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第6話 もう一度あの日のように

翌日。

いつもは目覚まし時計が必要ないほど規則正しく起きるわたしが、珍しく目覚めの悪い朝。

ベッドから起き上がると、なんだか身体がだるかった。

額に手を当ててみると、心なしか熱い。

いつもベッドの脇に置いてある体温計を取り出して、脇に挟みながら窓を開けてみた。


朝からどんよりした曇り空。

まるで、わたしの気持ちを表しているような天気だ。

窓の外に見える、川向こうの一本桜の木の葉が、生暖かい風に吹かれてザワザワ揺れる。


それと同時に、ピピッという検温完了の電子音が部屋に響いた。

37度6分。

大した熱じゃないし、ちょっとだるいだけなので、学校に行けなくもない。

でも、今日の気分は最悪だったから、わたしは「体調が悪い。」ということにして学校を休むことにした。




午前10時過ぎ。

いつもなら、2時間目の授業中だ。

そんな時間に、わたしはパジャマのまま、ベッドに仰向けに寝そべって天井を見上げていた。


彼の手を振り払ってしまった場面が、頭から離れない。

『仕方がなかったんだ』と納得させようとする自分と、それを決して認めない自分がいた。


あの時、『楽しい』という気持ちを思い出してしまった。

それを失ってしまうことを考えたら、本当に怖かった。

だから、そうなる前に、彼の前から逃げた。


―――それなのに、この喪失感は一体なに?


そんな空虚な気持ちが、わたしの気分を落ち込ませる。

一体、この気持ちをどうすればいい?


このままじゃ辛い思いをすることになる・・・それがイヤだと思ったから逃げたのに。

逃げたら・・・もっと辛かった。


なんて理不尽な結末だろう。


笑えない。

救えない。


天井を見上げながら、右手の甲を額に当てて、誰もいない自分の部屋で、わざと声に出して呟く。


「馬鹿だ・・・わたし・・・。」


優しく差し出された手を、払いのけてしまった。

湧き上がる強い後悔の念。

それが、『仕方がなかったんだ』という主張を、軽々と押しつぶしていく。


きっと、もうその手が差し出されることはないだろう。

もう会うことすらないだろう。

胸の奥がキリキリ痛む。


病院の待合スペースで、笑い転げる彼の姿。

わたしの学年を当てて、少し得意げになった彼の顔。

わたしは、ムリヤリそれらを頭の外に振り払う。

だって、もうどうにもならないことだから。

そして、後に残るのは憂鬱な毎日・・・灰色の世界だけだ。


ならば・・・もう終わらせてもいいじゃないか。

今日、終わらせればいいじゃないか。


わたしは、自嘲するように笑ってしまった。

なんだ。彼と出会う前に戻ってしまっただけじゃないか。

それなら、やるべきことは一つだと思った。


―――やり直そう。

―――もう一度あの日のように。




午後になるのを待って、わたしは制服に着替えた。

あの日と同じカッターシャツとブレザースカート。

別に学校に行くわけわけじゃないけど、ただ、あの日と同じ服装をしたかった。

これは儀式みたいなものだから。

わたしは、昼食もとらずに外に出た。


午前中は降っていなかった雨が、午後になってぽつりぽつりと降ってきていた。

この分なら、もう少ししたら本降りになるかもしれない。

熱も、まだ下がってはいなかったけど、今となっては、もう気にする必要もないだろう。


自宅から20分ほど歩き続け、あの雑居ビルにたどり着く。

10Fまでエレベーターで上がり、そこからは鉄鎖の向こうの階段で、屋上に上がる。

外に通じる鉄の扉を開けると、一粒の弱々しい雨粒が顔に当たった。

わたしは俯いたまま、屋上の縁の金網に向かって一歩ずつ近づいていく。


あの日と同じように、ゆっくりと歩く。

まるで、ヴァージンロードを進むように。


でも、何故か足が震える。

一歩進むごとに、その震えが大きくなっていくことに気づいたけど、その理由がわからなかった。

不意に、わたしの頭の中に、何かが問いかける。




・・・本当にそれでいいの?


(何が?)


・・・このまま死んでしまっていいの?


(別に・・・いいよ。)


・・・怖いんでしょ?


(怖くなんか・・・ない。)


・・・なら、どうして足が震えているの?


