20 狼
どのくらい眠っていただろうか。
彼はゆっくりと目を開けた。月の動きを見る限りではそう長い間ではなさそうであるが、短くも安らいだ眠りは十分に体力を回復させた。父の鬣に頰を寄せたまま、視線だけを動かして周りを見た。
自分の体よりもずっと大きな狼達に囲まれているにも関わらず、テュールはすっかり寛いでいる様子で、隣に座っているウリンと喋りながら仔狼達の乱れた毛並みを整えていた。その手に持っている櫛はウリンが自らの枝から作り出したものである。
彼が持っている木剣も、ウリンの手によるものだ。鉄よりも硬く、重く、鋭く鍛えられたこの剣は彼女の加護のおかげで破損することはない。ドライアドが作ったものであるためか植物を断つことはできないが、そのおかげでアッシュもこの剣に対しては忌避感を抱くことはないようで、自らの木のうろにしまっても嫌な顔をすることはなかった。
「あれ、ちびすけ、いつから起きてたんだ?」
彼が目を開けていることに目敏く気づいたウリンが声を掛けてきた。ドライアドの姿の彼女の背は随分前に抜かしたが、ウリンの木に比べるとまだまだ小さい。そのせいかウリンは彼のことも、両親を除く狼達のことも等しくちびと呼ぶ。
「今起きた」
「もーちょっと寝てても大丈夫だけど、どーする?」
「充分に疲れは癒えた」
「そっかそっかぁ、ならいいか。寝てなかったんだろ?ちょっとでも眠れてよかったな」
ウリンはにっこり笑い、テュールとの会話に戻る。彼は添い寝してくれていた父を軽く抱きしめて親愛の意を示してからゆっくりと体を起こし、座って伸びをした。それに合わせて父も立ち上がり、彼の肩口を優しく甘噛みしてから巣の外へ出た。自然な動きで母もそれに追随する。
夜の闇に溶け込むような濃い漆黒の毛並みの父と、それに寄り添う新雪のように眩しい純白の毛並みを持つ母。その野生的で美しい佇まいを見るたびに、彼は自らの体が狼のそれでないことを残念に思っていた。影のように静かな動きで両親の元に集まった兄弟たちと一緒に、今宵の狩りの算段を立てる。まだ狩りに参加できない末の仔狼達も、神妙な顔付きで話し合いに耳を傾けていた。
「まだ少し早いが、出かけてくる」
「あいよー。留守の間、ちびたちは任せとけ」
「あの、狩りに行かれるのですか?お気をつけて」
「うむ。お前と俺の分の食事の支度を頼む」
「え?あの、ここで火を使ってもいいのですか?」
「いや、川のそばに落ち着ける場所がある。面倒を見てくれるやつもいるはずだ。ルァが案内するから付いていけ。そのままお前に付いてくれるから安全だ」
刃物は平気だけど、流石に火はあんまり好きになれないからなぁ、と申し訳なさそうに笑うウリンに、気にするな、と頷き、テュールの護衛を買って出てくれた狼の首元をごしごしと撫で、抱きしめた。
兄弟の中では最年長の彼女は穏やかで面倒見が良い。赤を意味するrødという言葉の通り、灰や茶の毛並みが多い兄弟の中では一際目立つ鮮やかな赤毛の狼である。肩を叩くと、彼女はすっとテュールの目の前に行き、静かに尾を振った。
「わかりました、ええと、ルァさん、よろしくお願いします」
テュールは慌ててリュックを背負い、ウリンに頭を下げて巣から出てきた。ルァは優しくテュールに身を擦り寄せてから、ゆっくりと歩き始め、テュールもそれに続く。その背が見えなくなるまで見つめてから、家族の方へ振り返った。待たせてすまなかった、という意を込め頷く。父は目線でそれに答え、音を立てずに森の中へ入って行った。母や兄弟達と一緒に彼もそれに続く。
「さ、ちび達は俺と遊ぼうぜ、引っ張りっこで勝つのはどいつかな?」
明るいウリンの声にちらりと振り返れば、木の枝の両端を咥え、引き合って足を踏ん張る二頭の仔狼と、周りで吠え立てながらそれを見守る他の仔狼の姿が見えた。
狼達と直接に血が繋がっている訳ではないが、それでも家族であることに何ら変わりはない。夢中で棒を咥え、引き合って遊ぶ仔狼達と、それを見守るウリンの姿に心を暖めてから前を向き直し、狩りに向けて集中し始めた。




