二十八 フランソワ・ド・ブロア
(前回あらすじ)
キルケが目にした男全てを愛すると言うなら一度に大船団が漂着したらどうなるのだろうと言う「私」の問いに、海豚の顔をした男はかつてキルケが暮らした島で四十数名の男が漂着した時の話をした。
オデュッセウスと言う名の隊長とキルケが懇ろになり、他の男たちはキルケの侍女に相手をしてもらっていたらしい。
海豚の顔をした男は「虚空蔵」から情報を得ているのだが、キルケの元いた世界とは繋がりにくいので獣にされた男を戻す薬の作り方なども詳しくわからないとぼやいている。
(登場人物紹介)
【私(二瓶十兵衛)】桃山時代にキルケの島へ漂着した織物商。既婚子あり。妻は子守歌が上手。
島で唯一の人間。島から脱出するための潜水艦に乗船するためキルケの誘惑を交わしながら奮闘中。
【きるけえ(キルケ)】男を獣に変える人さらいとして恐れられる妖女。島で獣に囲まれて一人暮らしの喪女(ただし美人)。見た男すべてに一目ぼれする呪いをイシュタルから掛けられている。
【いしゅたる(イシュタル)】自らを明星の大神と宣言する自信に満ち溢れた美しい女神。バビロニア時代からの恨みつらみがあるようで見た男すべてに一目ぼれ片思いをする呪いをキルケに掛けて海に投げ込んだ犯神。
【とむ(トミー・ビス)】リバプール出身の元潜水艦乗り現オオヤマネコ。人間時代は長身痩躯短髪。短気で気まぐれ飽きっぽい。イシュタルが嫌い。
【海豚の顔をした男】元高僧。キルケの呪いを解こうとしたが撃沈し海豚の顔を持つ獣面人身になる。虚空蔵にアクセスして脱出用の船を設計製造していた所「私」が島にやってくる。モノによっては空から物質化もできる。
【黄金の毛並みの犬/ふらんそわ(フランソワ)】黄金色の毛並みの犬。キルケにとても懐いており、なぜかしばらく獣にならずに済んでいた。謹厳実直。
【綿菓子のようなふわふわした何か(水神エア)】イシュタルの古い知り合い。飲み比べに負けてイシュタルに水神としての権能以外を奪われる。「私」に呪い除けの水を持たせ、イシュタルとキルケの因縁と、キルケの怒りを防ぐ方法を教える。
「二瓶様、午後の訓練は拙僧が担当いたします」
海豚の顔をした男の一声で、磯遊びをしていたとむはのんびりと岩場に寝そべった。
「チップが入ったので念動力回路が開きやすくなっているはずですから」
どうやら潜水艦を動かすのに必須の念動力回路とやらを開発する訓練を行うらしい。
「拙僧に続いて呪文を唱えらせませ。なるべく真似て」
真似ろと言うが、真似のしようもない。
どこから出ているのか分からないような高音域の早口で、しかも異国の言葉と来たものだ。
「天竺(インド)由来ですので、初めのうちは舌がもつれるでしょうが」
私の舌が何とか回るようになると、海豚の顔をした男はだらりと手を下げて、岩場の影を幽鬼のように徘徊しながら呪文を唱えはじめた。
時折全身を浄瑠璃人形のように操られる感覚を覚えながら、私は海豚の顔をした男の後を幽鬼の如く歩き続けた。
これが念動力とどう繋がるのか、さらには潜水艦の駆動と何の関係があるのかを考える余裕もなく、ただただぶつくさと呪文を自動的に口から吐き出すのみだった。
「止め」
脳内に海豚の顔をした男の声が響くや、私は操られるがままに楠にしがみつくセミのように、ゆるく膝を曲げ両腕で空を抱いて立っていた。
両腕で空を抱いたまま立ち尽くしていると、辺り一面がすみれ色に染まっていった。
「お迎えに上がりました」
私を現世に戻したのは黄金色の毛並みの犬の一吠えだった。
「法主様、キルケ様が二瓶様のお戻りが遅いと気を揉んでおられまする」
「相分かり申した」
ぱんと柏手を一打ちすると、私の視界と意識ははっきりと覚醒状態に戻った。
「ではまた明朝」
互いに一礼すると、黄金色の毛並みの犬は私を先導するように暗くなった砂浜へと駆け下りた。
