シティからの使者
それから一時間。村人たちからお裾分けを頂いたハルはようやく自宅へとたどり着いた。
赤ペンキで塗りたくられたトタン屋根の小洒落た家は、ハルを養子として迎えてくれた父が手ずから作った自慢の家だった。
「ただいま、父さん」
「おぉ、ハル!ようやく帰ってきたか!」
居間から声が聞こえたので覗き込んでみれば、義父であるマックス――マクシミリアン=カルヴァードが手を上げて答えてくれた。併せて、4つの目がハルに向く。
「こんばんわ、お邪魔しています」
微笑み、軽く頭を下げたのはプラチナブロンドの美人だった。ハルは一目見ただけで、シティの住人なんだな、と確信できた。シワもホツレもない紺色のパンツスーツだけでも十分なのに、鈍く輝くチタン製の腕時計に金細工のネクタイピンなどの小物に至るまで、廃棄エリアではまず手に入らないものばかり。
(僕らなんてぼろ布の継ぎ接ぎしか着れないからなぁ……)
歩く金塊とさえ言い換えられる彼女が安全にこんなスラムで安全でいられるのは、隣に座る少女の存在が大きい。
「……」
道端の石でも見るような冷めた目を向けてくる小柄な少女は、ハルと同年代に見える。黒いリボンで結ったポニーテールは、黒い外套に映える鮮やかなハニーブロンド。
(流石はシティの人だ。本当に顔の作りが良い……)
「……なにか?」
これ見よがしに机に立て掛けている1.5メートルほどのウェポンケースが音を立てたので、ハルは慌てて首を横に振った。
「今日は随分と遅かったな」
「あ、うん。皆に捕まっちゃってね。待ってて、これ置いたらお茶の準備するから」
我に返ったハルはキッチンに駆け込んで、コンロに火をつける。客人がいるのに、茶の一つも用意していない父に文句も言いたくなるが、ここは堪えて2人が帰ったら言ってやろうと心に決めた。
「それより、お前もこっちに来い」
「父さんのお客様でしょ?」
「息子なんだよ。構わねぇよな?」
「そうですね。ハルさん、でしたか?お疲れの折で申し訳ありませんが、少々私たちのお話を聞いていただけませんか?」
そこまで言われてしまったら断る理由もない。テキパキと紅茶を人数分用意してテーブルへと戻った。
「粗茶ですがどうぞ。えっと……?」
「すみません、名乗るのが遅れましたね」
美女は取り出した名刺をハルへと手渡してくれた。上質紙に刻まれた名前を追い掛ける。
「ヴィクトリア=フォン=ディルメンス、さん?」
「ヴィッキーは俺の昔馴染みで、先公やってたんだぜ?」
「私をそう呼ぶのは先輩だけですよ」
懐かしさに顔を綻ばせるヴィクトリア。
「現在は第六戦略主要都市≪ラ・ファミリア≫にある破砕者養成校で理事長を拝命しております。そして、此方が私の娘のリヴィ――セリヴィエットです」
「……」
セリヴィエットはハルを一瞥するだけにとどまった。警戒されているだけでないその態度に、ハルは困り眉を隠せない。
「ヴィクトリアさんが父を尋ねてきたことは人伝に聞きましたが、義父が何か粗相を?」
「オイ何で俺がやらかす前提なんだよ!」
ハルが水を向けると、ヴィクトリアは「単刀直入に申し上げます」と前置きした。
「マクシミリアン先輩、シティへ戻ってきてはもらえませんか?」
「えっ!?」
驚いて、カップを倒しそうになるものの辛うじて零さずに済んだ。
「シティへ?父を?」
「お前、もうちょっとパッパに優しくしてもいいだろうが……」
「はい。もちろん、ご子息のハルさんにもシティへの移住をお願いすることになります」
「突然ですね。ヴィクトリアさん、説明をお願いしてもいいですか?」
「では、少々歴史の話も絡みますがご容赦を」
ぱんと手を鳴らしたヴィクトリアは喋りだした。
