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勇者様 ビフォー/アフター  作者: 多居志織
一章 私も昔はJK勇者だった/アフター
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第四節 狡猾な弟子は弟弟子を求める

 時間は少し遡る。

 頭の上からつま先までぐっしょり濡れ鼠になって露草亭を後にしたマオは、本当の鼠のように警戒しながら裏路地を駆けていた。石畳の上に落とした水滴が、彼を追うように細く点々と後に続いている。

 裏口から出てきた老人が走って来るマオを見てぎょっと目を丸くしたかと思うと、すぐに嬉しそうな笑みを浮かべて声をかけようとした。けれど、マオは老人の姿を認めると、間髪入れずに足を速めて声を掛けられる前に角を曲がった。

 この国の連中のことだ。呼び声に足を止めたが最後、やれ風呂を貸してやるだの、乾いた服をやるだの、せめて手拭いだけでも持っていけだのと余計なお節介を焼きたがる。それが嫌で、マオはとにかく自宅まで走っていた。

 マオはイリシア教徒ではない。言葉以外の記憶と常識を失くした彼は、宗教というものがまだよく理解できていないということもある。ただ、理解できないなりにも、他人の来世の糧にされるのは嫌だと思った。

 人が困っているところへ嬉しそうにしながら手を差し伸べてくる連中に、妙な気持ち悪さを覚えて仕方ない。そんな信者たちの親切を受け取るのは、自分が食い物にされているような気がしてどうしても我慢ならなかった。

 別に親切の押し売りをやめろとは言わないが、それをマオ自身が甘んじて受け取らないのもまた彼の自由だ。だから彼は特に人目につかない裏路地を選んで走り続けた。

 それに、今日はやたらと胸のあたりがムカムカして、やりきれないようなおかしな気持ちを持て余している。話しかけられたら誰であろうが生意気すぎる口で威嚇を浴びせてしまいそうだった。

 町の人間と問題を起こすなとミツキに耳にタコができるほど言われてうんざりしているので、それだけはどうしても避けたい。

 人を避けながらやっと家のそばまで来ると、少しだけ気が緩んだ。白銅(はくどう)区の住宅地の端の端、家のすぐ隣は広い道を挟んで城壁になる。道幅は広いが、大通りや市場から離れているので人通りは少ない。もし他人から風呂や服を勧められたとしても、自宅が目の前にあるのだから断るのも楽だ。

 重労働の後の全力疾走で上がった息を整えて、マオは玄関へと小走りに駆けよろうとして――。


「うわっ!?」

「アガッ」


 すでに玄関以外が見えていなかったために、横から飛び込んできた誰かと衝突してしまった。運の悪いことに、ぶつかった相手に頭を打ち付けて石畳に放り出される。


「いってぇな! どこ見てんだ!!」


 自分のことは棚に上げて容赦なく怒鳴りつけると、目の端で薄い紫色が揺れた。


「す、すみません……」


 消え入るような弱弱しい声で謝られて、顔を上げると藤紫の髪の奥にもうひとつ濃い紫紺の双眸が見えた。それが怯えたように揺れている。

 マオの頭がちょうど口と鼻のあたりに直撃したらしい。マオと同じかひとつふたつ下くらいの年ごろの少年が、その痛みと怖さのあまりに震えるさまを見て、さらに苛立ちが募った。

 どう見てもマオより弱そうな人間で、さらに怒鳴れば泣いて逃げるなり、石畳に額をこすりつけて謝るなりするだろう。そうすれば、きっとこの痛みと苛立ちの溜飲も下げられる。


「おまっ……、ぐっ」


 けれど、マオはそれをせずに無理矢理に言葉を飲み込んだ。

 町の人間と問題を起こすな。叩き込まれたそれが彼の頭の中をぐるぐると巡って、歯止めをかける。


「気ィつけろ」


 聖都は広く、住人の数も多いのでこの少年がどこの誰だかは知らない。汚れた顔や服から、富裕層の住む白藤(しらふじ)区の人間ではないだろう。紺碧(こんぺき)区を挟んだ向こう側、白銅区と同じような庶民ばかりが住む月白(げっぱく)区の人間かもしれない。

