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チーター

 ビルとビルの合間、こんな所に道があったのかという場所へと入っていったその先が待ち合わせの場所であった。


薄暗いどころか、まるで夜明け前のようにかなり暗い。そして、表通りからたった一本裏へ入っただけの所のはずなのだが、辺りの空気はトンネルの中のようにひっそりと冷たく、静かである。


湧磨がいま身を潜めているのは、そこに置かれてある小さなゴミステーションの陰である。アリシアは湧磨をここに残し、五メートルほど先に見える十字路の真ん中に立っている。裏路地の中でそこだけは少し明るく陽が入っていて、アリシアの姿は問題なく確認できる。


『そのゴミ捨て場の裏にバットがあるはずだから、それを使うんだみゅん』

「了解」


 指示通りに、置かれてあった新品らしき木製バットを手に握る。手にはじとりと汗が滲み寒いくらい涼しいはずなのに額の汗も止まらない。全く、なんでこんなことにと愚痴を呟きたくなるが、責任の一端は自分にもあるので何も言えない。


 落ち着けと自分に言い聞かせながら、時折、こちらを見るアリシアに黙って頷いて見せる。


 と、裏路地――アリシアがいるほうから、スニーカーの底を引きずるような足音が響いてきて、アリシアが十字路の左手をハッとした様子で見る。


「……来たぞ」

『そのまま待機だみゅ』

「了解」


 ゆりりんの指示を信じて頷きながら、どうやら相手が一人らしいことを足音から察して、わずかながら安堵する。一歩、二歩と後ずさりながら、ちらちらとこちらを見るアリシアに首を振る。こっちを見るな。


「どうも……」


 と、くぐもった低い声を出しながら、その男は十字路に姿を現した。


黒いジャケットに、ベージュのパンツ。背は高くも低くもなく、全体的にずんぐりとし体型である。顔は陰になっていて見にくいが、前髪を中分けにしているその雰囲気などから、どうやら年齢は三十歳付近と思われる。つまるところ、なんの変哲もないオッサンであった。


 一目で裏社会の人間と解るような強面の男か、その場のノリだけで生きているヤンキー集団が来る可能性もある。一応そこまで覚悟していた湧磨にとって、なんの変哲もないどころか、むしろ冴えない部類に入るその男の登場は拍子抜けだった。


 ――あんなのがチートプログラムを作ったヤツなのか。アルテの生みの親なのか。俺の泉をパクった奴なのか。あんなのが……。


『もうすぐ、アリシアが先に立ってそっちに歩いてくるはずだみゅん』


 ゆりりんが言う。


『だから清里くんは、アリシアが横を通り抜けたらすぐに飛び出して、チーターとの間に入るんだみゅ』

「で、その後は?」

『大丈夫。ゆりりんに任せて、清里くんはとりあえず目の前の仕事に集中みゅん』

「……ああ、解った」


 信じてるぞ、ゆりりん。と、湧磨が返事をするのにちょうど声を被せてくれるように、チーターはアリシアに顔を寄せて興奮気味に話しかけていた。


「君がアリーローズの中の人? な、なんていうか……ほとんどそのままでビックリしたよ。まさか本当にこんな可愛い子だったなんて……。君、マジで高校生だよね?」

「ええ、も、もちろんそうですわよ。じゃあ、その……急にというのもなんですから、ちょっと喫茶店にでも入って、お話しでもいたしません?」

「も、もちろん。お金はボクが出すから、どこでも君の行きたい所に行こうよ。でも、特にないならボクの行きつけの店でもいいよ。そこ、コーヒーが美味しいって評判の――」

「い、いえ、大変興味はありますが、わたくしにもわたくしの行きつけの店がありますの。今日は、そこへ行かせていただきたいですわ」

「そ、そうなんだ。うん、いいよ。君の行きつけの店、ボクも行ってみたいし……ふふ」


 下心丸見えな男の笑みに、頬が痙攣したような表情を返しつつも、アリシアは予定通りにこちらへ歩いてくる。その直前に湧磨は陰にしっかりと身を隠し、二人の足音に神経を研ぎ澄ます。そして、アリシアが横を通り過ぎた直後、


「止まれ」


 自分でも驚くような的確なタイミングで、かつ冷静にチーターの前に立っていた。


 チーターはギョッと目を剥きながら立ち止まる。だが、こちらが構えているバットと、湧磨の背に身を隠したアリシアを見て、すぐに状況を理解したらしい。見る見るうちにその顔を紅潮させ、怒りに目を吊り上げて湧磨を睨んだ。


