旅の始まり 3
最後の稽古が終わってから、一週間が経った。私は師匠の部屋に居る。テトも一緒だ。
「これが魔女の証、指輪とローブだ。指輪は左手の親指にはめておけ」
ローブは黒色をベースに赤のラインが入っていた。なかなかかっこいいじゃない。指輪についている宝石は、濃い赤色の中に藍色が散らば目られているような不思議な色をしていた。
「それは“サタンの雫”って言ってな。魔女の国に伝わる神話なんだが、大昔、始祖魔女が魔王サタンを封印した時に、サタンから出た血と涙がこの鉱物になったんだそうだ。その始祖魔女の意志を私たちは受け継いでいます!みたいな意味があるらしい」
いかにも神話っぽい、ガバガバな設定だ。
「サタンの体液が魔女の証って、なんか腑に落ちませんね」
テトが口を挟んだ。余計なこと言わなくていいのよ、と私が言う前に
「私もそう思う」
師匠が頷いてしまった。
次の日の朝。
出発の日の朝だ。
「随分と身軽な旅人だな」
私が持っているのは、2本の剣と肩にかける小さなカバンくらいだ。
「長旅をするつもりはありませんよ。調べたいことは1つだけですから。それが済んだら…」
「ここに帰ってこい」
そう言って、師匠は私を抱き寄せた。
「ここはもうお前の家でもあるんだ。いつでも戻ってきていい。私はここにいる」
師匠の腕の中で、私はうなずいた。本当に素晴らしい師匠に巡り合えたと、心から思う。
師匠は一枚の紙を私に手渡した。それには名前と場所が書かれていた。
「この魔女を訪ねてみろ。私の知る限り、一番物知りな魔女だ。名前はテイルス。ハーフブルクという港町に住んでる。ここから北西の方向に5日くらい歩けば着く場所だ」
5日…。途中に宿場町もあるそうだが、そこそこの距離だ。
「ハーフブルクのどこに住んでるんですか。その魔女は」
テトがもっともな質問をした。
「あー、それはわからんが、心配するな。町についたら飯屋に行け。そこで長くても半日待ってれば、必ず会える」
?よく意味が分からない。着いたら町の人に聞けばいいか。
「それからシエル。お前にこいつを貸しといてやる。女の一人旅は、何かと危険が伴うからな」
そう言って、師匠は緑色のイヤリングを私の右耳につけてくれた。
「この中には私の精霊が入ってる。ちょっとした戦闘もできるし、飯も作れる。まぁ便利な護衛か何かだと思ってくれ。名前はマリナー」
名前を呼び、念じれば出てくるという。言われたとおりにすると、イヤリングが光りだした。そして私の目の前に、緑色の髪をした細身の好青年が現れた。
「お初にお目にかかります。麗しいお嬢様」
その精霊、マリナーは私の前にひざまずくと、やさしく私の手をとり、手の甲にキスをした。
私は無表情で固まってしまったが、マリナーは柔和な笑みを浮かべて、ひざまずいたまま話し始めた。
「私、本日よりシエル・レッドソード様の護衛兼補佐を務めさせていただくことになりました、名をマリナーと申すものでございます。シエル様の旅にご同伴できることを、心から嬉しぐっ!」
マリナーの顔面に、テトのドロップキックが炸裂。無様に倒れてしまったマリナーを、テトはゴミをみるような目でにらみつける。
「ご主人の体に気安く触れてんじゃねーよ。ご主人、ボクこいつムリです。こいつが傍にいる方が、よっぽど危険だと思います」
マリナーは自分の顔をさすりながら飛び起きる。
「ななな何すんだこの犬畜生がぁ!私の顔に傷がついたら、どう責任をとるつもりだ!」
先ほどの紳士的な態度はなんだったのか。顔を真っ赤にして叫んでいる。
「こいつ相手によって態度変え過ぎでしょ!オイ。お前精霊なんだろ。ボクの体ブラッシングしろよ」
「お断りさせていただきます。私はシエル様にお仕えする身。下品な四足歩行動物の世話をする気はありません。どうしてもと言うのでしたら、あなたの犬らしいところを見せて下さい。ほれ、このボールとってこーい」
「こいつマジで腹立つ!あーもう自己紹介は終わったんだろ。ならさっさとご主人の装飾品に戻れよ!」
一匹と一体は、ついに取っ組み合いのけんかを始めてしまった。
「…まぁ、あんな感じのヤツだが、役に立つことは保証するよ」
イヤリングに触りながら戻れと念じると、マリナーは光を放ちながらイヤリングに戻った。騒々しいのは嫌いなので、とりあえず今は出さないでおこう。
「ご主人。今のヤツ二度と出さないでくださいね。大丈夫です。ご主人はボクが守りますから」
まぁ、その気持ちは素直に嬉しいけど。
「それじゃあ師匠」
私は師匠ーメルクリウスさんに向き直り、深々と頭を下げた。
「本当に、お世話になりました。いってきます!」
師匠は軽く手を振ると、家に戻ってしまった。
師匠らしいな。
「よし、行きましょう!」
私ーシエル・レッドソードとテトは、最初の目的地、ハーフブルクに向かって歩き始めた。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
シエルたちを送り出した後、メルクリウスは足早に家に戻った。そして、大きなため息をつく。
「そんなに急いで出発することもないだろうに…」
目頭が熱くなる。
「さすがはお前のガキだよソレイユ。たった4年であそこまで強くなった。いや、私の指導が良かったのか?次に会う時は、もっと強くなってんのかねぇ。あーやだやだ。これだからガキは…」
涙をぬぐって、頬を両手でぱちんと叩いた。
「よし!今日から気合入れなおすか!ガラでもないことしてたせいで、気とか涙腺とか、いろいろ緩んじまったよ。私は私の仕事をしなくちゃね」
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
旅の始まり・完