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求めるものは。

  ○  ○  ○


「はぁ、全く……。何もかもが予定通りの、とんでもない退屈な戦い(オークシヨン)でしたわね」


 実はラッキータウンに受けた攻撃で今もジンジンと全身が痛いのだが、アリシアは努めて微笑を顔に広げながら、ディランの個室へと戻ってきた。が、


「あら……?」


 そこに湧磨の姿がない。怪訝にゆりりんを見ると、ゆりりんは酷く動揺しているような顔でこちらを見上げ、


「ア、アリシア。ちょっとマズいことになっちゃったみゅん……」

「何がありましたの? というか、湧磨は……?」


 尋ねるが、ゆりりんは額を押さえて俯き、呻くように言う。


「これはゆりりんの責任だみゅ……。こうなる可能性は充分にあったのに……!」


 『こうなる可能性』とは? 困惑しながらアリシアはゆりりんの隣に座り、その前のモニタを覗き込む。そして、開かれている出品物の詳細ページ、その入札(エントリー)者の欄に『ユーマ』と『Alte』の文字が並んでいるのに気づいて、言葉を失う。


 パッと、テーブル中央に出されていたモニタに映像が映る。大観衆のコロッセオを模したようなステージである。そして、その中央で向き合って立っているのは、紛れもなく湧磨とアルテであった。


蛮声を上げる観衆を迷子のようにオロオロと見回している湧磨を、アリシアもまたオロオロと見ながら、


「ちょ、ちょっと、ゆりりん? 一体どういうことですの? なぜ湧磨があのチートプログラムとまた戦っていますの?」

「ダメみゅん……。こっちからの通信も完全に遮断されてるみゅん。たぶん、これは……この戦いは、戦い(オークシヨン)なんかじゃない、復讐だみゅん。清里くんをいたぶるためだけの戦いだみゅん」

「復讐って……ま、まさか、あのチーターが……!? に、逃げて、湧磨! とにかく逃げなさいっ!」


 ウィンドウを開いて湧磨との通信を試みるが、許可がされているにも拘わらず、なぜかそのボタンをタッチしてもなんの反応もない。


 モニタに向かって叫ぶことしか、アリシアにはできなかった。


  ○  ○  ○


 いつの間にか、闘技場の中心に立っていた。


 NPC観客だろう、三層に積み上がっている観客席は雄叫びのような声を上げる男たちでぎっしりと埋まっている。歓声が滝のように降り注ぎ、「なんだ?」と言ったはずの自分の声さえ聞こえない。


ふと振り向いて、そこにアルテが立っているのに気づいて「アルテ?」と驚いた声も、ほとんど聞こえなかった。しかし、アルテとの間にモニタが現れ、そこに、


『Ready Fight!』


 の文字が映し出されると、スーッと潮が引くように歓声のボリュームが下がった。


「どういうことだ、アルテ? 俺たち、どうしてこんな所に……?」

「…………」


アルテは何も答えない。濁った霧に閉ざされたような瞳でこちらを見つめながら、幽霊のように何も言わずそこに佇んでいる。


「アルテ?」


 と、湧磨がアルテへと足を踏み出したその直後、湧磨の眼前を一本の日本刀が通り過ぎていた。


 戦い慣れしつつあるためだろうか、何かしらの攻撃を予感していた湧磨は咄嗟に身体を倒してそれを躱し、アルテから距離を取って、


「っ……! チーター、お前の仕業か!」


 と、アルテの瞳――その奥からこちらを見ているのであろう男を睨む。


 すると、アルテがようやくその薄い唇を動かした。が、そこから出て来たのはやはりアルテの声ではなかった。秋葉原の裏路地で聞いた、中年男の声である。


アルテは――チーターはニヤリとその口の端を歪め、


「おい、どうした? 顔が青いぞ? あの時みたいに、もっとカッコつけろよ」

「お前……! 汚いぞ! 仕返しがしたいなら、現実でかかって来たらどうだ!」

「バーカ、汚えのはお前らも同じだろうが」


チーターは笑って、手に出現させていた長い日本刀を構え直す。と、その刃の部分が、まるで血を吸ったような鮮烈な赤に輝き出した。


「死にたくなかったら、せいぜい必死で逃げるんだな。まあ、お前が死ぬまでここから出さねえけど」


 この言葉を口にしているのはチーターだ。決してアルテではない。そう解ってはいる。それでも、アルテの姿で、アルテの声でこのようなことを言われるのは、思わず胸に応えた。そのせいか、


「くたばれっ!」


 と叫びながらアルテが振り下ろしてきた高速の一撃を、湧磨は躱しきることができなかった。


「ぐっ……!」


 もう後一センチ深く入っていれば即死していたかもしれない。斜めに斬り裂かれた胸を押さえながら、湧磨はどうにかチーターの攻撃範囲から後退する。


 だが、妙に身体が重くてしょうがない。そう気づいて自らのLPゲージを見ると、LPが早くも尽きかけている。


 ――マズい、今の俺には徹底的に欲望が足りない! このままじゃロクに逃げることも……!


