黒い影
私は、宿のベッドで目を覚ました。
太陽の傾き具合から、今が夕方であることを悟る。
「よく眠れましたか。シエルさん」
そう声をかけたのはマリナーだ。のどは乾いていませんか?と言って、水を持ってきてくれた。
「あの後、私もシエルさんを追いかけたんですよ。そしたら道で倒れていたのでびっくりしました」
私を宿まで運んでくれたのか……。師匠の家を出てから2日連続の慣れない野宿。そして昨日の事件。自分では気が付かなかったが、体は限界だったのだろう。
情けないを通り越して、哀れだ。昨日の私は、本当に救いようがない。
「マリナー。その、昨日は……」
「シエルさんの気持ちは、痛いほどよくわかります」
マリナーは真剣な顔で話し始めた。
「ただ、今回は不確定要素が多すぎました。昨日食堂で聞いたことは、すべて噂話レベルの信ぴょう性しかなかった。相手は複数人かもしれない。相当な手練れかもしれない。私たちはこの町に着いたばかりですが、相手はこの町を知り尽くしているかもしれない。このような状況で、相手の懐に突っ込むのは、まさしく愚の骨頂です」
「シエルさんの実力は、メルクリウスさんから聞いています。あなたは強い。でもだからと言って、わざわざ自分から危険に飛び込んでいく必要はないんですよ。今後、一人で敵に向かって行ったり、考えなしに無茶な行動をしたりしないよう、約束してください」
ここまで真剣なマリナーは初めて見る。私は黙ってうなずいた。
「本当に、ごめんなさい。あと……運んでくれて、ありがとう」
マリナーはやっといつもの笑顔に戻った。お腹空いたでしょう、といって果物を手に取って皮をむき始めた。
ナイフで果物の皮をむく音だけが部屋に響いている。
マリナーの言っていることは正しい。昨日は100パーセント私が悪い。それでも、私は自分の考えを言わずにはいられなかった。
「昨日の私は、間違いばかりだった……。でも、この事件を解決するために動くことは、間違いじゃないと思う」
マリナーの手が止まる。私は話し続けた。
「昨日、犯人と面と向かって話をしたの。同情したわけじゃないけど、何か……何かあの子だけの問題じゃない気がするのよ。解決したからって、私のお母さんが殺された真相に近づくとは限らない……かもしれないけど、このまま放っておくなんて……私、出来ない」
この事件と、母が殺された事件。繋がりが薄いことはわかっていた。だが、首を突っ込みすぎたせだろうか。あの少女のおびえた顔、震えながら頭を下げる姿、私に危険が迫っていることを知らせてくれた声、それらが頭から離れなかった。
理由はわからないが、彼女は今苦しんでいる。その苦しみから救ってあげられるのならば、この事件の解決が、彼女を救う手助けになるのならば、見て見ぬふりなんてできるはずがない。
マリナーは手を止めたまま、深いため息をついた。
「……私がいつこの事件を放っておくなんて言いました?」
え?私はマリナーの方を向く。マリナーは再び果物の皮をむき始めた。
「情報を集めて、対策を練りましょう。日程が大きく狂いますが、仕方ありません。犬……テトさんは、昨日の現場を調べている最中です。私も、個人的にいろいろ調べました。次に現れた時は、必ず捕まえます。この事件を一刻も早く解決したいという気持ちは、私も同じですよ」
驚きと感謝の気持ちで、胸がいっぱいになった。旅を始めてまだ数日しか経っていないが、テトもマリナーも本当に頼りになる。私は本当に幸せ者だ。
「さて、ではシエルさん。この果物でもつまみながら、昨日起きたことを話していただけますか?」
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テトは、昨日シエルと犯人が相対した場所を調べていた。
「あの魔女の匂いはたどれそうにないな。匂いがバラバラに散ってる」
風にかき消されたように、匂いの痕跡は消えていた。これはどうしようもない。
しかしテトは、シエルの匂いと、微かなあの魔女の匂いと、もう一つ匂いがあることに気が付いた。
「この匂いって、あの野良犬もどきと同じ……!」
テトは屋上から路地に戻り、昨日自分が野良犬もどきと相対した場所を調べなおす。
「やっぱり同じだ。ご主人もあの謎の生き物に襲われていたのか」
この謎の生き物の匂いは……たどれる。
テトは路地の奥へと進んでいった。
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私は一通り、昨日の出来事を話し終えた。
「なるほど……。確かにそれは訳アリっぽいですね。あと、その魔女はおそらく風の魔法を得意としているのでしょう」
風の魔法を足の裏に集中させ、飛ぶように移動する魔法があるのだという。なるほど納得。
「シエルさんと戦うことをためらっているように見えたということについては、心当たりがあります」
