聖剣の勇者ショウセイ。の、荷物持ち
あらすじに期待された方、ごめんなさい
「聞こえなかったのか?なら、もう一回言ってやるよ」
目の前に立つ青年、聖剣の勇者ショウセイ=アカツキがニヤニヤと笑う。
今まで何度も目にしてきた光景だ。
彼はその瞳に嗜虐的な色を浮かべ、あらんかぎりの侮蔑的な口調で俺に言い放つ。
「いい加減役立たずなんだよお前。や・く・た・た・ず。そんなお前を魔王城のド真ん前までお供させてやったんだ。これから魔王を倒す、この俺のパーティの一員としてな!けどさぁ、図々しいと思わないわけ?ろくに魔物と戦えもしない、荷物持ちのお前がそんな栄誉に与れるなんて」
俺は何も言わない。
いつものように、困ったような作り笑顔で彼を見るだけだ。
実際、困ってはいるわけだが。
なにせ、そんな諸々は俺の仕事に含まれてはいない。
そんな俺の態度に余計イラッとしたのか、奴は周囲の人間の同意を求めるように。
「なぁ、みんなもそう思うだろ?」
見やった先は、これまでの一年強をともに過ごしてきた仲間たちだ。
王国を出立した時からの初期メンバー、教会の聖女フィリィに筆頭宮廷魔術師ミリアーナ、王国副騎士団長のヘルマンさん。
それと、旅の途中で加わったエルフの弓術士アイシアに、奴隷剣闘士だったハヅキ。
彼ら、彼女らとは、色々あった。
それはもう、本の一冊や二冊では書き記せないほどには。
そんな彼らだが、勇者ショウセイに意見を求められると言葉に詰まっている様子。
どうやら気を使われているらしい。
戦力的には役立たずでも、曲がりなりにも同道してきた人間だ。
まあ、それなりに情も湧くのが人間というものだ。
だが、この勇者サマに限ってはそうでもなかったらしい。
勇者ショウセイは期待した反応が得られなかったことに舌打ちしつつ、吐き捨てるように言った。
「ともかくだ。俺たちは明日魔王の野郎をぶっ殺す。そうすりゃ魔物たちも大人しくなるだろうし、そうなると別にトロい馬車とか使っても安全に荷物を運べるようになるわけだ。つまり、お前はもう用済みなんだよ」
まあ、確かにそうなのだろう。
魔物がいて、前人未到の魔境を探索するこれまでの環境では馬車などが使えなかった。
故に、一般的な冒険者パーティの例を見習って俺が荷物持ち担当として彼らと行動することになったのだが、勇者はハナからそれが気に入らない素振りを見せていた。
思えば彼が勇者としてこの世界に召喚され、王国を旅立ったあたりまでは、彼はその性悪さを内に秘めるだけの分別を持っていた。
それが旅を続け、勇者としての実力と世間からの期待や憧れを実感するようになると目に見えて増長したのだ。
彼は次第に横柄な態度になっていき、特に女性関係の押しの強さというか、俺様具合にはたまにドン引きした記憶がある。
自分は絶対に正しくて、世の中のイイ女は俺みたいなイイ男のことが好きなんだろ?みたいなことを本気で言うやつだ。
顔立ちの良さと実力があるのは確かなので全部が全部間違っているわけでもないが、その被害を一番受けているのがパーティの女性陣だ。
なるほど、筆頭魔術師のミリアーナは二十台半ばの色気ある美人だ。
ただでさえ美形のエルフの中でも、緑色の魔力光を纏って弓を射るアイシアの美しさは筆舌に尽くしがたい。
奴隷剣闘士であったハヅキは当初、どこか陰のあるガラスの剣みたいな少女だったが、旅を続けるうちに剣士特有の凛とした芯を持つに至っていた。
聖女フィリィの可憐さに至っては言うまでもなく、勇者ショウセイが一番熱心に口説いた相手でもあった。
ただまぁ、結果から言えば彼の彼女らへのアプローチはそんなにうまくいっていない。
ハヅキに関しては許容している節があるが、彼は行く先々でとにかく女の子に声をかけるのだ。
できるだけウチの女性陣が傍にいない時を見計らっているようだが、その際には勇者の甘いマスクを被り、とっかえひっかえしていたりする。
それでいてウチの女性陣も全員狙っているようだから、長く過ごす内にそんな考えも透けて見えるようになった。
だが、あからさまに断ってまずいモチベーションになるのもアレなので、彼女たちは色んな理由をつけて彼の思惑をかわしていた。
魔王を倒して凱旋すればどうなるかは分からないが、きっとこいつはハーレムとか言い出すんだろうなあ。
そんな感じで俺が勇者をぼーっと見ていると、勇者は今度こそはっきりと舌打ちして。
「っとに使えねぇな、このグズが。いいか?今夜だ。今夜までは許可してやる。だからテメェはいつも通り夜の見張りだけやってりゃいい。それで、終いだ」
そう言うと、気まずい面持ちで待機する仲間たちに呼びかけ、就寝の準備に入る。
と言っても、誰それにあれこれを渡してやるのは俺の係だ。
さすがにほぼ二年だ。騎士のヘルマンさんがマイ枕派であることや、アイシアが特定の香草とともに寝ないと落ち着かないというのも分かっているので、てきぱきと準備する。
そうしてそれぞれが眠りについていく中で、今宵も俺は独りで見張り。
この生活もだいぶ慣れた。
慣れたというか、ただの日常に過ぎないというか。
もっとも見張りなんていっても、ここは敵地のど真ん中。
魔物とろくに戦えない俺は、見つけたら真っ先に勇者を叩き起こすだけなのである。
まあ、起こさないで済ます場合もあるけどな。