 どうする? どうすればいい? 湧磨が立ち尽くしていると、チーターがニヤリと笑いながらこちらへ左手を突き出した。


 そして、その掌の前に黒い魔方陣を出現させたと思うと、それの中から一丁のオートマチック拳銃を掴み出し、一切の躊躇いもなく、湧磨へ銃口を向けてその引き金を引く。


「ハハッ! おら、もっと逃げろよノロマ! 撃ち殺されてえのか!」


 故意に弾丸を外して遊んでいるのだろう、なすすべもなく逃げ回る湧磨を、チーターは声を上げて嗤う。嗤いながら、残弾の切れた拳銃を足元へ投げ捨て、再び新しい拳銃を握ってその弾丸を湧磨へ放つ。


 そのわずかな隙を上手く衝けば、どうにか反撃ができるかもしれない。しかし、そのような考えなど湧磨はすぐさま却下した。アルテを守るためならばまだしも、こちらの身を守るためにアルテを殴る。それは湧磨にとってありえない選択肢だった。


 三度目に銃を取り替える際、湧磨が思わず膝に手をついて息をしていると、チーターが拳銃を捨てたその左手を空にしたまま言った。


「なんだ、お前……? なんで反撃してこねえんだよ、舐めてんのか? それともまさか……このプログラムが可愛くて手を出す気になれねえのか?」


 息が上がりすぎて言葉が出ないというのもあるが、湧磨は沈黙と、睨みつける眼差しでそれに答えた。チーターは右手から日本刀を消し去りながら苦笑し、


「くくっ、まあ、そうだよな。元はお前の大切な『彼女』なんだからな。でもよぉ、今ここにいるこのアルテは俺の物だ、俺の命令ならなんでも従うオモチャだ、操り人形だ。だから、こんなことだってできるんだ」


 そう言った直後、アルテの青いブーツが白い光の粒の粒となって消え、素足が露わになる。そしてさらに、その水着に似た銀色の服も消え去った。


「なっ……!?」


 湧磨は息を呑んだが、しかし、アルテはその下にまだ黒い下着を身につけていた。それで思わず胸を撫で下ろすが、チーターがブラジャーの肩紐を右手の親指に引っ掛け、下へとずらし始めたのを見て、


「おい! やめろっ!」

「なんでだよ? お前、見たいんじゃないのか?」

「それは……! い、いや、だとしても、こんなやり方は間違ってる! アルテを傷つけるようなマネはするな!」

「あぁ? お前、人形にも心があるなんてバカみたいなこと言い出すつもりかよ? でも……ククッ、それならイイもの見せてやるよ。アルテ、コード『hell-cat』を実行」

「了解しました」


 アルテは答え、その細い両腕を前へと突き出す。すると、その白い肌を裂いて鉄の突起が飛び出してきた。


 まるで万能ナイフのように、手首を支点にして腕の上下から現れた複数の鉄のパーツは、半回転して手の前で次々と組み合わさり、瞬く間にそこにマシンガンらしき銃を作り上げる。


肘から飛び出すその太いバレルからは、赤黒い液体が筋になって流れ落ちる。紛れもなく、それは血であった。引き裂かれたアルテの肌から噴き出す、生きた血液であった。


「や、やめろ……! やめろ! 大丈夫か、アルテ!?」


 その頬や髪にも血を飛び散らせながら銃口をこちらへ向けるアルテに、湧磨は叫ぶ。アルテは――チーターはそんなこちらを嘲笑うように口角を吊り上げ、


「『やめろ、だいじょうぶかぁ~、アルテェ~』……ぷっ、こんなもん、単なる演出に決まってんだろ。何を必死になってんだよ、バーカ」

「アルテ……! お願いだ、目を覚ましてくれ! 俺は……俺は、君と戦いたくなんてない!」

「だから……コイツはただのプログラムだって言ってんだろうがっ!」


 チーターが、両手のショットガンを湧磨へ向けて放つ。身を隠す場所もなく、ただ必至に、無様に逃げることしかできない湧磨の姿をチーターは嗤いながら、


「ハハハハハッ! おらおらおらっ! どうした、もっと逃げろよ! バカみたいに泣いて逃げ回れよっ!」

「っ……! おい! 言っとくがな、このチーター野郎!」


 と、湧磨は左肩に焼けつくような痛みを感じながら叫ぶ。


「今の俺に勝った所で、お前は卑怯者以外のなんでもないんだぞ! いま俺は、なんの欲望もないのに引きずり出されて戦ってるんだ! つまり実力の百分の一も出せてない! お前はそんな俺に勝って嬉しいのか!?

