四十八 円綺堂《エンキドウ》
小出紋次郎は漁協の依頼で化け物狩り《モンスターハンティング》に来たことはおくびにも出さず、キルケに対して交易をしたいと持ち掛ける。
イシュタルによって破壊された館の惨状を見た小出紋次郎は、明朝から館の修繕をするので今晩は小出紋次郎の船で一夜を明かすよう提案する。
島に上陸した男たちには一晩野営をするように告げて船に戻ったはずが、腹心の円綺堂がしばらくたってからいきなり義兄弟の誓いに賭けてわが義兄小出紋次郎の助太刀を致す!と叫んで船へと急いだ。
(登場人物紹介)
【私(二瓶十兵衛)】桃山時代にキルケの島へ漂着した織物商。既婚子あり。妻は子守歌が上手。
キルケに「(ある意味では)愛している」と告げた初めての男。そのせいでイシュタルの怒りを買い命の危機にさらされ、キルケによってきつつきの姿に変えられる事で生き延びることとなった。
【きるけえ(キルケ)】男を獣に変える人さらいとして恐れられる妖女。島で獣に囲まれて一人暮らしの喪女(ただし美人)。見た男すべてに一目ぼれする呪いをイシュタルから掛けられている。
【いしゅたる(イシュタル)】
自らを明星の大神と宣言する自信に満ち溢れた美しい女神。バビロニア時代からの恨みつらみがあるようで見た男すべてに一目ぼれ片思いをする呪いをキルケに掛けて海に投げ込んだ犯神。
【とむ(トミー・ビス)】リバプール出身の元潜水艦乗り現オオヤマネコ。人間時代は長身痩躯短髪。短気で気まぐれ飽きっぽい。イシュタルが嫌い。
地震が起こった際にハイブリッド型パイケーエス式潜水艦初号機で島を脱出し、母子南島の海鷹四方木神社の神猫様として祭られキルケの島について話している。
【海豚の顔をした男】元高僧。キルケの呪いを解こうとしたが撃沈し海豚の顔を持つ獣面人身になる。虚空蔵にアクセスして脱出用の船を設計製造していた所「私」が島にやってくる。モノによっては空から物質化もできる。
地震の際には荒れ狂うイシュタルを真っ向から封じようとした。今は水神エアの下で休んでいる。
【ふらんそわ(フランソワ・ド・ブロア)】シャンパーニュ出身。元十字軍志願者現黄金色の毛並みの犬。エルサレムに向かう途中で難破。キルケにとても懐いており、なぜかしばらく獣にならずに済んでいた。謹厳実直。
地震の際にはしろばち山の頂上にいるキルケの鷹と連絡を取り合って被害状況の把握などに努めていた。
【綿菓子のようなふわふわした何か(水神エア)】
イシュタルの古い知り合い。飲み比べに負けてイシュタルに水神としての権能以外を奪われる。「私」に呪い除けの水を持たせ、イシュタルとキルケの因縁と、キルケの怒りを防ぐ方法を教える。
地震の際に海豚の顔をした男とトムの安否について「私」に教える。
【小出紋次郎】
漁協から「化け物一匹につき百万円。きるけえは好きに任せる」との言質を取って化け物狩り《モンスターハンティング》にやってきた侠客の頭。
イシュタルとは並々ならぬ因縁があるようで……。
【円綺堂】
小出紋次郎の腹心である大男。何を考えているか良く分からないが無口で怪力。
バビロニア時代にイシュタルに酷く恥をかかせたらしいが……。
「あっ、綺堂の兄いが抜け駆けしやがった。きるけえを生け捕るのは俺だ」
「億だ、億が掛かっとるんじゃ」
「きるけえはワイが生け捕るんじゃ退けあほんだら」
「金じゃ、金じゃ、億じゃあ」
団子を食べていた男たちは、綺堂の後を追い、転がるように我先へと小船に駆け寄った。
このまま彼らを野放しにしては紋次郎の作戦がふいになってしまうと焦った私は、彼らを引き留めようと男どもの頭蓋を突いて回った。
思ったよりきつつきのくちばしは堅く、人間の首と頭蓋の境目はもろい事を私は知った。
私は砂浜に倒れ動かなくなった男共に構わず、綺堂の乗った小船の船尾に止まった。
綺堂の乗る船は、耳障りな音を立てながら海面に白い一本筋を立てて物凄い速さで母船へと近づいていた。
きつつきの体では風圧に負けて海に落とされかねない。
私は綺堂に気づかれないように、身を低くしながら船底にうずくまった。
