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緘黙少女  作者: フェルミ⇸ヴェルナー⇸葉子
12/17

011 水道橋2──観覧車


 ◇


 環に連れられ、美容部員さんのいるドラッグストアへと移動する。


 BAさんは化粧自体が初めてだというわたしに、とても優しく、懇切丁寧に教えてくれた。

 ベースメイクのやり方から、アイライナー、マスカラ、チーク、口紅……どれもこれも、初めての経験にドキドキした。


 最終的に出来上がった顔は……まるで別人だった。

 鏡の中の自分は、目がパチリと大きく、頬に桃色が差し込んだ美少女だった。自分で言うなという感じだが。

 髪を後で束ねたのも、いつもと違う明るい印象になっている気がする。


 鏡の中に映りこんだ環が、無言でニコっと笑って、親指を立てた。

 思わず顔が綻んだ。自身の内から込み上げる高揚感を抑えられない。




 ◇




 お店の外に出て、環に尋ねた。



「そう言えば、あの観覧車って乗ったことある?」

 わたしは、東京ドームシティに悠然とそびえる観覧車を、何とはなしに指さした。


「うん。何度もあるよ。アタシ、子供の頃からよくここに来てたから」

「わたし、乗ったことないから、今から一緒に乗らない?」




 後になって気づいたが、自分から家族以外の他人を誘うなんて、生まれて初めてのことだった。



 


 ◇ ◇ ◇





 遊園地内は家族連れやカップル、女の子同士のグループで賑わっていた。

 わたしは環の横に並んでいることが、なんだか誇らしかった。





 ──二十分ほど待って、わたしたちの番が来ると、中心軸のない巨大な観覧車に乗り込み、向かい合わせに二人で座った。


 すぐ真下には、東京ドームの屋根が見えた。

 テレビでよく見る風景を、自分の肉眼で直接見るというのは不思議な体験だ。


 遠くにはスカイツリーが見え、お台場の観覧車さえ見渡せた。そして別の方角にはいつもの見慣れた富士山が。


 わぁ! とか、すごーい! とか普段、人前で使わないような言葉が自然と口から溢れ出る。


 そんなわたしを、環が少しニヤニヤした表情で、眺めていた。




 ◇




 遊園地で、一頻ひとしきり遊んだわたしたちは、環の実家へ向かった。


 珠綺(たまき)家は、東京ドームシティから、徒歩十分程の場所にある──少し古びた感じの団地にあった。




 環のおうちへお邪魔するや否や、わたしの饒舌はピタリと止まった。

 母子家庭だという環のお母さんは仕事へ出かけており、団地の五階にある珠綺家は、今はわたしと彼女の二人きりだ。


 友達の家に生まれて初めて上がるという体験と、密室で二人きりという状況に、わたしはとてつもない緊張を強いられた。


 居間に案内され、座布団に座ると、環が「お茶、淹れて来るね」と言って、部屋をすぐに出ていった。

 一人きりになって、なんとか緊張をほぐそうと、立ち上がって深呼吸したり、ストレッチをしたりしていると、環がお盆を持って戻ってきた。


 髪はポニーテールにされ、赤い縁の眼鏡をかけている。かわいい……


 そんな彼女に見惚れていると、環の手により、テーブルの上にコーヒーカップとお菓子が並べられていった。

 

「どうしたの? さっきからジロジロ見て」

「あっ、あー。環って、目が悪かったんだなぁ、って思って」


「うん。コンタクトより眼鏡の方が楽だからね。家ではこうしてるんだ」


 クラスの誰も知らないであろう、プライベートの環の姿を知り、優越感にも似たくすぐったい感情が心の奥に湧き上がる。





 二人で黙々と勉強を始めると、いつの間にか自然と緊張は消えていた。


 

 分からない問題を環に聞けば、どんな設問でも彼女はわたしに教えることが出来た。おかげで、勉強はすいすいとはかどる。

 わたしは彼女が真面目で勉強の出来る子であることが、何故だか嬉しかった。


 

 今日の分の勉強が終わり、夕方になると環がわたしに声を掛けた。


「もう少しでお母さんが帰ってくるから、そしたら、晩御飯一緒に食べてかない?」


 一瞬、逡巡したけど、知らない大人に会って、食事を共にすることが、途轍もなくハードルの高いイベントに感じられ、適当な方便を使って断った。



 帰りは、水道橋の駅まで環が送ってくれた。

 二人して改札まで来ると、環が何かをわたしに言おうとして、口を開いた。


 その様子を見て、わたしは咄嗟に「また、二人で一緒に勉強しようねっ!」

 そう言った。

 環に言われる前に、自分から言いたかった。


 ニンマリと目を細めて、環が笑う。


「今度は、葵の家に遊びに行ってもいい?」

「もちろん!」


 手を振って分かれて、改札をくぐった。

 別れ際、胸にキュッとするような、小さな痛みが走った。


 その痛みの輪郭を、心の中で丁寧になぞりながら──わたしは緘黙かんもくと決別する最初のステップを踏み出した、確かな手応えを感じていた。

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