黒い影 2
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「おはようございます。クライム神父様はいらっしゃいますでしょうか」
朝、教会の扉をたたく一人の男性。
白い立派なあごひげをたくわえ、白い祭服を着たおじいさんークライム神父が扉を開けると、綿のズボンにサスペンダー、シャツブラウスにハンチング帽を被った緑色の髪の青年が立っていた。
「私、マリーナ新聞社のマリナーと申します。今この町で起きている“切り裂きジル事件”について取材を行っているのですが……」
神父は青年の顔をじっとみつめた。
「はて、今日そのような所から取材を受けるという約束をした覚えはないのですが」
「事前に連絡もせず、突然お邪魔してしまい申し訳ございません。しかし、この町のことはクライム神父様が一番お詳しいと、町の皆様に伺ったものですから」
ほぉ、と言いながら神父はあごひげを触り始めた。
「すこしだけ、お時間を頂戴してもよろしいですか……?」
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「神父様には感謝してもしきれませんよ。私にはちょっと人に言いづらい過去があるんですけど、そのせいで荒れていた私に声をかけて下さったんです。今ではこうして市場で働くことが出来ています」
「神父様?まぁすごい人だよ。世話になってる俺が言うのもなんだけど、変わり者っちゃ変わり者だな。まぁ俺がこうして生きてられんのは、あの人のおかげだな」
「最初は何でそんなことするんだろうって思いましたけど、今はむしろ助かっていますよ。彼らは働き者ですから。以前神父様が、差別する者こそ差別されるべき人間だ、と仰ってましたが、その通りだと思います」
「今すぐ出て行って欲しいところだ!わしは何十年も前からこの町に住んどる。なぜ犯罪者をわざわざこの町に招き入れねばならんのだ!自分の土地でやればいいではないか!そう思わんか姉ちゃん!?」
私とテトは、町の市場で聞き込みをしていた。クライム神父について教えて、なんて言ったら怪し過ぎるので、遠回りの質問を繰り返して聞き出した。
「最後のおじいちゃんにはびっくりしたけど……。割と好印象みたいね、神父」
「でも有益な情報はゼロでしたね。ボクたちが調べた以上の事は、住民も知らないみたいです」
当然と言えば当然だ。期待はしていなかったが、徒労に終わるのは悲しいものだ。
「私たちのことより、マリナーは大丈夫かしら」
「精霊もそれなりに強いみたいですし、大丈夫なんじゃないですか。手の込んだ変装までして、随分やる気みたいでしたけど」
マリナーの話では、魔女と教会は仲が悪いため、私はついてこない方がいいとのことだった。複雑な歴史があるようで、詳しく話すと長くなるらしい。
「魔女と教会の仲が良くないなんて知らなかった。テト知ってた?」
「昔戦争していたというのは聞いたことがありますけど、詳しいことはボクも分からないです」
マリナーが教会に行っている間はすることがないので、一応こっちも変装して聞き込みをしたんだけど……。
「悔しいけど収穫はナシね。宿に戻ってマリナーの帰りを待ちましょう」
「ご主人。宿に戻る前にあれ食べ」
テトが急に後ろを振り返る。鼻を鳴らしながら、あたりを見回している。
「テト?急にどうしたの?」
「いえ……。気のせい、ですかね」
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市場で聞き込みを終え、宿へと戻る魔女シエルと、魔獣テト。
それをじっと見つめる、漆黒の猫が一匹。
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太陽が沈んだ頃、教会の扉をたたく一人の少女。
「いつも言っていますが、ノックはいりませんよ。早く入りなさい、ニーナ」
そう呼ばれた少女、ニーナは一礼してから教会に入る。そしてクライム神父の前に片膝をついて座った。
「おや、今日もその服を着ていたのですね。先日私がプレゼントした服は、やはりお気に召しませんでしたか?」
ニーナは何度も直した跡のあるシャツに、ボロボロのズボンという格好だった。
「と、とんでもありません。あの服は、大切に、着させてもらっています」
それはよかった。そう言ってほほ笑む神父とは対照的に、ニーナは落ち着かない様子だった。
「その、いきなりで、失礼かもしれないんですけど、お母さんは……」
「金髪で二刀流の魔女」
ニーナの話を遮るように、神父は言った。ニーナは驚きを隠せない。
「そ、そんな……。先日で必要な分は、揃ったって……」
「必要なのは、心臓です。魔女の心臓には莫大なエネルギーが秘められています。母を復活させるにはどうしても必要なのですよ」
先日会った魔女のことだとは、すぐにわかった。
