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最終話 ある晴れた日に

桜が舞う季節には、生命の躍動を感じる。

だから、わたしはこの季節が一番好き。


窓の外から見える一本桜に、一陣の風が吹き抜けて、花びらが舞い散る。

そんな光景を、わたしは目を細めながら眺めていた。


川を挟んだ向かいの家は、すでに空き家。

美加の部屋だった窓には、もうカーテンすらなくなっていた。

今となっては、もう美加に会うことはないだろう。

彼女のことは、今でも胸が「ズキン」とする思い出だった。


家の自室から窓の外を眺め、感傷的な気分に浸るわたしに、現実が襲い掛かる。

ふと見た卓上の時計は、午前8時を過ぎていた。


「いっけない! 待ち合わせの時間に遅れるっ!」


一際大きな独り言を吐くと、お気に入りのピンクのカーディガンを羽織りながら、急いでドアを開ける。

そして、まるで、わたしを見送るように壁に掛けられた天使の絵に、いつもどおり「行ってきます。」をしてドアを閉めた。


駅。

約束の時間まであと5分。

ここまで、急いで来たので、心臓がバクバクいっている。

主治医の先生からは、気管支に負担がかかるような激しい運動は極力控えるようにと言われていた。

気をつけなきゃ。

わたしは、息を整えながら、待ち合わせ場所の切符売り場に到着した。


「おっそ〜い!」


聞き覚えのある元気な声が聞こえて、わたしは苦笑した。


「え〜、1分前だよ。間に合ってるよー。」


「アタシなんか10分前に来て待ってたんだから。9分待ちぼうけです!」


「いやいや、それはアンタの来るのが早すぎたからでしょうが。」


噛み合ってるんだか、いないんだか。

そんな会話を交わしてから、わたしたちは笑いあった。


赤い薄手のセーターに、ダークグリーンのデニム生地のジーンズ。

初めて会った時は、肩にかかるくらいの長さだった髪は、今では背中まで伸びていた。

そんな長い髪を、三つ編みにして、緑色のリボンで結んである。

身長は150cmくらい。

わたしと、さして変わらないくらいだ。

成長期ってヤツだね。

ここ数年で、ずいぶん伸びたんだなぁ、と思う。

そんなことを考えながら、わたしは彼女に声をかけた。


「それじゃ行こうか、美佳。」


「は〜い。」


美佳は、素直に返事をして、一緒に歩き出した。

切符を買って、電車に乗り込む。

目的地は県境を越えた、あまり名の知れていないハイキングコース。

わたしたちの荷物は、スケッチブックとお弁当だった。


電車は比較的すいていた。

わたしたちは、手近な座席に並んで座り、おしゃべりを楽しむ。


わたしは、今春、王鈴美術大学の3年生になった。

将来は画家になりたい・・・というわけでもなかったが、描きたい絵があったので、その勉強のためだ。

そして、今年の2月に、わたしは20歳になった。

青い振袖で成人式に出席し、美佳と一緒に写真を撮ったりもした。

振袖を着る事が出来たことも嬉しかったけど、なにより、美佳が涙を流して成人を祝ってくれたことの方が嬉しかった。


その美佳は、今春から高校生だ。

名桜高校という県下では有数の進学校。

どうやら、美佳は頭の良い子らしい・・・。

そして、美術部に入部した。

多分、わたしの影響だろう。


そんなわけで、今日は一緒に絵を描くために、少しばかり遠出をしようということになったのだ。


電車に揺られること1時間弱。

目的の駅で下車すると、駅のすぐそばからハイキングコースに入る。

当然のことながら、上り坂が多い道。

美佳は、あの手術の後、今ではすでに常人と変わらない生活を送っているとはいえ、わたしと同じように激しい運動は止められている身なので、わたしたちは、オーバーワークにならないように用心しながら、休み休み登っていく。