基本的には、魔物を発見したら勇者にお願いして倒してもらうだけの簡単なお仕事です。
真っ赤な三日月の下、そこそこ離れた場所に立つ魔王城の威容を眺める。
思えば遠くにきたもんだ。
ただの盗賊職まがいにすぎなかった俺がだ。
俺はシンとした暗闇に意識を配りつつも、この旅の記憶を掘り返していた。
約二年前、いつものようにギルドでのしょーもない依頼を消化した俺は、いきなり副ギルド長である師匠から声をかけられた。
王国からの出向であるギルド長と違い、師匠はその道のプロ、仙人、伝説とも呼ばれる人で、短期間でも教えを受けられたのは俺の自慢ポイントの一つである。
そんな師匠が何を血迷ったか、王城へ行けという。
盗賊系含め、冒険者嫌いが多いというあの王城にだ。
聞けば、王様から直々に依頼が来て、俺が選ばれたということだった。
なんかイヤな予感がしつつ、とにもかくにも王城に顔を出すと、待っていたのは当の王様ご本人。
それも私室らしき場所に通され、なんだなんだと身構えていたところに持ち出されたのがこの荷物運びの仕事だった。
国を二つ、山を一つはさんだ向こうの国で、なぜだか魔王なる魔族が復活or召喚され国を呑み込んだらしい。
しかも人類にひどく敵対的で、眷属や魔物までを使役して既に山向こうの国々は壊滅状態にあるとかだった。
そこで古い文献を探り、出てきた解決策が勇者召喚。
詳しくは省くが、どうやら魔王殺しの才を持った勇者を召喚して世界を救って貰うらしい。
そのパーティを考えるにあたり、盗賊系スキルの豊富な者を一人付けたいとのことだった。
戦闘は期待しないから、勇者とその一行のそれ以外の安全に気を配ってほしいと。
盗賊系の冒険者が戦闘面で貧弱であることや、そのクセそれ以外で役に立つのを知って考慮に入れるあたり、なかなか市井に通じている王様だなと思った。
報酬も悪くなく、その場で受けることを表明したのだが、そこからあれよあれよと話は進み。
そう、ファーストコンタクトは王城内の騎士訓練所だった。
召喚されて数日で騎士たちの大半を打ち倒した彼は、その背にヘルマンさんとフィリィを従え、俺の前に立ったのだ。
「あんたがディークか?まあ、主役ばっかりじゃ色々うまくないしな。裏方だが、せいぜい役に立ってくれよ?」
そう言って差し出された手を、俺はにへらと笑って握り返した。
そうしてさらにミリアーネを加え、盛大に王都を旅立った俺たち。
それぞれ小さなバックパックを背負っているが、パンパンに膨れ上がった荷物を抱えた俺の姿はさぞ見ものだったと思う。
ちらりと人垣の向こうに見えた師匠は、どうしてそうなったと言わんばかりに口をあんぐりと開けていた。
そりゃそうだろう。
盗賊系のウリは何より速さだ。
それを殺されちゃあな。
だって、フィリィとミリアーネ、当時は聖女様と魔術師様が、女の荷物はこれくらいが普通だって言うから――
閑話休題。
まあそんな俺でも、気配の察知などのスキルには自信があったわけで。
実際に旅に出てみると、別に自分が動けなくても気配自体は事前に知ることができたためそう役立たずではなかった。
もちろん戦闘面ではからっきしだが。
なんせ盗賊系のステータスは、力(STR)が壊滅的だ。
城の一般的な兵士の力を50とするなら、俺のそれは20程。
ゴブリン、頑張ってオークくらいなら技術(TEC)補正でなんとかなるが、バジリスクとか、あまつさえドラゴンとかになるとどうしようもない。
ぶっちゃけ訓練兵と同等、勇者一行の後ろでエールを送るだけの傍観者だ。
しかもあんな強烈なバケモノどもに隠蔽スキルもクソもなく、俺の出番なし。
余談だが、副騎士団長たるヘルマンさんの力値は180で、勇者に至っては250。
また魔力値(MAT)だが、俺=40、城の兵士=50、勇者=170、ミリアーネ=190となる。
そりゃあね。各地の王侯貴族にちやほやされて、魔物も強力になってくると、俺がおこぼれに与るだけの弱者にしか思えないわけですよ。
しかも周りから見てもその評価が間違っていないという。
ちやほやされて、女の子は勝手に寄ってきて、パーティー内に俺という自尊心を満たす相手がいて。
うん、そりゃ性格も変わるわな。
もとはニホンという平和な国の一修学生に過ぎなかったというが、今の彼は良くも悪くも聖剣の勇者ショウセイだった。
と、俺が独りうんうん頷いていると、背後でもぞもぞと人が身動きする気配。
ややあって、それはてとてとと焚き火前に居座る俺の方へ歩み寄ると。
「お隣、よろしいですか?」
頷くと、ふんわりと甘い香りが俺の鼻孔をくすぐり、視線を向ければそこには炎に赤く照らされた聖女フィリィの穏やかな横顔が。
彼女は腰をおろしたものの、しばし炎を見つめるのみで何も言葉を発さない。
やがてしびれを切らせた俺がどうしたのかと聞くと。
「……言わないんですか?」
はてな。何を、と聞こうとすると、彼女はその前に首を振り。
「いえ、すみません。……忘れてください。……あ、でも、」
こっちは忘れないでくださいね?と彼女は茶目っ気たっぷりにウインクし。
「少なくとも、私は、ディーさんがいてくれてよかったと思いますよ?」
そして俺が何を言う暇も与えず、彼女は眠る輪の中に戻っていく。
それを見送りながら。どうやら気を使わせてしまったらしいと思い至る。