そう言って、マリナーは新聞や雑誌の記事を大量に机に広げた。
よく見ると、それらの記事はすべて“切り裂きジル”の犠牲者についてのものだった。
「今まで犠牲になった人、11人について書かれている資料です。かなり昔の記事まで調べてわかったのですが、犠牲者には一つの共通点がありました」
「全員、過去に人を殺しています。つまり殺人を犯した、元犯罪者です」
スティーブ・ロックウェル 宿泊していた宿屋の娘を監禁し殺害 殺意は否認
これは8年前の事件。
ジョン・アーベルト 父親の首をロープで絞めて殺害 家族間のトラブルが原因か
これは10年前。
ジェシー・ランフォーレン 口論の末、友人の頭を花瓶で殴って殺害 正当防衛を主張
これは13年前。そして昨日の犠牲者だそうだ。
私はすべての記事に一通り目を通した。
「過去に殺人を犯した人を、その……殺して回ってるってこと?」
確かに、それなら私との戦いを避けようとしたのも頷ける。
だがあの魔女は、今は捕まるわけにはいかない、と言った。必ず罰は受ける、とも。
自分が悪いことをしていると自覚していた。こんなゆがんだ正義のような理由で、人を殺しているとは思えない。
「ちょっと気になったんだけど、この事件って全部この町で起きてるのよね。そんなに大きな町でもないのに、11人も元犯罪者がいたってこと?いくらなんでも多すぎない?」
元犯罪者がこの町を訪れた際に殺しているのだろうか。
「それについては、これが理由かと」
そう言ってマリナーは、教会のパンフレットのようなものを机に置いた。
「これって、この町にある教会?」
「はい。名前はライトウェル救世主教会。ここの神父クライムは、元犯罪者の社会復帰に力を入れているようなんです。刑期を終えた彼らに、仕事をするための技術を教えたり、この町で仕事を紹介したりしています。一部の地域住民からは反感を買っているようですが、お世話になった人からは慕われているようですよ」
なるほど、そういう事情があったのか。しかし社会復帰のためにやってきたこの町で、かつての罪を理由に殺されるなんて、なんとも救いようがない話だ。
魔女、教会、神父、元犯罪者……。つながりが見えてこない。まだ情報が足りないのだろうか。
考えが行き詰った時、部屋のドアがゆっくり開いた。
「ただいま~っと。あ、ご主人!目が覚めたんですね」
テトが帰ってきた。私はひとまず、昨日のことを謝罪する。
「気にしないで下さい。ご主人を先導したボクにも非はありますから」
収穫はあったんですか、とマリナーが尋ねる。ただで帰ってくるわけねぇだろ、とテトは言い返す。
「話す前に確認したいことがあります。昨日、野良犬のような生き物に遭遇しましたよね?あれと似た生き物に屋上でも襲われましたか?」
「え、ええ。犬じゃなくて鳥のようだったけど……。あなた、そんなことも分かるのね」
少し得意げになるテト。話は本題に入った。
「残念ながら、昨日の魔女の匂いはたどれませんでした。ですが、昨日現れた謎の生き物の匂いは残っていたんです。その匂いをたどってきました」
あの魔女の追跡を妨げるように現れた、謎の犬と鳥。この事件と無関係ではないだろう。彼らの正体や住処が分かれば、事件の解決に近づけるかもしれない。
「それで、どうだったの?あの生き物の住処を突き止めた、とか?」
私はテトに詰め寄る。テトは首を横に振った。
「住処は、わかりませんでした。途中で匂いが不自然に途切れているものがほとんどだったんです。ですが、いくつかの匂いが町の教会に続いていまして……」
マリナーと私は顔を見合わせた。
謎の生き物が教会近くを通っただけなのだろうか。いや、これは単なる偶然じゃない。
「魔女本人の情報がない以上、手詰まりかとも思いましたが、教会に探りを入れる価値はありそうですね」
状況が掴めずにきょとんとしていたテトにもすべて説明した。
思わぬところで見つかった、解決の糸口。
「すぐに行きましょう。とりあえずその神父にいろいろ聞いて」
ポン、とマリナーの手が肩に乗った。
「今日はもう遅いですし、シエルさんの体調も万全ではないので、行くのは明日にしましょう」
何言ってるの?今日行った方がいいに決まってるじゃない……と、言い返そうとしたが、マリナーは見たこともないほどの笑顔でこちらを見ていた。
「行くのは明日にしましょう?」
「……」
わかったから。もうわかったから、その顔やめて……。
マリナーは夜ご飯の弁当を買いに出かけた。私は部屋の窓から、薄暗くなっていく町を眺めていた。
あの小柄な魔女は、今もこの町のどこかにいるのだろう。
あなたが何を抱えて、何に苦しんでるかはわからない。
だから教えてほしい。あなたの口から。
彼女が苦悶の表情を浮かべる日々が、一日も早く終わりますように……。