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勇者様 ビフォー/アフター  作者: 多居志織
一章 私も昔はJK勇者だった/アフター
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第七節 静かに芽吹く黒い種

 朝日を浴びながらマオは走っていた。ハンスの露草亭は昨夜も滞りなく営業したはずだから、今日も今日とて仕入れがある。露草亭は繁盛しているだけあって、看板娘のレーナだけでは到底運びきれない量を毎朝市場から仕入れるのだ。

 昨日は仕込みの前に早退させられたが、今朝はどうすればいいかミツキから指示はない。結局、ミツキはライナスに掛け布を渡して以来顔を出すことはなかった。だから、マオは今朝もいつもと同じ時間に出勤することにして家を飛び出したのだ。

 常と違ったのは、朝早くに起き出したマオにつられて目覚めたライナスが朝食を作ってくれたくらいで。昨日のシチューの残りだけれど、冷たいパンを水で流し込んでいた以前と比べれば天と地ほどの差がある。不覚にも朝一番からまた泣きそうになった。

 懐かしい味、と言えばいいのだろうか。マオの記憶にあるどんな料理とも似ていないのに、あたたかな味わいに頭の奥がやわやわと触れられるような奇妙な感覚を覚えた。失った記憶が蘇りそうな気さえしたが、残念ながらそううまくはいかなかった。

 マオやミツキが作ったような、とにかくまずいとしか言いようのない、料理とは到底言えないようなものとはまったく違う。けれど、ハンスのうまい料理とも方向性が真逆だった。

 ライナスはああいうものを食べて育ってきたのだろうか、と思うと少し羨ましいような気がする。ライナスの家には当たり前のように親がいて、昨日彼がしたように、母親が夕食を作って待っているんだろうか。

 マオにはその当たり前がない。母親は知らないし、父親だってわからない。

 目覚めて初めて見たのがミツキだった。けれど、ミツキは母親ではない。口うるさく命令するばかりで、ときどき腹を壊すような料理しか作れない女だ。あれを母親だなんて言えば、世の中の母親はすべからく女神になるだろう。

 記憶を取り戻せば、女神のうちのひとりはきっと思い出せる。それに今日も帰宅したらライナスの料理が食べられると思えば、マオの気分が跳ねた。

 まだ一日が始まったばかりだと言うのに、もう夕食のことを考えながらマオは石畳を駆ける。ようやく白銅(はくどう)区の繁華街の入り口が見えたところで、そこに常より人が多く出ていることに気付いた。

 いつもなら、仕入れだなんだとみんな忙しく働いている時間だ。それなのに今日は店主たちが揃いも揃って店の前で顔を突き合わせて何事か話している。

 そこに爽やかな朝の空気はなく。ときおり周囲を気にしながら話し込む様は、奇妙としか言いようがなかった。

 足を緩めて近づくと、その足音に過敏に反応した店主たちのぎょっとしたような目が向けられる。けれど、それもハンスのところに出入りしているマオだと認められれば、全員がほっとしたように視線を逸らした。そうしてまた深刻な表情で話し込む。

 店はいいのかと不審に思いながらそれぞれの店を覗くと、飲食店以外のいくつかの店では店員たちが慌ただしくしていた。店主たちがどういう状況か知らないが、営業はするらしい。

 人の間を縫って露草亭へと急げば、ハンスも例に漏れず外に出て話し込んでいた。常日頃から厳ついハンスの横顔が、いつにもまして険しい。どこぞの山賊の親分だと言われてもおかしくないほど眼光を鋭くして、向かいの雑貨屋の老店主に何事か話している。

 それにしても、ハンスのあんな顔を見てあの老店主もよく平気でいられるものだ。初見の相手ならとても耐えきれずに聖騎士に通報している。

 怖い顔のハンスの雰囲気に、とてもマオが割って入っていける隙間はない。どうせ話し合いが終わったらこちらにも教えてくれるだろうと踏んで、マオは露草亭へと足を向けた。

 表玄関の扉にはまった硝子(ガラス)越しに中を覗けば、カウンターの向こうで洗い物をしているレーナが見えた。左肩の当たりで緩く結われた濃い茶髪に、赤い髪飾りがよく映えている。けれど、その顔色はよくなかった。