まあこの長旅で、少ないながらも雑用という形でパーティには貢献し、言葉も交わした仲だ。
あの優しい聖女様のこと、仲間意識を感じてくれていたのだろうな。
そう思うと少しほっこりし、俺は引き続き赤い月と赤い炎に照らされて、静かな魔領の夜を感じていた。
赤い月が沈み、起床をぐずる太陽がいまだ顔を出さぬ早朝。
一番に目を覚ましたのは、やはりアイシアだった。
エルフであるところの彼女はこの時間帯から体を動かすようにしていた。
なんでも彼女が住んでいた森では、早朝のこの時間帯が最も空気と精霊の気配が澄み渡り、体の調子を上げてくれるのだという。
基本見張り番な俺は、そんな彼女の美しい鍛錬風景を見ながら睡眠に沈み、皆が起きるまでの短い時間を過ごすのが通例となっていた。
だがその日、アイシアは目覚めると、真っすぐに俺のところに来て。
「その、なんというか……。スキルの流れというか、あれを、ちょっと、見てくれない?」
恥じらうように言う彼女に萌えたのは内緒だ。
スキルというのは、彼女の得意とする弓術、その中の命中・クリティカルに関するものだ。
盗賊系の基本はヒットアンドアウェイ。
暗器や投擲具を使い手数で攻め、その過程でクリティカルによるダメージを狙うやり方だ。
弓術に活かせる技術も多い。
いつだったか、俺がなんの気なしに言ったそれを彼女が本気にして、戸惑いながらも俺が行ったアドバイスを元に彼女は見事スキルを発現させてのけたのだ。
完全に本人の才能と努力があってこそのものだが、それ以来彼女は何かと俺に意見を求めるようになった。
こうして早朝の鍛錬時にというのは珍しいが、どうやらついに見限られる荷物持ちだ、日中連れ歩く必要がないと分かり活用することにしたのだろう。
でもまあ、こうして頼りにされるのは素直にうれしい。
とはいえ彼女のそれはもはや完成されているといってもよく、今更俺が言えることもない。
ので、心構え的なことを中心に言ってみた。
エルフというのは長寿で、森とともに生きる者たちだ。
だから彼らは生き物に敬意を払って狩りをするし、よっていたずらに苦しめる方法は取らない。
事実彼女は魔物という脅威、捕食者たる魔族相手にもそれを守り、それを矜持として戦い続けてきた。
だが、今日の相手は魔王だ。
敬意を払って対峙して勝てる相手なら問題ないが、そうでない場合もある。
だから、俺は俺ができる限り、覚悟の話をした。
意志の強さとクリティカル率についての関係は証明されていない。
だが、俺はあると思っていた。
魔力だか第六感だか未知の何かは知らない。
だが、大切な何かを思い浮かべたとき、どうしても叶えたい願いを抱いたとき、狂おしいほどの憎悪に身を焦がしているとき、確かに武器は急所を穿つのだ。
だからその想いを、アイシアであるならば指先に乗せて撃て。
そんな感じのことを言った。
彼女はじっと俺を見つめていたが、やがて小さく頷くとゆっくり体を動かし始める。
それを横目に、俺は心地よい睡魔に身を委ねることを決めた。
ぼんやりとした視界に移ったのは、淡く微笑む緑の舞姫の姿だった。
そうして、目を閉じたと思った次の瞬間。
っ――(飛び起きようとする)
ッ――(即座に動きを止める)
盗賊系の人間特有の危機察知能力が警鐘を鳴らし動こうとしたところで、再びの警鐘が体を一瞬で硬直させる。
見れば、俺の首元には一振りの白銀。
彼女の故郷の武器で、カタナというらしい。
その先を見れば、ふふんと不敵に笑う剣闘士の少女。
「どうだ?ついに取ってみせたぞ?」
その言葉に苦笑した。
元奴隷の剣闘士ハヅキ。
その名はある国では有名なものだった。
若い異国の少女、それも奴隷身分の存在がそれほど知られていたのは、単にその強さ故だった。
彼女はカタナという独特の武器で大の男どもをばっさばっさと切り払い、剣闘場に君臨していたという。
だがある時、さる悪徳貴族がそんな彼女を不快に思い、卑劣な欲望をぶつけようとしたところを勇者ショウセイによって助けられた。
まあ裏側を知っている俺とヘルマンさんからすれば、なぜだか奴隷という存在に執着する勇者に付き合っていたら、偶然ハヅキの存在を知り、彼女の試合を見、隙あらばと声をかける機会をうかがっていたところ事件に遭遇、タイミングを見計らって飛び出した、てな具合である。
助けたのが勇者ということもあり、無体をはたらいた貴族は処罰され、勇者の口利きでハヅキは奴隷から解放された。
以降、言い寄る(けっこうあからさまに)勇者に苦笑しつつも、その実彼女はそれほど彼を嫌ってはいなさそうだった。
そんな彼女は、いつからか気配察知を得意とする俺の寝込みを襲うようになった。
字面だけ見れば色っぽい可能性もありそうだが、彼女が俺に見せつけるのはそのオリエンタルな肢体ではなく白銀の切っ先だ。
当然、短いながらも師匠の薫陶を受けた俺だ、そうやすやすとは許さない。
いつだったか、振られる白銀の軌跡を読み解き、素手で刃を止めたことがある。
彼女は目を丸くして、シラハなんとかと呟くと、余計に襲撃に熱を入れるようになった。おかげで俺の寝起きはいつもドキドキです。
真剣だけに、真剣に。
そうしてついに今日、一本取られてしまったわけだ。
いや、その、なんだ、いくら俺でも、こう距離が近いところから動かれるとね?
