マユ
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にゃー子は、狗神、ワタルを殴った。まさに、クリーンヒット。ワタルの顔面を捉えたにゃー子の拳…。
ーーーと、にゃー子は、自分の拳を汚らわしいものにでも触れたように振り払う。
「にゃー、触っちまった」
つぶらな丸い猫目に大粒の涙をため、ひたすら、ワタルの顔を捉えた拳に息を吹き掛ける。
「俺に、アイツの拳…がフレター!!俺のシアワセモノー」
ワタルの絶叫に一同、眉と口角がヒクッとあがる。背中に寒気。一気に鳥肌が立ち上がる。
「変態だ」
愛梨沙が呟いた。
「私、絶対無理です」
クールなイメージに胸キュンだったメイも首を横に振る。
ワタルから逃げまわってはにゃー子は、ワタルに物を投げつけたり、蹴りとばしたりする。
ワタルは、その攻撃を堪らなくうっとりした顔で受けていく。
「すぁいくぉー(最高)」
「ひぃー」
にゃー子は、総毛立つ全身を更に小刻みに震わせ、泣き叫ぶ。
「何だか、お月さんが勝っているのに負けたみたいになっている…」
にゃー子の様子に薫子がポツリと呟いた。
「たしかに…」
愛梨沙とメイが同意の意思を口にする。
立場は逆転し、にゃー子は逃げ回り、ワタルは愉しそうにそれを追い回す。観てないで助けろという意思表示をしながら…。
「二人とも遊んでないで…。異空間を解きなさい。山口がなぜ襲われたのか、そこが大事でしょ?」
薫子が手を叩きながら二人に止めるよう注意を促した。
にゃー子は、狗神が敵ではないので異空間をあっさり解いた。いつもの青空が広がり、グランドの歓声が聞こえてくる。
ただ、にゃー子は、よっぽど嫌いらしく、ワタルを背中をたてて、猫のように威嚇している。
とりあえず、ワタルとにゃー子の間に「仕方なく」愛梨沙とメイが割って入る。
「何だよ、久々の再会だってのにつれないな。ーーー俺も知りたいな、この気絶しているお嬢さんをこんな昼間から土蜘蛛が襲うんだからな…。妖怪の中でもかなりランクが高い奴だぞ。華菜じゃなかった、菜子、よく術師一人で向かわせたな。危ないぞ」
「土蜘蛛だったのか…」
にゃー子がビックリした顔でメイに謝る。
「にゃー子、土蜘蛛って?」
二人の会話からヤバい蜘蛛だとわかったが、もう少し詳しく聞きたくて、愛梨沙が訊ねた。
「平安時代、京都にいた巨大な蜘蛛の妖怪で、源頼光に倒された伝説がありますよね」
メイがにゃー子に変わってアウトラインを愛梨沙に説明した。ちょっと満足気なのは、土蜘蛛を知っていたからではない。にゃー子から修学旅行の時、聞き損ねた義妹に刺された話を聞くことができたからだった。
「食い殺した人間の骸を従えているとも聞くわ」
薫子が腕組みしながら付け加える。
「ひえっ」
愛梨沙は、思わずのけ反る。
「そんな強い奴にピンポイントで狙われた、この子は一体…?」
ワタルは、気絶しているマユを見た。
「私もあの白峰とかいう蛇に言われてから、コイツの心を読んでいるんだけどわからないのよね…。とにかく、山口が目を覚ましてからよ。」
薫子が首を傾げて、大袈裟な溜め息をついた。
「まずは、戻ろうぜ、ええと…」
ワタルは、時計に目をやり、競技の進行具合を確認する。にゃー子たちは、新入生歓迎球技大会の途中だったことを思い出した。
「そうね。神宮寺とお月さんは山口を保健室へ。また、襲われたら大変だから。望月たちは私と競技に戻って緑川たちと合流」
薫子の指示に皆は頷き、グランドに戻っていった。
にゃー子がマユを背中に背負い、グランドに戻ると、にゃー子の目の前のコートの人だかりに保健の柏崎が混じっているのに気づいた。
体操着にピンクのジャージズボンという姿なのに相変わらず胸のあたりが悩ましい。
「すいません。柏崎先生、急患です。アツ気にあたったみたいで」
にゃー子たちは、近づいて、柏崎に声をかけた。
「あら、大変こっちも怪我人がいるのよ、保健室まで運んでくださる?」
にゃー子たちが見ると、コートの人だかりの真ん中で足首を押さえて顔を歪めて座り込む、清潔感溢れる男性がいた。
上杉だった。その横には呆然とむさ苦しい巨体の田渕が半袖半ズボン体操着姿で立っていた。
どうやら、競技中に田渕と上杉が接触して、華奢な上杉がぶっ飛び、足首を捻ったらしい。
「あら、大変!私が手を…」
薫子がにゃー子たちの後ろから人混みを掻き分け、上杉の元に近寄る。
「あら、黛先生。これは保健のセンセイのお仕事よ。どうぞ、御自分の担当の生徒さんの面倒を診て差し上げて」
柏崎が薫子の手を上杉から引き剥がす。
「困っている同僚に手をかすのも教師の仕事。力ならあんたより私の方があるから、任せなさい」