「はよ」


 戸を開けながら言うと、こちらに気付いたレーナの顔にぱっと笑顔が咲く。けれど、脊髄反射で浮かんだその接客用の笑顔はマオを認めた途端に枯れた。


「なぁんだ、マオか。おはよう」


 そうして、やっぱりレーナは浮かない顔をして手元に目を落とした。これも平時ならそのままレーナが他愛のない話を振って来るが、今日はそういうこともない。

 外のハンスや繁華街の様子といい、レーナといい、今朝はどうもおかしなことばかりだ。


「なんかあったのか?」

「知らないの?」


 知らないから訊いたのだ、とつい生意気な言葉が口を突いて出そうになるのを、すんでのところで飲み下す。なぜだかレーナにはそういう口を利きたくない。

 カウンターの傍へ寄って行くと、彼女は洗い終えた食器を亜麻布(リネン)で拭き始めた。店も開いていないうちの洗い物なので、おそらくレーナとハンスの朝食の後片づけだろう。


「教えてあげるから手伝って」


 そう言って、レーナはマオにも亜麻布を一枚投げて寄越したので、そのまま並んで皿拭きの手伝いになった。

 マオと歳も変わらないのに、ハンスの手伝いで毎晩店で働いているせいか、彼女はそういうところはちゃっかりしている。


「あのね、殺しがあったみたいなの」


 恐れている様子を見せない気丈な声で言いながらも、レーナの深い緑色の瞳が不安そうに揺れているのをマオは見逃さなかった。


「どこで」

「白銅門の近く」


 マオたちの住む白銅区から城壁の外へと通じる大門を白銅門という。

 白銅門の外は地元の人間が使う道と広大な農地が続いているのみで、特筆すべきものはなにもない。


「獣じゃねぇのか。たまにあるんだろ?」


 近郊の森や山の熊か猪が城壁の近くまで来ることは滅多にないが、ゼロというわけでもない。数年に一度目撃されるか、最悪、住人が襲われたという話もある。


「遺体は門の内側にあったらしいから、たぶん違うと思う。それに昨日の夜、門を閉めたときにはなかったんだって」


 陽が完全に落ちる直前、聖都中の門が一斉に閉められる。一度閉門されれば、南の紺碧門を除いて、どの門も朝まで開かれることはない。紺碧門以外は門番すら置いていない。


「だから、昨日の夜から朝にかけてやられたんじゃないかって、お父さんたち言ってたの。それに、犯人が逃げないように紺碧門ですら開いてないのよ。外の農地から食材が入って来れないから、朝市も開けないでしょう? それでみんな困って話し合ってるの」

「あー、それでハンスの親父さん、あんな顔してたのか」


 殺人犯と間違えられても文句の言えない顔だった。


「そうね。今日はいっそう怖い顔をしてた」


 言いながら、レーナは父親の顔を思い出したのか軽く笑う。


「食材が揃わないから、今日はうちはお休みかなぁ」

「心配しなくても、昼にはなんとかなるだろ」


 聖都で殺人なんて、熊が出るよりも珍しい。滅多にないどころか、マオが聖都に住んでから傷害事件の一件も聞いたことがなかった。

 いくら人の出入りの多い聖都でも、その大半がイリシア教徒だ。傷害、まして殺人まで犯したとなると、約束される来世がどうなるかは口に出さずともわかる。イリシア教徒はそれを恐れているからこそ、無暗に手を上げることはない。


「白銅区に迷い込んだ異教徒の観光客同士が揉めたはずみで、ってとこじゃねぇか。聖騎士のやつらが紺碧区の宿屋を当たったらすぐ終わるだろうし、市場もそのうち開くだろ」

「それがね、なんだか聖騎士さんたちの様子もおかしくって」


 今朝方、どの大門も開けないと聖騎士が数人説明に来たという。常に身につけているはずの銀鼠(ぎんねず)色の鎧もなく、事情を早口にまくし立てるすぐにどこかへ行ってしまったらしい。