「始まりは2027年。アメリカ合衆国マサチューセッツ州北東部サフォーク群の都市――かつてはボストンと呼ばれた都市に隕石が落下。落下地点に小型のワームホールが開かれ、異形の結晶生物が地球へと侵略を開始しました。≪赤色次元結合≫と現在では呼ばれていますね」
ヴィクトリアの声はかつては教職についていたからなのか、驚くほどすっきりと耳に届いた。
「後にスピリット・クォーツと名付けられる彼らは呼吸や体液に至るすべてが有害であり、闊歩するだけで地上を汚染し、あまつさえ地球上の物体をワームホールこと扉の向こう側へと引きずり込もうとします。ハルさんは、エトワール凱旋門をご存知でしょうか?」
「名前だけは。建造物、でしたっけ?」
「よい回答です。フランスのパリのシンボリックな歴史的建造物であり、かつては凱旋門と言えば第一に名前が上がるほどの名所でした。しかし、2036年の大規模侵攻の際に扉の向こう側へと消失しています。スピリット・クォーツの侵略は人類史を踏み躙る冒涜と言い換えてもよろしいでしょう」
嘆かわしいですね、とヴィクトリアはカップに口をつける。
「とはいえ、人類も無策で滅びを待つほど愚かではありません。持ち得る科学技術の全てを注ぎ、スピリット・クォーツへ反撃し得るシステムを作り上げました。人間の精神とシンクロさせることで身体能力を飛躍的に上昇させる戦略兵器≪輝煌武装≫」
ヴィクトリアが娘の小脇に立て掛けた長大なホルダーを一瞥した。
「そして、汚染度の低い拠点を戦略主要都市として楯と、輝煌武装を扱える武芸者を破砕者として矛とし、人類はスピリット・クォーツの脅威と今日まで戦い続けています。破砕者とは人類にとっての反撃の象徴であり、特権階級として目の敵にされるのも致し方ない事です」
「ヴィクトリアさんのお話は分かりました」
「え、マジでか?」
ハルはヴィクトリアのカップへお茶を注ぎながら、慎重に言葉を選んだ。
「父さんだって格式ある破砕者の力を与えられたんだから、より多くの責任を果たせ。そう言いたいんじゃないかな」
「ハルさんは頭の回転が速くて助かります」
「けれど、ヴィクトリアさんはその矛を育てているんですよね?なら、わざわざロートルである父さんをシティに連れていく必要は今のところ思い当たらないのですけれど」
「ロートル、ですか。ふふっ」
ヴィクトリアがさもおかしそうに笑い、何度も一人で頷いた。
「ご子息さんには何も伝えていないと。では、マクシミリアン=カルヴァードが、全ての戦略主要都市の破砕者の中でも五指に入るほどの強者――いっそ最強であると言ってもいいでしょう――であることも知らないでしょうね」
「……えぇ……」
今日一番の驚きに、言葉を失った。半眼で父を睨むと、ばつの悪そうな顔でそっぽを向かれた。
「先輩の偉業は数を上げればキリがありません。中でもラ・ファミリアへと迫ったSQ大隊規模を単身で撃破したその実力から異名も与えられました。その名こそ――≪剛力無双の最強守人≫」
「その名前で呼ぶの辞めて!」
マクシミリアンが真っ赤な顔で、ヴィクトリアを遮った。
「何故です?私は格好いいと思いますが」
「クソだッせぇんだよなぁ!呼ばれるこっちとしちゃぁ恥ずかしいったらありゃしねぇの!」
真っ赤な顔を両手で覆う様は乙女のようで、義父のそんな無様を見たくなかったハルは無心でお茶を嚥下した。
「大体よぉ、責任だか何だか知らねぇが俺は辞めた身だ!そんなに人が欲しいなら他のシティから引っ張ってくりゃあ、」
「旧ドイツ領内の第七戦略主要都市≪メタリカ≫。先輩だって名前くらいはご存じですよね?」
「そりゃあ、まぁな。同期のベルンカッツェがいるシティだし」
「半年前、シティ内でワームホールが発生。その3日後に陥落し、扉の向こうへと消失しましたよ」