(わかんない。)


・・・それはきっと・・・




わたしは、頭の中の自問自答をムリヤリ打ち切るために、震える足を押さえつけるように、さらに一歩進む。

いいんだ。これは、わたしが決めたことなんだから。

これでいいはずなんだ。


・・・。


そう決めたはずなのに・・・胸の奥底から何かが込み上げて来る。

・・・怖い。

どうしてだろう。

あの日は、怖くなんかなかったのに。

でも、自分を誤魔化す事は、もう出来なかった。


―――やっぱり・・・死にたくない。


勝ち誇ったように、さっきの声が、また頭の中に響く。




・・・何が怖いのかわかる?


(死ぬこと・・・かな。)


・・・どうして、死にたくないんだろうね?


(それは、聞かれなくても・・・わかってる。)




そうだよ。

会いたいんだよ。

もう一度だけでいいから。


でも・・・もう会えないんだよ。

会う資格すらない。

だって、昨日、その手を振り払ってしまったんだから。


もう、わたしには他の道は残っていないんだ。

だから、行かなきゃ。

目の前の金網までたどり着けば、あとはそれを乗り越えるだけ。

それで、全てが終わるから。


わたしは下唇を噛み締めて、再び歩き始める。


灰色の空も。

今、わたしが踏みしめているコンクリートも。

絶え間なく吹き付ける生暖かい風も。

たまに顔に当たる、うっとうしい雨粒も。


わたしの命を、惜しんではくれない。

それどころか、はるか下の地表から聞こえてくる車のクラクションは、まるでわたしを誘っているようだ。


・・・やっぱり、わたしは一人。


わたしは、みんなと違うから。

みんなと同じようには、生きられないから。

だから・・・しょうがないんだよ。

例え、煙のように、消えるように死んでしまったとしても。


まるで、怖さがマヒしたように、足の震えは治まってしまった。

もう、金網まで3歩ほど。

そこで・・・その声は聞こえた。


「どこに行こうとしているんだい?」


全身に電流が走ったような気がして立ち止まる。

その聞き覚えのある声は、昨日聞いたばかりなのに、ひどく懐かしく感じた。


今すぐにでも、振り向きたかったけど、怖くて振り向けない。

今さら、どんな顔をすればいいのかわからなかった。


彼の足音が、少しずつ近づいてくる。

わたしの胸が、だんだん高鳴っていくのが、はっきりとわかった。


足音は、わたしのすぐ背後で止まる。

わたしは、肩をすぼめたまま、未だに振り向けない。

そんなわたしの背中に、彼は言った。


「助けに来たよ。」


「―――っ。」


ビクッとするわたし。

さらに心臓が早く激しく鳴った。


「昨日、キミの顔に・・・『助けて』って書いてあったからね。」


昨日のわたしの顔?

わたしは、心の中で軽く笑った。

そうか。昨日わたしは、そんな顔をしていたのか。

この人には・・・かなわないな。

何もかも、見透かされているような気がする。

あのメガネの奥の涼しげな瞳に。


途端に肩の力が抜ける。

この脱力感に、わたしは口元に笑みさえ浮かべていた。


「ここで待っていれば・・・もう一度会えるような気がしていたんだ。」


そうだね。

ひょっとすると、わたしもそう思っていたのかもしれないね。

もう一度あの日のようにやり直そうなんて・・・この場所に来るための、自分をだますための方便だったのかもしれない。


また会えた・・・それだけで嬉しかった。

そして、あれだけ感じていた怖さが、嘘のようになくなっていた。


わたしは、一体何を怖がっていたのか、その怖さを感じなくなってようやく気づいた。


12歳の夏のこと。

そして、今、わたしが抱える想い。


それら全てを胸に抱え込んだまま死んでしまえば、わたしは始めから存在していなかったかのように、後には何も残らないだろう。

以前は、それでも良かったけど、今は違う。


想いを伝えたい人がいるから。

きっとわかってくれると信じることが出来るから。


だから・・・伝えたい。

それが出来ずに死んでしまうこと。

きっと、わたしは、それが怖かったんだ。


そうとわかったなら、もう迷いはない。

わたしは、振り向いて彼を見た。


わたしより20センチほど高い彼の身長。

自然に、わたしは彼を見上げるような形になる。


少しだけ茶髪に見える、さらさらの髪。

銀色フレームで、小さいレンズのメガネ。

そして、その奥の涼しげな優しい瞳。


その全てが、懐かしく感じる。

わたしは、彼に向かって微笑みながら言った。


―――少しだけ、昔話を聞いてくれますか?

―――わたしの12歳の夏のことを。

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