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ICO SAGA 狼の章  作者: 古賀みなも
第1章 ライゾ
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5 回想

ざく、ざく、ざく

ぱきり、ぽき、ぽき


 厚く積もっている落ち葉や小枝を踏みしめながら進む。

もう日は昇りきっているはずだが、生い茂る葉に阻まれてほとんど光は落ちてこない。

 村の外れからアッシュの大木までの道のりは、木こそ多いものの、差し込む木漏れ日は明るく、地面も乾いていて歩きやすい。しかし昼なお暗いこの辺りは常にうっすらと霧がかかっており、少し離れただけで物の形はぼんやりとした黒い影にしか見えなくなってしまう。ヴァルプルギスの夜は過ぎたというのに、この一帯の空気は冬に置き去りにされたままのような冷たさを秘めていた。


 テュールは一転した景色に驚いている様子であったが、文句も言わずに大人しく付いてきている。

 道中で旅の詳しい理由などを聞こうと思っていたが、話しかけると律儀にもこちらの目を見て答えようとしてくるので、足元への注意が疎かになる。腐った丸太を踏み抜く。よろけた際に大岩に生えていた滑りやすい苔の上に手をつく。転んでどこかを痛めるような事は避けたい。見通しのよいところに出るまでは会話は控えようと決め、今は足場の悪い所でたまに手を貸してやる時以外は特に会話もないまま、黙々と進んでいる。


 歩きながら、彼はジャンのことを考えていた。


 ジャンとは長い付き合いである。

 薬草を採りに森に入った際に道を外れてしまい、彷徨っている内に狼達に襲われたのだ、と後から聞いた。必死に逃げていたが、足を滑らせて斜面から転げ落ち、追い詰められて絶体絶命であったそうだ。

 しかし、群れを先導していた巨大な黒狼が、急に何かを思い出した様子で害心を収め、仲間を促して走り去ったという。

 落ち着いて体を検分してみれば全身は傷だらけ。息をする度に胸は痛み、片足は折れていて歩けそうにもない。深い森の中で手持ちの食料も水もなく、命が尽きる時が少し伸びただけだったと絶望していたところに、狼達が戻ってきた。

 覚悟を決めて静かに彼らを見やれば、喉笛を食い破らんとその身をたわめていた一際大きな狼の背に、その毛並みと同じ黒い髪と金色の瞳を持つ子供が乗っていた。それが幼き日の彼であった。これがジャンとの出会いである。


 今はまだ小さいが、いずれ群れを率いると目されていた彼。もう5歳にもなるのに(つが)うべき同種の雌が見つかっていない事を、両親はずっと心配していた。

 父親はジャンに飛びかかろうとした瞬間、体の大きさは違えど、これこそが彼の同種ではないかと思い当たったそうだ。そこで急いで彼を迎えに行き、確認の為に連れてきたのであった。

 ジャンは森の奥深くで狼と暮らしている子供がいたことに仰天したが、命の危機を脱したとわかった瞬間に安堵のあまり気を失った。彼は自分の倍ほどもありそうなジャンの体を父親の背に乗せ、手当の為にエルフの里へ運んでやった。


 それからジャンの体がすっかり癒えるまでの間、彼は一日も欠かさず、薬草や食べ物を持って里へ通い続けた。

 ジャンはよく喋る陽気な男で、エルフ達ともすぐに打ち解けた。彼を随分と気に入ったエルフ達は何度もここで暮らすよう誘いをかけたが、村で待っている家族がいるからとその度にジャンは断った。別れの時も随分と引き止めたが、ジャンの意思は固く、ならばせめて思い出に、とエルフの長はフローライトの塊を手渡した。流れる清水の冷たさが封じられたような、美しい輝きの鉱石である。

 ジャンが言うには、エルフの加護が込められた鉱石は、森の外ではとても希少なものであるそうだ。世話になった上にこんな貴重なものは貰えないと手を引っ込めるジャンと、そうはいかないと押し付けるエルフ達の問答の末、折れたのはジャンであった。

 貰うだけでは行商人である自分の気が済まない、この石の価値に見合うだけの品を持って必ずまた来る。と紡がれたジャンの言葉に、エルフ達は小躍りして喜んだ。

 それから今に至るまで、ジャンは年に1度、約束の通りに里を訪れている。村に店を構えているらしく、いつも珍しいものを持ってきてはエルフ達を喜ばせ、結局は毎回フローライトの細工物を押し付けられている。


 彼もジャンの話を聞くのは好きであったし、ジャンも彼のことを可愛がってくれた。一度は、村で一緒に暮らさないかと誘ってくれた事もあった。姉や家族と離れて暮らすのは考えられないと断れば、それ以降しつこく言葉を重ねることはなかったが、森の中での生活を心配し、訪れる度に細々した生活の品を持ってきてくれた。彼が持っている衣類も全てジャンが贈ってくれたものだ。


 息子と姿形は似ているのに番にはなれないと知り、狼達は最初こそ落胆していた。しかし息子がよく懐いているのを見てからは友として認め、ジャンがやってくると付かず離れずの距離を保ちながら後をつけ、他の獣達から守ってやっている。


 ジャンは毎年、大抵は初夏の頃にやってくる。今は長い冬が終わり、雪が残る地面から顔をのぞかせていた緑がようやく濃くなってきたばかり。まだしばらくは来ないだろう。


 そんな事を考えながら一際大きな木の横を通った瞬間。

 うなじの辺りがびりりと粟立つような感覚を覚える。反射的にテュールを突き飛ばし、自分も後ろへ飛び退った。

 同時に急に頭上の枝がしなり、湿った音ともに緑がかった半透明の塊が落ちてきた。

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