 白銅区も月白区も、広い上に煩雑に入り組んだ町だ。うっかり迷い込むと他区の人間は迷いかねない。

 ――イヤな予感がする。

 そう直感してさっと腰を上げたところで、少年の声がマオを呼び止めた。


「すみません、あの……」

「……」


 思わず舌打ちしてしまいそうになったのを、すんでのところで止めたのを褒めてもらいたい、と思ったが同時にミツキにだけは褒められたくないと思い直した。


「んだよ」


 ぶっきらぼうに答えて少年を見れば、彼はまだ座り込んで口元に手を当てたまま、ヒッと小さく声をもらした。

 自分の吊り上がった目が誤解を招くのは重々承知している。しかし、言葉で訂正するつもりも謝るつもりもない。


「用がねぇなら俺は行くぞ」

「あ、あああ、す、すみません、あります!」


 可哀想なくらい弱腰の少年は立ち上がるとマオの前までふらふらと歩み寄った。

 座ったままだとわからなかったが、隣に並ぶと少年はマオより背が高い。ちょうどマオの頭が彼の鼻の辺りにくるくらいだ。

 彼のすらっと伸びた体躯と、鼻筋の通った優男風の顔立ちに少しだけ苛立って、もう一度頭突いてやろうかという思いがわき上がったが、それもなんとか押さえつけた。

 ――鋼の精神、はがねの、精神……できてる。俺、えらい。

 やけくそ気味に心の中で自画自賛して、改めて少年の目を見上げる。


「道に迷ったんなら、俺より隣んちのガキに聞けよ。大聖堂まで連れてってもらえりゃなんとかなるだろ」

「違います。僕は観光客じゃなくて」

「月白の人間だろ? わかってるって」


 おおかた城壁外の農地か放牧地の仕事のあとで気分転換に帰り道を変えて迷った間抜けだろう。そう決めつけて、マオは面倒くさそうにひらひらと手を振った。


「そうじゃなくて……」

「あのさぁ、見ての通り、俺も早く家に帰りたいんだ。だから、俺のシンセツはここまで」


 走ってある程度水気を落としたが、それでもマオの服はまだ濡れ鼠と言って過言ではない。少年の言葉を強引に切って背中を向けると、しょげたような少年の気配がわずかに離れた。

 マオにしてみれば、ずいぶんと他人に親切にしたほうだ。鼻を明かすつもりでミツキに報告すれば、彼女は確実に目を白黒させるだろう。――そしてマオを褒める。だから言わない。

 ミツキが目を白黒させるのを想像したことで気を取り直したマオは、足取りも軽く自宅の玄関の鍵穴へ鍵を差し込んだ。


「ちょ、ちょっと、待ってください!」


 ところが戸を開ける前に彼の背中に切羽詰まった声が飛んでくる。振り向くと、さっき離れたとばかり思っていた少年が慌てた様子で玄関の傍までやってきていた。


「この家って、勇者様のご自宅ですよね?」

「あー……、そうだけど」


 心底面倒臭いと隠すことなく表情に載せて応えたが、マオとは反対に少年は紫紺の瞳をきらめかせた。

 勇者の住んでいる家を見たい。あわよくば会ってみたい、と思っている人間は一定数いる。三年前、マオとミツキがこの家に越してきたときは毎日のようにそういった連中が遠くからも訪れてきた。今年に入ってやっと落ち着いたかと思いきや、やはり絶えることはないらしい。

 日頃からババアだのミツキだのと呼び捨てにしているので、彼女が勇者だという事実はマオには薄くしか感じられない。むしろ、あの飲んだくれで人使いの粗い女のどこが勇者なのだろうか。選んだ奴の責任を問いたい。


「なんであなたが鍵を持ってるんですか!?」

「……、……アンタに関係ねぇだろ」


 どう答えるべきかマオは一瞬だけ逡巡して、この少年をすっぱり切り捨てることにした。


「勇者サマは留守で、いつ帰って来るかもわかんねぇし、また明日出直しな」

「そんな! 僕、エスファランから一年かけて来たんですよ。宿に泊まるお金だってもうなくて」

「アンタさぁ、宿に泊まる金がねぇって、そもそもここに来たあとはどうするつもりだったんだ」


 勇者を頼りにして泊めてもらうつもりだったのか、あるいは金の無心でもするつもりか、と言外に非難するが、少年は悪びれる様子もなく続けた。


「弟子にしてもらおうと思って来ました」

「は……?」


 勇者の弟子。ミツキに面倒事を押し付けられたり、はたまた酒場で従業員の真似事をさせられ、挙句に稼いだ金を勝手に酒に変えられる哀れな存在のことか。

 そもそも記憶がない状態でミツキに拾われたのがマオの運の尽きだった。それにつけこんだあの女にこき使われて、しかもそれを良しとせざるを得ないのがどんなに腹立たしいか。

