帰ってくるから!
ハルがシティへの旅立ちを決意して、二日が経過した。
村の復興作業は未だ途中であったが、今日はハルは遂に育った村を飛び出すのだ。ヴィクトリアの手配した送迎が彼を乗せて昼には発つという手筈ではあったが、出発時間を過ぎてもまだは村に居た。
「どうして引っ越しの準備をしていなかったのですか!」
「だって、ほら、暫く会えなくなるんだから皆の手伝いが第一かなぁって……」
「それで自分のことを蔑ろにした結果、私に手伝わせるのだから世話がありませんけど!?」
「ひぃ、仰る通りです!」
セリヴィエットの怒声に追い立てられ、ハルは真っ青な顔で家から飛び出した。次いで家から現れたセリヴィエットが引き摺ってきたキャリーケースを受け取ろうとするも、彼女が般若の形相でそれを阻んだ。
「荷物は私が持ちます!貴方は走る!」
「でもでも、女の子に荷物持ちは気が引けるって言うか……」
「つべこべ言わずに走りなさい!」
「すみません、ハル=カルヴァード全速力で走ります!」
蹴り飛ばされそうな気配に、ハルは猛然と門へと走り出した。見慣れた街並みも暫く見納めならばしっかりと目に焼き付けたいが、歩を緩めれば斬るぞと背後のセリヴィエットのプレッシャーを感じてはままならぬことだった。
途中広場に差し掛かったハルは、そこに広がる光景に我が目を疑って思わず足を止めてしまった。
「お、マジでハル坊が来たぜ!」
「シティに行くって本当なの!?」
「噂じゃなかったのかよ!」
住人が全員、そこで待っていたのだ。ハルに気付くなり取り囲んで、我先にと疑問を口にする。
「皆落ち着いてってば!一斉に喋られたら分からないよ!」
「……人気者ですね、ハル=カルヴァード?」
「嬉しいけど、キミの視線が痛いからいっそ辛いんだよ!」
戸惑ったのも一瞬で、ハルはおずおずとセリヴィエットの顔色を窺った。
「セリヴィエットさんっ、その、出発が遅れてることは分かってるんだけど……いい、かな?」
セリヴィエットは眉をぴくりと動かし、村人を見渡した。その顔に、理解の色が浮かぶ。
「私は先に行きますので、貴方は勝手にすればいいのではないですか」
「ありがとう、セリヴィエットさん!」
鼻を鳴らし、彼女は一足先に門へと進んでいってしまう。ハルは口中で感謝の言葉を転がし、そうして人混みを縫って手ごろな瓦礫の上に飛び乗った。70人にも満たない村人の顔をしっかり見渡すと、ハルは大きく息を吸った。
「皆、僕は今日からシティに行ってくるよ!」
ハルの一言に、まるで爆発したかのような住民の声が響いた。
「えぇー!?」
「嘘だろ、ハル坊!」
「ちょっと待ってくれよ、冗談だろ!」
「お前が居なくなっちまったら、俺たちどうなるんだよ!」
「行っちゃやだぁ!」
ある者は驚きに叫び、またある者は怒りに拳を振り上げ、またある者は見捨てられたと泣いている。千差万別の感情が滲む彼ら一人一人の顔をハルは忘れるもんかと胸に刻み付ける。
「僕もずっと村に居たい。皆と一緒に暮らしていけたらそれが一番だもん。シティの人に文句だって言った。だから皆の気持ちは、うん、良く分かってるつもり」
だけど、とハルは恐怖を押しつぶす様に胸に手を当てて、声高に叫んだ。
「僕を信じて欲しんだ!ハル=カルヴァードが、場末の子供がシティでもっと強くなってくるって信じて欲しい!」
ハルの言葉に圧倒され、村人は彼の言葉を傾聴していた。彼の声は真摯だった。誰も、少年の決意を遮りたくないとじっと耳を立てている。
「後のことは父さんに任せて、僕は行ってくるよ!もっともっと強くなって、皆を守れるようになってくるから!だから僕に、皆の時間を少しだけください!僕はここで皆と約束するから!僕は絶対、誰よりも強くなって帰ってくるって!だから――お願いしますッ!」
語るべき言葉はもうないと、ハルは深く頭を下げた。彼が静寂を痛いと感じたのは、今日が初めてだった。肌を刺すような痛みに震え、裏切者と罵倒されると恐れて身を強張らせていたハルだったが、ついに根負けして顔を上げた瞬間だった。