再び、薫子が上杉を奪い返す。
「ふーふっふっふ」
「何がおかしいの?」
柏崎の不敵な笑いに薫子が顔をしかめる。
「あなた、歴史の教師でしょ?歴史が人のキズを癒せて?」
何かの名言のような言葉が柏崎から発せられた。
「言わせておけば。あんたなんか胸と色気だけでしょ?女の価値はそこで決まるわけじゃないんだから」
この人、自分が女としての魅力に欠けることを自ら認めちゃった…。薫子の背中に虚ろな哀愁を帯びた生徒たちの視線が刺さる。
「ふーふっふっふ。最高の誉め言葉をありがとうございます、黛先生」
勝ち誇る柏崎。
「あの、お取り込み中すいません」
「何?」
ヒートアップの二人に愛梨沙が割って入る。
「心配なんで、マユ、お願いします」
愛梨沙は、にゃー子の背中に眠るようにおぶさるマユの背中を優しくさすった。
大人な愛梨沙の一言に周りからは静かにイイネが投げられた。
「僕は一人で歩けますんでその子を診てあげて下さい」
田渕に手を貸してもらい、上杉が立ち上がった。痛い足をつかないように片足で跳びながら、校舎の壁までいくと、壁伝いに近くの下駄箱から校舎の中へ消えていった。
にゃー子とメイもそれに続き、柏崎も駆け足で消えていった。
生徒たちもそれぞれの競技に散り散りに戻っていった。
愛梨沙が一人でその場に立ち尽くしていると後ろから彩萌が声をかけてきた。
「いやあ、薫子がやり込められるなんて、柏崎やるなあ」
感心したように彩萌が呟く。
「試合の途中でいなくなったから心配したでありんす。どこいってましたのん?」
子が彩萌の後ろから顔を覗かせる。
愛梨沙は、二人に事情を説明した。二人は、黙って愛梨沙の話を聞き、了解の合図を送った。
「ところで、かえでは?」
愛梨沙がグランドをグルリと見回す。彩萌と姫子は、親指で愛梨沙の目線を誘導した。
さっきまで、にゃー子とかえでがドッジボールをしていたコートだ。
その真ん中で未だ勝利に酔いしれ、はしゃぐポニーテールが一人。
高々と人差し指を掲げ、ナンバーワン宣言。男子生徒たちが携帯片手にシャッターを切る。
愛梨沙は、軽いめまいを覚え、こめかみに人差し指と中指をそっとあて、目を閉じた。
一方、にゃー子とメイは、マユを介抱しながら、保健室まで運んだ。
「めまいがするって言ったら倒れまして…」
「今日は、意外と暑かったから熱射病かもね。念のため、気がついてからも安静にしたほうがいいわね、様子を見て、家の方に連絡しておくわ」
柏崎は、マユをベットに寝かせると、処置を施し始めた。その傍ら、上杉の捻挫の具合を手際よく調べ、湿布と包帯を巻いていく。
「あなたたち、グランドに戻っていいわよ、私がみているから…」
柏崎がそう言うので、にゃー子たちも立ち上がった。
「柏崎ちゃーわん」
変態じみた声でにゃー子たちが開こうとした保健室のドアが豪快に開いた。左手の人差し指を握りしめ、涙目のワタルが背中を屈めて廊下に立っていた。
「指はさんだった、見てほしいぞ」
にゃー子とメイは、完全に呆れた顔でワタルを見ながら、保健室を後にした。
二人は、廊下に出ると、保健室で鼻の下を伸ばしながら、柏崎の胸元をガン見するワタルの姿を想像して身震いする。
「大丈夫でしょうか、マユ」
「大丈夫だろうと思うけどにゃ、目立った外傷もないし…」
「違います、そっちじゃなくて犬養君の方です!」
メイに言われて、にゃー子も心配になった。上杉がいるとはいえ、ワタルは狗神。神通力を使って変なことされたら一大事だ。
にゃー子とメイは、引き返し、そっと保健室のドアを少し開け、やけに騒々しい中を覗いた。
技を抜け出した男子生徒が柏崎に診てもらいたくて怪我をでっち上げ列をなして窓辺に並んでいた。
女子は女子で上杉を心配してグループごとに無言で別の窓から保健室の中を覗いていた。
「大丈夫そうだにゃ」
「そ、そうみたいですね」
二人は、衆人監視を目の当たりにし、教室に戻った。
途中、教室に向かう階段の踊り場には、さっきまで保健室ではしゃいでいたワタルがクールに壁にもたれ、腕組みしながらにゃー子たちがくるのを待っていた。
「いつのまに」
にゃー子は、嫌悪感露な顔でワタルから一歩遠ざかる。
「貸しとくぜ」
「何を?」
にゃー子は、ワタルの意図がわからず、聞き返した。
「気づかなかっただろうが、あの保健室には妖気が満ちていた。蛇か蜘蛛かそいつは俺にもわからない。だが、あそこにあの子一人は危険だ。生徒があれだけいれば誰かはわからないが手は迂闊にはだせない。用心に神の結界を張っておいた」
「柏崎か?」
にゃー子の問いにワタルは、首を静かに振る。
