動乱の前兆
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「あっちゃー、これはこれは。めちゃくちゃにしてくれちゃって……」
シエルとテトが教会を後にしてから数刻後。
白いローブを身に纏い、フードを深く被り、胸にブローチをつけた女性が一人、瓦礫の隙間を覗き込んでいる。彼女はクライム神父の研究場所である、教会の地下室への入り口を探していた。
「お、あったあった。目標はっけーん……ってこれ、どう考えても瓦礫どかさないと入れないでしょ。研究成果の報告を受けるだけだったのに、教会燃えてるし、クライム死んでるし、なんかもうわけわかんないわよ~」
つい先ほどまで燃えていた教会だが、今は完全に消えていた。教会の周りは水浸しになっており、すこし地面がぬかるんでしまっているところもある。そこに同じく白いローブを身に纏い、胸にブローチをつけた女性がやってきた。やはりフードを被っており、顔はわからない。
「あ~やっと帰ってきた! 到着したとたんにどっか行っちゃうから心配したよ~。トイレ? もしかして~女の子の日w……熱っ!冗談、冗談だからやめ、熱い熱いって!」
瓦礫の中で作業をしていた女の腕と足が、突然発火する。火はすぐに消えたが、女は火が付いた場所にわざとらしく息を吹きかける。
「ふーー、ふーー。もぉ相変わらず冗談が通じないんだから~。結界は張り終わったんでしょ?早くガブちんも手伝ってよ。これ絶対一人じゃ無理だから」
ガブちんと呼ばれたその女性は、ゆっくりと顔を上げた。朝日に照らされる、金色の髪。切れ長の目に赤い瞳。その顔はまるで……。
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「……一旦話を整理しよう。ニーナちゃんは突然顔色を変えて倒れた。心臓が止まって精霊はどうしようもなかった。するとそこに、ご主人のそっくりさんが突然現れて、ニーナを治療した。そしてそいつは名前も言わずに去っていったと。こういう事?」
「概ねそんな感じです。でも、その人の顔をはっきりと見たわけではありません。暗かったですし、フードを被っていたので横からチラっと見えた程度ですから。見ての通り、今ニーナさんは落ち着いて寝ていますがね。シエルさんが行ってる間にいろいろあり過ぎて、もう何が何やら……」
マリナーはぐったりと座り込んでいる。神父の言っていたことは本当だったのだ。本来ならニーナは死んでいたことになる。
「でも、ニーナが生きていて、本当に良かった……!」
正直、理解できない事ばかりだが、ニーナが無事だったということだけは、何物にも代えがたい。とにかく今はその喜びをかみしめよう。
私のそっくりさんとは誰なのか。どうして助けてくれたのか。今は頭が働かない。考えても仕方がないことは、いったん保留だ。
「シエルさんの治療が終わって、ニーナさんが目を覚ましたら、すぐにこの町を出た方がいいですね。町の人もそろそろ教会の異変に気が付きます。そうすれば、シエルさんは真っ先に疑われるでしょう」
「……そうね。私のやけどは大したことないから大丈夫よ。ニーナが起きたら、すぐに出発しましょう。マリナーはイヤリングに戻っていれば、回復するのよね?」
「ええ、その通りです。お願いします」
マリナーを戻すのは何だか久しぶりの気分だ。戻れと念じると、緑色の光を放ちながらイヤリングに戻っていった。いつもならテトが、なんかスッキリしたとか、空気がきれいになった気がするとか言って騒ぐところだが、今回ばかりはテトもそんな余裕がなかったのか、何も言わないようだ。
