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回想 飛兎美 2 ナヨタケ登場

飛兔美は、自分と子供の無事を知らせるためカラスを使い、夫との連絡をとった。


飛兔美の夫、かえでの父は、驚きと安堵の雄叫びをあげた。


妻が生きている。


子供も無事出産した。


居ても立ってもいられないが、里の天狗の目もある。


飛兔美の夫は、秘かに作りおいた酒を持って、夜分遅くにそっと里を離れ、妻の元へ急いだ。



飛兔美の夫は、夜が明けるのを待ちわびて村の外れの地蔵の前でうたた寝した。


夜露が体を濡らすのも構わず、藁と木の葉に埋もれながら。


寒さより会える喜びが目を一層らんらんとさせ、結局一睡もできず朝を迎えた。




はたして、再会の時。二人は、しかっと抱きあって喜んだ。


夫の冷たく湿った体に何事か感じ取った妻は、一層涙した。


田助と月千代も嬉しそうに眺める。


夫は、田助と月千代に厚い礼を述べた。そして、持参した酒を差し出した。


夫婦水入らず。


田助と月千代は、二人に家を預け、ぶらりと散歩に出掛けた。


天狗の夫婦。二人の久しぶりの再会。時間はあっという間に過ぎていく。

不意につんざくようなダミ声が外から聞こえた。飛兔美と夫は、庭に出た。二人の時を裂いたのは、カラスだった。


カラスは、二人に何事か告げている。二人は、真剣な表情でカラスを見つめていた。


夫の顔が厳しく曇る。そして、飛兔美の肩を静かに抱き寄せるとくるりと背を向け、帰り支度を始めた。


「あんた」


「平気だ。俺一人首を差し出せばええ。お前は子供とここにおれ」


飛兔美が言葉を発するのを夫は、制して首を横に振った。


赤子が無邪気な泣き声をあげる。


夫は、ゆっくりと近づき、抱き上げた。


夫は、こそばゆい顔で泣きじゃくる赤子の頬を指先で撫でた。そして、赤子をそっと飛兔美に預けた。


田助の家を出ようと夫は、戸を開けた。


そこには、泣きそうな顔をした奈津が立っていた。


「おじちゃん、行っちゃだめ。」


奈津は、飛兔美の夫にしがみついた。


「この子は?」


飛兔美に問いかける。


「サトリの子じゃ」


飛兔美の言葉に驚き、夫は、奈津の顔を見た。


「お嬢ちゃん、どくんや。わしは男や。男にはだめとわかっててもいかなあかんことがあるんや。それが、けじめっちゅうもんや」


飛兔美の夫は、奈津の肩を諭すように叩くと空へ駆け出した。


奈津は、小さくなる天狗の姿を見ると、田助と月千代のもとに走った。




田助の元にたどり着くと、息も整わないうちに事の仔細を話した。


田助と月千代は、顔を見合わせ、後を追うことを考えた。


月千代が、奈津に案内を頼んだ時だった。


月千代は、腹に鈍く激しい痛みを感じ、しゃがみこんでしまった。


陣痛にはまだ早い。動き回ったのが身体に障ったか…。


田助は、月千代の一大事に泡を食った。


ちょうど空の荷車を引く村人がそこを通りかかり、家まで月千代を運んだ。


荷車の上に寝かされ、苦しみの息をあげる中で、月千代は、奈津に天狗を止めるよう促した。


奈津は、月千代の手を心配した面持ちで握り、頷き走り出した。


月千代が倒れたことは、サトリの奈津にとっても意外であったが、今後の成り行きに問題はない。

腹のややも月千代も大丈夫とサトリの目に映ったからだ。


奈津は、鳥に化け、空を飛び、式神に緊急の信号を送った。


そのころ、天狗の里では、飛兎美の夫が天狗たちに囲まれていた。


飛兎美の夫は、名を羽流馬はるまといった。


天狗の里に着くやいなや羽流馬は、裏切り者の汚名のもと、すぐさま神通力を封じることのできる縄で縛り上げられてしまった。抵抗することなく素直にこのまま切られてしまえばよい。死人に口なし。飛兎美も戦死扱いになっているし、子供の存在も知られてはいない。