10時半。

家を出てから約2時間半かけて、ようやくたどり着いた目的の場所。

わたしたちは歓声を上げた。


「うっわぁ〜!」


この小高い丘から一望する景色は、まるでジオラマのような街並みだった。


「絶景だねぇ。」


美佳が、素直な感想を述べる。


「そうだね。」


「この風景を描くの?」


「そうだよ。」


あぅぅ、という声が聞こえたような聞こえなかったような。

でも、美佳の顔は、確実にそう言っていた。

確かに、この景色を全て書き留めようとしたら、街並みもすごく細かいし、相当に大変そうだ。

美佳が、「あぅぅ」と言いたくなるのもわかる。


「まあまあ。この景色全部じゃなくて、一部分だけ切り取って描いてもいいし。気楽にいこうよ。」


わたしの慰めに、美佳は少しホッとした様子だった。

早速、二人並んでレジャーシートを敷き、体育座りをしてスケッチを開始する。


美佳は、まだ美術部に入部したばかり。

スケッチペンの動きがたどたどしかった。

コツを教えてあげながら、自分もスケッチする。

結構大変だったけど、それでも、昼時にはかなり出来上がってきていた。


「ねぇねぇ、くるみちゃん。お腹すかない?」


美佳は、いつの間にかわたしのことを『くるみお姉ちゃん』から『くるみちゃん』と呼ぶようになっていた。

そうなるきっかけがあった・・・んだけど、まぁ、それはそれとして。

でも、確かにお腹はすいていた。


「あはは、そうだね。お昼ごはんにしようか。」


「やったね!」


そう言いながら、指をパチンと鳴らす美佳に、わたしはクスクス笑ってしまった。


わたしが作ってきたのはサンドイッチ。

美佳が作ってきたのはおにぎりバスケット。

お互いに分けっこしながら、昼食を楽しむ。


「うー、満腹。」


美佳は、呻くように言うと、レジャーシートの上にゴロンと仰向けに寝転んだ。


「こらこら。食べてすぐに横になると牛になるよ。」


「いいじゃん。牛上等。」


・・・ワケわかんないよ。

そう言いながら、わたしたちは大笑いした。

とりあえず、わたしも同じように仰向けに寝転ぶ。


「あー、くるみちゃんも牛だね。」


「どっちがおいしいだろうね。」


「そりゃあ、肉付きの良い方では?」


おどけた口調で言いながら、美佳はわたしの脇腹をつまんだ。


「こらーーー!」


わたしは、笑いながら怒る。

ダメだ。わたしは脇腹は苦手。

それを知ってか知らずか、美佳は執拗にわたしの脇腹を攻め立てた。

こんな静かな山の中で、キャーキャー言いながら、ふざけ合うわたしたち。

そんなバカな食後の運動が終わり、笑いすぎたわたしたちは、息を切らしながら、仰向けに寝そべって空を眺めた。

ようやく息が整う頃、美佳がゴロンとわたしの方を向いて話しかけた。


「ねぇ。くるみちゃん。もうスケッチ出来た?」


「ううん。まだ出来てないけど。」


「ちょっと見せてよ。」


美佳は、時折バカなことを言ったりするけれど、基本的に向上心が旺盛だ。

美術部に所属したからには、絵がうまくなりたいと思っているだろうし、そういう方面に興味を向かせてしまったのは、先に絵の勉強を始めたわたしの影響でもある。

だから、わたしは少しでも参考になればと思い、寝そべりながら手を伸ばして、描きかけのスケッチブックを差し出す。

・・・本当は、描きかけを見せるのは、すごく恥かしいんだけど。


「やっぱ上手だよねぇ。くるみちゃんは。」


「そうでもないよ。大学の友だちはもっとうまいもん。」


本当だった。

いつも構図の切り取り方でハッとさせられる人や、センスとしか言いようのないステキな色使いをする人もいる。


「でも、アタシよりずっとずっと上手だし。」


何故か口を尖らせる美佳に苦笑する。


「こんなに上手なら・・・もう『アレ』も描けるんじゃないの?」


唐突に美佳は言う。

『アレ』とは、わたしが大学でみっちりと絵の勉強をして、最終的に描き上げたいと思っている絵のことだ。


秋月さんと初めて会った日に、手を繋いで眺めたあの夕陽。

もう、4年近く前の出来事になるけど、未だに記憶の中に鮮明に残っているオレンジ色の景色。

わたしは、その『記憶』を絵に描き留めたかった。


「ううん。まだまだ。もっともっと勉強しないと描けないよ。」


謙遜とかじゃなく、本気でそう思っている。

自分で100%納得がいかなきゃ意味がないから。


「でもさ、くるみちゃんは『今出来ることは今やる主義』だよね?」


20歳まで生きる可能性が40%。

でも、20歳になれたから、もう安心というワケじゃない。

これからも週1回の検査は続くし、発症のリスクだって今までと何も変わらない。

だから、いつ発症しても良いように(発症してほしいわけじゃないんだけど)やりたいことはドンドンやるようにしていた。

美佳は、多分わたしのそういう考え方を『今出来ることは今やる主義』と言っているのだろう。

そして、美佳は、わたしの病気のことも知っているから、心配もしてくれているんだと思う。