「テメエ、見たことあると思ったら、あのクソウィルス動画の……!」

「え? あ……」


 まさか、その話がいま出てくるとは思わなかった。『ウィルス動画』。その言葉にギクリと湧磨は目を逸らすが、湧磨という盾を得たアリシアは生き返ったように偉そうな調子で、


「ご愁傷様ですわね。けれど、全てはとんでもないおバカさんのあなたが悪いんですのよ。まあ、わたくしのような美少女を前にして、つい油断してしまうのは当然ですけれどね」

『清里くん、これからそいつにチートプログラムを使ってるかどうか訊くみゅん。大丈夫。ゆりりんの言った通りの言葉を繰り返すだけみゅん』


ゆりりんが冷静な指示を飛ばしてくる。訊いて正直に教えてくれるのか甚だ疑問だが、ウィルスの件とアリシアの挑発のせいで怒りが最高潮に達しているらしい大人の男と向き合っているこの状況では、もはや流れに身を任せるしかない。


 ゆりりんが言い、湧磨はそれを追う。


「おい、お前、チートプログラムを使ってるだろ?」

「はぁ? なんのことだよ。使ってねえよ、そんなもん」

「あんな露骨なことやっておいて、言い逃れできると思うなよ。相手が初心者だと思って好き勝手にやったんだろうが、お前があの戦い(オークシヨン)で使った魔法とスキル、合計いくらになると思ってるんだ」

「し、知るかよ、そんなこと……」

「『MG3』に二億七千万。『アイスソード』、七千七百万。『ギガボルト』、一億六千四百万。『ジャンプ』、二千九百八十万。『サーモグラフィ』、三千二百万。そして『ギガフレイム』、一億六千四百万。計七億三千六百八十万円。

 ついでに、ステータスアップに費やしたと思われる金額の合計がおよそ六億円弱。

 それに、まだある。ログに残っていた三つ前までの戦い(オークシヨン)……これも全部、『商品』が女性だったことは置いておくとして、そこでお前が使った魔法、スキルの合計金額は約二十五億円。つまり、全部ひっくるめて大体、三十八億円だ。三十八億……。

 これはちょっと、Dランカーにしてはあまりにも豪勢過ぎるカネの使い方じゃないか?」


 と、ここでゆりりんは言葉を切ったのだが、これではまだ言い足りない。湧磨は勢いに乗って一人で続ける。


「それに、お前、俺の泉からデザインをパクりやがっただろ。『知らない』なんて言って通じると思うなよ。元データは俺のパソコンにあるんだ。しらばっくれても()――」

「わ、悪かった」

「――駄……は?」


 悪かった? 意外にもあっさりと認められて、湧磨はまたしても拍子抜けさせられる。チーターは先ほどまでの憤怒の形相はどこへやら、今にも逃げ出しそうに狼狽しながら、


「あ、ああ、そうだ。俺はチートをしていた。それは認めるし、約束する。もう二度とチートなんて使わない。だ、だから、今回は見逃してくれ」


 と懇願してくる。呆気に取られ、湧磨は戸惑う。そして、頭の中で声が囁く。『こんな奴が……』。


「行きますわよ、湧磨」


 と、アリシアが湧磨の手首を掴んだ。


「言いたいことは山ほどありますけれど……謝っている人間を責めることはわたくしの性に合いませんわ。ですから、今はとりあえずこの言葉を信じてさし上げることにいたしましょう」


とにかく一刻も早く、この男を視界から排除したい。そう思っているように、アリシアは湧磨を引きずるようにして通りのほうへ歩き出す。と、チーターが慌てたように口を開いた。


「ちょ、ちょっと待ってくれ、キスは……!? 頼む、もうチートは使わないから、その代わりキスだけは――」


ピタリとアリシアが足を止め、踵を返し、湧磨をその場に残してチーターへと詰め寄る。その前に立ち、右足をわずかに前に出してマネキンのようなポーズを取り、


「靴にならば、いくらでもさせてあげますわ。さあ、ほら、どうぞご自由に」

「お、おい、アリシア――」

「くっ……このクソガキが! お、おお、俺を舐めんじゃねえぞっ!」


 チーターは再びその顔をカッと紅潮させる。そして、肩に提げていた黒いバッグから折りたたみのナイフを取り出し、その刃をアリシアへ向けた。このような危険を全く考えていなかったのか、アリシアは凍りついたように硬直する。チーターはそんなアリシアを見てニヤリと笑いながら湧磨を見やり、


