第5話 拒絶
モデルになってくれたお礼にカキ氷でも・・・と彼が言った。
近くのファミレスでも良かっただろうけど、時間的にも場所的にも、会いたくない同じクラスの人間に会う可能性が高いように思えた。
そこで彼が案じた一計。
高校生がまず来ない場所。
ホテルの中の喫茶店。
そういえば、こんな雰囲気の喫茶店に来たのは2回目かな?
わたしは、小学校4年生の時に、父親がホテルの中の喫茶店に連れて行ってくれたことを思い出していた。
高い天井からぶら下がった豪華なシャンデリアや、透明感のあるピアノミュージック。
とてもシックで、落ち着いた雰囲気だった。
注文を取りにきたウェイトレスに、彼はアイスコーヒーを頼み、わたしはカキ氷いちごを頼んだ。
「かしこまりました。」と言って、離れていくウェイトレスを何気なく目で追う。
ファミレスの店員に比べると、どこか上品に感じるのは気のせいだろうか。
ふと彼を見ると、結構な汗をかいていた。
わたしは、ずっと座っていたし、木陰だったし、そよ風もあったので、汗はほとんどかいていない。
しかし、彼も木陰にいたはずなので、この汗の量にはちょっと違和感を覚えた。
単純に、汗かき体質なのかもしれないけど。
そして、彼はメガネを外して、お絞りで汗を拭き始めてしまった。
・・・オヤジくさいぞ。
と思った瞬間、彼の目がわたしを見た。
ビクッした。
まさか、わたしの考えていることがわかっている・・・とか?
「何歳に見える?」
突然、笑顔で質問をしてくる彼。
見た感じでは・・・にじゅう・・・ご?
いや、ここは少し若く言っておくに限る。
「にじゅう・・・よん?」
そんなわたしの答えを聞いて、彼は「くくく」と口に手を当てて笑う。
そんなにおかしかっただろうか?
「29歳だよ。」
「ええっ〜!」
わたしはしまったと思って口を押さえるが、近くの男性客からジロリと睨まれてしまった。
それにしても若く見える。
もうすぐ30歳には全く見えない。
「面白いね、キミは。」
彼は、笑いながら、あの涼しげな瞳でわたしを見る。
そして、少しいたずらっぽく笑って言葉を続けた。
「次は、キミの学年を当ててみせようか?」
・・・えっ!
「城南高校の2年生・・・だろ?」
わたしは目をパチクリさせた。
「当たり・・・です。」
でも、なぜわかったんだろう。
「実は、僕も城南高校の卒業生でね。」
「ええっ!」
また、さっきの男性客からジロリと睨まれてしまった。
慌てて口を押さえるわたし。
「僕たちも黄色だったんだ。」
そう言って、指を折りながら説明をしてくれる彼。
29歳=黄
28歳=青
27歳=緑
26歳=黄
25歳=青
・
・
・
17歳=黄
おお、そっか。
校章を見れば、城南高校の生徒なのは一目瞭然。
あとは、彼の年齢から色の順番を追えば、わたしの胸ポケットに縫い付けられた校章の黄色が、今年の2年生を示しているのがわかるというわけだ。
そんな納得顔のわたしを見て、彼は言う。
「この間より、少しは元気になったかな?」
元気になったつもりはないけれど、改めてそんなことを言われると少々照れる。
いけない・・・頬が赤く染まってきたのが自分でもわかる。
話題を変えなきゃ。
「あの・・・どうしてわたしの通ってる病院に?」
不思議に思っていた。
偶然かもしれないが、出来すぎな感じもする。
彼が口を開く前に、先ほど注文したものをウェイトレスが運んできた。
「お待たせしました。」と言いながら、彼の前にアイスコーヒーを、わたしの前にはカキ氷を置いて、「ごゆっくりどうぞ。」と言い残して彼女は去っていく。
彼が、どうぞと言うようなジェスチャーをしてくれたので、とりあえず「いただきます。」と小さく言ってから、一口食べてみた。
久しぶりのカキ氷は、とてもおいしかった。
「・・・薬袋。」
彼は、わたしの薬袋を入れた胸ポケットを指差して、さっきの話の続きを始めた。
「その薬袋は珍しい色でね。普通は白だったり薄い青だったりするんだけど、あの病院の門前薬局・・・第一薬局のは濃い青なんだ。」
確かに、今わたしの胸ポケットに入れている薬袋の色は、あの薬局の濃い青だった。
「先週キミと会った時に、その薬袋が胸ポケットに入っていたので印象に残っていた、というワケだ。」
・・・すごい。
さっきの学年当てといい、観察力があるなぁと感じた。
だから、絵がうまいのかもしれない。
でも、なんでそんな薬袋なんかに詳しいんだろうか、この人は。
「まあ、そんなわけでキミにもう一度会えた。本当に良かった。」
本当に嬉しそうな笑顔だった。
その眩しさに、わたしまで嬉しくなる。
・・・嬉しくなる?