「大丈夫。これは、わたしの『生きた証』なんだから。描かないうちは死ねないの。」


理屈になっていないといえば、確かに理屈になっていない。

でも、わたしも、生きた証を遺したかった。

秋月さんがそうしたように。

わたしは、空を睨みつけながら、決意表明をするように力強く宣言する。


「だから、おばあちゃんになるまで生きてやるんだ。」


「・・・。」


美佳は目をパチクリさせ、そして、次の瞬間には大声で笑った。


「もしも〜し。ソコ笑うトコじゃないんですけど?」


わたしは、美佳をジトリと睨んで聞く。


「だって・・・だって、くるみちゃんのおばあちゃん姿を想像したら・・・もう、ねぇ。」


何が『もう、ねぇ。』なんだか。

わたしは、相変わらず寝そべりながら、人差し指で美佳の顔を指差す。


「ちょっと美佳? わたしがおばあちゃんってことは、その頃には美佳も『お・ば・あ・ちゃん』なんだよ?」


美佳の笑い声が消え、『ガ〜ン』という効果音が聞こえてくるかのような、『・・・あ。』という美佳の表情。


そんな芸術品のような表情の美佳の顔を見て、今度はわたしが笑う番だった。

なかなか笑いが止まらない。

そのうち、美佳も釣られて笑い出した。


二人の笑い声が、山の中に響く。

今、わたしは幸せなんだと思う。

でも、あまりに幸せすぎて、こんなに幸せでいいのかな?とも思う。


きっと、それでいいはずなんだ。

秋月さんは喜んでくれている・・・何故かそんな確信があった。


なんだろう・・・わたしと秋月さんとの間に感じるこの一体感は?

いや、この一体感を感じるからこそ幸せなのかな?


いつの間にか、二人とも笑うのをやめて、空を眺めていた。

そう遠くない空から、「ぴーひょろろ〜」というトンビの鳴き声が聞こえ、なんだか時間がゆっくりと流れているような、そんな感覚がわたしを包む。


何気なしに目を閉じると、まぶたの裏に浮かぶ秋月さんの笑顔。

あれから、もう3年半以上経ったのに、記憶は決して色褪せない。


オレンジ色の夕景を見た時に繋いだ手の温もりも。

雨の中で抱き締め合った時に感じた広い背中も。

最後に交わしたキスの感触も。


多分、一生忘れることはないと思う。

いや、忘れられるはずがないんだ。




・・・どうしてだろうね?


(それは、きっと・・・)




「ねぇ。そろそろ続きをやろうか?」


ちょっと脳天気な美佳の問いかけに、わたしの思考が中断される。

わたしは苦笑し、目を閉じたまま美佳に答えた。


「・・・もう少し。」


こんなに時間がゆっくり流れているんだから、もう少しだけのんびりしようよ。

そんなわたしの気持ちが、伝わったのかどうかわからないけど、美佳は何も言い返してこなかった。


ゆっくりと目を開くと、空を飛び回る鳥の姿が、目に飛び込んできた。

わたしは、珍しいものを見たかのように声を上げる。


「・・・あ。」


「・・・なに?」


「鳥が飛んでる・・・。」


美佳は、「フフフッ」と笑った。

「なぁんだ、鳥か。」って思ったのかもしれない。

でも、そんな態度を見せることなく、美佳は話を合わせてくれた。


「ホントだ。・・・どこに飛んでいくんだろうね。」


美佳は・・・本当に優しい。

だから、ちょっと年は離れているけど、『親友』でいられるんだ。

そんなことを考えて、少し照れてしまったわたしは、冗談めかして答える。


「・・・未来・・・かなぁ。」


「ヘンなの〜♪」


美佳は、ケタケタ笑った。

わたしも、可笑しかったので、一緒に笑った。


青空の向こう・・・遙か彼方に向かって飛んでいく鳥。

高く・・・高く・・・。

気持ちよさそうに。


やがて、それは見えなくなってしまったけど、それでもわたしは空を眺め続けた。




澄み切った青い空と、忙しなく形を変えながら流れていく白い雲。

みんながのんびりしているのに、なんだかあの白い雲だけ忙しそうにしている感じだ。

わたしは、心の中で「慌てなくていいのに。」と呟きながら、目を細めた。


草原に寝そべるわたしたちを、舐めるように吹き抜ける風が、草木をザワザワと揺らしていく。

木々の梢から聞こえる鳥たちのさえずりは、まるで極上のBGMだ。


今は、もう少しだけ、この澄み渡った春の青空と、忙しげな白い雲を堪能しよう。

生きている今を・・・この幸せをかみしめながら。


―――生きるって、ステキなことだね。


わたしは、心の底から・・・そう思った。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

自殺を考えていた主人公『塚原くるみ』の、最終話に至るまでの心境の変化に、思いを馳せていただければ、大変嬉しく思います。


また、今後の参考のため、この作品の『良かった点・悪かった点』などの書き込みを、ぜひお願いいたします。


では、また次回作でお会いしましょう。


作者:じぇにゅいん

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