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ICO SAGA 狼の章  作者: 古賀みなも
第1章 ライゾ
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1 邂逅

 月が昇り始めた頃、狼達と共に狩りに出かける。食事や水浴びを済ませ、そのまま明け方まで彼らと過ごす。

 鳥達の囀りを楽しみながら朝靄の中を歩き、アッシュの木の元へ帰る。張り出した枝の上に作った寝床で寛ぎながら姉に狩りの成果を話し、日暮れまで眠る。それが彼の生活の常であった。

 何日も獲物が獲れない事もあれば、数日かけても食べ切れない程の大物を仕留められる日もある。季節によって移り変わる森の様相は美しい。彼の日々は充実していた。

 

 彼は物心付く前に、ドライアドである姉の元へ預けられたそうだ。直接の血の繋がりはないが、姉は愛情深く彼を育て、森で暮らす為の様々な知識を与えてくれた。狼達は家族として彼を受け入れ、他の獣達から庇護してくれた。

 暖かな家族に囲まれて育ったおかげで、本当の両親を求める気持ちは希薄であった。顔も知らない彼らについて質問する事もなかったし、森を出て探しに行こうという気も起きなかった。


 同種の中でも特に長命な姉が重ねた年齢は軽く200を数える。そんな姉にしてみれば、20の齢を少し越えたばかりの彼は、まだほんの幼子のように感じられるらしい。彼が眠りにつくまでは、その頭を撫でていなければいけないと考えているようであった。

 子供のように扱われ、世話をされるのは彼の本意ではなかったが、姉の細い指で伸びた髪を梳かれるのは気持ちが良く、抗議する気も消えてしまう。狩りで疲れた体を横たえてうとうとと微睡むこの静かなひと時を、彼は気に入っていた。俺が狼であったなら低く喉を鳴らしてこの心地よさを伝えるのだろうな、などとぼんやりと考える。


 もう陽は随分と高い位置に昇ったようだ。風が吹くたびにちらちらと揺れながら落ちてくる木漏れ日に、眠りの精が落としていった金色の砂が混じる。閉じたまぶたの上に少しずつ砂が積もっていくのを感じつつ、本格的な眠りに落ちていきかけたその時。

 そよ風が嗅ぎ慣れない香りを運んできた。


 肉。鼻を刺すような香り。


(うまそうだな)


 刺激のある香りは初めて嗅ぐものであった。肉の方もなにやら様々な匂いが入り混じっているようで、彼が普段食べている、ただ塩を振って焼いただけのものと比べると、随分と違っているように思えた。

 どちらも馴染みのない匂いであったが、不思議と食欲を刺激するものであった。腹は満たされているにも関わらず、唾液が沸いてくる。ぺろりと唇を舐めた。


 それから一拍置いて、生き物の匂いが流れてきた。森には存在しない、なめされた革、金属の冷たい匂い。


(何かうまいものを持っているやつが、こちらに向かってきている)


 そう推測する。

 ジャンの顔が頭に浮かんだ。森の奥にあるフローライトの里に住むエルフと取引をする為に、年に1度くらいの頻度でやって来るジャンは、唯一の人間の知り合いである。


(しかし、いつものあいつの匂いとは少し違うようだ)


 かちゃり、かちゃり。さく、さく。


 やがて、硬質の小さな音と、落ちた葉や草を踏みしめる音が聞こえてきた。

 葉が生い茂った木々に阻まれ、森の中の見通しは悪い。姉と二人、音のする方に目を向けながら静かに待っていると、とうとう匂いの元が姿を見せた。


 それは、小柄な少女であった。

 ジャンが植えた魔除けの草で作られた小径を辿りながら歩いてくる。丈の短いその草は柔らかそうなブーツに踏まれる度、爽やかな芳香を放っていた。

 細い体に不釣り合いなほど大きなリュックは、少女の歩調に合わせて金具の音を小さく鳴らし、食べ物の匂いを(こぼ)している。

 腰には短剣を帯びていたが、馴染んでいるようには見えない。護身用として持ってはいるが、抜いた事はないだろうな、と推測した。姉は微かに眉間に皺を寄せると、めくらましで自身の姿を隠した。刃物を持っている者と関わりたくないのだろう。


 少女は不安そうな面持ちで歩いていたが、アッシュの巨木を目にすると、ほっと安堵の表情を浮かべた。小走りで近寄ってくると、木の根元にリュックを下ろし、水筒を取り出す。中に入っているのは水ではなかったようで、甘い花の香りが微かに漂った。喉を潤してから首筋と額に浮かんだ汗を拭って一息つくと、何かを探すかのように周囲を歩き回り始めた。

 彼が寝床にしている枝は地面から3mほどの所に張り出している。彼は今、その上にゆったりと寝転がっており、組んだ両腕の上に顎を乗せた状態で少女を見下ろしている。

 まさか頭上に人がいるとは思わないのだろう。彼に気付く様子はない。


「あの……」


 ひとしきり辺りを見回した後、少女はおずおずと小さな声を発した。


「どなたか……いらっしゃいますか?」


「なんの用だ」


 姿勢は変えないままに、問いかけに答えてやった。


「!……ひっ!!」


 驚いた顔で上を見上げた少女は、彼と目を合わせた瞬間に怯えた表情を浮かべて後ずさり、隆起した根に足を取られて尻餅をついた。


「あっ、す、すみません、失礼しました!ここに住んでいる方がいると聞いて来たのですが、まさか真上にいらっしゃるなんて思わなくて……。瞳が金色でしたので、咄嗟に狼か山猫かと思ってしまって」


「お前は何者だ。この森に、なんの用だ」


 わたわたと立ち上がる少女に同じ問いかけを重ねる。


「はっ、はい、私はテュールと申します。テュール・ウルタ。あの、ここにはエルフが住んでいるって、森の外れの村に住んでいるジャンさんに聞いて。アッシュの大木の所まで行けば、エルフ達のところまで案内して下さる人がいる、と伺ったのですが、えっと、案内人って、あなたの事ですか?」


「連れて行くことは出来るが」


 一度、言葉を切った。


「エルフ達になんの用だ?あいつらを害するつもりならば無論の事、案内などはできんぞ」


「害するなんて、そんなつもりは!あの、私……私は、所謂(いわゆる)、先祖返りという者で……その事について、エルフ達に助言を頂きたくて、ここまで参りました」

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