ヴィクトリアの目配せを受け、セリヴィエットがARスクリーンを開いた。半透明の画面には、クレーターの航空写真が映し出されている。その写真に言い知れないおぞましさを感じ、ハルは吐き気に口元を押さえた。
「シティは安全って話じゃねぇのかよ、ヴィッキー?」
「既に地球上の7割がSQの毒素にまみれているのですから、安住の地など既にありませんよ。そもそも汚染区域に発生しやすいというだけであって、どのような条件下で扉が発生するのか、そのメカニズムすら解析できていないのですからね」
青ざめたハルを介錯するマクシミリアンに、ヴィクトリアは淡々と答える。
「そして、発生率は年々上昇傾向にあり、ついにシティの一つが呑み込まれてしまう事態となりました。先輩、我々の猶予は思った以上に少ないのかもしれません」
「だから、俺に戻れって言ったのか」
「分かりやすく、強力なシンボルが必要なんです。そして私の知る限り、それは先輩しか成り得ない」
「シティに必要ない人間は切り捨てて、それで必要になったら戻ってこいって。ハハッ、そんな道理が通るかよ」
マクシミリアンは笑顔で言い切った。しかし、ハルは知っている。これは我慢の表情だ。少しの刺激で父は怒りを爆発させる。
それを知らず、果敢にも口を開いたのはセリヴィエットだった。
「母が申し上げた通りです、マクシミリアンさん。シティは人類に残された最後の希望です。破砕者が常にシティを守る存在と歴史が証明しているならば、危機と聞けば参上すべきではないのでしょうか?」
「あ゛ぁ!?」
父のこめかみあたりから、ぷつんという音が聞こえたような気がして、頭を抱えたくなったが実際にしている場合ではなかった。
(あっちゃぁ……見事にやったなぁ、この子)
机をへし折らんばかりに叩いて立ち上がった父を止めるべく、ハルは動かざるを得なかったのだ。
「父さん、落ち着いて」
「けどなぁ!」
「大丈夫。僕が言うから、ね?」
肩を掴んだハルの困惑交じりの笑みに、マクシミリアンは派手な舌打ちをして椅子へと腰を下ろした。まずは一安心だが、導火線にはまだ火が付きっぱなしだ。
「セリヴィエットさん、だっけ。そう言う一方的な言い方は、うん、好くないかな」
自分を睨むセリヴィエットのコバルトブルーの瞳を綺麗だと思える呑気な自分を見つけて、ハルは思わず苦笑いをしてしまう。
「シティが無くなっちゃえば、僕らはきっと戦う力を失って怪物たちに皆殺しにされる。だから、破砕者はシティを優先すべきだって、セリヴィエットさんの考え方は分からないこともないよ」
「何を根拠に言いますか」
「僕も元はシティの人間だから、重要性は分かってるつもりだよ?あ、両親が死んじゃって、シティから追い出されちゃったから今は違うけどね」
「そんなの見ればわかりますが」
「あはは、だよねぇ」
ハルは、自分のカップにお茶を注ぎながらゆっくりと刺激しないように言葉を選ぶ。
「でも、汚染されて破棄されたこんな場所でも人は生きてるんだよ。身を寄せ合って必死に暮らしている人たちを、キミはどうでもいいって言うの?」
「仕方ありません。シティとて完璧ではないのです。大を救うには少を切り捨てなければいけない場合もあります」
「そうだね、シティにも事情はあることだって分かってるよ」
ハルは、息を吐いた。
そして薄々疑っていた、「この子はシティの外を知らないのではないか」という疑問が正しいのだと確信した。カップに口をつけないのだって、そういう理由なのだろう。
「でも、助けてもらえなかった人は見捨てられたって思っちゃう。僕はそれをしょうがないって割り切れる様な人間にはなれないよ。父さんが僕にそうしてくれたように、僕も誰かに手を差し伸べられるような人でありたいから」
ハルはマクシミリアンに微笑んだ。引き取り先が居らず、僅かな路銀だけ渡されてシティから追放された自分を追い掛けてくれたのは、マクシミリアンだった。