物理的な限界といいますか。
内心でそんな言い訳をする俺を尻目に、ハヅキは小さくガッツポーズ。
「やったっ」
ついでに小さく呟く。
普段ボーイッシュな口調なハヅキのそんな一面がちくしょうちょっとかわいいじゃねぇか。
すると、傍で見守っていたアイシアがぽかりとハヅキの頭を小突く。
「またハヅキはそんな物騒なことを……。ディーさんにもしもがあったらどうするんですか?」
「ふむ?ディーに問題があるとは思えんが?」
「だから万が一のことであって――」
ふあ……。さて、一難去ったわけだし、勇者たちが起きるまではまだ時間ありそうだ。
……うと、うと。
「そ・れ・よ・り・も。アイシアこそ、あんなに熱く見つめて、一体何を言われたんだ?ほら、キリキリ吐け」
「は、はあ?ハヅキが、その、何を言っているのやら――」
「ふふん、誤魔化してもムダ。息を殺し、気配を殺し、ちゃーんと見ていたのでな」
「なっ。そっ、それを言うならハヅキこそ、『やったっ』とか普段にない可愛らしさで――」
「ちょっ、それは――」
…………。
………………………。
…………。
ぼんやりと揺すられる感触。
ああ、そうだ、俺の一日は、そう、この人がいないと――
「おはよう、ディーくん」
おはようございます、ヘルマンさん。
爽やかな笑みとともに正式な朝の訪れを告げたのは、俺の精神安定剤こと王国副騎士団長のヘルマンさんだ。
先ほどなにやら言い合っていたアイシアとハヅキは、寝ぼけ眼の俺とヘルマンさんのやりとりを遠巻きに見守っていた。
ヘルマンさんは、その役職や生まれ持った身分の高さにも関わらず、腰が低く、誰よりも周囲の和を大切にする人だった。
俺みたいなどこの馬の骨とも分からぬ人間にも対等に接してくれるし、実力についても申し分なく王国で一番強いとされている。
おまけに30半ばになろうかという顔立ちは甘さと渋さと、ほんの少しの陰がいい塩梅にミックスされ、正直に言おう、勇者よりモテる。
勇者のそれはキラキラした王子様のようだが、ヘルマンさんに抱くそれは酸いも甘いも包容する大人の色香である。
夢見がちな少女を脱却した女性は、勇者もそこそこにヘルマンさんに殺到したものだ。
それでいてなお勇者を立てて決して不快にさせなかったヘルマンさん、まじ漢です。
俺?
先に宿取っておきますねーって荷物抱えて人垣の外から叫んでいただけですが、何か?
ともあれ、おそらくこれで最後となるであろうヘルマンさんのモーニングコールに俺が礼を言うと。
「いや、こちらこそ、感謝しているよ。君はもっと誇っていい。王国騎士でも恐怖に腰を抜かす魔物・魔族たちを相手に、君は逃げ出すことはあっても逃げ切ることはしなかった」
……あの、違いがよく分からないのですが。
「つまり、結局君はここまでついてきたということだよ。魔領の最奥、魔王城の眼前までね」
なるほど。彼もまた気を使ってくれているらしい。
俺が思わず苦笑すると、それを見た彼も同じように苦笑した。
はて?
「それに……。いや、これを口にするのは無粋だな。代わりに、別の礼を言おう。ショウセイ殿を除けば、私と君、男は二人だけだった。君は不思議と話しやすくてね、ついつい甘えてしまったよ。はは」
大丈夫です。
王国に戻った暁には、女性の口説き方についてみっちり教えてもらいますので。
確定事項ですので。
そう言うと。
「いいだろう、任されたよ。だが、口説くも何も君はもう十分――とと、これ以上はまた無粋になるな」
はて?
まあなんにせよ、戻ったら期待できそうだという雰囲気は伝わったのでよし。
そんなことを話していると、魔術師ミリアーナが寄って来る。
相変わらず、朝イチだというのに一部の隙もない。
主に色気的に。
彼女は俺と目が合うと、魅惑的な笑みのまま片目をぱちり。
フィリィのそれにはぽかぽかとした温かさを感じたが、彼女のそれにはびくんと電撃を感じる。
「あら?なんだかちょっと採点された気がしたわ。ねぇディーくん、それは誰と比べたのかなぁ?」
そんな彼女は、他人の行動や感情といった機微に鋭い。
戦場ではパーティの一挙手一投足を読み切り、支援が欲しいと願うタイミングで的確に魔法攻撃を放ち戦線を支えてくれる。
そのぶん日常生活では、ヘルマンさんをのぞく年下組のお姉さんポジションとして、若気の至りをぞんぶんに可愛がっていた。
だがそんな彼女も、それだけで筆頭と名が付く宮廷魔術師になったわけではなかった。
彼女は優しいがゆえに、様々なしがらみを抱え、自身を傷つけていたのだ。
それに気が付いた俺は、何とか彼女の優しさに報いたいと考え――
「ねぇヘルマン?ディーくんの頭に浮かんだのって、誰だと思う?」
「さて、ね。思いつくには思いつくが……。それを口に出すほど野暮ではないし、それに、私が名で呼ぶ女性は一人であると、そう決めているからね」
そう言ってにっこりとヘルマンさんが笑うと、ミリアーネはまるで少女のように頬を染め幸せそうに微笑み――
はい、お察しの通りです。
簡単に言うと、俺が動いていることにヘルマンさんも気づいて、相談。
一緒になって考えているうちに、ヘルマンさんにそういう機会があって、気が付いたらミリアーネが落ちていた。
ついでにヘルマンさん自身も落ちていた。
つまり俺が事実上のキューピットになったわけだな。
ともあれ、そんな二人は魔王城突入直前にも関わらずいつも通りの甘いやり取りを交わしている。