 それとも、そんなに俺が怖いのか!? エクスマキナの中でも腰抜け野郎なのか、お前は!?」


 ふと、チーターはショットガンの連撃を止め、


「テメエ……自分がいま檻の中にいるってこと解ってんのか?」

「ああ、解ってるさ。だからこそ言ってるんだ。なんの抵抗もできない雑魚をいたぶって何が楽しい? 俺には全く理解できないな」

「知るかよ。俺は大いに楽しいぜ。……けど、まあ、勝つ気満々で向かってきたお前をぶっ殺すってのも、楽しそうといえば楽しそうだな。いいぜ。お前の欲しい物を出品物に追加してやるよ。何がほしい? 言えよ」

「俺は……アルテがほしい」

「ああ? それは……このアバターのデザインがほしいってことか?」

「違う。俺はアルテがほしい」

「テメエ……! まさか、散々人を罵っておいて、自分もチートプログラムがほしいってのかよ?」

「違う。俺はアルテがほしい」


そのエメラルドの瞳の最も奥――チーターのさらに向こうからこちらを見ているアルテを強く見据え、湧磨は血の流れ出す自らの胸に手を当てて訴える。


「なあ、アルテ、聞こえるか? 『ほしい』なんて、君をまるで物みたいに言ってることは謝る。でも、この気持ちを解ってくれ。アルテ、俺は君がほしい、君がほしいんだ」

「お前、真性のバカなのか? プログラムに何を期待し――んなの、ただのオモ――ャ――ん? どうし――」


 ザザッと、不意に声にノイズが混じった。チーターは怪訝な顔でこちらへ目を向ける。と、その直後、強制シャットダウンされたようにその姿がパッと消え去った。


「…………」


 目の前に、


『You Win!』


 の文字が表示され、周囲に歓声の洪水がドッと蘇るが、自分は勝ってなどいない。湧磨は先ほどまでアルテがいた場所――赤黒い血が溜まっていたはずの、今はまっさらな白土に戻っている場所を見ながら立ち尽くす。


 まさかアルテに何かあったのか? ようやくそう気がついたところで、できることは何もない。とぼとぼと達成感もなくアリーナを後にして、ポータルから『ディラン』へと戻り、緊急アジトになっている個室へ入ると、


「お、おい、大丈夫か?」


 ロキが、ガタッとイスから立ち上がりながら尋ねてくる。


「はあ、なんとか……」

「そうか……。じゃ、じゃあ、オレはこれで」


 ホッと小さく息をつくと、ロキは妙にソワソワとしたふうで、湧磨の肩を叩きながら入れ違いに個室を出て行く。すると、


「じゃあ、ゆりりんも今日はもう寝るみゅん。ロキが帰っちゃったし、今日の反省会はまた今度ってことで。あは、あはは……」


 と、ゆりりんもまた全モニタを閉じて立ち上がり、そそくさと個室を出て行ってしまう。


「ゆりりんも師匠も、どうしたんだ? まさか、あのチーターが現実で何かしでかしたのか?」


 個室にただ一人残っているアリシアに尋ねる。だが、アリシアはなぜか顔を伏せたまま何も答えない。


「どうした? あの二人とケンカでもしたのか?」


 何か様子がおかしい。そう感じたのだが、アリシアは何も言わずに首を振って、それから唐突に言った。


「ねえ、湧磨……。あなた、あのプログラムのことが好きなんですの?」

「は? な、なんだよ、急に」

「教えて」


 と、ようやく顔を上げて、責めるような鋭い目で睨みつけてくる。そんな目で射られては、逃げることも茶化すこともできない。状況が全く呑み込めないが、湧磨は観念して、


「……あ、ああ、そうだ。俺はアルテが――」

「湧磨、現実へ戻って、わたくしの家へ来てちょうだい」

「は?」


 せっかく人が勇気を出して質問に答えようとしていたというのに、それを遮るとはどういうことだ。というか、なぜアリシアの家に? 湧磨は戸惑うが、アリシアは席を立ち、湧磨の手を引いて足早に個室を出る。


「だって、わたくしはあなたのことをよく存じていますのに、あなたはわたくしのことを何もご存じないでしょう? それは卑怯というものですわ」

「いや、別に俺はなんとも思わないが……。っていうか、お前のことはもう色々と知ってるぞ。かなり金持ちで、貴族みたいな暮らしをしてるんだろ? 家だってどうせ豪邸で、デカい犬を二、三匹、放し飼いにしてたり……って、あれ?

 でも、そういえば……貴族同然の暮らしをしてるお前が、どうしてわざわざエクスマキナで金稼ぎなんてしてるんだ? 戦うのが趣味なのか?」

「住所は後でメールで送りますわ。いいこと? 絶対に来るんですのよ。『気づいたら寝ていた』なんてことになったら、借金の利子二百倍ですわよ」


 そう言い残して、アリシアは先にエクスマキナをログアウトしていった。


 もう疲れ果てた上に傷が痛むし、アルテが心配だし、あまりウロチョロと歩き回りたい気分ではないのだが、利子二百倍はゴメンだから仕方がない。


 行くしかないか。そう諦めながら、湧磨もエクスマキナをログアウトした。

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