011 水道橋2──観覧車
◇
環に連れられ、美容部員さんのいるドラッグストアへと移動する。
BAさんは化粧自体が初めてだというわたしに、とても優しく、懇切丁寧に教えてくれた。
ベースメイクのやり方から、アイライナー、マスカラ、チーク、口紅……どれもこれも、初めての経験にドキドキした。
最終的に出来上がった顔は……まるで別人だった。
鏡の中の自分は、目がパチリと大きく、頬に桃色が差し込んだ美少女だった。自分で言うなという感じだが。
髪を後で束ねたのも、いつもと違う明るい印象になっている気がする。
鏡の中に映りこんだ環が、無言でニコっと笑って、親指を立てた。
思わず顔が綻んだ。自身の内から込み上げる高揚感を抑えられない。
◇
お店の外に出て、環に尋ねた。
「そう言えば、あの観覧車って乗ったことある?」
わたしは、東京ドームシティに悠然と聳える観覧車を、何とはなしに指さした。
「うん。何度もあるよ。アタシ、子供の頃からよくここに来てたから」
「わたし、乗ったことないから、今から一緒に乗らない?」
後になって気づいたが、自分から家族以外の他人を誘うなんて、生まれて初めてのことだった。
◇ ◇ ◇
遊園地内は家族連れやカップル、女の子同士のグループで賑わっていた。
わたしは環の横に並んでいることが、なんだか誇らしかった。
──二十分ほど待って、わたしたちの番が来ると、中心軸のない巨大な観覧車に乗り込み、向かい合わせに二人で座った。
すぐ真下には、東京ドームの屋根が見えた。
テレビでよく見る風景を、自分の肉眼で直接見るというのは不思議な体験だ。
遠くにはスカイツリーが見え、お台場の観覧車さえ見渡せた。そして別の方角にはいつもの見慣れた富士山が。
わぁ! とか、すごーい! とか普段、人前で使わないような言葉が自然と口から溢れ出る。
そんなわたしを、環が少しニヤニヤした表情で、眺めていた。
◇
遊園地で、一頻り遊んだわたしたちは、環の実家へ向かった。
珠綺家は、東京ドームシティから、徒歩十分程の場所にある──少し古びた感じの団地にあった。
環のおうちへお邪魔するや否や、わたしの饒舌はピタリと止まった。
母子家庭だという環のお母さんは仕事へ出かけており、団地の五階にある珠綺家は、今はわたしと彼女の二人きりだ。
友達の家に生まれて初めて上がるという体験と、密室で二人きりという状況に、わたしはとてつもない緊張を強いられた。
居間に案内され、座布団に座ると、環が「お茶、淹れて来るね」と言って、部屋をすぐに出ていった。
一人きりになって、なんとか緊張を解そうと、立ち上がって深呼吸したり、ストレッチをしたりしていると、環がお盆を持って戻ってきた。
髪はポニーテールにされ、赤い縁の眼鏡をかけている。かわいい……
そんな彼女に見惚れていると、環の手により、テーブルの上にコーヒーカップとお菓子が並べられていった。
「どうしたの? さっきからジロジロ見て」
「あっ、あー。環って、目が悪かったんだなぁ、って思って」
「うん。コンタクトより眼鏡の方が楽だからね。家ではこうしてるんだ」
クラスの誰も知らないであろう、プライベートの環の姿を知り、優越感にも似たくすぐったい感情が心の奥に湧き上がる。
二人で黙々と勉強を始めると、いつの間にか自然と緊張は消えていた。
分からない問題を環に聞けば、どんな設問でも彼女はわたしに教えることが出来た。おかげで、勉強はすいすいと捗る。
わたしは彼女が真面目で勉強の出来る子であることが、何故だか嬉しかった。
今日の分の勉強が終わり、夕方になると環がわたしに声を掛けた。
「もう少しでお母さんが帰ってくるから、そしたら、晩御飯一緒に食べてかない?」
一瞬、逡巡したけど、知らない大人に会って、食事を共にすることが、途轍もなくハードルの高いイベントに感じられ、適当な方便を使って断った。
帰りは、水道橋の駅まで環が送ってくれた。
二人して改札まで来ると、環が何かをわたしに言おうとして、口を開いた。
その様子を見て、わたしは咄嗟に「また、二人で一緒に勉強しようねっ!」
そう言った。
環に言われる前に、自分から言いたかった。
ニンマリと目を細めて、環が笑う。
「今度は、葵の家に遊びに行ってもいい?」
「もちろん!」
手を振って分かれて、改札をくぐった。
別れ際、胸にキュッとするような、小さな痛みが走った。
その痛みの輪郭を、心の中で丁寧になぞりながら──わたしは緘黙と決別する最初のステップを踏み出した、確かな手応えを感じていた。