「フランソワ・ド・ブロアと申します。フランソワとお呼びください」
星が瞬き始めた夜空に、いかにも利発そうで若々しい声が響いた。
「シャンパーニュの出で、聖戦のためエルサレムに向かう途上この地に漂着いたしました」
若いくせに堅苦しいふらんそわは、少し付き合いづらそうだと思った。
「では改めて私も自己紹介を。私の名前は二瓶十兵衛。桃山幕府御用達の織物商人として諸国を巡っている最中に、嵐に巻き込まれてここに世話になった次第だ」
黄金色の毛並みの犬改めふらんそわは、きるけえに良く懐いている。
目付のようなものかもしれないと思うと、とむのように気安く思った事をぽんぽんと尋ねるのは危険だと思った。
その想念もある程度ふらんそわには伝わっているのだろうが。
「失礼ながら仰せの通りです。二瓶様は脳内にチップを仕込まれた為、通常の人体に比べて思念の送受信力が大幅に高められています。我々獣体存在にはあなたの思念は直接言葉となってすべて送り込まれています」
私はしまったと思ったが、しまったと思ったその言葉もすべてふらんそわには筒抜けなのだ。
「二瓶様はキルケ様の前で無心になるように努めておられますが、キルケ様があえて思念の受信力を落としておられるだけです。素のキルケ様であれば思念の受信は容易に出来ますでしょう。増して人為的に思念の受発信力を高めた今の状態であればキルケ様に心の内を全て明かすも同然」
「どうすれば良い」
一旦埋め込まれたちっぷを取り外せないなら、このまま館に帰れば私の邪な思いも逃げ出したいと思っている事もきるけえをちっとも愛せない事も筒抜けと言うわけだ。
とむは肝心な時にはいつもいない。
仕方なく、きるけえの間諜かもしれないふらんそわに対策を尋ねてみることにした。
「応急処置ではありますが、目をぐるぐる回されるのが宜しいでしょう」
からかっているのかと思ったが、謹厳そうな口ぶりの青年である。
私は目を左右に回してみた。
「いえいえ、白目を剥く要領で額側から後頭部を覗くように回すのです」
随分みっともない顔になること請け合いで、これなら呪いが掛かったきるけえの百年の愛も一気に覚めるだろうと思った。
とそこまで思って私はある事に気が付いた。
「あの館には、鏡がない」
「お気づきになりましたか」
薄黄色の明かりが漏れる館を前に、フランソワが聞こえるか聞こえないかぐらいの小声でつぶやいた。
「さて、目を回し、懐の水をお飲みになったら玄関を開けましょうか」
ふらんそわは私の味方なのかそれとも――。
「私はキルケ様に幸あれと願うのみでございます。もちろんこの島の全ての者にも」
「あなた自身にもか」
「ええ、無論」
私はえいやっと目を上下に回し、水筒の水を飲んだ。
「さあ、帰りましょう」
一吠えするふらんそわの声に合わせて、玄関の扉が開いた。
「お帰りなさいませ、旦那さま」
きるけえが頬を染めて、伏し目がちに私の肩口に額を寄せてきた。
「戻りました。オオヤマネコはこちらに戻っていますでしょうか」
はぐらかすように問うと、あの子はすっかり旦那さまに懐きましたねと言ってきるけえは笑い二階に続く廊下を指さした。
どうやら潮だまりで遊び疲れて、寝台で本格的に寝ることにしたらしい。
「食事の前に湯を使われますか」
「ええ。その前にオオヤマネコが寝台を荒らしていないか見に行くことに致しましょう」
「あの子はすっかり旦那さまの心を奪ったようですわね。妬けること」
言いながらきるけえはふらんそわの背中を梳いた。
「では湯を使われた後に夕食に致しましょう」
今日は一緒に入らないのかと聞きかけて思いとどまる。
これではまるで私がきるけえを誘惑しているみたいではないか。
「ではまた後程」
私は一礼すると、きるけえとふらんそわを残して二階へと上がっていった。
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