 思い出すだけでマオの額に青筋が浮かぶ。


「お前、正気か?」

「正気も何も大真面目ですよ! そうじゃなかったら国を出て一年も旅したりしません」


 少年が出てきたというエスファラン自治領は確か、イリシア共和国からかなり東に行ったところだったとマオはミツキの講義で聞いたのを思い出す。何事もなく来れたのなら徒歩で半年くらい。乗合馬車を使えばもっと早いはずだが。


「一年かかったって、どこで道草食ってたんだ?」

「路銀がなくなるたびに働いてたんですよ。常識でしょ?」


 言われて、マオは少年の頭からつま先までをざっと見ながら、どんな店ならこんなどんくさそうな、身長と顔だけの男を雇うんだろうと首を傾げた。ある程度筋肉はあるようだが、マオのように小麦粉の大袋を担いで何往復もできるような外見じゃない。


「働いてた? どこで?」

「いろいろですよ。宿屋の馬屋番とか、酒場の給仕とか。お屋敷で下男の仕事をしたこともあります。とにかく、探せばそれなりに働くところはありましたから」


 だから、半年余分にかかった。

 途中で諦めもせずに、ひたすら勇者の弟子になることを目指してここまで。

 ――そんなにいいもんじゃねぇぞ。

 彼の根気と情熱にマオは感心しつつも、半分は呆れながらにもう一度少年の顔を仰ぎ見る。


「あっ」


 その瞬間、マオの頭にひとつのことが浮かんだ。

 馬屋番をやったなら、汚れる仕事もできるということだ。酒場の給仕をやったなら多少なりとも仕込みを手伝わされただろう。それにどこぞのお屋敷の下男ならたいていの雑事はこなしてきたはずだ。


「……なるほど。アンタこき使われ慣れてるな」

「はい?」


 にやにやと人の悪い笑みを浮かべながら、マオは逃がさないとばかりに少年の手を取った。


「勇者の弟子になりたいんだろ?」

「そうですけど」


 少年はやや不安げな顔をしたが、マオには知ったことじゃない。そのまま家の戸を開けて、彼を引っ張り込んで続けた。


「よっし、今日からアンタは俺の弟弟子だ。兄弟子である俺の言うことをよく聞けよ!」

「は、はいぃ?」

「ハハハハハ! これであのババアの横暴から解放される!」


 ミツキから命令される面倒事も、はたまた露草亭での労働も、すべてこの弟弟子に押し付けられる。そう思うと、困惑する少年を尻目にマオは笑いが止まらなかった。


「じゃあ、とりあえず、風呂沸かせ」

「風呂? 勇者様がお帰りになったらすぐに入られるんですか?」

「アンタ、馬鹿か」


 思った通り少年は頭もどんくさいらしい。しかし、とにもかくにも、こんな都合のいい弟弟子ができたのだ。初っ端から兄弟子らしく命令して何が悪い。


「俺の格好、見てわかんねぇの?」


 言いながら、マオは濡れた上着を脱いで少年に投げ渡す。


「風呂沸かす魔法くらい使えんだろ。うちの裏手に風呂場があるから、五分以内に沸かせ」

「え、あの……」

「熱めで頼んだぜ! 風呂が終わったら夕飯の仕込みな。酒場で働いてたんだから、それくらいできるだろ?」

「できますけど……」

「着替え取って来るから、早くな!」


 歯切れの悪い少年の返事も気にせずに、マオは柄にもなくうきうきしていた。上機嫌のまま二階の部屋に駆けこんでタンスから手早く着替えを引っ掴むと、また階段を駆け下りる。

 風呂場で少年が言いつけ通りに働いているのに満足気に頷くと、とても兄弟子らしい自分に我ながら感心した。



 マオ。記憶を失くしているために年齢はわからないが、みてくれは十六歳程度の立派な少年。けれど、ふたを開けてみれば記憶を失ったことで人間としての常識も倫理も道徳も失くしてしまった哀れな少年である。

 ミツキに拾われてまだ三年。実質、彼は三歳児のようなものだった。


来週から火・金の週2投稿になります。

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