子と妻さえ無事ならいい。それで、すべてが丸く収まる。


羽流馬は腹を決め目を固く瞑った。怖くないと言ったら嘘になる。しかし、それにもましてこの手に一度抱いてしまった我が子の愛おしかったこと。子供に母は必要。この身一つで用が済むならそれに越したことはない。固く結ばれた口からは、ぎりりという固いものがこすれていくような音がたびたび聞こえた。


その時、若い天狗が声を上げた。


「里長、こいつ自分を犠牲にして妻を助けるつもりです。俺見たんです。こいつが夜遅くに出かけるのを…。おかしいと思って後をつけると人里に入りやがって、そこに、死んだはずの飛兎美がいるじゃないですか。しかも赤子を抱いてやがる。その時、俺は思ったんだ。やっぱり人間とつるんで、俺たち天狗を陥れたんだって。自分たちだけ助かるために。そうでなけりゃ、人間が天狗を助けるなんてありえねえ」


したり顔で若天狗は、羽流馬の顔を覗き込む。


ほかの天狗たちの導火線に火が付く。静かに見守っていた天狗たちも怒りをあらわに羽流馬に罵詈雑言を浴びせていく。


「本当か」


里長の最後の問いかけだった。羽流馬の額にはじっとりとした汗がにじみ出る。

悟られまいとすればするほどに額の汗はより濃くはっきりとあざ笑うかのようにじっとりとにじみ出てきた。羽流馬は、顔をそらし、黙ることしかできない。


「黙るところを見ると本当のようだな、飛兎美とその子も連れてまいれ、一族郎党死罪じゃ」


命乞いには遅すぎる。かといって「やめろ」と叫べば、飛兎美と子の生存を自ら告白したようなもの。羽流馬は、いかんともしがたい気持ちに身もだえして抵抗の意思を表した。


「迎えには及ばぬ。私は、ここじゃ。逃げも隠れもしない、正真正銘、羽流馬の妻、飛兎美じゃ」


高らかな声に天狗たちは、その声の方向を一斉に見た。紛れもなく、飛兎美の姿がそこにはあった。


飛兎美は、月千代が運ばれたとき、確かに田助たちと家にいた。田助が月千代にかかりっきりになったのでそのまま置手紙と子供を置いて家を出て、夫の後を追ったのであった。幸い、子供は、寝ていて泣かれることがなかったので誰にも気づかれなかったのである。



子供を助けることを条件に二人は処刑台に上がった。


後ろ手に縛られ、うつぶせに寝かされた二人は、互いの顔を見つめあった後、前を見据え、首を長く差し出した。


丸太で組んだ高い台の上から差し出された二つの首の下に見えるのは、里の天狗の姿。一目見ようと里中の天狗で埋め尽くされていた。


執行官の天狗がゆっくり二人の間に立つと品定めでもするように下品な笑いを口元に浮かべ、腰の物に手をかけた。


「どれ、まずは…」


ゆらりと抜かれた妖刀は、黒い表面に太陽の光を浴びて、いびつながら主の顔を綺麗に映し出していた。そして、おもむろに振り下ろした妖刀は、風を切り裂き荒々しいもがり笛を奏でた。


天狗にとって大切なもの。長い鼻が切り落とされた。


鮮血とともに、飛兎美の悲鳴が響き渡る。悶えのた打ち回る飛兎美を台の上にいた他の天狗どもが抑え込む。


「わしからやればええやろ、生殺しみたいにしおって。一思いにやらんかい」


羽流馬が叫ぶ。その間も、執行官は妖刀の峰で飛兎美の背を打ち付ける。


羽流馬は、自分がされている以上に四肢をちぎられんがごとくの心の苦しみを感じていた。



そして、その声を待っていたかのように第二刀が振り下ろされた。


羽流馬の鼻が落とされた。


激痛に羽流馬は、顔をしかめる。


耐えられるものではない。転げまわり、頭を打ち付けるほど気狂いしそうなほどである。しかし、それよりも今この腹の底から湧き出んばかりの感情はなんであろうか。羽流馬は、執行官を睨みあげた

