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前編


 冬の星空は怖い。最近の沙希の口癖だ。耕太郎と予備校の帰りに一緒になると、決まってこれを言っている。

 隣を歩く耕太郎は、そんなに怖いなら見なければいい、と口にしかけてやめ、代わりに白い息を吐く。


 今夜は、その「冬の星空」を見に来たのだから。


 耕太郎と沙希は、違う高校に通う二年生どうしだが、予備校の選択コースが一緒だった縁で知り合った。

 二人が言葉を交わし始めてから数ヶ月。天真爛漫な沙希に、耕太郎は惹かれていた。


 細く頼りない月明かりを頼りに、住宅街を抜けて更に歩いていく。

 と、小高い丘が見えてきた。今夜の目的地「星降る丘公園」である。

 いわゆる児童公園とは違うこの公園は、遥か昔のアマチュア天文学者が彗星を観測した場所、らしい。それに因んで「星降る丘公園」と名付けられ、丘の頂には小さな望遠鏡を備えた展望台がある。

 今夜の目的は、その展望台だ。


「あぅー、やっぱりこわくて空見られない……」

「下向いて歩けよ」

「それじゃつまんない」

「んじゃ帰るか」

「それはやだ。断固拒否る」


 目を瞑り、空が見えないようにして顔を上げ、胸を張る。

 どうしろっていうのか。

 知り合ってまだ数ヶ月の、別の高校の女子相手に、これ以上何をしろっていうのか。耕太郎にはなす術は無い。


「なら、急ぐぞ。もしかしたら展望台は混んでるかもしれない」


 目を閉じたままの沙希の手首をコートの袖越しに掴むと、びくっと震えた。

「きゅ、急にびっくりさせないでよ」

「んだよ。嫌なら目を開けて、一人で歩けよ」

「……すぐそうやって意地悪する」


 意地悪したつもりなど、毛先程も無いのだが。

 及び腰になって唸る沙希が滑稽に見えて、思わず笑いが溢れた。


「笑うなっ、デリカシーの無いやつめ」

「デリカシーなんざ、(はな)っから装備されて無いんだよ」

「あー、わかる」

「てか少しくらいフォローしろよ」


 掴んだ手首を離すと、沙希は驚いた顔を向けてくる。が、すぐに俯いてしまう。


「だって……ほんとにデリカシーないもん。あと、記憶力も」

「記憶力は余計だ。歴史とかの暗記モノは得意なんだよ」

「そういう記憶力じゃなくてさ……あ」

「ん、どした」


 中空を泳いでいた沙希の視線は、一瞬止まってすぐに下を向いた。


「空、見ちゃった……」

「いやおかしいだろ。今夜の目的を思い出せよ」

「りゅ、流星群の、見物……」

「わかってりゃいい。言い出しっぺは、お前だからな」


 弱々しい声音に、耕太郎は軽く笑いながら首を縦に降る。それに頬を膨らませた沙希は、もうこわくないとばかりに星空を仰ぎ見て、すぐに涙目になって耕太郎へと顔を向けた。


「うわぁっ、星が降ってくるっ」

「降らねえ。ついでに言えば、今夜の天気は晴れのち曇りだ」

「な、なら早く曇らせて」

「流星群が見えなくなるぞ?」

「それはやだ。何回言わせるのよ」

「ブーメランなんだよなぁ……」


 解せぬ。


「うう……こわい、こわいよ」


 それでも、彼女は、ちらちらと夜空を見上げながら歩く。耕太郎はその様子が可笑しくて、少しだけ心が躍り始める。そのせいか、普段では決して言わないようなことを言ってしまう。