「う、動くんじゃねえぞ……。動いたら、コイツを刺すからな」


 と釘を刺して、じりじりとアリシアへ接近する。


「なあ、キス……させろよ。お、俺は、ちゃんと戦い(オークシヨン)で勝ったんだからな……」

「勝った、ですって? チートを使った勝利に、なんの価値があると仰いますの?」


 アリシアは言い返すが、その声は明らかに上ずっていた。アリシアの恐怖を味わって楽しむようにチーターは笑みを深め、


「だとしても、俺の勝利をエクスマキナは認めてるんだ。俺には『商品』を受け取る権利がある。それに、俺がルール違反をしてるからなんだってんだ? 嘘出品をしたお前らだって、俺と同じ違反者じゃねえか。しかも、戦い(オークシヨン)でクソみたいなウィルスを使いやがって……!」


 ――こんな奴が……。


 チーターの言葉は、既にほとんど湧磨の耳に入っていなかった。


くだらない。なんてくだらない奴なんだ。こんな奴から、あの純粋で美しい少女――アルテは作られたのか? アルテはこんな奴を『マスター』と呼んでいるのか? こんな奴の欲望を満たすために、アルテは戦わされているのか?


 ビルの隙間を抜けていく風で冷やされていた頬が、急激に熱くなった。胸に澱んでいた感情が一気に吹き出したように思考が飛び、湧磨は気づくと男へと歩み出していた。


「テメエ! う、動くなって言ってんだろうが!」

「どけ、アリシア」


 こちらへ向けたナイフを小刻みに震わせるチーターを睨みながら、湧磨はアリシアの肩を掴んで自らの後ろへ下がらせる。


 チーターはよろめくように退きながら、


「な、何カッコつけてんだよ……。お前から先にぶっ殺すぞ!」

「ああ、やれるならやれよ」


 湧磨はチーターへと向かって歩き続ける。チーターはバケツを蹴飛ばして危うく転びそうになりながら後退し、


「く、来るんじゃねえ! マ、マジで殺されてえのかよっ!」

「うるせえ! やるならさっさと来いって言ってんだろうが!」


 景色が赤く見えそうなほど血が沸騰している。怒りが頭を突き抜けている。


 これまでの人生で感じたこともない怒りに駆られるまま、湧磨は震える刃の切っ先へ向かって歩き続け、それを素手で掴もうとした。が、その直前だった。


 ごん。


 鈍い音が、ビルの壁に反響して響き渡った。そして、チーターはぐらりとその場に崩れ落ちた。


「…………」


 チーターの頭に直撃し、今はその頭の横で転がっている500mlペットボトルを、湧磨は唖然と見下ろす。気のせいでなければ、これはいま上から降ってきたような気がする。そう真上を仰ぎ見ると、


『おーい、二人とも大丈夫みゅん~?』


 高さ二十メートルほどのビルの屋上から、こちらへ手を振っているらしい腕が見えた。


「もしかして……ゆりりんか?」

『清里くん、キミってもしかして、けっこう頭に血が上りやすいタイプみゅん?』


 と、こちらの問いに答えず言うゆりりんに、声を訊いていなくても状況を理解したらしいアリシアが上を向いて怒鳴る。


「もう、ゆりりん、あなたという人はっ! 来ているなら、もっと早く助けなさい!」

『だ、だって、これは最終手段、スゴく一か八かの手だったんだみゅん。もし間違ってアリシアの頭に当てちゃったら大変だと思って……』

「つまり、俺の頭なら当ててもいいと思ったってことか」

『は、はい、任務はこれで無事達成みゅん! バイバイみゅーん。またエクスマキナでね~』


 プツッ。


 一方的に通話が切られ、屋上から出ていた細い腕がスッと引っ込む。下で待ち伏せをして正体を突き止めてやろうか……とも思ったが、表通りに面した店の出口から出て来られたらどうしようもないと諦める。それに、なんだか酷く疲れてしまった。


 今日はもう、さっさと帰ろう。湧磨はチーターが息をしていることを一応、確かめてから、


「行こう」


 嘆息をして、裏路地を後にした。


 疲れたのはアリシアも同じらしく、どこかへ寄っていこうなどとは一言も言わなかった。二人黙って電車へ乗り、帰路に就く。


 下りであっても、土曜日の電車内はかなり混んでいた。満員電車のような車内で、ちょうど上手く座席に座れたアリシアの前に立ちながら、梅雨時の鉛色の風景をぼんやりと眺める。


 鈍く光る刃の切っ先。こちらを睨みつける怒りの形相。耳に残る、まるで他人のような自分の声……。


 夢を振り返るようにそれらを思い出しながら、不思議に思う。自分はなぜ、あんなにも怒ったのだろうか?