緊張をほぐすためか、本当にリラックスしているのかは分からないが、ともかく俺がそれを温かく見守っていると。
「おいミリア。それとヘルマン。いつまでやってる。さっさと魔王をぶっ殺しにいくぞ」
空気を読めない勇者が一匹。いや、ひょっとするとわざとやってる可能性もあるなこれ。
「てか、そこのゴミ。お前まだいたの?見張り終わったんならお払い箱だって分かれよ。……あ、そーか。どっか行こうにも、お前の実力じゃあ魔領から脱出もできねぇもんなぁ?」
そうして流れるように漏れ出る嘲笑。
勇者ショウセイ、本当にブレない男である。
俺が思わず苦笑すると、彼は心底イラついた様子で舌打ちした。
そうして一言、クズが、と呟いた彼は以降俺の存在を完全に無視して魔王城への突入を決める。
俺が真実無力なのを知っている他の仲間たちは、なんとか彼を説得し、突入前にいくつかの安全策を講じてくれた。
魔除けの結界や攻性魔術の魔道具などだ。
彼らは最後まで心配そうに俺を見ていたが、世界の敵たる魔王の眼前、そして唯一それを倒せる勇者を前に、彼らはすまなさそうに魔王城へと突入していった。
自分で言うのもなんだが、俺がいなかったらもっと物語の佳境っぽい雰囲気になっただろうに。
そうしてぽつんと、荒野の真ん中に取り残された俺。
荷物持ちとしてのお仕事はお役御免になった。
勇者は既に魔王城の中だ、いまさら俺にできる仕事なんてない。
かといって、魔物たちの跋扈する魔領から独力で脱出することも不可能なわけで。
悔しいが、そこは勇者の言う通りなのである。
なので、曰く寄生虫の俺は、大人しく勇者一行が見事魔王討伐を終えて帰還するのを待つことにする。
というか、もし失敗して一行が返り討ちにあったりしたらそのまま俺も道連れになってしまう。
そのためにも、一行の奮闘と勝利を切実に願うとともに。
「ゥゥゥゥゥゥ……」
「シャアァァァァァ」
彼らが出てくるまで、何とかして生き延びなければ……!
*
それから数時間、持ち前の速さ(SPD)によって辛うじて命を繋ぎ止めていた俺は、すり傷だらけでボロボロになりつつようやっとそれを見ることができた。
逃げ回っている間にずいぶんと近づいていたらしい魔王城の頂上部から、突然凄まじい光の奔流があふれ出る。
それはやがて光の雨となって世界に降り注ぎ、俺を追い詰めていた魔物たちは溶けるようにその身を消していった。
やがて魔王城が崩壊を始めたころ。
その巨大な入り口から転がり出るように駆け出る六つの人影。
崩壊に巻き込まれないよう必死に走っていた彼らは、その途上に立つ俺に気づくと、次第に速度を緩めながら近寄って来る。
そうして合流した彼らは誰一人として欠けることなく、大小の傷こそ負っているが皆晴れやかな笑顔を浮かべていた。
いやまあ、勇者ショウセイに限ってはギラギラというか、どこか陰のある、と形容できる笑みなのだが。
ともあれ、悪の元凶たる魔王はうち滅ぼされた。
正真正銘の勇者パーティとして英雄になること間違いなしの彼らだったが、そんな彼らに真っ先に心配してもらえた俺は幸せ者だろう。
約一名を除き、彼らは口々に俺の無事を喜んでくれた。
聖女フィリィなんて涙ぐんですらいる。
きっとこれこそ英雄のあるべき姿なんだなぁと眩しく思っていると。
「まったく、そのしぶとさは素直に尊敬するな。ちょろちょろ動き回ってしぶといとか、ゴキブリかよ」
安定の勇者による嘲笑をいただきました。
ゴキブリが何なのかはわからないが、きっと馬鹿にするための言葉なのだろう。
せっかくの祝賀ムードだったのに、とミリアーネやヘルマンさんから向けられる、窘めるような視線を飄々と受け流したショウセイはさっさと帰還の準備を始めてしまった。
聞けば、魔王の秘宝として転移石なるものを手に入れたらしい。
色々と条件はあるが、頭に思い浮かべた場所に即座に移動できるとのことだった。
暗殺とかに使われたら最悪だなぁと思いつつ見ていると、ごくごく自然に俺を置いてきぼりにしようとする勇者。
それを聖女フィリィが何とか説得しようとすると、その腰を強引に抱き寄せ。
「フィリィが言うんじゃ、しゃーねぇな。でもさぁ、女の子に頭下げて貰って恥ずかしいと思わないわけ?態度で示せよ、態度で」
ニヤニヤと笑いながら言う。
ちらりとフィリィを見ると、添えられたショウセイの腕にどうしていいか分からないようで、しかしそれでも俺を気づかわしそうに見ていた。
このときばかりは勇者の言う通りだと思い、俺は即座にできる限り頭を下げて頼み込んだ。
そんな俺を数秒かけて眺めていたショウセイは、みっともないだ何だと言いながら、ようやく満足したらしい。
俺を含めたみんなを輪に並べ、自分は相変わらずフィリィの腰を抱きながら横柄な様子で石に魔力を込めていく。
当然ミリアーネやヘルマンさん、アイシアなどから冷ややかな視線が投げかけられるが、奴は気にした風もなく、やがて転移を発動させた。
次の瞬間、俺たちは見覚えのある城の前にいた。
どうやら本当に王都まで一瞬で戻ってきたらしい。
あまりの体験に驚いた俺たちだったが、城の兵士たちはもっと驚いたのだろう。
あちこちから誰何の声が飛び交い、緊急を知らせる笛が鳴り響いたが、ヘルマンさんが先頭に立って勇者の帰還と魔王の討伐を告げると兵たちは瞬く間に歓喜のオーディエンスとなった。
勇者はと言えば、いまやフィリィに回した手もそのままに、顔には穏やかな笑みを浮かべその声援に応えている。