「ほら、とりあえずあの自販機まで歩くぞ。頑張った子にはご褒美をあげよう」

「うう、が、頑張る。無事にたどり着けたら、飲み物奢ってね」


 ご褒美の内容も勝手に決め、無駄なフラグを立てる沙希に、耕太郎は苦笑混じりの白い息を吐いた。


 ───


「あのね、流星群が来るんだって。今世紀最大だよ」


 耕太郎を誘い出した時の、沙希の言葉である。


「あー、楽しみだなぁ」


 ───


 あの時のはしゃいでいた沙希は何処に行ったのか。そもそも冬の星空が怖いのに、その最たるものといえる流星群を楽しみにするのが、耕太郎には理解出来ない。

 が、耕太郎にとっては沙希と過ごす最後の冬。ひとつでも思い出を増やしたかった。


 時刻は、午前一時。

 通り道の自販機で買った温かい飲み物は、すでに冷えてしまった。

 口元まで包んで巻かれたマフラーの隙間から、比佐江の白い息が寒風に舞う。


 ようやく辿り着いたのは、公園の展望台の下。そこには、光のパノラマが広がっていた。


「──わあ」


 沙希は夜景を見て、楽しそうに白い息を弾ませる。

 俺は、空を見上げる。ちらほらと流星が流れ始めていた。


「おい、流星群、もう始まってるみたいだぞ」

「え? ほんとに?」

「ああ、さっきもあっちの方を流れた」

「もうっ、早く言ってよ〜。願い事言いそびれちゃったじゃん」


 え。

 まさか。


「あのさ、ひとつ質問」

「ん。許可しよう」

「ありがと腹立つ。で、お前まさか、流星群に願い事をするつもりだったの?」


「うん、そうだけど」


 あっけらかんとした沙希の瞳には、一点の曇りもない。

「ガキかよ……」

「むー、聞き捨てならないよ、それ」


「高校生がお星さまに願い事しちゃおかしい?」

「おかしくはないけど、あんまり想像は出来ない」


「それは……コタの想像力が足りないんだよ」


 ん? コタ?

 なんで俺の小さな頃のあだ名を知ってるんだ。

 考えている内に、辺りには(もや)が立ち始めた。

 その靄は展望台を取り巻くように発生し、風が吹いても晴れない。


「お、おい、靄が出て危ないから気をつけ……」

「ん? モヤ? そんなの無いじゃん。さ、耕太郎も早くっ」


 一人で階段を駆け上がる沙希を耕太郎も追うのだが、あまりに深く煙る靄のせいで、沙希の背中を見失った。

 しかし、この上は展望台。そこが終点だ。

 靄のかかる階段を上り、展望台に立つと、靄は晴れていた。

 展望台には数人しかいない。人々の流星群への興味は薄いようだ。


 だが、耕太郎にとっては好都合でもある。

 今日は、沙希に別れを告げなければいけないのだから。

 別に聞かれて困る訳でも無いけれど、出来たら二人で落ち着いて話したい。


 夜空を仰ぐ。

 思い返すと、耕太郎が流星群を見るのは二度目だ。

 一度目は、まだ小学校に上がったばかりの子供の時分。

 その頃の耕太郎は小児喘息で、入院を繰り返していたそのときに一度目の流星群を見た筈である。確か近所の子と一緒に見る約束をしたと耕太郎は記憶しているが、誰との約束なのかは忘却の彼方だった。


 耕太郎の意識が沙希に向く。沙希は展望台の柵につかまって、こわいのを必死に我慢しながら、空を見上げていた。

 そして、ひとつ星が流れる度に柵から手を離し、手を合わせて何かを呟いていた。

 その余りに必死な背中は、人間として冷めている耕太郎でも、単なる少女趣味と断じるのは憚られた。


 ──デジャビュ。既視感。

 耕太郎の感覚は、狂わされた。

 ──いや、違う。既視感ではない。ではなんだ。

 目の前に見える、この靄は、その向こうで光る夜景では無い発光体の群れは、一体何なのだ──


 視線を周囲に走らせる耕太郎の目は、天頂に固定されて見開かれた。


 ──月だ。しかも、満月。


 さっきまで見えていたのは、月齢で二十六日。細く欠けた月だ。

 しかも、隣にいた筈の沙希の姿は無く、たださっきよりも幾分か暖かい風だけが、耕太郎の頬を撫でている。

 元来冷めた性分の耕太郎は、叫びはしない。が、確実にパニックに陥っていた。

 沙希を探して忙しなく動く眼球が、それを如実に表している。



 靄の中、周囲を見回す耕太郎が視線を止めた先。そこにいたのは、小学校に上がるかどうかくらいの少女、だった。


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