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第4話 スケッチ

翌週の水曜日。

青空にはいくつもの雲が浮かび、それらは形を変えながら風に流されていく。

天気予報では、今日は晴れときどきくもり、気温は平均を下回るだろうとのこと。

確かに今日は過ごしやすい。


午後1時頃。

学校を午後から早退して、わたしはいつもの病院にいた。

そして、例の検査結果を待つ間、検査室の前で、ぼんやりと視線を宙に舞わせて考え事をしていた。


彼と初めて会った日から、今日でちょうど1週間。

あの日の出来事は、一体なんだったんだろうと思う。

いろいろと考えて・・・結局、何の結論も出ていない。


今日の青空だって、いつもどおりの灰色。

ただ、あの日見たオレンジ色だけが、色鮮やかな記憶として、わたしの心に残っている。

どうしてだろう?

その疑問が、いつまでも頭の中で回り続けていた。


『もう一度、彼に会いたい。』


わたしは、そう思い始めていた。

そして、そう思うことは、わたしにとって決して意外なことではなかった。

だって、もう一度会えれば、この疑問が解けるかもしれない。

でも、同時に『もう会うことはないだろう』ということもわかっていた。


『秋月幸太と名乗る、リストカットの痕を持つ男性。』


わたしが、彼について知っていることはこれだけなのだから。




程なく検査結果が出た。

・・・いっそのこと『異常あり』と言われた方がラクかもしれないと思っていた。

しかし、無情にも、主治医の先生がいつもの笑顔で「異常なし。」をわたしに告げる。

わたしは、心の中で深い深いため息をついた。


診察室のある5Fから、エレベーターで1Fへ。

わたしの病気は難病指定されているため、窓口負担はゼロ。

今日も会計窓口から処方箋だけを受け取った。

そのまま、午後になって人の少なくなった待合スペースを通り抜けてエントランスに向かう。


これから・・・どうしようかな。

そう考えた時、後ろから呼び止められたような気がした。

振り向いて周りを見渡す。

まっすぐこちらに近づいてくる人影を見て、わたしは声にならない声を上げた。


「―――っ!」


少し色褪せたピンク色のポロシャツに、グレーのビンテージ系のジーンズ。

あの時と同じようにラフな格好をした彼『秋月幸太』が、銀色フレームのメガネの奥に涼しげな瞳をたたえて歩み寄ってくる。

彼は、目の前まで来て立ち止まり、右手を軽く上げて軽い挨拶をした。


「やっ。」


なぜ彼はここにいるんだろう?

