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ICO SAGA 狼の章  作者: 古賀みなも
第1章 ライゾ
21/34

21 ベン・ニーア

初のテュール目線です。

 ウリンの木から離れると、また視界は闇に塗りつぶされた。所々に生えている茸や、月光を浴びて咲く花の蜜を集める夜の妖精たちが翅をはためかせる度に舞い散る妖精の粉が光を発しているものの、点在する明かりは逆に闇を深める。巨大な狼が寄り添っていてくれてるとはいえ、不安はむくむくと胸の中で膨らんできていた。


(うう、また真っ暗だ……面倒を見てくれるやつがいる、ってあの人は言っていたけど、こんな森の中に住んでいるなんてどんな人なんだろう……)


 ルァの(たてがみ)をぎゅっと握り締めると、彼女は肩越しに振り返り、長い舌でテュールの頬をべろりと舐めてくれた。その優しさに励まされ、足に力を入れる。


 彼が家族と呼んでいる狼達を初めて見た時は、村の近くに現れる狼とは比較にならない程の大きさに圧倒されたし、テュールの腕など簡単に喰いちぎることができそうな鋭い牙が見えるたびに身が竦む思いであった。

 しかし彼が仮眠を取っている短い間の内に、すっかり恐怖は拭われていた。とても美しい顔立ちなのに少年のような口調で人懐こく話しかけてくれるウリンのおかげもあったが、狼達が実に情に深い生き物だということがわかったからである。

 ころころとしている仔狼達は毛を撫でてやればくたりと身を預けてきて、その重みが愛おしかった。仔狼を羨んだのか年嵩の一頭がテュールの膝に顎を乗せてきた時は流石に緊張したが、それを見て取ったルァがすぐさま鼻先で鋭くつつき、窘めてくれた。


「そいつ、Grå(ギロゥ)って言うんだ、とーちゃんとおんなじくらいでかくなったんだけど、すっげー甘ったれなんだよ」


 というウリンの言葉を聞けば、姉に叱られてしょんぼりしている灰色の狼が不憫に感じられ、しまいにはテュールの方から手招きしてやった。

 項垂れていたのが嘘のように口から舌を出し、はぁはぁと短く息を吐きながら大きな尾をぶんぶん振って擦り寄ってくるその姿は家で飼っていた犬そのものであり、抱きしめてやれば目を細めてしだれかかってきた。もちろんテュールに支えきれるものではなくあっという間に後ろにひっくり返ってしまったが、遊んでいるのだと勘違いしたのか他の兄弟達もわっと群がってきて、慌てたウリンに引っ張り出されるまでテュールは彼らの中に埋もれていた。それを思い出せば自然と笑みがこぼれる。


(大きくて見た目は怖いけど、狼ってこんなに優しい生き物だったんだなぁ。あの人は、優しい家族に囲まれて、すごくすごく大事にされて育ってきたんだ。だから見ず知らずの私にも優しくしてくれる。やる事はちょっと乱暴だけど……ごはん、喜んでくれるといいなぁ)


 考えている内に水が流れる音が近くなってきた。フローライトのエルフの里から辿ってきた支流に近付いたのだろう。川の音に混じり、ぱしゃり、ぱしゃりと何かを洗っているような音も聞こえてくる。


(お洗濯の音……?でも、夜に?明りもあるみたいだけどカンテラの火とは違う……なんだか青っぽい光……)


 僅かな疑問が頭をよぎったと同時に木立を抜け、視界が開ける。同時にテュールは怯えて立ち止まった。


(ウィル・オ・ザ・ウィスプ!こんなに沢山……!)


 ふわふわと儚げに漂い、川原を照らしていたその青白い光は、何らかの理由で現世に留まり続ける人の魂であると言われているものであった。森の中で迷った旅人の前に現れ、誘うように揺れながら道を示す。しかし案内される場所は底のない沼や断崖であり、付いて行けばそこに待つものは死の他にないという。


(この川原、本当に安全なのかしら……)


 先を歩いていたルァがテュールを振り返り、優しく背を押してくる。勇気を奮い立たせて足を進めれば、服を洗っている女性の背中が目に入った。

 長く伸ばした黒髪は(からす)の濡羽のように紫に光り、緑色のスカートに灰色のマントを纏っている。沢山の青い炎が浮かぶ尋常ならざる光景の中ではあったが、人がいたことにほっとして小走りで駆け寄る。


「あの、こんばんは!」


 その声にゆっくりと振り返った女性の顔を見た瞬間、テュールは心臓が凍りつく程の恐怖を感じ、その場にへたり込んだ。


 彼女は生きている者ではなかった。


 健康の印とされるそばかすが散っているその顔は、死人と同じかそれ以上に青白い。血色のかけらもない白く乾いた唇から覗く歯は緑色で、充血しきって真っ赤な目が異様さを醸していた。

 彼女はゆらりと立ち上がると、身動きの取れないテュールに静かに近づいてきた。


「あっ、あのっ、ごめんなさいっ、命だけは……」


 ガチガチと鳴る歯の間から必死で言葉を紡ぎ出すが、聞こえていないかのように彼女の足取りは変わらない。テュールの目の前にしゃがみこむと、大きく腕を広げ、その顔を近づけてきた。顔立ちのみを見れば美しいとも言えるが、近くでよく見てみれば彼女の鼻の穴は一つしかなかった。


「ひっ……」


 あまりの恐ろしさに、ついまぶたを閉じてしまう。気付かぬ内に溜まっていた涙が流れる。氷のように冷たい腕がテュールの腰にそっと回され、このまま取り殺される覚悟をしたその瞬間。

 優しく抱えられ、立たされた。


「えっ……?」


 軽く腰を抱いてくれている腕はそのままに、もう片方の手で安心させるかのようにそっと背を撫でてくれている。恐る恐る目を開けば、相変わらず女性はテュールの顔を覗き込んでいた。間近に見るその顔の恐ろしさに変わりはなかったが、微かに眉尻を下げてこちらを見るその瞳には心配そうな光が浮かんでいた。


「あ……ありがとう……ございます……?」


 困惑しながら礼を言えば、彼女は黙ったままそっとテュールから離れ、今度はルァの方を見た。視線を受けて嬉しそうに近寄ってきた赤毛の狼の喉元を掻いてやると、また洗濯に戻った。


(い、今ので数年は寿命が短くなった……)


 脱力して座り込めば、その衣擦れの音に反応してすぐに彼女が振り返ってくる。慌てて立ち上がり、手を振って大丈夫だと伝えると、また前に向き直り、服を洗い始めた。


(料理を始めるのにはもう少し時間がかかりそうだわ……)


 不思議そうにしているルァの背にぽふりと顔を埋めながら、テュールはしばらく目をつぶって気を落ち着かせることにした。

Bean Nighe、発音をそのままカタカナにするとビン ナーェ って感じなんですが、ネットで検索するとベン・ニーアが一般名として知られているみたいなので、今作ではこちらを選択致しました。

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