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エピローグ(1)

『さあ、キミも世界でただ一人、キミだけの彼女を作ろう! マイプリ、大好評発売中!』


秋葉原の街頭に設置された宣伝モニタの前で、足が止まる。


 黒髪で胸の大きな、まさしくヒロインらしい容貌の正統派美少女が微笑んでいるその画面に思わず目を奪われる。が、湧磨はすぐにそれから顔を背けて再び雑踏の流れに乗る。


「やはり、まだ諦めきれないんですのね」


白い一輪挿しの花のような日傘を差して歩きながら、隣でアリシアが呟く。


あれから一月が経ち、梅雨が明けた。


 空は鬱陶しいまでに青く、陽射しは肌を焼くようにじりじりと熱い。アリシアの装いも、縞模様のカットソーに落ち着いた水色のスカートという、爽やかで夏らしいものである。だが、表情だけはまだ梅雨空のように暗く湿り、その目はきょう会ってから一度も湧磨と視線を交わしていない。


 アリシアに暗い表情などさせたくないが、こればかりはどうしようもない。「ああ」、と湧磨が小さく頷くと、


「……そうですわよね。でなければ、こうしてあの男へ会いに行こうなどとはしないはずですもの」

「……ああ」


 と頷くことしかできない。赤信号に足を止めて、湧磨は日傘の下から見えるアリシアの口元をちらりと見て、


「本当に、お前も来るのか?」

「ええ、行きますわ。あの男の顔なんて二度と見たくありませんけれど……このようなことになった大きな原因はわたくしにだってあるのですから、わたくしには最後まで見届ける義務があります」


アリシアが責任を感じる必要はない。だが、全く責任がないとは言い切れないかもしれない。そう思っているのに否定するのはアリシアに失礼な気がして、湧磨は何も言葉を返せなかった。


 信号を渡り、表通りから折れて、少し歩いた先にあるファミレスが約束の場所である。休日でやや混んでいるその店内に入り、待ち合わせをしていると店員に断ってから、一人の男が座っていた窓際のボックス席の横に立つ。


 傍に人が立ってもノートパソコンから目を上げずにいる、そのずんぐりとした体型の男に、アリシアは言う。


「お久しぶりですわね」


 え? と、男――エクスマキナの創立・運営者であり、『Alte4.204』というチートプログラムの使用者であり、トウテツというアカウント名の使用者であるその男はギョッと顔を上げ、氷の女帝然と睨み下ろすアリシアに狼狽えたようにキョロキョロしてから、湧磨のほう顔を寄せて囁く。


「おい……! なんでこの子も連れてきたんだよ。俺はお前ひとりで来るって聞いてたのに……!」

「何かマズかったですか? アリシアも事情は全て知ってるんだし、別にいたっていいでしょう」

「い、いや、まあ……」

「それで? 早速ですけれど、報告を聞かせていただきましょうか」


シートに腰を滑り込ませながら、アリシアは単刀直入に切り出す。


 早いな。慌てて湧磨もその隣に腰を下ろし、話の腰を折られないよう、店員の女性にとりあえずフリードリンクを注文しておく。店員が去ると、トウテツは背もたれに寄りかかりながら、溜息をつくように言った。


「一言で言うと、もうダメだな。全てが完全にぶっ壊れちまった。復旧は不可能だ」

「エクスマキナはもう終わりということですの?」

「まあ、ちょうど潮時だったんだ。実を言わなくても解ると思うが、あの空間は極秘も極秘の技術の結晶みたいなモンで、俺は当然、その使用許可なんて取ってない。だから――」


にやっと笑いながら湧磨を見て、


「お前が無事に帰ってきてくれたのは、マジで助かったぜ。人が死ぬような大ごとが起きてたら、今頃どうなってたか……」

「湧磨が中にいるのを解っていたのにサイトをダウンさせようとしたのは管理者のあなたではありませんの? 自分で湧磨を殺すようなことをしておいて、あなたは何を――」

「それよりも、アルテがサイトの外に逃げ出すことのほうが重大だと俺は判断したんだ。あの時、エクスマキナはもう崩壊状態にあった。いつ、どこからアイツが――あのワケの解らないプログラムが外に逃げ出すか解らなかったんだから、俺は感謝されるべきだと思うがな」