さすがに二年も旅していれば、聖女の浮かべる笑みが心からのものか、作りものかの違いくらいは分かるようになった。
なので、俺は声援に戸惑うふりをして彼らに近づき、つまずいて、背負っていた荷物をばらまく形で地面に倒れ込んだ。
途端、勇者ショウセイから苛立たし気な視線を向けられるが、その隙にフィリィは勇者の傍を離れ、こけた俺を丁寧に助け起こしてくれる。
俺が恥ずかしそうに立ち上がると、周囲の兵士たちからは暖かなヤジが飛ばされ笑いになった。
そうしているうちに、出立する際にも見たひげ面の大臣が兵士を割って出てきて、俺らを見て驚き、次いで城内へと案内される。その道中でヘルマンさんからことの次第を聞いた彼は、すぐさま王との謁見を取り計らってくれた。
そうして通された謁見の間にて――
「勇者ショウセイ、並びにその一行。此度の魔王討伐におけるそなたらの働き、誠に大儀であった。これまでに比類なき困難に直面し、苦しんだこともあったろう。だがそなたらは見事その期待に応えてみせた。民たちを代表するものとして、そなたらへの感謝は筆舌に尽くしがたい」
整然と跪き頭を垂れる俺たちに、王が感慨を込めて言う。
それを聞く俺も、これまでにあった様々な苦労が報われた気がして、らしくもなく感傷的になっていた。
それは俺だけではないようで、ヘルマンさんなんかは静かに歓喜に打ち震えているようだった。
「一同、面を上げよ。――壇上からではあるが、今一度そなたらの偉業に感謝を述べたい」
そう言って頭を下げる王様。
初めて会った時もそうだが、この人は割と庶民に近い感性で生きているのかもしれない。
そんなことを考えつつも、時間は徐々に過ぎていく。
魔王討伐の経緯を改めて聞かれ、勇者が主となって説明するのだが、その内容が明らかに事実よりも勇者に都合が良かったり。
旅の途中で立ち寄った国々の大使が出てくると、勇者があからさまにそれらの国々で会った有力貴族たちとの繋がりをほのめかす発言をしたり。
総じて、何か企んでんなー的な印象を受けたのだが、やがて内容が報酬の話になると。
「それについては、今少し考える時間を頂けませんか?」
元の世界への帰還について尋ね、その見通しが立っていないことを聞いた勇者ショウセイはそんなことを言った。
「ふむ、もちろん構いはせぬ。そなたは此度の一番の功労者だ。旅の道中で考えることも多くあっただろう。ゆっくり考えるとよい」
「はっ。ありがとうございます」
そうして殊勝に頭を下げるのだが、俺は見た。
俺を嘲笑するときの、あのニヤニヤした笑みを。
あれは絶対よからぬことを考えている。
などと考えているうちにも、どんどん順番が回っていく。
聖女フィリィは、教会孤児院への出資とお世話になった養父・養母らへの支援を。
魔術師ミリアーナは個人的な魔術研究施設を。
ヘルマンさんは騎士らしく堂々と辞退を申し出ていたが、王様たちの押しに負けて宝刀の一振りと爵位を送られていた。
エルフであるアイシアは故郷の森と周辺国家との商業協定及び安全保障を。
元奴隷剣闘士のハヅキは、世界を自由に見て回りたいとのことであらゆる国の出入国許可証と、路銀としてまとまったお金を要求していた。
そんなハヅキらしい光景に内心で笑っていると。
「さて、では、盗賊兼供備えのディーク。そなたは、何か望むところのものはあるか?」
俺の番が無事に回ってきたらしい。
ちなみに供備えとは、荷物持ちのかっこいい言い回しである。
そんなわけで、王様の問いとともに、まさか他のメンバーのように何か要求はしないよな?と周囲に居並ぶ人間たちから無言のプレッシャーが寄せられる。
当の王様からは何か言いたそうな雰囲気は感じるものの、きっとそういう方向の話ではないだろうという確信があったので、俺は素直に望みを口にした。
「王都の端っこに、小さな家でももらえれば私はそれで充分です」
そう言うと、コイツやりやがったという雰囲気があり、次いで家一軒程度ならまぁいいかという空気が流れ、最後に要求する割にみみっちぃこと言いやがってこの小物が、みたいなものを感じた。
勇者からも馬鹿にしたような笑いが聞こえたが、この報酬は以前から考えていたものだ。
俺は真剣に王様を見つめていたが、彼はこともなげに頷き。
「あい分かった。そのように取り計らおう」
その言葉に俺は深く頭を下げる。
それを見た王様はもう一度頷くと。
「勇者ショウセイ、聖女フィリィ、騎士ヘルマン、魔術師ミリアーナ、供備えディーク、そしてエルフの弓士アイシアに剣闘士ハヅキ。そなたらの偉業にこれら褒美で応えるとともに、今後とも我が王国はそなたらを厚く遇することを誓おう。そなたらへは今一度感謝の念を述べるとともに、今ここに魔王の討伐が彼ら英雄によって成されたことを宣言する!人類の脅威は去ったのだ!」
その言葉に、広間の至る所から大きな拍手が打ち鳴らされた。
「よってこの時をもって――」
その喧騒の合間を縫うように声を上げる王様と俺の視線が交錯した。
俺は小さく頷くと。
「――各々に託した任務が達成されたものとする。長期にわたり、大儀であった」
鳴りやまぬ拍手の中、俺たちは静かにそれらを受け入れていた。
*
魔王討伐から一週間後、盗賊ギルド横の酒場『陽気な骸骨』にて――
このところの魔王討伐を祝うパレードが終わり、ようやく普段通りの静けさを取り戻し始めた裏通り。
