005 場面緘黙2
「あははは。やっと声を出してくれたね。うれしい」
そう言うと。珠綺さんの唇は笑みの形に弧を描いた。
普段、教室にいる時の彼女は、春の野にひっそりと咲く山野草のような可憐さを漂わせているが、今、目の前にいる彼女は、夏の日差しにも負けない大輪の向日葵のような輝きを放っていた。
そんな彼女が眩しくて、わたしは思わず目を伏せた。気まずさを抱えながら。
「…………」
「あっ、ごめん。からかうとか、そんなつもりで言ったんじゃないの」
「…………」
「実はアタシも昔、蒼井さんと同じだったんだ」
わたしは思わず、目を見開いた。
「……………………!!(えっ、……ちょっ! だから、今日、イジメから助けてくれたの!??)」
「アタシも昔、ちょっとしたことがきっかけで、人前で喋れなくなっちゃって……家の中では大丈夫だったんだけど……」
「……(意外……)」
「で、この前、吉祥寺で蒼井さんを見かけて、絶対にアタシと同じだ! って確信したの」
わたしは祈るように声を搾り出した。
「…………『ば、ばめん……かんもく』…………っていうやつ……?」
その願いは通じ、“わたしの声”はわたしの内から外の世界に、恐る恐るといった感じで滑り出た。
「うん」
彼女はわたしの声に寄り添うように、声を落して頷いた。
「場面緘黙っていうのは…………」
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ここから彼女の長い説明が始まった。
「……家では普通に話せるのに、特定の状況で喋れなくなる症状のことで……もう少し具体的に言うと、親しくない人とか…………大勢の人がいる場とか。そういう状況で話せなくなる病気」
「…………」
「発症率は0.2~0.7%。学年に一人いるかな? って感じかな。女の子にやや多く見られる障害みたい」
「…………」
「発症の原因は……実はよく分かっていないの。でも生まれつきシャイで繊細で、自分の気持ちを表すのが苦手な子がなりやすいみたい」
そこまで言うと、珠綺さんは視線を落し、コーヒーを一口だけ啜った。
再び、話は続けられる。
「で、こういう内気な子が、幼稚園とか小学校とか、大きな集団に入れられると、急に不安が高まって……全然喋らなくなっちゃうことがあるらしいの」
「……」
「本人は喋らないことで、不安が多少、解消されるから、さらに喋らなくなっちゃって…………そういう悪循環が出来て、集団内で話せない状態が固定化しちゃうのがよくあるパターンみたいで……」
「…………」
「発症の時期は、集団生活が始まる3~4歳が多いらしいね」
ここまで言って、珠綺さんは口を閉じ、わたしの方をじっと見た。
「一方的に、喋っちゃってごめんね。どう……かな?」
「……うん……わたしのことだ……」
珠綺さんは肩に入れていた力をスッと抜いて、ホッとしたような──励ますような──心配するような──そんな感じの、微妙な笑みを作った。
「そ、それで、この病気は治るものなの?」
勇気を振り絞って、蚊の鳴くような声で聞いてみる。
「うん! きっと、治るよ。アタシだって治ったんだから」
「……ど……どうすれば……?」
「……」
「…………」
「それはね……」
彼女の顔に、華やかな笑顔が広がり、柔らかに口元が緩む──。
そんな彼女の背中に、天使の翼が見えた気がした。