「あんな慌てた聖騎士さんたち、初めて見たわ」


 態度も言葉遣いも聖騎士士官学校で叩き込まれるきちんとしたものではなく、しかも兜で隠されていない頭には寝癖を付けたままのものもいたという。

 あまりに異様な聖騎士の訪れと殺人の知らせに、ハンスや他の店主たちはあんな深刻な顔をしていたんだろう。


「そういうわけだから、せっかく出てきてもらって悪いけど、今日はもう帰っていいよ」


 拭き終った食器を棚に戻しながらレーナが言う。


「なあ、俺、今日ここに居ようか?」

「なんで? 仕事もないから暇だよ?」

「こんな状況じゃ、レーナも学校ないだろ」

「まあ、そうだけど」


 休校の御触れは少し前に来た。


「こういうときって、そばに男がいたほうがいいんじゃねぇか」


 殺人犯が聖都のどこかに潜んでいるのに、不安がないわけがない。現にレーナもマオが店に入って来る前は、沈んでいるような面持ちをしていた。


「あのねぇ、うちにはあの顔のお父さんがいるのよ。それに昼間の目立つうちに何か起こると思う?」

「そうだけど、ハンスの親父さん、表から戻ってこねぇし」


 少しでもレーナを安心させてやりたいし、役に立ちたい。その思いで言葉を重ねてみるが、婉曲している分、彼女には伝わらなかったらしい。


「そのうち戻って来るわよ。それに、それを言うならミツキさんだって、ひとりなんじゃないの」

「あのバ……、ミツキならやられる前にねじ伏せる」


 うっかり汚い言葉が出そうになったのを、無理矢理言い直して誤魔化す。


「それにひとりじゃねぇし。新しい弟子ができたんだ」

「あら、やっとマオ以外にもお弟子さんを受け入れたの。今度連れて来てよ」

「……そのうち」


 そう言われて、けれどマオは彼女にライナスを引き会わせたくないと思った。

 ライナスは顔が良いからレーナにも気に入られるんだろう。そう考えてしまうと、もうどうしようもなく気にくわなかった。できることならふたりを一生会わせたくない。


「そう言えば昨日の」


 あの同級生とかいう男は誰だったのか。それを問おうとして、けれどマオは言葉に詰まる。ミツキみたいに口うるさくして嫌われないかと思うと、この先が出てこない。

 そもそも、胸の奥からもやもやと湧き立つ苛立ちに突き動かされているだけで、レーナを心配しているわけではないのだから余計に質が悪い。


「なに?」

「……なんでもねぇ」

「そう。じゃあ、マオのことはわたしからお父さんに言っておくから、また明日よろしくね」


 二の句が継げないうちにレーナの声に押し出される形で、マオは店を出た。

 もう少し食い下がっておくべきかと後悔しても、一度閉ざされた表玄関の戸を開けるのはなんとなく気恥ずかしい。それに、レーナは帰れと言って引かないだろう。頑固なところは父親譲りだ。

 また硝子越しに中を見たが、食器を片づけに奥に行ったらしくレーナの姿はなかった。それで、マオは仕方なくまだ異様な雰囲気のままの表通りを抜けて歩いて帰ることにした。

 聖騎士が走り回っているのだから、当然ミツキのところにももう知らせが届いているはずだ。わざわざマオが走って知らせる必要もない。

 かと言って、このまますごすごと家に帰るのも面白くなかった。せっかく朝の重労働が休みになったのだから、少しくらい町中をぶらついてみるのもいいかもしれない。

 いつもなら汗を流しながら市場と露草亭を何度も往復している時間だ。休みなら休みで稽古で忙しい。見たことのない聖都の朝の空気を求めて、マオはゆるゆるとした足取りで散歩を始めることにした。

 けれど、残念なことに例の殺人のせいで店屋が連なる通りはどこも繁華街と同じような有様だったし、市場は品物も人もなくがらんとしていた。

 それでも住宅地の方へ行くと、朝支度の音が聞こえる程度で、わざわざ道に出て深刻な顔をしているものは少ない。学校はどこも休みになったらしく、子どもたちが表や庭に出て遊ぶのを暇を持て余した祖父母が微笑ましく見守っている。

 ――あれが、普通の家族。

 ああいう時期がマオ自身にもあったのかと想像してみるけれど、見守る祖父母の顔はどうしても思い浮かばなくて黒塗りのままだ。さっきの老人たちから複製したような微笑みだけが、その黒塗りの顔に張り付いている。

 何を見ても、何も思い出せない。

 それを歯痒く思いながら、マオは住宅街を少しだけ足を速めて抜け出た。


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