「そう、睨むな。家族みんな仲良く向こうへ渡してやる」


執行官の軽口。その時、羽流馬は、はっとした。


だまされた。


はじめから、子供を助けるつもりなどなかったのだ。まず、羽流馬と飛兎美さえ処刑してしまえば、あとは、人里にいる赤子のみ。追っ手の天狗はすでに三人放たれていた。


観衆の天狗の怒号と歓声がひときわ大きくなった。


裏切り者 うらぎりもの ウラギリモノ


夏の蝉のように羽流馬と飛兎美の耳をつんざく。


満悦の表情を浮かべた執行官は、まだ乾きもしない妖刀を一なめすると、次に突くべき場所を見定め、両手に持ち替えて低い姿勢を取った。



執行官の足が動いたとき、どこからともなく飛んできた術符が執行官の手を貫く。


鈍い光を放ち空より舞い降りし、術符は次から次へと危うい剃刀のような鋭さで、執行官や台の上の天狗たちを二人から遠ざけていく。


「誰だ」


天狗たちが一斉に身構える。遠くの林でがさがさと左右に動きけん制する影があった。天狗たちは、その方角へ急いで飛ぶ。


手薄になった丸太の処刑台の上に、小さな子供天狗がちょんちょんと登り、二人の縄を外し、抱える。


奈津がばけたものだった。


奈津は、騒ぎに乗じて、二人を助けだし、台から飛び降りると、抱えたまま走り出した。


すぐに気づかれ、追っ手が迫りくる。


山を駆け抜けていく奈津の両脇を壁のような大木が流れていく。


その木の枝を跳ねながら、天狗たちが奈津を追撃してくる。


石つぶての雨が降り注ぐ。それを奈津は、サトリの能力を駆使してかわしていく。


しかし、重傷の大人二人を抱えての走りは、小さな奈津には荷が重い。


一里足らずで追い付かれ、囲まれた。


奈津を囲む輪が徐々に狭まる。


ーー頼みの綱、式神への緊急信号ーー



未だ、式神からの応答も気配すら感じられない。

奈津は、思った。


まだ、自分には死相は出ていない。


ーー助かるとわかっていてもこの窮地では、サトリとしての己の能力に疑念を持たざるをえない。

死期が近すぎて神通力(ちから)が鈍ったか、奈津の心は、風に煽られた蝋燭(ろうそく)の炎のように揺らぎはじめる。


もはや、一時の猶予もない。そう奈津が思った瞬間、後ろから伸びた丸太のような太くごつい腕に首を締められ、宙吊りになった。


苦しさのあまり、首に無意識に手をやったことで羽流馬たちを落としてしまった。


他の天狗たちが妖刀をかまえると、奈津の首は更に強い力に圧迫された。

太陽を背に妖刀を真上に掲げた天狗が大きな影になって見えた。


奈津は、これまでと目を瞑った。


一秒。


その間が、奈津に希望を与えた。


ドサリと重い音と共に振り上げたままの状態で天狗が倒れた。


左右の天狗も異変に気づいたが、その時には、最初の天狗同様ドサリと倒れてしまっていた。


太陽の逆光に映る影は、髪の長い者が一人。手に太刀を持ち無言で佇む。


木陰に一歩進んだ姿に一同驚いた。


女。艶やかな十二単に身を包んだ女が立っていたからだ。


「何奴!」


天狗が斬りかかる。女は、問いかけには応えず、飛び上がることもなくひらりと身をかわしていく。流れゆく水。しなやかなる柳の枝。無駄のない女の立ち居振舞いに、綺麗な舞を観ているかのような錯覚に奈津は、襲われた。思わず息を飲む。

