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禁忌。

『おめでとうございます! あなたが現在の最高額入札者です!』

『高値更新されました。』

 

 入札。


『おめでとうございます! あなたが現在の最高額入札者です!』

『高値更新されました。』

 

 入札。


『おめでとうございます! あなたが現在の最高額入札者です!』

『高値更新されました。』


「クッ……!」

 

 入札。


『おめでとうございます! あなたが現在の最高額入札者です!』

『高値更新されました。』

 

 入札。

 

 入札。

 

 入札。


「ちくしょう、なら――これでもかっ……!」

 

 入札、入札、入札、入札、入札、入札、入札、入札、入札、入札、入札、入札、入札、入札、入札、入札、入札……。


「なっ!? じゅっ、十万円だとっ!? くっ……だ、だが……負けてたまるかっ!」


 入札。


『おめでとうございます! あなたが現在の最高額入札者です!』

『おめでとうございます! あなたが落札しました!』


「っしゃあああああああああああああああああああああああああああっ!」

 

 ディスプレイに待ちわびた言葉が表示された瞬間、少年――清里湧磨(きよさと ゆうま)はイスから立ち上がり、両手を掲げて咆哮した。すると、

 

 ドンッ!

 

 薄壁を蹴飛ばす音が隣室から響いてきて、ハッと口を押さえる。


 しまった。今は朝だった。息を凝らしながら、そっと再びイスに腰かける。


 ――長い……長い戦いだった。

 

 安いデスクチェアの背もたれにギシリと寄りかかりながら、湧磨は薄暗い朝の光を隙間から漏らすカーテンを見やる。

 

 現在の時刻は、午前六時少し過ぎ。

 

 ちらちらと時計は見ていたから気づいていたが、自分はなんと九時間以上もの間、ネットの向こう側にいる顔も名前も知らない誰かと一進一退の攻防を――ネットオークションの競り合いを繰り広げていたのだった。

 

 深い溜息がまた一つ、口から漏れた。

 

 だが、その溜息に落胆の色はない。疲労よりも『やり切った』という心地よさが胸を清らかに満たしていた。たった一枚のCD-ROMに十万円以上もの価格をつけたことにも、全く後悔はない。


 ――家出るまで、まだ少し時間あるな……。三十分だけでも寝ておくか……?

 

 カード支払いの手続きを済ませると急に重くなり始めた頭と目を押さえながら、湧磨は傍のベッドに倒れ込んで、浅い眠りの中でしばし微睡んだ。

 

 湧磨が住んでいるのは、築二十九年、家賃三万八千円の1Kのアパート。

 

 ここで一人暮らしを始めて、既におよそ二ヶ月。もうそろそろ新たな生活リズムに慣れてもよさそうなものなのだが、未だに少なくとも週に一度は、


『まだ親父が起こしに来ないから大丈夫』

 

 と寝惚けてしまい、学校まで早朝マラソンをするハメになっている。


 小学二年生の時に両親が離婚して以来、湧磨は父とずっと二人で暮らしてきた。

 

 だから、自分の日常に父がいないことには、いまだに戸惑う部分がある。別に寂しいわけではないが、あって当然のものが急になくなったような、そんな感覚がいつまでも抜けてくれない。


「父さん、再婚することにした」

 

 ある日、仕事から帰ってきた父は得意料理である『これさえ食っときゃ死なないうどん』――素うどんに、ゴマ油で焼いた大量のネギと豚バラ肉、生卵一つをぶっかけたうどんを作り、それを食卓にドカンと置くなり言ったのだった。


「はっ? 再婚?」

「ああ。それでな、お前の新しい母さん、お前とは一緒に住みたくないらしいから、できるだけ早くここから出て行ってくれ」

「そういうことは普通、もっとオブラートに包んで言うべきじゃないか?」

「お前のことは何も心配していない。俺の息子だ、どこでも上手くやっていけるだろう。もちろん一人暮らしの生活費は出してやる。が、こっちも色々と物入りだ。もし足りないなら、自分でバイトでもするんだな」

「バイトって……急にそんなこと言われても……」

「なんだ、お前、一人暮らししたくないのか」

「いや、したいしたくない以前に、まだ色々と納得できないことが――」

「いいぞぉ、一人暮らしは。毎日が楽しいぞ」

「毎日が……?」

「ああ、邪魔者がいないから彼女を自由に連れ込めるし、エロ動画だっていつでも自由に好きなだけ見られる。なんなら、捨てなきゃいけない俺のエロ動画コレクションは全てお前にやる、ついでにエロ本もエロ漫画もだ。どうだ? 一人暮らしをすれば、二十四時間、エロスの世界に浸かり放題だぞ」

「解った。俺、一人暮らしするよ、父さん」

「健闘を祈る、我が息子よ」

 

 そう固く握手をして、湧磨と父はそれぞれの新生活(エロライフ)へと足を踏み出したのだった。

 

 が、一人暮らしを初めておよそ二ヶ月。その間、彼女ができる気配は微塵もなく、父から譲り受けたエロコレクションも大抵、飽きてしまった。


 結果、寂しさだけが生活に残り、それを紛らすため、湧磨は今とある美少女ゲーム――『マイプリ』にどっぷりはまり込んでいた。

 

 『マイプリ』はいわゆるキャラクリ系、キャラクターを自分好みにクリエイトするゲームで、膨大とも言える身体パーツのパターンから、『世界でただ一人、キミだけの彼女(プリンセス)を作る』ことができる、この年のヒットゲームである。

 