その一角にある酒場『陽気な骸骨』にて、俺は少し早めの晩酌を始めていた。
きっかけはとある情報だ。
それを聞けば奴はギルドに現れるだろうと、長い付き合いからくる確信が俺にはあったからだ。
案の定、奴もまたその情報を耳にしたらしい。
音もなくするりと俺の隣に奴が腰を下ろす。
伝説だ仙人だと呼ばれている俺ですら気を抜けば見逃しそうになるそいつに苦笑しつつ、俺は店員を呼んだ。
そう大きくもない店内で独り飲んでいた俺の隣にいきなりもう一人が出現していたのだ、並みの店員なら驚いてしかるべき状況ではある。
実際その店員も、働き始めた当初は客らを薄気味悪いだのなんだのと言っていたが、こうして笑顔を振りまきながら接客に当たれるようになるあたり人間というのは本当に適応能力が高い生き物のようだ。
「あ、ディークさん!久しぶりですねー!聞きましたよー、このこのっ、英雄さん!」
俺そっちのけで奴に話しかける店員の注意を引き付け、注文する。
奴はいつもへらへらと笑うだけだから、ああいう手合いはすぐ気を良くして口が軽くなるのだ。
まあこういう稼業なら有用な手ではあるが。
そんなことを考えつつちびちびやっていると。
「こんばんは、師匠」
奴が苦笑気味で言う。
なんだかこいつ、旅に出る前よりも苦笑度合いに磨きがかかっているな。
いや、思えばそうか、王都を出る時からあんな有様だったのか。
さすがの俺も、あの光景にはびっくりした。
なんせこいつ、大通りのど真ん中をあんな大荷物背負って歩いていたのだから。
知る人間が知れば思わず目も疑うさ。
「……ああ」
「師匠、機嫌よさそうですね?」
俺の機嫌がいい?
……なるほど、言われてみればそうかもしれない。
俺がその情報を手に入れた時思ったのは、所詮そんなものか、という期待外れ感と、ざまあみろといった侮蔑、それからこの苦笑いが似合う弟子の仕事に対する称賛だった。
それを考えるあたり、俺らしくもなく師匠としての実感があったのかもしれないな。
だが、こいつの旅に関しては俺なりに常に気を配っていたのだ。
こいつを知りもせずあんな扱いをしていた勇者がどうなろうが知ったことではなかったが――。
「……死んだな」
「ええ、そうですね」
勇者が死んだ。
魔王討伐から一週間、連日の王都での祝賀会を終え、聖女フィリィとの婚姻を半ば強引に認めさせようと教会本山に滞在していた時のことだった。
死んだといったが、正確には行方不明だ。
なんせ、太陽も高い頃から教会本山の外へ赴くと言い出し、引き止める周りの声も聴かず言って出ていったきりなのだ。
そのことは多くの人間が目撃しており、また勇者自身普段と変わらぬ様子であったことから、このことが知られても世間では単なる行方不明扱いとなる。
そう、世間ではだ。
国の内情に少しでも通じている人間ならば、まずそうは思わないだろうが。
「……どこだと思う」
「そうですねえ、西のエルマークか、教会懐古派の連中か、はたまた……。挙げてもキリがないですからねえ」
勇者というのは、表向きは人類の希望である。
最大の脅威たる魔王に対する剣であり、国々は団結して彼を助け魔を退けなければならない。
だが裏を返せば、勇者というのは極めて大きな政治的材料である。
強大な力、魔王を倒し人々を救ったというネームバリュー、勇者の出身である異世界の知識。
例えばこれを一国が占有すれば、間違いなくその国の力は強まるだろう。
そしてそれを持たない国々との軋轢は大きくなる。
あるいは、その勇者がさらなる権力を手中にしようと画策し、王権を転覆させようなどと考えたなら、どうするか。
その答えが、ディークの一行への参加と今回の勇者の死だ。
「師匠はどこだと思います?」
「……旅で多かったのは」
「アルダーク教の殉教部隊ですね。……ああ、確かに、あそこは執念深かったからなぁ……」
魔王討伐という実績を与えず王国の権威を失墜させること、異世界人などという理解不能な輩に対する侮蔑、勇者に協力的な教会への間接的なダメージ、そういったことを目的として実行されるのが勇者の暗殺である。
愚かなことに、いつも人の後ろでぬくぬくと守られている者たちは、魔王という将来の絶対的な危険があっても眼前の保身に走る傾向にあるようだ。
当然王国としては、少なくとも魔王討伐が成されるまでは彼を守る必要があった。
つまり、勇者は魔物・魔族のみならず、本来ならばそうした人間にも対処しなければならなかったのだ
。
だが正面戦力としての勇者は絶対的でも、そうした暗闘におけるそれは極めて脆弱だ。
そこで王が考えたのが、目には目を、歯には歯を、暗殺者には暗殺者をである。
そうしてまず、自分で言うのもなんだがその道で名高い私が王に呼ばれ、依頼を受けた。
勇者を守れと。
だが、私は知っていた。
このへらへらと笑う弟子が、既に自分すらも凌駕する暗殺者として完成していると。
だから私は王にこいつを推薦したのだ。
そして、こいつは見事勇者を旅の終わりまで導いた。
「師匠はアルダーク教の連中とやったことあります?」
「……ないな」
「やったら驚きますよ。あいつら、限界まで体絞って身体強化で無理やり動かしてるから、長距離を滑空してくるわ動きが読めないわで……。打ち込みが軽いのは良いんですがねぇ」
俺ら暗殺者は、魔物相手には完全にお荷物だ。
力(STR)も魔力(MAT)もなければ、防御(DEF・MDF)面も貧弱極まりない。
