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四季彩センチメンタル  作者: 深水千世
5/17

春、北国、車窓から

 遠距離恋愛でした。

 元々は高校の同級生。でも、そのときは単なる友達。彼が大学進学をきっかけに北海道から東京へ引越してからはSNSで連絡を取るようになったんです。

 そのうち、SNSで彼の知らなかった考え方や感性を徐々に知り、急速に惹かれていきました。

 どうしても告白したくて、どうにか口実を作って電話をしてみたのです。


「もしもし」


 彼の声を聞いた瞬間、胸が熱くなりました。


「元気だった?」


 そう照れたように言うのがくすぐったくて、電話だというのに、はにかんで頷くことしか出来なかったくらいでした。

 でも、電話を切る間際になって、彼はこう言ったんです。


「俺さ、先週、小夜と付き合い出したんだ。遠距離恋愛になっちゃったけどさ」


 あのときの私の顔ときたら、きっと世界で一番間抜けだったはずです。

 小夜は同じ吹奏楽部だった子でした。SNSでも繋がっていますが、一緒に遊びに行くほどの仲ではありません。小顔で可愛らしい、芯のしっかりした子でした。

 結局、彼に好きだと言えないまま、私は電話を切りました。言い様のない虚無感に、その場にへたりこんだまま。


 それからSNSを開くたび、彼と彼女のやりとりを目にして言いようのない惨めさを感じる日々が続きました。

 もっと早く彼に電話をしていたら、今、そのやりとりをしているのは私だったでしょうか。どうせ遠距離恋愛をするなら、どうして私は選ばれなかったんでしょう。

 いっそ見なければいい。そう思っても、気になってついつい見てしまうんです。そして毎回、胸が塞がれる。

 そんな私を見かねたのでしょう。青森に引っ越していた親友が、声をかけてくれました。


「籠ってないで、こっちに遊びにおいでよ」


 気晴らしのススメなのか、会いたいからなのかわかりませんでしたが、私は大学が春休みだったこともあり、なんとなく「わかった」と答えました。

 スーツケースに一泊分の荷物を詰め込むと、朝の駅に向かいました。

 電車の待ち時間に見たSNSには、いつものように彼と彼女の楽しげなやりとりがあります。私は肩を落として携帯電話をしまい、切符を駅員さんに渡しました。

 アナウンスが響き渡り、特急電車が動き出しました。

 傷心旅行なんて言ったら昭和の歌謡曲の世界みたいですが、この旅は私の心の旅でもあったのです。

 私は背もたれに体を預け、車窓に流れていく景色をぼんやりと見つめていました。

 何も考えたくなかったのに、不思議と次から次へと考え事が沸き起こりました。普段ならどうでもいいと思えることばかりです。

 ここから見えるあの家にも、この家にも家族がいて、夕焼けを浴びながら手をつないで帰ったりするんだろう。廃屋と化している国道沿いのレストランだって、かつて開店したばかりで期待に胸を膨らませた人もいたはずだ。

 そんな、とりとめもないことを思い描いていると、さっと景色がひらけました。そこには悲しい色を帯びた海がありました。私は思わず眉をひそめ、こう心の中で呟きました。


『なんて大きな水たまり』


 北国の海は、春といえども沈んだ色をしていました。落ち込んだ心のせいか、いろんなものを包み込んで横たわるただの水たまりにしか見えません。

 あの海は私と彼のいる場所を大きく隔てている。きっと、誰かもこの海が作り出す距離に負けて泣いているかもしれない。そんなことを考えると、灰色がかった海の色が本当に底冷えして見えました。

 そのときです。線路沿いに黄色いものがちらほら転がっているのを見つけました。それは、水仙でした。

 電車はもう数時間走り続け、函館近辺まで来ていました。

 私の住んでいるところではやっと土筆が顔を出したところです。けれど、ここではもう春の花が咲き乱れていました。あっちにも。こっちにも。

 この水仙はどこからきたんだろうと、首を傾げました。誰かが植えたのでしょうか。どうしてそこで咲かなければならないのしょう。

 知らず知らずのうちに脳裏に彼の姿がよぎります。私と彼も水仙と同じなのです。どうして彼はあの場所にいるのか。どうして私はここにいるのか、

 ここで一人、誰にも愛でられることない恋の花を咲かせている自分が、花壇で咲き誇る彼に恋をした、哀れな線路沿いの水仙に見えました。

 でも、答えなんてみつかりませんでした。押し黙る私をあざけるように、水仙があちこちで色鮮やかに姿を見せています。

 思わず目を閉じ、また大きなため息を漏らしました。どこにいても、何を見ても、彼を思い浮かべる自分に呆れながら。

 きっと、彼は同じように彼女を思い浮かべるのにね。そう自虐の笑みを唇の端に浮かべて、私はいつしか眠りにつきました。


 目を覚ました私は、思わず大きく息を吸い込みました。そこに広がっているのは紛れも巻く本州の風景だったからです。

 北海道の景色と本州の景色の違いをきかれてもはっきりとは言えませんが、確かに何かが違いました。

 曲がりくねる細道、突然現れる墓地、そして影を帯びる神社や鳥居。まるで童謡の一場面のような懐かしさを感じる景色がそこにあったのです。

 そのとき、私は不思議なことにほっとしていました。だって、ここでは私は孤独でいいんです。そう、旅人なんですから。見知らぬ景色がそこにあればあるほど、私は孤独な自分を肯定できたのです。

 人は所詮、独り。だけれど、だからこそ温もりを欲しがる。私もその一人でした。彼の温もりが欲しかった。そして、彼は彼女を選び、私は孤独であることを惨めに感じていました。なのに、ここではそんな自分でも惨めではないんだと感じることができたんです。

 孤独な自分だけが、そこにいる。そして、そのままでもいいんだよと言われている気分でした。胸の奥に沈むタールのようなどす黒い惨めさが、温もりを持って私を包み始めた瞬間でもありました。

 私は孤独の手を引いていくことを初めて、意識したんです。孤独を嫌うばかりでもがいていた私が、少しだけ強くなれた気がしました。


 春めいた青森では、そこかしこに白いこぶしや桜が咲いていました。春の陽射しに、私は目を細めます。いえ、陽射しよりも花々の白が鮮やかすぎて眩しかった気がします。それはまるで、この心の雪解けを告げる光のようでした。

 自分の左隣に孤独がそっと微笑みながら寄り添うのを感じました。今まで見ない振りをしていた孤独は、私にこう言った気がします。


「君の右隣はまだ空いているよ」


 左隣の孤独を認めた私の右隣に、彼ではない誰かが寄り添う日も来るかもしれません。

 けれど、左隣の重みの分、右隣の重みが嬉しいんだと思うのです。それを実感するとき、初めて誰かに本当に向き合えるんじゃないかという気がしました。

 電車を降りた私は、青森駅のホームであたたかい空気をめいっぱい吸い込みました。その陽気が、私のいじけた心をほぐしてくれました。

 きっと、今年の夏は暑くなる。そう確信しながら改札をすり抜けました。

 えぇ、きっと熱くなりますとも。

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