012 花火大会
八月のとある土曜日──。
この日、環が蒼井家に初めて遊びに来てくれた。
わたしが初めて家に友達を連れてきたことに、父も母も舞い上がっていた。
妹も嬉しそうだった。
そんな家族のはしゃぐ様子を、恥ずかしく思ったが、これまで家に呼ぶ友達がいなかった自分自身が何より一番、恥ずかしかった。
十五時までに勉強を終わらせると、二人で遊びに出かける準備をした。
今日は十九時から、立川にある国立公園で、大きな花火大会があるのだ。
環はわたしに眉の整え方を教えてくれ、一緒に化粧もした。
最後に浴衣に着替えると、妹が「おねえちゃん、別人! 綺麗!」と嬌声を上げてくれた。父も母も目を細めて、嬉しそうに私を見ていた。
◇ ◇ ◇
実を言うとわたしは、この花火大会に行くことが怖かった。
場所が学校の最寄ということもあり、クラスメイトと会ったらどうしよう、とビクビクしていたのだ。
そんな不安を環に零すと、彼女は笑ってこう言った。
「大丈夫だよ。何かあったら、アタシが守るから」
そんな言葉が素直に嬉しくもあり、そう言われる自分の存在が悲しくもあった。
それが嫌なら、早く緘黙を治して、環と対等の関係にならなきゃ……
わたしはそんなことを、密かに胸に誓った。
◇
会場の公園は、当然の如く人ごみで溢れていた。
環は絶対に、逸れないようにしようね、と言ってわたしと手を繋いだ。
だけど、やがて花火が始まるという頃に、環は繋いだ手を突然、解いた。
「ごめん、なんか飲み物買って来るから待ってて」
そんな言葉を残し、彼女はわたしの元を離れた。
人混みの中に滲むようにして消えていく彼女の背中を見送り、急速に失われていく手の中の温もりを感じていると、不安に駆られた。
所在ない感じで、わたしが一人オロオロと佇んでいると──背後から突然、声を掛けられた。
「こんばんは。君、かわいいねぇ~。ひとり? よかったら俺らと一緒に、花火見ない?」
振り返ると、駅前でスケボーでもやっていそうな若者が二人。ニヤニヤとした笑みを浮かべて立っていた。
わたしは怖くて、身動きがとれなかった。もちろん、声は出ない。
二人組みの片方が、わたしの方へ近づいてきた──「もうそろそろ、一発目が打ちあがる時間だねぇ」とか言いながら。
恐怖で泣きそうな顔になっているのが、自分でも分かった。
どうしよう!?!! とパニックになり、涙が出る寸前。再び、後ろから声がした。
「大丈夫?」
環の声だった。
環は声を掛けると同時に、わたしの肩を抱き寄せて、くるりとわたしを反転させた。
そして、彼女はわたしを抱き締めて、頭を撫でた。
彼女の肩にかかった甘栗色の髪から、甘い女の子の香りが漂い、鼻先を掠める。
「すみません。今、デート中なんで」
環の顔は当然見えなかったが、わたしの脳裏には百点満点の笑みを作る彼女の顔が、鮮やかに浮かび上がっていた。
そして、そんな彼女の美少女オーラに気圧されて、怯む二人組みの気配も感じられた。
二人がすごすごと遠ざかって行くのが、足音ではっきりと分る。
その足音が喧騒に溶けて無くなると、環は改めて、わたしの頭を優しく撫でた。
「大丈夫。大丈夫……」
そんな二人のことなど、関係なしに……一つ目の花火が、タイムテーブルどおりに打ち上げられた。
花火の上がる音を聞きながら、髪を梳いていく柔かな指の流れを感じていると、徐々にわたしは落ち着きを取り戻した。
ゆっくりと顔を上げると、環がわたしの頭から手を離し、その手を腰にまわした。
わたしも真似っこをするように、彼女の腰に手を伸ばす。
次々と打ち上げられていく花火と、その花火を見る環の横顔に……わたしは見惚れていた。
プログラムの最後となる、巨大な花火が夜空を埋め尽くしていた。
観客の大きな歓声が、空へ空へと上ってゆく。
パッと咲いた光の花。その花びらたちが、さらに小さな火炎の花を咲かせていく……
その光芒が、闇を撫でるようにして溶けてゆく……
全ての花火の煌めきが、夜空の中に消えいると……帰り支度を始めようと、多くの人影が蠢き始めた。
人々の作るの黒い影が、ゆっくりと……賑わいと共に、公園の出口に向かって流れてゆく。
わたしたちは駅へと向かう帰り道、二人。手を繋いで歩いた。
環がこちらを見て、柔かな笑みを浮かべながら、唇を開く。
「来年……」
「……も一緒に、花火見ようね……!」
彼女が全部言い終わらないうちに、わたしは言葉を重ねた。
そんなわたしを見て、環は満足げな笑みを作り──。
そして、「それから……」と、言葉を続けた。
「葵は絶対に大丈夫だと思うけど、今日みたいな、チャラチャラした男に引っ掛かったらダメだよ」
「……うん」
「これは、美少女の先輩からの忠告ねっ」
そう言って環は、にへらと笑った。
その笑顔を見ながら、わたしもいつか……こんな女になれたらなぁ、と憧憬にも似た気持ちが心の中に沸き立つのを感じていた。