 高校一年生である湧磨が遊んでいるのだから無論、十八禁商品ではなく、至って純粋な愛を育む、健全な青少年のためのゲーム……なのだが、湧磨は今日、『禁忌』に手を出してしまった。


 その禁忌の名は――『全裸MOD』。


 MODとは、ユーザーによる改造データやファイルのことで、『マイプリ』はゲーム動作の観点、また倫理的な観点からそれを完全に禁止している。

 

 したがって、十八禁のMODなど禁じられているものの最たる例なのだが、ごく稀にそれがネット上に公開、もしくは高価な値段で売りに出されることがあり、湧磨は今回、それに全力で飛びついたのだった。


 初め、湧磨はそれを競り落とす気などなかった。


『モラルのないヤツもいるものだ』

 

 と、出品者に嫌悪感さえ抱いていた。しかし気づくと手が勝手に動き、商品を競り落としていたのだった。

 

 ――やっぱりマズかったか……。

 

 今になって、罪悪感がじわじわと胸を占め始める。

 

 年齢を偽って十八禁の商品を購入してしまったというのはもちろん、それ以上に、『自分は彼女の愛を裏切った』という後ろ暗さが、胸を重く苦しくさせる。

 

 眠れない。

 

 鉛のような身体を起こしてパソコンの前に座り、『マイプリ』のアイコンをクリック、さらに最新のセーブデータをクリックする。と、


『おはよう、湧磨。昨日は海へ連れて行ってくれて、ありがとう。とても楽しかったよ。』


 画面の中、教室の隣の席で、『彼女』がそのやや切れ長の目を細める。

 

 紺色のブレザー制服をきっちりと着こなし、南国の海のように真っ青で、毛先へ近づくにつれて明るい緑色になっていくその長い髪は丹念に手入れがされていて、さながら清流のように美しい。


『また……一緒に海を見たいな。そして、またあの場所で、君と……』

 

 胸のふくらみはささやか。しかし、そのスリムさこそ彼女の魅力。神秘的なエメラルド色の瞳と相まって、纏う雰囲気はまるで氷細工のような儚さ。


 そんな、まさしく現実離れしたレベルの美少女が、湧磨の『彼女』――神山泉(かみやま いずみ)だった。


「泉……」


 ――俺はなんていう悪人だ。こんなにも純粋で優しい泉に……俺は、これからっ……!


 身を焼かれるような罪悪感に頭を抱えながらしかし、湧磨の口元には押さえきれない笑みが浮かぶ。

 

 背徳の快感。画面の中で微笑む泉を見つめながら、ゾクゾクとその感覚に捕らわれていると、いつの間にか時間は七時を回っていた。

 

 ほぼ日課である『今日の泉』のスクリーンショットを急ぎ撮影して、その画像をネットで公開。親父直伝の『これさえ食っときゃ死なないうどん』を作ってそれを掻き込み、バタバタと身支度を済ませる。

 

 そして、パソコンをスリープモードにして、ブレザー制服の上着を身につけ、さて家を出ようと思った、その時だった。


「ん?」

 

 今、待機状態にさせたはずのパソコンが、触れてもいないのに勝手に起動し始めた。

 

 と思うと、なぜか勝手にメールソフトが開かれ、着信していたメールもまた勝手に開かれた。

 

 何ごとだ。マウスを握るが、なぜか操作不能。開かれたメールは空メールだったが、それには一つの画像ファイルが添付されていた。それもまたひとりでに開かれる。

 

 それは妙な画像だった。

 

 長く、太い、堅牢な石橋の上の光景である。

 

 ヨーロッパの歴史ある街に古くからあるような、美術的価値のある有名な橋のようにも見えるが、どうも現実に存在する物ではないらしい。

 

 橋の左右両端に、遙か向こうの対岸までズラリと等間隔に並べられた、高さ七、八メートルはある天使らしき巨大な石像……。このような荘厳な造りの橋が現実に存在すれば、一度くらいはテレビやネットで見たことがあるはずだ。


 しかも、それだけではない。湧磨がこの画像を作り物と判断したのは、橋の中央に、見慣れた少女の姿があったからだった。

 

 スラリとした体つきに、長く真っ直ぐな青い髪の毛。見違えるはずもないエメラルド色の瞳。そこに写っているのは、どこをどう見ても湧磨の『彼女』、神山泉だった。


 だが、泉はいつものブレザー制服ではなく、首までを覆う銀色のスクール水着のような奇妙な服を身につけている。

 

 また、冷たく見えてしまうほど整ったその顔は間違いなく泉のそれなのだが、なぜだろうか? 湧磨には、そこにいるのが泉だとはどうしても感じられなかった。


 なんの気なしにマウスを動かすと、今度はアイコンが操作通りに動く。

 

 恐る恐る画像のウィンドウを閉じ、再びパソコンをスリープモードにする。そして、また勝手に再起動しないかとしばし待ってみたが、とんとその気配はなかった。


 ――なんだ? 故障か? いや、だとして今の画像はなんだ? あんな画像、俺は作ってもいないし、保存してもいないぞ……?

 

 首を傾げながら部屋を出て、鍵を閉めたのと同時に、ゾッとする。

 

 ――まさか、俺がエロMODを買ったから泉が怒ったんじゃ……!?

 

 って、んなわけないか。……ないよな?

 

 何を俺は間抜けなことを考えているんだ。睡眠不足の頭をもそもそと掻いて、どんよりとした梅雨曇りの空の下、湧磨は学校へと向かったのだった。

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