その疑問だけが、わたしの頭の中を駆け巡り、それ以外の思考が出来ない状況に陥っていた。

この時、わたしがどんな表情をしていたのかはわからないが、きっとマヌケな顔をしていたことだろうと思う。

かろうじて、わたしは少しだけ右手を上げて挨拶を返していた。


「・・・アレ?」


そう言われても、わたしはまだパニック状態から脱出していない。


「もっと驚くかと思ってたんだけど。」


彼は、相変わらず笑顔で、わたしの顔を覗き込むように言った。

そこで、わたしはようやく口を開くことが出来た。


「ご、ごめんなさい・・・びっくりしちゃって・・・驚けなかった・・・。」


ヘンな発言をしてしまったのは、発言後にすぐ気づきはした。

しかし、後の祭りだった。

彼は、肩を震わせて「ククク」と鳩の鳴き声のような控えめな笑い方をする。

ここが病院でなかったら、お腹を抱えて大爆笑していたのではないだろうか。

わたしは、真っ赤な顔で、下を向いて立ちすくむ。

しかし、いつまでたっても彼の笑いは収まらなかった。

どうやら、ツボに入ったようだ。


「・・・そんなにおかしいですか?」


いい加減恥ずかしくなったわたしは、上目遣いで、少しだけふくれっ面で抗議してみる。

事態に気づいた彼は、ようやく笑うのをやめた。


「ああ、ゴメンゴメン。笑いすぎだったね。」


そう言って、彼は、左手でメガネを上げて、右手で涙を吹く。

わたしは、そのしぐさから、左手首には黒のリストバンドがあることに気づいた。

彼は、わたしの視線を感じてかどうか、さりげなく左手首を腰の後ろに隠すようにした。


「今、ちょっとだけ時間いいかな?」


これからどうしようかと思っていたくらいだから、時間は別に問題なかった。

とりあえず、わたしたちは、待合スペースの一角に隣り合って腰掛ける。

その瞬間、何故かあの日と同じように、胸がドキドキしている自分に気づいた。

さりげなく右手を胸に当てて、軽く深呼吸をしてみる。

少しだけ、落ち着いたような気がした。


「これ、ありがとう。」


彼は、白いハンカチを差し出しながら言った。

例のハンカチだった。

血はもう付いていない様だから、おそらく洗ったんだろう。

別に返してくれなくても良かったんだけど、せっかく洗ってきてくれたのだから、お礼を言って受け取る。


「そ、それでね。お、お願いがあるんだけど・・・。」


どういうワケか、言いにくそうにお願いを切り出す彼。

今まで、年上然とした物言いばかりだった彼が、突然自信なさげになったのが少しだけ可笑しかった。


「え、絵のモデルになってほしい・・・んだ。」


・・・・。

・・・。

・・。

・。

はぁ?