静かになったニーナの家の中。私も床に座り込み、一息ついた。
「テト。マリナーも、聞こえてるでしょ」
一眠りしようとしていたテトは、頭だけをこちらに向ける。イヤリングに戻ったマリナーは薄く光って反応する。
「私のわがままに付き合ってくれてありがと。これからも、その……よろしく、お願いね」
少し照れくさい。でも私1人だけだったら、何もできずに終わっていただろう。とにかく感謝の気持ちを伝えておきたかった。
もちろんですよ!とテト。大きな光を出して答えるマリナー。
良い師匠に恵まれ、良い仲間にも恵まれた。そして加わる新たな仲間。決して心躍る愉快な旅ではないが、道中が楽しいに越したことはないだろう。
ニーナはまだぐっすり眠っていて、起きる気配はない。太陽はほぼ昇りきっており、遠くで人の声もする。早くこの町を出ていかなければいけないのは分かるが、私がここにいることを、町の人は誰も知るまい。私も少し目を閉じておくことにした。
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こうして、宿場町ライトウェルを一月ほど騒がせた“切り裂きジル事件”は犯人の確保と、黒幕である神父の死亡によって、幕がおろされた。この事件の犠牲者は11人だが、驚くべきなのはクライム神父の研究のために命を差し出した人の数が、34人に上るという事だろう。神父の人心掌握術は、まさしく神の域に到達していたということである。
教会が一夜にして焼失したという事実を、町の人々は受け入れることができなかった。さらに不可解なのは、クライム神父の遺体が見つからなかったことだ。神父を嫌っていたものからは、天罰が下ったのだとの声も上がったが、大半の人は悲しんだ。逃げ延びてどこかで生きているという説、切り裂きジルの餌食になったという説、そして数日前から滞在していた金髪の魔女がやったという説の3つが騒がれ、金髪の魔女に関しては、町の中で手配書が配られた。
だがその日を境に、事件はピタリと止んだ。一か月、二か月たっても、切り裂きジルは現れず、神父も現れなかった。
ライトウェルには事件前の活気が戻り、宿場町としての賑わいを完全に取り戻したということである。町の住人がこの事件の真相を知ることはないが、事件そのものを忘れることは決してないだろう。町の人によって、教会の跡地にはクライム神父の石碑が建てられた。そこには、前科を持つ者に対して神父が行った、素晴らしい活動の数々が刻まれてる。
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1時間後。ニーナの母を丁寧に埋葬した一行は、新たにニーナという少女を仲間に加え、宿場町ライトウェルを後にした。
目指すのは本来の目的地、港町ハーフブルク。師匠には5日で到着すると言われていた。ここまで来るのに3日かかったから、あと2日歩くということか。いや、恐らく今までのスピードで歩けないから、3、4日かかるのではないだろうか。
ということは……。
「また数日シャワーを浴びれないのね……」
「また獣の丸焼きと、野草生活が始まるのか……」
「野草?草を食べるの?どんな味なの?ねえわんちゃん!これ食べても大丈夫かな?」
「わんちゃんて。ボクのことはテトさんと呼びな……。ちょっと!それダメなやつ!毒入ってるやつだから!虫も食わないやつだから!!」
ぐっすり寝たおかげか、心が軽くなったせいか、ニーナは元気いっぱいだ。笑顔でテトとじゃれあっている。そうよ。私はあなたのその笑顔が見たかったのよ。もう一人じゃない。これからは私たちがそばにいるから!