だが、速さ(SPD)と技術(TEC)は図抜けていて、何より気配系のスキルや即死攻撃などとにかく対人攻撃、しかも暗闘に特化した存在だ。
盗賊職と同じようでいてまったくその仕様は異なる。
そんな奴らが大挙して襲ってくるのだ、こいつが勇者の旅でした苦労は想像に難くない。
勇者は知らなかっただろうが、もしこいつがいなければ、勇者が死んだのは魔王討伐の一週間後ではなく王都出発の一週間後だったはずだ。
にも関わらず、よくまあこいつをあんな風に扱えたものである。
もっとも、勇者にあえて知らせなかった王も王だが――
「そう言えばアルダークの連中の時だったなあ、フィリィが巻き込まれたのは。いやぁ師匠、あんまり暗殺者の気配に慣れすぎると、一般人の気配が大きすぎてわけわからなくなっちゃうんですねぇ」
その隙に次々女性と仲良くなっていくこいつの天然さを思えば、何が良いのか分からなくなってくるな。
ともあれ、コイツは不遇な状況下でもうまく立ちまわってみせたのだ。
俺は当時を思い出したのか、色々と饒舌に語られるそれを遮って問いかける。
「……欲しかったものは、手に入ったのだろう」
すると奴は、ああ、と感慨深そうに息を吐き。
「……そうですね。やっと、取り戻せました……」
まるで憑き物が落ちたかのような、力のない笑みを浮かべる。
おそらくは俺しか知らないであろう、こいつが褒賞にと望んだ小さな家のその理由。
かつてのコイツが持っていて、今は失われた温かな家族の空間。
暗殺者になりたいと考えてなる奴などいない。
この世の理不尽に曝され、他にどうしようもなくなった奴のみが、報われぬ命のやり取りに身を投じるのだ。
出会った当初、暗殺者でありながら過去の優しい記憶に縋るコイツがこれほど長く生きられるとは思ってもみなかった。
すぐに死ぬだろうと。
だが幸か不幸か、コイツには暗殺者としての適性が備わっていた。
仮にも伝説と称される俺をあっという間に超えるくらいには。
「……これからどうするつもりだ」
だから尋ねてみる。
目的が果たされた今、こいつにこれまで通りの仕事がこなせるだろうかと。
はっきり言って、魔物の脅威が消えたこれからは人による闘争の時代になるだろう。
表に出せない暗闘であればなおさらだ。
暗殺者に心は要らない。
コイツは心を持ち続けてここまで来てしまったが、今回の褒賞によりそれが遂に目に見える形となって残ってしまった。
それはいつか必ず暗殺者としてのコイツを殺すと思ったのだ。
「実は、その、少し声がかかっていて――」
だが、そうだ、そんな俺の危惧を尽く裏切ってくれるのがこいつなのだ。
今後の身の振り方について、王から声をかけられたのだと奴は言う。
どうやらこれまで以上に教会と王国の距離が近づいているらしく、とりわけ聖女は頻繁に王都と教会本山を行き来することになる。
その際の護衛に加わって欲しいとの旨がまず一つ。
次いで、エルフの森との条約締結に際し、当然こちらからも使節団を派遣することになる。
その護衛兼元勇者パーティの一員としての顔つなぎ役を頼まれたのが一つ。
最後に、世界を放浪する予定の剣士ハヅキが供備えとしてコイツの同行を希望しているらしい。
無理ならば、自身と王国を繋ぐ連絡役として時折派遣してくれるようにとも言っていることが一つ。
そんなことをへらへらと笑って言うコイツに、とうとう俺は頭を抱えた。
「師匠?」
不思議そうに俺を見てくるが、不思議に思うのはこちらの方だ。
こと対人戦闘に関しては化け物レベルにも関わらず、対人関係についてはまるで鈍感。
おそらくは件の三人の意向もあるだろうが、これを機に囲い込みたいという王の思惑もあるのだろう。
俺は何を言っていいのか分からず、一言、そうか、と告げた。
奴は相変わらずきょとんとして、おかしな師匠ですねぇと呟いていた。
それから少しして、店の扉が控えめな音を立てて開けられる。
気配からして、暗殺ギルドの職員だろう。
そいつは小さくディークの名を呼ぶと、返事も待たず踵を返す。
おそらくは指名依頼でも入ったのだろう。
やれやれと席を立つディークに軽く手を振る。
奴は苦笑すると、特に気配も隠さず店を後にしようとする。
俺は、一つだけ気になっていたことをその背に投げかけた。
「……勇者は強かったか?」
俺も奴も振り返ることはない。
やがて、ふっと笑うような気配を残し。
「そこそこでしたね」
奴は消えた。
俺は僅かに残ったグラスを傾ける。
そうして懐から金貨を一枚取り出して卓上に置くと、俺もまた店を後にした。
染み付いて落ちなくなった暗殺者としての慣習から、誰一人通りを歩く俺には気づかない。
ぽっかりと空いた一人の空間で、俺はいつかの王の言葉を思い出していた。
「――万が一、勇者が我らにとっての脅威となるようであれば――」
奴にも同様の理解があったのかは分からない。
仮にあったとしても、それを実行に移すだけの理由を持つ者など他にいくらでもいる。
それはつまり、誰がやろうと変わりはないということだ。
それでも。
「……よくやった」
かつて泣きながら教えを乞うた少年に。
不甲斐ない師に代わり過ごした二年の時間に。
勇者を護るという過酷な仕事をやり抜いたことに。
そして、あったかもしれない可能性に。
俺は独り、称賛の言葉を口にした。
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お読みいただきありがとうございました!