「湧磨」


 ようやく車内が少し空き始めた頃、ふとアリシアに名を呼ばれた。窓から目を下ろすと、アリシアは金糸のようなその髪からわずかに見える耳を朱くしながら、


「その……ありがとう。先ほどは大変助かりましたわ」

「あ、ああ……」

「けれど、もうあんなことはしてはいけませんわよ。自分を犠牲にして人を守ろうとするなんて……そのようなこと、わたくしは嬉しいとは思いませんわ。感謝はいたしますけれど……自分の代わりにあなたが傷つくなんて、そんなのはイヤですわ。自分の軽率さがその原因なら、尚のこと……」


膝の上に置いたバッグの持ち手をぎゅっと握り締め、アリシアは俯く。


そうだな、と曖昧に返事をして、湧磨は再び窓の外へ視線を漂わせる。


 アリシアのため……だろうか? アリシアが危険な目に晒されて、それで俺は怒ったのだろうか? ああ、それはきっとあるだろう。俺はアリシアが傷つく所なんて見たくもないから、アリシアを傷つけようとする奴がいたなら、俺は当然、怒るだろう。


 でも、それだけじゃない。あの時の自分を衝き動かした、もっと大きな何かが他にある。そこまで考えて、湧磨はなぜか今まで頭から除外してしまっていた存在を思い出す。


 アルテ――俺はアルテのために怒ったのか?


 そうだ。確かに、あの時、俺が頭に思い浮かべていたのはアルテのことだった。アルテはこんな奴にいいように使われているのか。そうムカムカしていた。


 でも俺は、自分で自分の命を捨てるようなマネをした理由がアルテであったと、すぐには気づくことができなかった。理由は単純だ、アルテは人ではないからだ。


アルテは人じゃない。戦闘用のチートプログラムだ。身も心も全て作り物の、データ上の人形だ。


 そう思っていたから、自分がアルテのために怒ったなんて考えもしなかった。


 だが、改めて思い返せば俺はあの時、間違いなくアルテのことを思っていた。泉を自分の大切な『彼女』と思っているように、アルテをアルテという一人の少女と考え、それで彼女を道具のように扱うチーターを許すことができず、俺は怒ったのだ。


――あれ? もしかして、俺はアルテのことが……。


自分でも気づいていなかった感情の芽に驚きながら電車を降り、駅を出る。


「で、では、わたくしはあちらですので。今日はこれで……」

「ああ、じゃあ……」

「ふふっ」


 と、なぜか妙に機嫌よさげに微笑んで、アリシアはこちらへ背を向けて商店街があるほうへと歩き出す。やや雨がぱらつき始めた空の下、深紅色の折り畳み傘を開いて離れていくその背中を見送って、だが自転車に乗った男性が背後から過ぎ去っていった瞬間、これではダメだと気づいてアリシアを追いかけた。


「待て、アリシア」


 頭の上にハテナマークを浮かべたような顔で立ち止まったアリシアに、


「念のために、俺が家まで送る。もしかしたら、アイツが待ち伏せしてるかもしれないし……」

「へっ? い、いえ、わざわざそのような……だ、大丈夫ですわよ。心配のしすぎですわ」

「いや、でも万が一、アイツが車で先回りしてお前の家にしてたら――」

「大丈夫だと言っているでしょう! この変態!」


 周囲を歩いていた人が一斉に振り向くほどの声で怒鳴り、アリシアは顔を真っ赤にして逃げるように走り出す。湧磨はギロリとこちらを向く周囲の視線に晒されながら、


「ちょ、ちょっと待て、アリシア! 俺はただ……!」

「解っていますわ! 解っていますけど、ご機嫌ようですわ~っ!」


それなら、なぜ逃げる? 一目散に駆け去っていくアリシアをポカンと眺めていると、雨がしとしとと本格的に降り始めた。


 逃げられても、それでも念のためについていったほうがいいのだろうかとも思ったが、あそこまで嫌がっている少女の後をつけるのは気が退ける。帰ろう。風邪を引きたくはない。湧磨はアリシアに背を向け、近所のコンビニで傘を買って帰ることにした。

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