004 場面緘黙1
その沈黙の糸を、先に切ったのは珠綺さんだった。
「蒼井さん、今日は余計な事してごめんね」
珠綺さんは、すこし媚びるような笑顔を作った。
「……(いや、そんなことないよ。というか、ありがとう)」
ああ。ダメだ。やっぱり声が出せない……。
ちゃんと返事しなきゃダメなのに……。
声が喉に支えるみたいに、外に出ない……家では普通に喋れるのにぃぃ……!
声が出せない気まずさに緊張し、身体が自然と強張った。
わたしは喋れない代わりに、頑張って阿るような表情を作った。
「ごめんね。急に、こんな所に連れて来て。普段、会話したことのない人に誘われても、迷惑だったよね」
「(う、うん。)」
首を縦に振るわけにもいかないので、わたしは曖昧な笑顔を作り、定まらない視線を手元のコーヒーカップに落した。
「こんな話題、嫌かもしれないけど、蒼井さんて学校で全然喋らないよね? まあ、アタシもそうなんだけど……」
「(あなたも……無口だよねぇ)」
「……それで、この話は……もっと嫌かもしれないんだけど……」
そう言って、珠綺さんは一度目を伏せ。その後、上目づかいで、わたしの方をチラリと見遣った。
「(あぁ。やっぱり、あの話題が出るのかぁ……)」
視線を珠綺さんに貼り付けたまま、身体を竦ませている自分を感じた。
憂鬱と自己嫌悪が入り混じったよう感情が、心の水位を上げていく……。
◇ ◇ ◇
──話は三日前の日曜日に遡る。
わたしと妹は、大声で騒ぎながら地元のユニクロで買い物をしていた。UVカットの薄手のアウターを探しながら。ピーチクパーチクといった感じで。
ふと視線を感じて後を振り向くと、そこには珠綺さんがいた。驚きで固まった表情の。
背中から額から、泉のように汗が吹き出た。
表現できないほどの圧倒的な気まずさに、わたしは立ち竦むしかなかった。
普段、クラスで一言も喋らない人間の内弁慶の部分を見られたのだ……
取り返しのつかない重大なミスを犯したように感じた。
その後、慌てて彼女から目を逸らし、気が付かなかった振りをして黙りこんだが、誰がどう見ても手遅れだ。
そんなわたしを不信に思い、妹はしきりに、「どうしたの?」と訊ねてきた。
どう答えてよいか分からず、小さな声で「あぁ」とか「うん」とか言ったけど、その後の妹の話はほとんど頭に入ってこなかった。
その翌日、この話がクラス中に広まっていないかと、恐る恐る登校すると、クラスの様子はいつもと変わらず。
珠綺さんが黙ってくれていたようで、ホッとしていたのだが…………
◇ ◇ ◇
「先週の日曜、吉祥寺でアタシたち会ったよね? 一緒にいたのは妹さん?」
わたしはやや見開きがちな目をそのままに、首をブンブンと縦に振った。
珠綺さんが、クスリといった感じで小さく微笑む。
「かわいい妹さんだね」
「……」
「随分と仲良さそうだったよね。蒼井さん、すごく楽しそうだった」
そう言って彼女は頬を緩ませ、優しげな微笑みをわたしに向ける。
「……(返す言葉が見つからない。あっても返せないけど)」
「蒼井さん……すっごく言いにくいんだけど……」
珠綺さんが眉根を寄せて、本当に話づらそうな表情を作った。
「蒼井さんて……ひょっとしたら……場面緘黙じゃないのかな? って思って…………」
「ば・め・ん・か・ん・も・く・?」
聞いたことのない言葉が突然出てきたことに驚いて、わたしの口から“声”が自然と漏れていた。