女は、奈津の後ろにいる天狗を斬りつけた。


サトリの奈津ですらその気配に気づかない。


奈津は、女が何者か胸の内を探ろうとした。


「案ずるな。お前の味方じゃ。式神に頼まれてな。サトリの奈津…じゃな?」


女は、一息つくと、奈津を護るように一歩前へ出た。髪が風に揺れると、光りが反射し、波のように頭の先から肩口にかけて何度も抜けていった。


「答えなければ斬って捨てるまで」


天狗たちの怒号に奈津は、我に返った。女に看取れている場合ではない。まだ事態は最悪なのだ。

しかし、何とも言えない安心感はなんであろうか…。奈津は、母の懐に抱かれているような気がしていた。


女は、不敵な笑い口元だけに浮かべると、静かに太刀を鞘に収めた。


「何を今さらお前たち天狗に用があろうか。大人しく荼毘(だび)に伏すがよい!」


女の一言が山に木霊(こだま)すると、天狗たちは、血しぶきをあげ、皆倒れてしまった。


「わらわの名前は、かぐや。人は、ナヨタケと呼ぶ。月の神ーー姫じゃ。さぁ、奈津よ、急ぐぞ。その者たちの手当と赤子を護るために…」


ナヨタケの顔は、さっきまでと違い穏やかな優しいものになっていた。


奈津は、大きく頷くと羽流馬と飛兔美を左右の両脇に抱えたナヨタケの背にリスに身を変えて飛び乗った。


日は、傾き、再び鋭い目付きに変わったナヨタケが長い髪を棚引かせ、山を駆け抜けていく。


その頃、危機を脱し、落ち着きを取り戻した月千代は、赤子の泣き声で飛兔美がいないことに気づいた。


田助が赤子の横に置かれた手紙に気づき、広げた。


子供を頼みます。夫と共に私も参ります。ありがとうございました。


手紙にはそう記されていた。


田助は、固い表情で佇んでいたが、手紙を月千代に黙って手渡した。


月千代は、読み終えると口に手をやり、堪えきれぬ肩をワナワナと揺らした。


行灯の光りが大きく揺れ、月千代の目付きが変わった。そして、田助に目で合図すると互いに息を殺した。


月千代は、目、耳、触覚までを研ぎ澄まし、家の外を伺う。


月千代は、布をかすらすほどの小さな音さえも立てず、布団から起き上がり、片膝立ちで身構える。


家の戸が横に乱暴に滑ると天狗が斬りかかってきた。


疲労で倒れた身体を押して、月千代は迎え撃つ。

家の中は、危険と判断し、田助に赤子を託し、月千代は外に天狗を押し出し、自分も外に出た。


赤い夕焼けに似つかわしい殺気に満ちた三人の天狗が妖刀を構え、月千代を取り囲む。



まりのように跳ねながら石つぶてを月千代に投げつけてくる者。妖刀で斬りつけてくる者。多様な攻撃と速さで月千代を翻弄する。


腹の子と己自身の体への気遣いから、月千代は、本来の動きが取れない。それでもなんとか、天狗の動きを読みさばききる。


ーーものの、攻撃は皆無。神通力を発動する暇さえない。


月千代はすぐに息が上がってしまった。本来なら、この程度で息が上がることはない。倒れた体には予想以上に堪えるようだ。


そんなことを考えた一瞬の隙だった。月千代の背後から黒い大きな影が重なる。

ーー天狗。月千代はぎょっとした。


天狗の影から振り下ろされる妖刀の風に月千代の髪が泳ぐ。


同時に前から飛んでくるものに反射的に目が閉じる。


月千代の後ろにいた天狗が低いくぐもったうなり声をあげのけぞった。手の甲に術符を浴び妖刀を放したのだ。


月千代は、目を開けた。目の前には、美しい十二単の女と奈津の姿の走りくる姿が見えた。奈津は、走りながらも光り輝く術符に神通力ちからを込めて残りの天狗に投げつける。


「奈津!!」


月千代が叫ぶ。奈津と並走していた女が飛び、月千代の横につく。


「そなたは?」


敵でないことは、奈津と一緒にいることや羽流馬たちが護られていることで月千代にもわかった。


「そなたが、式神の言う猫、月千代か・・・。話はあとじゃ。そなた、かなりの神通力を持っておるな。だが、まだ使い方がわからぬようじゃな・・・。自然の中にいる精霊の御霊ときちんと向き合って対話するのじゃ。そうすれば、神通力ちからはおのずと発揮される。試してみよ」


