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ICO SAGA 狼の章  作者: 古賀みなも
第1章 ライゾ
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14 花の吐息

もしお持ちであればエルダーフラワーのコーディアルかシロップの水かソーダ割りと片手にお楽しみくださいませ。

「長はきっとまだ寝てらっしゃるわよぉ」

「だってほら、蛍達もまだ飛んでないし」

「暗くなるまでここでお喋りしましょうよ」

「意地悪なんてしないから、こっちへいらっしゃい」

「そうよ、安心なさいな、座ってお話ししましょ」


 彼女達の言う通り、まだ陽光は周囲をオレンジ色に染め上げている。長の姿はまだ見えず、エルダーの古木は花びらを散らしながら静かに立っているばかりであった。

 エレウーマン達はタイムの茂みに腰を下ろし、微笑みながら彼とテュールを手招きしている。彼は溜息を1つ吐き、テュールの手を離して手近な岩に腰をかけた。門を潜った時からずっと手を引かれていた事にようやく思い当たり、赤面しながらぺこぺこと頭を下げるテュールを見、エレウーマン達はまた花が咲き溢れるような笑い声をあげた。

 彼と同じ岩に座るべきか迷っている彼女の背を軽く押してやると、テュールはおずおずと彼女達の側へ近寄り、そっと腰を下ろした。


「何からお話ししましょうか」

「ご用事はなんなの?」

「あら、それを最初に聞いてしまったらつまらないわ」

「そうよ、まだ夜は始まってもいないのに」

「あなたの事、なんて呼ぼうかしら?」

「仔兎ちゃん、仔鹿ちゃん、木鼠ちゃんもいいわねぇ」

「仔鹿ちゃんが一番髪色が合ってるんじゃなくて?」

「そう困った顔はやめてそろそろ笑いなさいな」

「まだ一言も喋ってくれてないじゃない」


「お前達がやかましすぎるから口を挟めないのだろう」


 またエレウーマン達だけで話が進み始めたのを見てとり、一言割って入る。彼女達は、本当に生意気だと文句を言いながら笑い転げたが、ようやく口を噤んだ。


「あの、ええと、私は口下手なのであまり楽しいお話相手にはなれないかもしれませんが…」


 テュールが口を開いた瞬間、目を丸くして彼女達は顔を見合わせた。


「仔鹿ちゃん、あなたの吐息、私達の花と同じ香りがするわねぇ」

「でもなんだかそれよりも甘く感じるみたい!」

「あなたもエルフなの?」

「見たところ背中は人間と同じみたいだわ」

「妖精の国には行ったことある?」

「あら、まだなくて?いらっしゃいよ!ここよりもっと素敵な景色よぉ」


「目的を持って旅をしている人間だ。お前達の国へ連れて行かせはしない。必ず帰してやると言って連れて行ったはずの男達は、まだ誰一人として戻ってきていないぞ」


 悪戯っぽく微笑みながらテュールを誘う言葉に、彼がぴしりと釘をさすと、エレウーマン達は可愛らしく頰を膨らませた。


「帰りたいって言ったらちゃんと帰してあげるつもりよぉ」

「そうよそうよ、何にも言わないんだから、きっとまだあそこにいたいのよ」

「すぐ動かなくなっちゃうのよねぇ」

「あのままお花になりたいんだわ」

「木になってくれる人は何人くらいいるかしらね」

「ねぇ、喋らなくなった人達のことはいいから、仔鹿ちゃんの甘い息のことをもっと聞きましょうよ」

「それがいいわ。ね、生まれつきそんなにいい匂いなの?」


 彼女達は変わらず暖かく微笑んでいたが、それ故に言葉の中に垣間見える無邪気な残酷さが恐ろしい。テュールは気を張り直した様子で姿勢を正してから答えた。


「息ですか……もしかしたら、エルダーの花のシロップを混ぜた水を飲んでいるせいかもしれません。エルダーの花と砂糖を加えて煮詰めたものです。色々と効能はあるのですが、私は体のためというよりもこの甘みが好きで……」


 今まで聞いたことのない代物にエルフ達は目を輝かせて距離を詰めてきた。リュックにその水筒とシロップの瓶が入っているとテュールが答えれば、すぐに彼の方へ手が伸びてくる。請われるままに水筒と、黄色い液体が入った小瓶を取り出して渡してやると、すぐに蓋を開けて中身を検分し始める。


「あらほんと、いい香りねぇ」

「仔鹿ちゃん、私これ飲んでみてもよくって?」

「私も今聞こうと思ってたの!」


 テュールが頷くやいなや水筒を傾ける。シロップの栓を開け、匂いだけを楽しんでいた者たちもうっとりとしている。


「まぁぁ!すごく甘い!」

「なんだかちょっと酸っぱくって、でも飲みやすいわねぇ」

「沢山飲んじゃダメよぉ、みんなに回して!」

「こんなに素敵なもの初めてよ」

「あの人が持ってきてくれるスミレのお菓子もいいけど、私達の花の香りのシロップがあるなんて知らなかったわねぇ」

「仔鹿ちゃん、私達にもこれ作ってくれないかしら?」


「え、えぇ、今からですか?!えっと、砂糖…いえ、蜂蜜でもいいのですが、甘いものがなければどうにも」


「蜂なら私達の木にいっぱいいるわよ」

「爺さま達に頼めばすぐ取ってきてくれるわ」


「なら……作れますが、あの、火を使わなくてはいけないのです。木のそばで火を使っても大丈夫でしょうか?お嫌ではないですか?」


「なにかいけない事があって?」

「燃していい枝ならいっぱいあるわよ!」


「蕾がちの、咲き始めの花が必要なのですが」


「私の花を持ってくるわ!」

「私のよ!」

「私のも入れて欲しいわぁ」

「私のを一番多く入れてくれなくっちゃダメよぉ」


「レモンが必要なのですが、さすがにこの森の中では取れませんよね?それですと私が持っている分でしか作れないので、使える花の量にも限りが……」


 それを聞いたエレウーマン達は一瞬だけ残念そうな顔をしたが、すぐに気を取り直してはしゃぎながら材料を集めに行き、あっという間に駆け戻ってきた。

 女達に急かされながら蜂蜜を持ってやってきたエルフの老爺達もそのまま腰を落ち着け、何が始まるのかと楽しみにしている。

 彼も表情こそ動かさないままであったが、道中テュールが喉を潤す度に水筒から漂ってきていた甘い香りの正体がわかるとあって、これから何が始まるのかと好奇心で胸が膨らむような心持ちであった。

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