「そうだ!お姉ちゃん。わんちゃん。これあげる!」
「チョコレート?ありがとう!いただくわね」
「お、いいのか?サンキュー……ってバカか!犬にチョコレート食わしちゃいけないのは常識だろうが!っていうか、ニーナちゃん。なんでチョコレートなんか持ってるの?」
「これ?この前神父様にもらったの」
「……」
「……」
少しにぎやかに(?)なったシエル一行。朝の太陽の方向に向かって、ゆっくりと歩みを進めていく。彼女らの旅は、まだ始まったばかりだ。
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ここは、とある場所にある、大きな教会。
祈りが捧げられる場所のことを聖堂というが、この教会には聖堂が8つもある。その中で、他の7つの聖堂が、決してそんなことはないのだが、粗末に見えてしまうほどの圧倒的な大きさと風格を持つ聖堂、第0聖堂。数多の装飾を施された豪華な祭壇の前には、無数の椅子が並べられており、この聖堂で祈りを捧げる人の多さを垣間見ることができる。
今、そんな第0聖堂にいるのはたった4人の女性。1人は前に立って話しており、残りの3人は座っている。場所はバラバラで、皆胸にブローチをつけていること以外は服装もバラバラ。座り方もバラバラ。個性豊かなどという聞こえの良い言葉は、この集団にはまったく当てはまらない。そもそも、個性などという言葉で彼女らを括っていいものか。
「ンで? 今どこにいるんだよそいつは」
金髪のロングヘアに黒い帽子。黒いズボンに黒いブーツ。胸には晒しを巻き、その上から特攻服のような上着を羽織った女性が声を上げる。先ほどからブーツを床に打ち鳴らし、落ち着かない様子だった。
「ラグエル。いつも言っているが、話は最後まで」
「もったいぶンじゃねーよミカエル。その教会ぶっ壊したシエルとかいう魔女をサクッと殺してこいって話なんだろ? 俺が言って来てやるって言ってンだよ。聞きてえのはそいつがライトなんとかから何処へ向かったのかってことだけなンだよ」
ラグエルは先ほどから報告書を読んでいる女性ーミカエルを問い詰める。背筋はまっすぐに伸び、グレーのスーツを着こなした姿は、ラグエルとは対照的な性格を物語っているようだ。
「……ラファエルからの報告によると、二刀流の魔女ことシエルはハーフブルクの方へ向かったとのことだ。言っておくが、彼女を抹殺しろという命令は受けていない。この件は、現在ハーフブルクに滞在中のサリエルが担当することになった。各自、次の命があるまで待機。以上だ」
ミカエルの報告は、どこまでラグエルの耳に届いていたのだろうか。ラグエルは話が終わらぬ内に立ち上がり、聖堂の扉へと向かっている。
「どこへ行く。待機命令が聞こえなかったのか」
立ち止まり、両手を腰に当てるラグエル。ゆっくりと振り向き、凍るような冷たい視線をミカエルに送る。そしてニヤリと笑った。
「散歩」
そう言い残し、外へ出て行ってしまった。
ミカエルは深いため息をついた。先ほどまで2人のやり取りを傍観していた、おかっぱ頭に眼鏡をかけたゴスロリ服の女性が声をかける。
「いいんですか。アレ、絶対行きますよ」
「良い訳ないだろう。だが止めたら、アイツはここでも全力で戦闘しかねんからな。大司教様とサリエルには私から報告しておく。今回はこれで解散だ。レミエルも戻って大丈夫だぞ」
レミエルと呼ばれた上から下まで全身真っ黒な服を着た女性は、礼儀正しくペコリと頭を下げて聖堂から出て行った。
「実際のところミカエルはどう思う?その魔女のこと」
「そうだな。クライム神父の改造生物は大司教様も注目していたからな。実際に戦っているところを誰も見ていないから何とも言えないが、想像以上に強い魔女なのかもしれない。今まで無名だったのが不思議だ」
「気になってるのはそこなのよ。魔法学院の名簿を昔のも含めて調べたけど、そんな名前はなかった。それほど大きな力を持っているならば、名前は広く知れ渡っているはず。もちろん偽名を使ってるだけかもしれないけど」
「今は小さな存在でも、我々の目標が脅かされるほどの大きな存在になり得るのならば……、ここでケリをつけておくことも選択肢の一つに加える必要があるな」
教会を後にしたラグエルはしばらく歩いたところで立ち止まった。空は曇っており、時折強い風が吹いている。
「ケツァルコアトル!!」
ラグエルがそう叫ぶと、突然雲の中から大きな鳥が現れた。地面に向かって急降下し、地面すれすれで飛ぶ鳥“ケツァルコアトル”にラグエルが飛び乗ると、大きな翼を動かし空へと急上昇した。
「二刀流の魔女、シエル・レッドソードね。久しぶりに腕が鳴りそうな相手だ。楽しくなりそうじゃねぇか」
切り裂きジル編 完