唐突に、わたしの心臓がイヤな音を立てて軋んだ様な気がした。
いや、うすうす感づいていたんだ。
病院で再会できた時も。
スケッチをしている時も。
そして、今も。
この人と一緒にいると『楽しい』って。
『楽しい』なんて気持ち、ずっと忘れていた。
でも、それは思い出してはいけない気持ちのような気がした。
わたしの心臓が、ますますイヤな鼓動を奏でる。
もしも、今、わたしに向けられてる、この笑顔が消えてしまったら?
もしも、この楽しい一瞬が、消え失せてしまったら?
『もしも』という仮定が、わたしの思考を追い詰めていく。
『楽しい』という気持ちが強ければ強いほど、それを失った時の反動は大きい。
その辛さを・・・わたしは、痛いほど知っている。
また、悲しそうな『美加』の顔が脳裏に浮かんだ。
心臓が、悲鳴をあげているかのように強く早く鼓動し、わたしは右手で心臓を押さえつける。
いやだ。
イヤだ。
イヤダ。
もう、失うのはいやだ。
でも、わたしの思考は、ある一つの結論しか導き出そうとしなかった。
―――きっとそうなる。
―――あの12歳の夏のように。
わたしの背中に、いやな汗が滲んでいくのがわかった。
脇を、冷や汗のようなものが滴り落ちていく。
彼が、心配そうにわたしを覗き込みながら言う。
「大丈夫?」
今、わたしは、心配されるほどヘンな顔をしているんだろうか?
それすらわからない。
「顔が真っ青だよ?」
そうかもしれない。
今のわたしが、すごく狼狽しているのはわかっている。
でも、思考がただ一点に集中してしまって、どうしようもない。
わたしは、慌てて立ち上がろうとして、足をテーブルに当ててしまった。
「ガタン!」という大きな音が、辺りに響く。
さっき、わたしを睨んだ男性客も、驚いてこっちを振り向いていた。
「だ、大丈夫?」
思いがけず、よろめいたわたしに、彼は心配そうに言葉をかけてくれた。
そんなわたしを支えようと、彼の右手が差し出される。
しかし、わたしは、反射的にその手を振り払った。
「――っ!」
わたしの拒絶に驚く彼。
でも、驚いたのはわたしもだった。
・・・なんてことをしてしまったんだろう。
わたしは、言い訳をするかのように、イヤイヤと首を横に振っていた。
胸の奥が苦しい。
驚いている彼に、首を振りながらわたしは言う。
「わたしは、みんなと違うから。」
声が震えていた。
わたしは、彼から離れるように、一歩後ずさる。
「みんなと同じようには、生きられないから。」
わたしがそう言った瞬間、なぜか彼は悲しそうな顔になった。
その顔が、わたしの記憶の中の『美加』のそれとダブる。
いつも笑っていた『美加』と、笑わなくなってしまった『美加』。
眩しい笑顔の彼と、悲しそうな顔をする彼。
その不思議な一致が、12歳の夏の・・・あの時の記憶を蘇らせようとしている。
あの思い出したくない記憶を。
いやだ!
もうこれ以上、ここにいたくない!
今すぐに、この場を逃げ出したい!
わたしは、すでに溶けてしまったカキ氷をチラリと見る。
「カキ氷・・・ご馳走様でした・・・。」
一礼して、踵を返して走って逃げる。
周りの客が、わたしたちを見ていたような気がしたけど、そんな視線からも逃げたかった。
わたしは、店を出ても全力で走り続けた。
こんなに走ったのは久しぶりだ。
ほんの少ししか走っていないのに息が上がる。
脆弱なわたしの気管支は、呼吸するたび「ヒューヒュー」と音を立て、律儀にも限界が近いことをわたしに知らせてくれた。
ついにわたしは立ち止まり、どこぞの月極駐車場の前で地面にもかまわずへたりこむ。
どこだろう、ここは?
「はぁっ・・・はぁっ・・・。」
なかなか息が整わない弱いカラダ。
息を切らしながら、差し出された手を振り払ってしまった場面を思い出す。
なんで、あんなことをしてしまったんだろう。
でも、もう取り返しがつかない。
「これで、良かったんだ・・・。」
わたしは、自分に言い聞かせるように呟いた。
もう、12歳の夏のような辛い思いはたくさんなんだから。
ふと、頬に冷たさを感じ、触ってみる。
そう。これで良かったはずなんだ。
なのに・・・どうして、わたしは泣いているんだろう?