「感謝だと……?」


ふざけるな。思わず声を荒げそうになるが、手を握り締めてどうにかそれを堪える。


 震えるほどの力で作られたその拳と湧磨の顔を交互に見て、トウテツは表情から笑みを消してアイスコーヒーを一口飲み、


「で、でも、どうしようもないだろ。事実、間違いなく、あれが最良の判断だったんだ。確かに俺だって、アイツには悪いことをしたのかもしれないと思ってる。だから、どうにか一部だけでもサイトを復旧しようとしてみたんだ。でも、この通りだ」


 と、トウテツは机に置いていたノートパソコンの画面をこちらへ向ける。


 湧磨はプログラミングの知識など皆無で、おそらくアリシアも似たようなものだろう。だが、そんな二人でも、そこに表示されているプログラミング言語の様子がおかしいことはすぐに解った。


 英字の列も数字の列も、明らかに意味をなしていない。デタラメにもほどがあるような文字列が、ひたすらどこまでも表示されているのだった。


 トウテツは舌打ちしながら腕を組み、


「全く……一体何をしたらこうなるってんだよ。こんなのバグどころじゃねえぞ」

「もう本当に、絶対に直せないんですか?」


 訊かずにはいられずに湧磨は尋ねたが、やはり答えは予想した通りのものだった。


「ああ、素人でもそれくらい解るだろ。それとも、お前なら直せるってのかよ」


 無理に決まってる。悔しいが何も言えずに俯くと、握り締めていた湧磨の手に、アリシアがそっと手を重ねた。


「お願い、なんでもいいからやってみて頂戴。もしかしたら、このような状況だからこそ、あなたなら……」

「無茶言うな。俺はプログラミングなんてこれっぽっちも知らないんだぞ」

「ですから、そういうことではなくて、あなたにしかできないことをやってみてと言っていますの」

「俺にしかできないことって?」

「例えば、アルテの名前を呼んでみる、とか」

「…………」


本気で言ってるのか? 湧磨は渋面を作るが、どうやらアリシアはどこまでも本気らしい。食らいついて離れないその必死の眼差しに根負けして、湧磨はノートパソコンを引き寄せ、トウテツにアイコンタクトで許可を得てから、適当な行に入力をしてみた。


『アルテ 俺だ ユーマだ 聞こえるか』


 声ではなく文字なのだから、『聞こえるか』は違うかと思い直し、その下の行に、


『見えるか 俺の文字が 見えるなら 何か返事をしてくれ』

「…………」

「…………」


 アリシアと二人、息を詰めて黒い背景の画面を凝視し、数秒後、同時に嘆息する。それを見て、トウテツがノートパソコンを自らの前へ引き寄せ、画面を見て鼻で笑った。


 もうここにいる必要はない。やはり、既に全ては終わってしまっていた。そう悟って、湧磨は自分たちの分の伝票を持って席を立つ。と、


「え?」


トウテツが間の抜けたような声を出した。


 アリシアがまた因縁でもつけたのだろうかと思いつつ振り向いたが、そうではなかった。湧磨の後を追って席を立とうとしていたアリシアは怪訝そうにトウテツを見つめ、トウテツはアイスコーヒーを口元へ運ぶ途中で氷漬けにされたように硬直していた。


 その愕然と見開かれた目は、ノートパソコンの画面へ注がれている。アリシアが慌てた様子でその画面を自分たちのほうへ向けると、そこには異様な光景が映し出されていた。


プログラムを打ち込むワークスペース全体に、ノイズが起きている。初めはそう思った。だが、そうではなかった。ほとんど目で追うこともできない速度で、独りでにプログラムらしきものが組み上げられているのである。


 画面をスクロールすると、風に吹き飛ばされた砂の絵が逆再生で構築し直されていくように、その現象はワークスペース全体で同時進行的に発生していた。


 画面を見つめながら、アリシアがトウテツに尋ねる。


「な、何が起きていますの? 誰かが遠隔操作を……?」

「そ、それは絶対にない。今、この端末はスタンドアローンだ」


 答えて、トウテツは奪い取るようにノートパソコンを取り戻し、その額に汗を滲ませながら画面を見つめる。


「誰もこれにさわれるはずがない。いや、そもそも、こんなの人間にできることじゃ……って、じょ、冗談だろ? まさか、アイツが中から――」

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