船から縄梯子へと飛び移る綺堂を横目に、私はふわっと羽を風に任せて広げ甲板へと降り立った。
なるほど、これがふらんそわの言っていた空気に乗ると言うことか――。
私は羽を畳むと、海豚の顔をした男の真似をして、額から紫の光が出るのを想像した。
きるけえは船内に設えらえた湯屋にいるようだ。
私は紫の光が導くままに湯屋へと一直線に飛んだ。
湯屋の前ではふらんそわが伏せていた。
「あの大男が戻ってきたぞ」
「キルケ様への敵意は」
「きるけえへの敵意はないが、紋次郎への下剋上でも考えているかもな」
ふらんそわは耳をぴくりとさせたきりで、また伏せの体勢に戻った。
湯屋と脱衣所を隔てる扉は薄く開かれており、強いヨモギの匂いが充満していた。
「賢しらな事をしおってからに。誰がいらぬ知恵をつけおった」
いつの間にやってきたのやら、私の後ろでこの事態を引き起こした元凶であるいしゅたるがぶすくれた声で唸っていた。
久しく献上されていなかった荒くれた若い男達を腹いっぱい食い散らかしたいしゅたるは、強い薔薇の香りを放ち荒々しい気に満ちていた。
今のいしゅたる相手では私が愛、愛とつぶやいても力を削れそうにない。
ただ、いしゅたるがヨモギが苦手だと言うのはかなりの朗報だ。
私はいしゅたるに構わず、薄く開かれた湯屋の中を覗き込んだ。
湯船の中できるけえはするりと紋次郎の胸板に自らの背を預けていた。
紋次郎の手が肌を滑るのを堪能しているきるけえは、浜昼顔の褥の上で私と重なった時のようにうるんだ瞳をしていた。
「相変わらず手の早い男だ」
ヨモギの香りに秀麗な顔をしかめながら、いしゅたるが呆れ声を出した。
「素敵なお方だこと」
きるけえは頬を上気させながら紋次郎に向き合うと、緩く結い上げた髪の中から膏薬の入った二枚貝を取り出しそうとした。
「私にそのようなものは必要ありません。ただそのままの貴女が欲しい」
まっさらな紋次郎の唇がきるけえの唇を捉えた。
心なしか、きるけえの表情は動揺と高揚が混じっているように見えた。
「綺麗だ」
こいつは根っからの女たらしだ――。
きつつきになった私は人間の男女のまぐわいを見たところで何の感興も起きるわけがなく、綺堂の様子を見に戻ろうとした。
だが様子を見に行くまでもなく、彼の居場所はすぐ知れた。
「円綺堂義兄弟の誓いに賭けて、わが義兄、小出紋次郎の助太刀を致すーっ」
船が揺れるような足音と共に佩刀した綺堂が脱衣所に飛び込んできた。
ふらんそわが動きを止めようと、とっさにその尻にかぶり付いた。
「綺堂の兄いっ、抜け駆けはいけませんぜ」
「億は山分けしましょうや」
「一人で生け捕りはずるいや」
引き続いて私が仕留め損ねた幾人かが、脱衣所に駆け込んできた。
「助太刀致すーっ」
大音声と共に綺堂は尻にふらんそわをぶら下げたまま、がらりと湯屋の扉を開けた。
綺堂はまるで洗いかけの大根を桶から引き抜くように、湯船に浸かるきるけえを片手で持ち上げると小脇に抱えた。
「兄いがきるけえを生け捕りしやがった」
「きるけえを都に売り飛ばせば、五億にゃなっただろうにな」
続いて走りこんできた男たちが、てんでばらばら好き勝手に喚き散らす。
「どういう事です」
綺堂の小脇に抱えられたままのきるけえは、無表情で紋次郎に問うた。
紋次郎は問いに答えることはなかった。
「綺堂、きるけえ様を放せ。彼女に粗相のないようにときつく言ったはずだが」
綺堂は湯船にきるけえを放り投げたので、きるけえは足を大きく広げて逆立ちしながら湯船に飛び込んだ。
「おおっ。良い眺めじゃ」
「こりゃとんだ観音様じゃ。十億でも売れるぞ」
男たちは逆立ちで湯の中に突っ込んだきるけえを値踏みするばかりで、誰一人心配するものもいなかった。
ただ一人紋次郎だけがきるけえを助け起こし、綺堂の非礼を平謝りしているばかりだった。
「いつもこうじゃ。あの時も、あの時もあの薄らとんちきは我に恥をかかせおって。許さんぞ、許さんぞエンキドゥ」
いしゅたるの怒気が、ヨモギのにおいを打ち消す強いバラの芳香となって風呂を満たした。
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