名乗るのは、それからでもよい、まずは天狗を。女の求めに月千代は応じることにした。


倒された天狗たちは三人とも起き上がって、再び妖刀を構えていた。


三方から、天狗たちは空高く舞い上がり、月千代めがけ妖刀を掲げる。


月千代は、女に言われた通り精霊の御霊に語りかける。


「風をまといし、炎の御霊よ、悪しき御霊を洗い浄めて天主のもとへ還し奉らん」


空に湧き上がる暗雲。月千代の立つ大地を黒い絨毯じゅうたんのように染め上げる。人と天狗だけが天然色に濃くくっきりと浮かび上がる。


刹那の時間がゆっくりとそれこそ数十倍の遅さに引き伸ばされたように時が進む。天狗たちはまだ、月千代に降ってこない。


と、次の瞬間。


暗雲から滝のように炎が降り注ぐと、時の流れが堰を切ったように流れ出した。


炎の豪雨は、瞬く間に天狗たちを飲み干していく。


天狗以外の者はなんら被害はない。


木々も家も草も畑も今まで通り。燃えるどころか焦げ一つ見当たらない。いつもと同じ夕暮れ時がそこにはあった。


月千代は、震える自分の両の手を上がる息を押さえながら見つめた。


自分の中に眠る神通力ちからの威力。月千代は、驚きとともに恐ろしさも感じ背筋がぞっとした。


「驚いたか・・・。無理もない。すべてはお前の使い方次第。ただし、悪しき心を持てば神通力ちからはお前自身に牙をむく。心得よ。わらわは、ナヨタケと申すもの仔細は、奈津から聞くがよい。これにて御免」


女は、そう言い残してすっと消えた。


千代は、女にいろいろ問いただしたいことがあったが、羽流馬と飛兎美のけがの手当てが第一と奈津と二人で田助のいるうちの中に運び入れた。


羽流馬たちは、三日三晩苦しんだが、なんとか回復することができた。


傷が癒えた羽流馬と飛兔美は、一週間の後、田助の家を出た。


これ以上、田助と月千代に迷惑をかけるわけにいかないからだ。


旅立ちの日。飛兔美の背に背負われた赤子は、知るよしもなく健やかな笑顔を田助や月千代にむける。


飛兔美は、今までの礼に自らの大事な羽団扇を月千代に置いていった。


天狗として生きることへの決別の意味もあった。これからは、人に紛れ人として生きる。


二人は、幾山も幾山も越えて歩いて行った。


やがて、羽流馬が産まれた場所に程近い関西の人里に腰を落ち着かせた。

赤子は、和馬と名付けられ、三年後、かえでが産まれた。


羽流馬は、風の噂で羽流馬のいた天狗の里は、麒麟に壊滅されたことを知った。


俺は、やはり裏切り者か…?


羽流馬は、言い様のない罪悪感に(さいな)まれる。


一方、父の気持ちなど露も知らない和馬は、天狗であることを皆に誇示したりする。


しかし、幼い和馬に驚くような神通力(ちから)は使えない。鼻も伸びない仕様なので誰も本気にしない。まして、羽団扇さえ持っていないのだから説得力はまるでない。


虚勢をはる和馬は、皆にからかわれればからかわれるほど大風呂敷を広げたり、窮屈な嘘で取り繕う。


羽団扇は、泥棒猫に盗まれた。


とうとう、そういうことにしてしまった。


それが、命の恩人に泥を塗ることになるとは無邪気すぎる幼子にはわからない。


この嘘は、和馬自身も苦しめる。


和馬は、嘘つきの上に腰抜けだ。


人びとは、和馬を嘲笑った。以来、和馬は、自分が天狗とは一言も口にしなくなった。


逆にかえでは、よくできた娘として評判だった。気立てもよく、明るく、面倒見もよく、働き者。

誰もが認める娘だった。

そんな、ある日。


かえでが水汲みにはずれの井戸に向かうと井戸の側に大きな一匹の蛇がトグロを巻いて居座っていた。


かえでの足がすくみ、後退りした。ーーと、そこでかえでの記憶は途切れた。


気づくと、かえでは、井戸の側に倒れていた。蛇の姿はもうどこにもなかった。



かえでは、左腕に鈍い疼きを感じ、着物の肩口からそっと覗いた。


かえでの左肩には、蛇のアザがくっきりと浮かび上がっていた。
















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