「その、魔女さんは、昔悪いことをした人なんですか?今までの人みたいに、悪い魂を持った人なんですか?」
「あなたの母の復活を阻止しようとしています。先ほどまで、魔女の手先がこの教会を訪れていたのです。今日はなんとか帰っていただきましたが、とてもしつこい人でしたよ」
あの魔女さんが?あの人と私は、この前初めて会った。私のことなんか、知らないはずだ。彼女はどうして……。
「どうして、そんなことを……」
「ニーナのような心優しい魔女もいれば、他人の思いや願いを踏みにじろうとする、邪悪な魔女もいるのですよ。悲しいことです」
悪い人には見えなかった。でも、私がやらないとお母さんが……。ニーナの頭の中はぐちゃぐちゃだった。
「そんな……。でも、私、どうしたら……!」
「あなたのお母さんを思う気持ちは、何よりも尊いものです」
神父は、優しく語りかけるように、笑顔でニーナに話をする。
「故に、何者にもあなたを邪魔する権利はありません。罪を犯した悪い魂を裁くことにも、あなたは心を痛めている。命を大切に思うあなたの気持ちは何よりも美しい」
「あなたの行いはすべて、神の名のもとに許されるでしょう。そして、罪なきあなたの思いを受け、母は復活の時を迎えるのです。あなたの求める幸せな日々は、すぐそこまで近づいていますよ」
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夜。私たちは宿の部屋で弁当を食べていた。しかしその空気は重い。
私とテトの聞き込み調査と同様に、マリナーの方の収穫もゼロだったのだ。
「用意してた秘策が新聞記者の変装だった時点で、なんとなく察してたんですよボクは。夕方まで取材して、何も聞き出せなかったのは予想外でしたけど~痛っ!」
私はテトの頭をはたいた。
「しつこいわよアンタ。何も聞き出せなかったのは私たちも同じでしょ」
「ホント……申し訳ありませんでした。元犯罪者については、パンフレットに書かれている以上のことは答えてもらえず、謎の生き物に関しては知らない、聞いたことがないの一点張りで……」
心なしかマリナーが小さい。そんなに落ち込むこともないと思うけど……。
「っていうか、朝から夕方までいたんだろ。ずっと何話してたんだよ」
「話していた、というより私がずっと食い下がっていたという感じですね。まともに話したのは最初の一時間くらいです」
「それは……すごいな。すごすぎて逆に引くわ。痛っ!」
私はもう一度テトの頭をはたいた。
「後は、あの魔女が現れるのを待つだけって感じですか?」
すでに寝る態勢に入っていたテトが、ゴミの片付けをしている私に尋ねた。
「そうね……。出来れば、彼女が次の事件を起こす前に捕まえて、話を聞きたかったんだけど」
彼女が出てきてくれないと、今の私たちにはどうしようもない。だが、彼女が事件を起こした後にしか動けないというのは、なんだかやるせない気持ちになる。
「ボクがこっそり教会に忍び込んで、調べてきましょうか?新しい手掛かりが見つかるかもですよ」
「そんな危険なこと、頼めるわけ……」
何の物音も聞こえなかった。白いフードを深く被った少女が、窓枠に立っていた。
誰も一言も発せなかった。少女はナイフを構え、私に向かってきた。
マズい。あまりにもとっさの出来事に、体が動かない……!
ガキン!!と、金属同士がぶつかる音が部屋に響いた。
私の前にはマリナーが立っていた。なんと弁当を食べた時に使っていたフォークで、刃を受け止めていた。
「窓は人が出入りするところではありませんよ。お嬢さん?」
少女は距離を取ろうとしているが、マリナーはフォークを巧みに使ってナイフを離さない。
「犬!出番ですよ!」「わーってるよ!!」
マリナーの呼びかけに、テトが答える。テトは素早くマリナーの後ろに回り込んだ。
「伏せろ精霊!」そう言うとテトは大きく息を吸い込んだ。
「衝撃咆哮!!」
ドォン!と大きく低い音が響いた。その瞬間、少女は大きく吹き飛ばされ、窓から外に転落した。
「シエルさん!」
あっけに取られていた私は、マリナーの声でようやく我に返った。少女を追って、窓から飛び降りる。
少女は耳をおさえてうずくまっていたが、私に気が付くとすぐに起き上がり、小型ナイフを構えなおした。
「2人とも、このあたりに住んでる人を避難させて!」
了解!という声が聞こえた。これで私は彼女に集中できる。
「まさか、あなたの方から会いに来てくれるとは思わなかったわ。あなたと少し話がしたいの。聞きたいことが……」
シエルが言い終わらない内に、彼女は臨戦態勢に入っていた。この前とは明らかに様子が違う。刃をこちらに向けて、すぐにでも突進してきそうだ。
だめだ。この様子では話どころじゃない。
ゆっくりと呼吸を整える。師匠以外の魔女を相手にするのは初めてだ。
彼女のためにも、負けられない。私は鞘から剣を引き抜いた。