタなお母さんを持つと、大変なんだろうなぁ)
その点マクシミリアンはざっくばらんであったから、セリヴィエットの苦労はイメージするしかないが。なんにせよ、ハルのすべきことは変わらない。
「難しい話になっちゃいましたけど」
そう前置きしたハルは歯を見せて笑う。
「僕は村を守っていけるだけの力が欲しくてここに来たんです。それを果たさないままじゃ、恥ずかしくて村に帰れないですよ」
「結構!」
ヴィクトリアは、それ以上何も言わなかった。セリヴィエットの物言いたげな視線が気になったが、目を逸らされるばかりだったので、深く追求しなかった。
そうして、ハルは筆記試験の会場へと案内される。200人は収納できる階段教室に一人ぽつんと座ると、机の上に置かれたタブレット端末が点灯した。
「本当にマークシート方式なんだね、なるほどなるほど……!」
電子化されて程なく40年を迎えるテストの問題がダウンロードされると、開始の合図としてブザー音が鳴り響いた。天井付近を50分を計るタイマーが漂いだしたのをチェックして、ハルはペンを手に取った。
「問題文は読める!」
ハルの入学をかけた試験が幕を開いた。
空中投影される謎スクリーン、現実でも実現しないでしょうかね