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孤島のキルケ  作者: モモチカケル
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十五 神々も困る勝気な娘

 湧水に向かって軽快にしろばち山を登っていくとむに対して、私はあしに幾度も足を取られながらよたよたと歩いた。

 とむは呆れたと言わんばかりにそっぽを向くと、どんどん山頂へと進んでいく。

 とむの立派なしっぽを頼りに、私は低湿地を進んでいった。

 息が上がり、とむの姿が遠くなるにつれ足元の泥砂が小石に変わって行った。


 どのぐらい歩いたのだろうか。

 急に開けた視界と背中から香る潮風に私は振り向いた。

 海岸線に向かうなだらかな傾斜はまるできるけえのスカートのように優美に広がり、紺碧こんぺきの海は彼女の胸元に光る宝石のようだった。

 私はぼうっとして、海と山の稜線の織り成す風景に見惚れていた。

「痛いっ」

 ぼんやりしていた私にしびれをきらしたのか、先に湧水へと進んでいたはずのとむが私の背中に飛びついてきた。

「すまん。ぼんやりしている場合じゃなかったな」

 胡乱うろんな目で私を見上げるとむに謝ると、私は足裏に出来たマメの痛みをこらえながら湧水へと急いだ。


 湧水はとむの案内なくしてはたどり着けそうもないほど、かすかなものだった。

 山の岩場の影から湧いた水は、ひっそりと地面と苔を濡らしていた。

 私は傍らの岩に腰掛けて弁当を広げると、水筒の茶を空にして湧水を入れようとした。

「挨拶もなく勝手にここから水を取ろうとは。全く礼儀のなっておらぬ男ぞな」

 私の頭上を覆うようにぬっと影が差し、鷹揚な、しかし威厳のある老爺の声が聞こえてきた。


「ここまでたどり着いたのは主が二人目ぞ」

 私の持つ水筒にそっくりな水筒が空中から飛び出し宙に浮いたかと思うと、なみなみと水が注がれ私の手元に渡された。

 声の主は綿菓子のようにふわふわと宙に浮いていた。

 姿形も作りかけの綿菓子のようにとりとめがない。

「一人目がそこのトミー・ビスよ。なあトム」

 オオヤマネコの姿のトムは岩場に寝そべって、一度だけ尻尾を打って返事をした。


「あの娘のせいでこんな所にまで来させてしまって済まないね。昔からあの娘には皆迷惑を掛けられっぱなしでね。困ったものだよ」

 私は困っているとは到底聞こえないのんびりした声の主に苛ついた。

「きるけえの知り合いなのですか。知り合いの不始末は知り合い同士で片付けてください。こちらこそとんだ迷惑だ」

「いやいや、キルケはあの娘の被害者だ。そう悪く言わないでおくれ」

 綿菓子のようなふわふわした何かが、癪に障るぐらいにのんびりとした口調で応じた。


「では誰のせいでこんなことになっているのです。あの娘とは」

「君も会っただろう。気まぐれで尊大で、だけどもとても美しい娘。金星の現身」

「いしゅたるのお知り合いで」

 私は神を自称するいしゅたるの知り合いに頭を下げた。

「ワシはあの娘とは古い付き合いでね。あの娘の父親の事もよく知っているが、あの娘を止めるのは父君でもなかなか難しい。ワシらは昔からあの娘にはほとほと困らされたものだよ」

 綿菓子のようなふわふわした何かは、表情が見えそうなほど深いため息をついた。


「ではあなたはいしゅたると同じく異教の神なのですか」

「異教も何もワシはこの世界のどこにでもおるよ。それを各地の死すべき者たちが好き好きに名前を付けて拝んで居るだけのことじゃ。ワシはまあ主らにとっては『水神様』のようなものかのう」

 水神ならば、綿菓子のような見た目は雲の表れだろうかと私は思った。

「ならば畏れながら水神様に申し上げます。どうか私たち囚われの者が、それぞれの地に元の姿で帰れますようお助け下さい」

 すがれるものなら、この際いしゅたる以外ならば神でも化け物でも良かった。

 私は自らを水神だと名乗る綿菓子のようなふわふわした何かに向かって、深々と頭を垂れた。

「済まんのう。昔のワシなら何とでもしてやれたのだが、ワシはあの娘との飲み比べに負けて力を奪われてしもうてな」

 自称水神は間の抜けた声でのんびりと謝ってきた。

「水にまつわる事か水場の守りならしてやるが、それ以外はめっきり力がそがれてな。いやはや面目ない」

「ではせめていしゅたるかきるけえの弱点を教えては頂けませぬか」

「教えてやっても良いが逃れるのは難しいぞ。トムも上手く逃れかかったがあと一歩の所で逃れきれなかったのだ」

 とむは聞いているのかいないのか、柔らかな産毛に覆われた腹を上下させながら横たわっていた。


「キルケはその昔イシュタルの神殿に仕えておった。イシュタルは大層勝気な娘で、ワシ等神界の面々も大層困り果てておったのじゃ」

 そうだろうと私は深くうなずいた。

「あれはただでさえ天を統べるいと高き神の愛し娘であると言うのに、それだけでは飽き足らず何でも欲しがる癖があってな。ワシのような神々と取引したりだまし討ちしたり言いくるめたりして、神々の力を次々と手に入れた。そのうち手に負えない強さになってきて父君ですら扱いに難儀するようになって、それで」

「それと、男達がこの島に囚われ獣となり果てるのに何の関係が」

 私は余りにのんびりした話し方に焦れて、自称水神の言葉を鋭くさえぎった。


「まあそう焦らずにゆったりと構えるが良い。ここは時間は『ある』と思えばいくらでもあるからの」

 死すべきものの不服などどこ吹く風で、自称水神はゆっくりと話し続けた。

「あれは神々の力だけでなく、欲しいものは全て手に入れねば気が済まぬ。男もまた収集癖の一つでな。いしゅたるにとって男とは流行りの装身具かつおもちゃの一つにすぎぬのよ」

「流行りの装身具、ですか」

 私は言わんとする事が分からず首をひねった。


「子供が犬や猫の子を親にねだるようなものと言えば分かりやすいかな。いざ手に入ってしまえば自分で世話もせず、それどころか虫の居所が悪ければ蹴ったり寒空で凍えさせ、大きくなれば飽きて新しいものをねだる。それを男にもするのだ」

 すっかり事情が見えた私は、うんざりしながら相槌を打った。

「若い男に対していつもそんな感じであったから、イシュタル神殿に祈りを捧げた名だたる勇者英雄の類ですら、いつからかイシュタルの誘いを退けるようになったのだ」


「英雄を生きたまま皮を剥ぎ火にくべ、動物に変えて鞭打っては泥水をすすらせたりと、イシュタルはありとあらゆる残虐な行為を嬉々としてしておった。まあ良くもあれほど残忍な仕打ちを考え付くものだと呆れるばかりであったが、きるけえにはその力の一分が引き継がれているから男が獣に成り果てるのも道理よ。虐待されぬだけマシだと思うしかないな」

 神を自称する存在に『虐待されぬだけマシ』と言われてしまえば、救いの道も無いではないか――。

 私はがっくりと肩を落とした。


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