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緘黙少女  作者: フェルミ⇸ヴェルナー⇸葉子
10/17

009 下の名前


「蒼井さん、あなたに一つ、提案があります」


 珠綺さんは、少し茶化した様な……それでいて真剣な様な表情を作って、わたしに話を切り出した。


 頑張って、同じように少しおどけた口調でわたしも応じる。


「なんですか、珠綺さん?」



 吉祥寺でボートに乗った日以来、わたしたちは帰宅途中に途中下車して、適当な公園とか、図書館とか、マクドナルドとか、そんな場所で同じ時間を過ごすような──少し、打ち解けた間柄になっていた。


 

 ──そして今、わたしたちがいるのは、国分寺のマクドナルドだ。


 わたしは目の前の美少女に、以前ほどは緊張しなくなっていた。

 ブスは三日で慣れ、美人は三日で飽きるという、アレだろうか。



「アタシは、今日からあなたのことを、“あおい”と呼びます」

「……」


「なので、“葵”はアタシのことを“たまき”と呼んで下さい」

「……」


 額に嫌な汗が、滲んでくるのを感じた。

 鼓動のリズムが早くなり、目が泳ぐ。


 珠綺さんがズイっという感じで、顔を近づけてきた。



「葵! クラスのみんなの雑談の輪に、入りたいって思ったことある?」


 わたしは無言で頷いた。


「将来……大学生になった時の自分を想像できる?」


 まったく出来ない。

 わたしは無言で、首を横に振った。


「将来……どんな、職業に就きたいとか、夢はある?」


 何もなかった。

 わたしは……今日一日を過ごすだけで精一杯で、数年先の未来のことなんて考える余裕はまるでなかった。いや……もっとハッキリ言うと……自分の将来を想像するのが怖かった……だから、努めて何も考えないようにしていたのだ……。


 わたしはまたもやブンブンと、無言で首を横に振った。



「葵…………大学生になったり……就職した時……周りにいる人たちと……仲良く……楽しく過ごしたいと思う?」


 わたしのすぐ目の前にいる美少女の表情は真剣で。心の底から、わたしのことを心配していることが、痛いほどに伝わった。

 そんな風に心配される自分の立場が、とても恥ずかしくって……惨めで……いっそ、死んで消えてしまいたかった。


 珠綺さんは、その表情を優しげな笑みに戻し、言葉を続けた。



「大丈夫だよ、葵。今、アタシと喋れてるじゃん…………前も同じような話しをたけど……“小さな出来た!”を積み重ねれば、いつか緘黙(かんもく)症なんか消えてなくなるから…………アタシのことを下の名前で呼ぶのは、その第一歩だと思って。アタシを踏み台にして……緘黙なんて詰まらない病気……さっさと終わらせようよ」



 珠綺さんの笑みは、どこまでも優しく……わたしは、惨めさを募らせるばかりだった。

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