「「「うおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!」」」
歓声が津波のようにハルを飲み込んだ。瓦礫から転げ落ちそうになるのを堪えながらも見た住民の表情は、いずれも晴れやかだった。
「信じてるに決まってんだろ、ハル坊ー!」
「応援してるわー!」
「シティの連中に目に物見せてやりなさいよ!」
「頑張れよ、ハル坊!」
「~~っ!ありがとう、皆!」
ハルは大きく手を振り、門へと走り出した。声援を受けた体はいつも以上に熱を帯びていて、今なら風よりも早く走れるのではないかとハルに錯覚させた。
そうして辿り着いた門には、父とディルメンス母娘が待っていた。息も絶え絶えでも活力に満ちたハルの表情に、マクシミリアンは親指を立てた。
「憂いはなさそうだな」
「うんっ。やっぱり僕はこの村が大好きだって再認識できたしね!」
「いい激励貰っちまったじゃねぇか!」
無遠慮に頭を撫でられる。マクシミリアンなりのエールにハルはくすぐったそうに身を捩った。
「ハルさん、そろそろ出発しますが、宜しいでしょうか?」
ヴィクトリアが、2人の元へとやって来る。ゴゥン、と腹の底に響いた音はこれから乗り込むことになる車両の起動音だ。SQの襲撃に備えた黒い重装甲の車体の暴力的な威圧感は、戦車のようだと感じられた。
「ヴィッキー、俺の息子を頼むぜ」
「ええ。ご子息殿をお預かりいたします」
「それじゃあ父さん、村のみんなをお願いするね」
優雅に一礼し、身を翻したヴィクトリアの背中を追いかけるハルを、
「ハル!」
マクシミリアンは改まった声で呼び止めた。
「ここは俺が死ぬ気で守っておいてやる。お前は気にせず前に進め。んで、でっかくなって帰ってこい」
命令と言っていい口調を振りかけられ、ハルは開きかけた口を閉じた。ただ決意を込めた眼差しと、強い頷きひとつを答えにして、ハルはタラップを上った。
彼を出迎えたのは、一足先に乗り込んでいたセリヴィエットだった。
「どうぞ」
無造作にキャリーケースを押し付けると、彼女は感謝の言葉を待たずして通路を行ってしまう。
「……戦闘中は相性バッチリと思ったんだけどなぁ」
「あの子はシティの外に出るのが初めてでしたので、戸惑っているだけですよ」
「なら良いんですけど、あの態度は別じゃないかなぁ……」
もごもごと言葉を濁してしまうのは、セリヴィエットの態度にはそれ以外も含まれているように感じてしまったからだ。敵意とは気色が違うその感情を、ハルは上手く言語化出来なかった。唸るハルの背後で、ドアが閉まった。
「ハルさんをシティへ招致した以上、私にも責任がございます」
丸窓から外を眺めているハルへ、ヴィクトリアは言葉をかけた。
「先輩のライセンス再発行、輝煌武装の手配、ドローンによるエリア警備など早急に……」
「……あれ、どうしました、ヴィクトリアさん?」
訝しんだハルに、ヴィクトリアは何でもないと言うように首を横に振った。
「これでは、私も娘と似たようなものですね。今はつまらない話をすべき場面ではない」
それでは、と立ち去るヴィクトリアが自分に気を遣ってくれたのだと気付いたのは、車両が動き出してからだった。窓から見える父が、村が、どんどんと小さくなっていく。遠ざかる故郷に、胸が締め付けられるような寂しさを感じて、服の上から胸を押さえた。
「もうホームシックとか、勘弁してほしいってば」
これから見知らぬ土地で、自分は戦わねばならないのだ。不安も恐れも感じないわけじゃない。それでも、とハルは気持ちを奮い立たせて顔を上げた。
「皆と約束したんだ。なら、頑張らないとね」
沢山の殺し文句を貰った。ふつふつと滾り始めた胸が、全ての憂いを飲み込んで熱と化して体中に満たしていく。窓に背を向ける。
「行ってきます」
正面を見据える黒色の瞳に、迷いはもうない。
一先ずここまでが序章となる旅立ち編となります。
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