「そいつは俺にもわからない、が、可能性は高い」
にゃー子とメイは、かえでの兄、和馬と戦ったとき現れた白峰なる蛇を思い出していた。
白峰は、蜘蛛を使ってにゃー子たちの行動を把握していた。マユが何らかの力を持ち、にゃー子たちと行動を共にすることも告げていた。
にゃー子は、マユと自分のつながりを記憶を辿りながら必死に思いだそうとしていた。
放課後、マユは自分の足でふらふらしながら、教室に戻ってきた。
迎えを頼んだが丁重に断られたらしい。にゃー子たちが責任をもって連れて帰ることにした。
ワタルの結界により、式神と朱雀が念のため、マユを護る。これ以上、心強い布陣はない。
日が傾きかけた教室で薫子がマユと向かい合う。
椅子に座る者、立っている者、様々だ。周りをにゃー子たちが輪になって囲む。ワタルは、教室のドアのところで寄りかかり、いつものように腕組みをし、うつむいている。
「いい、私の目を見て。どんな些細なことでもいいから、あなたや家族、お爺ちゃん、お婆ちゃんのことを教えてちょうだい」
薫子が身を乗りだし、マユを見つめる。薫子の瞳にはマユがたしかに映り込み、揺れている。
「うーん」
マユは困ってしまった。私は私で生きてきたつもりだったからだ。勿論、親に感謝していないわけではない。産んで、ここまで何不自由なく育ててもらったのだから当然といえば当然の気持ちだ。感謝してもしきれない。しかし、マユにとって自分の人生を生きるというのはそれとは別物のように感じられるからだ。
自分の人生は、自分のもの。自分の意思できめるもの。親が代わってくれるわけではない。それともう一つ。マユは、他人の過去はどうでもいい。今、どう生きているかが大事だと思っているからだ。もっと言うと、自分以外の他者ならたとえ身内であっても興味がない。
ただ、目の前で困っている人を見ると放っては置けない。
そのまま、見て見ないふりをすることができないのだ。モヤモヤと心の中を君の悪い変な生き物が行ったり来たりするようでどうしてもお節介をやいてしまうのである。
みみどしま…。
いつしかマユは、情報屋の異名が定着した。
「うーん…」
それでもマユに心当たりはない。それに、急に、にゃー子が妖怪だの、メイが術師だの、あーりんがにゃー子の子孫だの、蛇だの、狐だの、神、仏がどうのと一辺に言われてもマユにはなんのことだかわからない。
自分が襲われないために何をすべきなのか、ただそれだけを知りたいだけなのだ。
「そうね、まずお父さん、お母さん。出身地はどこ?」
薫子が糸口を探るべく山口家のルーツを辿る。
「父は、ずっと東京生まれ、東京育ち。。母は、ええと…。栃木。そう、栃木の足利というところです」
「!」
にゃー子は、栃木ときいて、ビンゴと言わんばかりに大きく目を見開いた。薫子も唾を飲み込むとにゃー子の横顔をちらりと見て、視線を元に戻した。
「お母さんの話、詳しく聞きたいわ。続けて」
にゃー子の様子に話を止めたマユ。薫子は、マユを促した。
マユは、ゆっくり知恵の輪をはずすように、慎重に言葉を選びながら話を進めていく。
「母は、偉い武士の家に生まれたって聞いています。女系家族で代々跡継ぎを婿に迎え、家をまもってきたと言ってました。」
みんなの真剣な眼差しがマユに注がれる。ひしひしと伝わる真剣さにマユも自然と緊張し、表情が固くなる。
「東京の大学に通ったのをきっかけにバイト先で父と知り合い、半ば駆け落ちみたいに逃げて、お爺ちゃんとお婆ちゃんから勘当されたって聞いています。去年の四月にお爺ちゃんが亡くなって、寂しくなったお婆ちゃんと母が和解してようやく勘当を解かれたって言ってました。もうじき三回忌で里帰りするんですけど…」
「その武家の家って…」
「まさか…」
薫子に続いてにゃー子が身を乗りだした。二人は、完全に確信したようだ。
「渡辺です。その中でも有名な先祖が何衛門って言ってました」
マユが二人の迫り来る様子にたじろぎながら椅子を半歩下げ答えた。
「惣右衛門様の子孫ー!!」
にゃー子と薫子が同時に叫びのけ反った。
「あ、そんな名前でした。多分…」
マユは、他人事のように呟いた。
「月の涙を狙っているのね」
薫子は、右手の親指で自分の唇を撫でた。
ーー月の涙?一同みな聞き慣れない単語に首を傾げた。
「それ、うち聞いたことあるわ。もう一つ、月のなんちゃらとそろったらオロチの奴が『お前ら全員どうこうしたる』ってうちに言いに来よったんや」
かえでが補足するようにマユの後ろから前のめりで話に入ってきた。
「そう…。いいみんな、よく聞いて…」
薫子がにゃー子たちの顔を見回した。再び、みんなの視線が薫子に集まる。