わたしは、本日2度目のパニックに陥った。


彼はというと、少しはにかみながら、人差し指で目元をぽりぽりしている。

しかも、いつの間にやら、小脇にスケッチブックを抱えているではないか。

そして何より、彼のメガネの奥の瞳が笑っていない。

どうやら、本気のようだ。


「わ、わ、わたしなんか描いてどー・・・、いや、あの・・・そ、その前に・・・なんで突然絵なのか・・・と?」


ただひたすらパニクるわたし。

そんなわたしを、第三者視点で観察するもう一人のわたしが言う。

「だめだこりゃ」と。


いつの間にか、パニクるわたしを楽しむように眺めていた彼は、「まあ、あとは歩きながら話そう。」と言いながら、エントランスに向けて歩き始めた。

『ちょっと待て』と反論したいところだったが、今は口をあぅあぅさせるのが精一杯だったので、ついていくことしか出来なかった。


エントランスから病院の外に出ると、いつもより弱々しい太陽が照りつけ、サーっとそよ風が吹き抜けては、肌をひんやりとくすぐっていく。

今日に限っていえば、季節は夏ではなく秋という感じだった。


病院を出ると、目の前に薬局がある。

わたしが、いつも薬を受け取る『第一薬局』という薬局だ。

その薬局を見ながら、彼がわたしに言った。


「処方箋はもらった?」


「は、はい。」


「なら、先に薬を処方してもらいなよ。」


彼の提案ももっともだった。

後でここに戻ってくるより、先に済ませておいた方が良いだろう。

薬局に入ったわたしたちは、病院からもらった処方箋を薬剤師に提出する。

受け付けたのは、いつもわたしの薬を処方してくれる顔馴染みの薬剤師だったが、彼と一緒のわたしを見て少し怪訝な表情を見せた・・・ような気がした。

でも、そんな態度は、ほんの一瞬。

その薬剤師は、いつものように奥の調剤室に引っ込んで調剤を開始する。

わたしたちは、調剤が終わる間、待合室に腰掛けた。


「いやぁ、唐突な話ですまないね。」


彼は、相変わらずの笑顔で、わたしに話しかける。

確かに唐突。

なんかこの人は、何をしでかすか予想できないな。

ヘンな人だ。


「あの・・・絵、なんて・・・どこで描く気ですか?」


わたしは、とりあえずの疑問を口にした。

何しろ、これからどこに連れて行かれるのか見当もつかない。


「ここから東に500mくらいかな。公園があるんだ。」


ああ、そういえばそんな公園があったような気がする。

先週の雑居ビルとは反対方向だ。


「そんなに時間はとらせないよ。多分30分くらい。お願いできないかな。」


まあ・・・30分くらいなら。

そう思ったところで、薬剤師に名前を呼ばれた。

わたしは、いつもの薬を受け取り、胸ポケットにしまいこむ。

わたしたちは、第一薬局を後にして、公園に向かって歩き出した。


「・・・絵・・・描けるんですか?」


彼が小脇に抱えているのは、明らかに使い込んでいない真新しいスケッチブック。

恐る恐るわたしは聞いた。


「まあ、大学時代に少々・・・ね。」


メガネを不自然にさわりながら、苦笑している。

やはり、普段から絵を描いているわけではなさそうだった。


「何故また急に?」


何故わたしを? と聞きたいが、なんか聞きたくないような気もする。

彼は、鼻の頭を左の親指と人差し指で挟み込みながら、ちょっと考えてこっちを向かずに答えた。


「以前から描きたかったんだよ。モチーフを探していたんだ。」


そこまで会話が進んだところで、公園に到着した。

彼は、入り口から公園に入り、迷うことなく中心部を目指していく。


遊具のある区域は、小さな子どもたちで結構一杯だった。

その周りには、そのお母さんたちが、お母さん同士でおしゃべりをしている。

芝の上に仲良く寝そべっている老夫婦といい、いかにも『今日は平日です』という感じの雰囲気だ。


公園の中心には、大きな樹があり、その木陰にはベンチが置いてあった。

休日なら、このベンチも空いていなかっただろうが、水曜日の昼下がりである今は空いている。

わたしは、そのベンチに座るよう促された。

彼はどうするのかと思ったら、少し離れた地面に直に座って、無言でスケッチブックとスケッチペンを取り出す。


それにしても、セミの鳴き声がうるさい。

ほとんどはツクツクホウシだけど、鳴き声の主の数が尋常じゃないような気がする。

きっと、この樹に無数のセミが住みついているのだろう。

そのセミたちの激しい自己主張のせいで、大声を出さないと彼とは会話が出来なそうだ。

描く準備の整った彼は、セミに負けない大声で言った。


「横を向いて!」


横・・・?

横顔を描くのだろうか。

言われるがまま、横を向いて座る。

彼は、しゃべることなく描き始めた。

わたしは、何も考えずに、視線の先に見える噴水を眺めることにした。

盛大なセミの声と、せわしなく動かされる彼のスケッチペン。

まるで、時間が止まったように、時間だけが過ぎて行った。


少々疲れを感じる頃、姿勢を変えたいと思ったところで彼が叫ぶ。


「今度は、そのまま上を見上げて!」


・・・30分まであとどれくらいだろうか。

そんなことを思いながら、少し凝った肩をグルグル回して、言われたとおり上を見上げる。

上を見上げると、木の枝葉が視界一杯に広がった。

そのあちこちから、太陽の光がこぼれている。


その木洩れ日に、わたしの記憶が反応する。

どこかで見たことがある景色。

・・・そうだ。

小学校に入って間もない頃、『美加』と一緒に、家の近くの一本桜に登った時だ。

あの時は、高くまで登りすぎたわたしが、降りることが出来なくなって大騒ぎになったっけ。


何の悩み事もなく暮らしていた頃。

思い出されるのは、楽しかった思い出ばかり。

それらは、鮮やかな色を持った灰色じゃない思い出。


それを皮切りに、連鎖的にいろいろな思い出が脳裏に蘇る。


プールで、初めて25mを泳ぎきった時。

運動会の徒競走で、初めて1位になった時。

スキー場で、プルークボーゲンが上手だと先生に褒められた時。


どんな思い出にも、となりには笑顔の『美加』がいた。


でも、そんな楽しい思い出のアルバムは、12歳の夏で終わりを告げる。

わたしの思い出はそこまで。

それ以降は、ただ灰色の記憶しか残っていない。

それは、きっと思い出とは言わないはずだ。


不意に思い出す『美加』の悲しそうな顔。

心臓がトクンと音を立てる。

自らが選んだ『孤独』という選択肢。

わたしは、その時から灰色の世界に閉じ込められたんだ。

そして、今も・・・。


すぐ近くに、人の気配を感じて我に返る。

盛大なセミの鳴き声が、急に聞こえ始めた。


「ありがとう。終わったよ。」


彼は、そう言いながら、スケッチブックを見せてくれた。

わたしの横顔ばかり4枚。

スケッチの右下には、4枚とも彼のサインが書かれている。

今日の日付とローマ字の名前・・・Kouta Akizuki

外見はとてもスマートな彼なのに、なんだかちょっとへたっぴなブロック体のローマ字。

なんだか、このサインと外見のイメージのギャップに、クスクスと笑いそうになる。


でも、絵の方はよく描けてる。

わたしも、絵を描くのは得意な方だけど、わたしなんかよりずっとうまいと感じた。


「じ、上手ですね・・・。」


本音で言ったのだが、気の利いてない褒め方だったと思う。

それでも、彼は嬉しそうに、恥ずかしそうに笑った。

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