『息子にしてやるって言っただろ』
そうやって笑ってくれた姿は、今でも脳裏にしっかり焼き付いている。
「僕にとっての破砕者は人に寄り添える存在なんだ。血は繋がってないけど、父さんから学んだんだ。だからね、セリヴィエットさん」
ハルは初めてここで二人を同時に見た。血の繋がった親子らしく顔立ちが似通っていて、羨ましい、と思った。
「名誉や肩書を優先して戦うだけが破砕者のいる意味じゃないってことを、分かって欲しいんだ。どうか、お願いします」
「……っ」
頭を下げたハルに、セリヴィエットが動揺する気配が伝わる。ほんの少しだけでも理解を得られただろうか。顔を上げるよりも早く、
「ウォォォォン、ハルゥゥゥゥゥゥゥッ!」
「ぶべぇ!」
強烈なハグを横合いから貰い、視界が黒一色に染まった。
「父さんやめて苦しい汗くさい!って泣いてない!?」
「パパは嬉しいぞぉ!こんなに、こんなに立派になってくれちゃって!ウォォォォン!」
「いだだだだだだだだだ!極まってる極まってる!」
引っぺがそうとするハルの耳に、笑いを嚙み殺しているようなヴィクトリアの震え声が聞こえてくる。
「先輩は良いご子息に恵まれたようですね」
「そうだろうそうだろう!なんたって自慢の息子だからな!」
「だったら、その息子がぺしゃんこになる前に離してってば!」
すぽんとマクシミリアンのベアハッグから抜け出し、呼吸を整える。痛む頭を押さえつつセリヴィエットの表情を窺うが、此方に目線すら向けてくれない。客人に粗相をしてしまった、顔を真っ青にしたハルは頭を何度も下げた。
「セリヴィエットさん、あの、えっと、生意気なこと言ってごめん!でも、あのね、僕もその喧嘩をしたくて言ったんじゃなくって!」
「只の子供のくせに」
呟きを聞き返そうとして、部屋中に響き渡ったブザーがそれを遮った。
「噂をすれば影が差す、ですか」
ヴィクトリアの呟きよりも早く、矢のようにセリヴィエットが飛び出した。押っ取り刀で追いつけたのは、セリヴィエットが玄関で止まっていたからだった。
刹那、ズシンという衝撃が彼らの臓物を揺るがせ、続いて鮮やかな真紅の裂け目が村の空に発生する。
「扉!」
「反応増大、来ます!」
裂け目から流星が村へと降り注ぐ。いや、そんなものであるはずがない。廃材を繋ぎ合わせただけの家屋が崩れ落ちる。黒い火の粉が空を赤く染める。そして微かに見えた、鎌首をもたげる悪鬼の如き影。
「SQの移転を確認。お母様、マクシミリアンさんは住民の避難誘導をお願いします。私は奴らの討滅を行います」
「セリヴィエットさん、一人じゃ危ないよ!せめて、」
ハルの伸ばした手が空を切った。聴いている暇などないと言わんばかりに、振り返りもせずセリヴィエットが走り出したのだ。
「我が娘ながら、SQ絡みになると視野が狭まるのは少々頂けませんね」
「ヴィクトリアさん、彼女は一人でも大丈夫なんですか?」
「実力は申し分ありませんが、聊か経験が少ないので何方かがフォローしていただければ幸いですね」
ヴィクトリアはARスクリーンを展開し、赤い亀裂のデータを解析しながらちらりとマクシミリアンを煽る様に言った。
「俺はもう辞めた身だ。だから、出来る奴に任せる。そうだろ、ハル?」
「適任かどうかは分からないけど、出番だよね」
ハルは腰から、キューブを取り出した。
「それは、先輩の輝煌武装?なぜ、それを貴方が?」
真紅の夜空でさえ塗り替えるような蒼と銀の二色の光を浴びながら、ハルはいつも通りに、それでいて確固たる決意を以て頷いた。
「僕に任せてください、ヴィクトリアさん」
ヴィクトリア女史はポケモンSVのオモダカさんがいいなと思ったことが発端でした
この人、実は悪役なんじゃねぇんすか?みたいな陰のある感じが好みです