プロローグ
“人間の運命は人間の手中にある”
-ジャン=ポール・サルトル-
しばらく気を失っていたみたいだ。
外はものすごい嵐だ。強い風のせいで、木造の家が軋むようないやな音を立てている。
ぼんやりと家の天井が見える。でも寝室の天井ではなかった。どうしてこんなところで横になっているのか。
起き上がろうとした。できない。体が何かに押さえつけられている。横を向くと、母が隣にいた。母の腕が自分の上に覆いかぶさっていたのだ。
母にどいてくれるように声をかける。だが返事がない。様子がおかしい。先ほどから微動だにしない。自分を抱きかかえるようにうつぶせになっているため、顔も見えない。
「ちょっと、どうしたの?お母さ…」
母を起こそうとした手が、ヌメっとした液体に触れた。
確認すると、手はその液体で真っ赤になっていた。
それが血だと理解するのに時間はかからなかった。
私は声にならない悲鳴を上げながら飛び起き、壁まで後ずさった。
「あ……、え……?」かすれたような声しか出ない。少しづつ周りの状況が見えてきたが、それらはすべて、到底受け入れがたいものだった。
母と私の家が、元の状態がわからないほど荒らされている。床には大量の血が、壁にも天井にも血は染みついていた。
どうしてこんなことになったのか、いったい誰がこんなことをしたのか。今、それを知るすべはない。ただ、何か、今まで経験したことがないような恐ろしいことが起こっている。
飛び起きた際、母の体を突き飛ばしてしまったことに気づいた。私は急いで母に駆け寄り、もう一度声をかける。やはり、返事はない。偶然、私の手が母の手に触れた。その手の感触は、いつもの温かく柔らかい、私の知る母の手ではなかった。
私は、ここでようやく母の全身が血だらけであることに気付いた。そして同時に、床、壁、天井についた血はすべて母のものであることを直感的に理解した。理解してしまった。
嵐の音も一瞬聞こえなくなるほどの、私の悲鳴。
ここで、私の記憶は途切れた。