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回想 飛兎美(ひとみ)1

一方、島根。にゃー子たちが帰った翌日、晴天の日曜日、かえでは、自分部屋にいた。


かえでの前には小さな写真立てが一つ。中には、かえでと楽しそうに収まるかえでの母の姿があった。


かえでは、正座をしてその写真を眺めていた。


部屋は、殺風景なほど片付いていた。ベットと机、タンスはそのままだがかえでの脇にある大きなバッグと部屋の隅に置かれた宅急便の送りが貼られた五個の段ボール箱が積まれているに過ぎない。


昼間とはいえ、冬の寒さが身体中を震え痺れさす。


薫子の手配で、かえでの下宿先は、決まった。学生専用の女子寮である。


後は、このバッグを抱えて飛び出すだけである。


「おかあさん、行ってきます」


かえでは、両手を合わせ、少しお辞儀した。目もとからこぼれ落ちそうなものを天井を仰いで意地でも食い止める。


うち、もう絶対泣かへんって誓ったんや


かえでは、涙を堪えると、厳しい顔つきで写真に向きなおした。さする左の二の腕から手首にかけて生々しく、痛々しい傷痕がかえでの心にささくれた痛みを残す。


夏場でも長袖が欠かせなかった日々。


大きくかえでは、首を振る。


今日から本当の蔵前かえでに生まれ変わります。


かえでは、何かを吹っ切るかのようにすぼめた口から大きな息を吐き出した。



ーーー

 ---

  ---

時は、江戸時代。まだ、かえではおろか和馬も産まれていない頃の天狗の里。


山の奥深く、剣術に優れ、酒造りにも秀でていた蔵前一家は、天狗の里でも一目置かれた存在であった。


やがて、酒造りの評判は、天狗だけでに留まらず、遠く離れた人里にも轟くようになった。


酒を求めて天狗の里に人がきた。

天狗の里の長は、それを黙認した。天狗と人の交流。快く思う天狗ばかりではない。


しかし、時代が時代。人を襲うわけにもいかず、無益な殺生もせず生きる糧が手に入るならそれに越したことはない。


かえでの父のいる天狗の里は、辺境の地であるにも関わらず、大いに潤った。


かえでの父は気性も穏和で厳しい顔つきに似合わず、頼まれると嫌と断れない性格をしていた。


妖怪だ、獣だ、盗賊だと騒ぎが起きると人里に下りていき、追い払うこともしばしばあった。


こうした行いは、かえでの父の知らぬところで妬み、やっかみの種となり、少しずつ芽吹きの時を迎えていた。


ある日、別の天狗の里からかえでの父がいる里が目をつけられる。


妖怪なのか、天狗なのか、人なのか・・・。


他の天狗の里に住む天狗たちは、人との戦いを望んだ。

差し金は、聖獣と呼ばれる麒麟であった。


麒麟は、人間をこれ以上野放しにしておけば、やがて自然界を冒涜し、神々や妖怪にも害悪になると考えていた。


遠くない将来。その危険性を鑑みて、百年、二百年先には必ず危険であると踏んでいた。


芽吹く前に摘む。


麒麟は、多くの妖怪を集め、オロチと天狗に手始めに常陸の地を制圧することを命じた。


人との繋がりのあるこの天狗の里が気に入らない。


先陣を務めて、忠誠を示せというのだ。


口には出さないもののみな、かえでの父のせいであると心の内では思っていた。


しかし、麒麟に睨まれては敵わない。四使徒に準ずる神通力の持ち主である。


里の天狗たちは、みな我先にと徴兵の議に賛同した。



かえでの父は、悩んだ。


人との共存。天狗には天狗の持ち味が、人には人の持ち味がある。上手くやっていける方法があるはずである。



実際今までそうやってきたし、これからもそうできるはずである。


一日一日と時が過ぎていった。


返事を遅らせたことは、かえでの父を更に悪い立場に追い込んだ。


不満の種が一つ弾ける。

家に石のつぶてが投げ込まれるようになった。


かえでの父は、和馬を身籠り身重な妻のためしぶしぶ出陣を決意した。


ところが、それでも里の天狗たちは納得しない。


かえでの父は、人と仲良くしすぎていつ裏切るかわからないというのだ。


それを聞いたかえでの母は、自ら志願し、夫と共に戦地に出向いた。


その戦地こそ、月千代や田助、サトリのいたあの場所であった。




戦地でかえでの父と母は、はぐれた。


父は、式神に飛ばされ、遠くの山に。母は、斬られたフリをして戦地にうずくまって倒れていた。

やり過ごしてこの場から逃げる。腹の我が子を護る。


戦いが終わり、死体や怪我人の収容が始まった。


月千代も身重ながら手伝っていた。


すると、腹を護りながら息を潜め、丸くなっている天狗を見つけた。


身体を強張らせ、悟られまいと必死であった。


神通力のせいもあり、人は気づかなかったが、月千代にははっきりとわかった。


月千代は、天狗の耳元で「案ずるな悪いようにはしない」と囁いた。


ばれたと思ったかえでの母は、月千代の言葉より腹の子を護ることに精一杯で妖刀を振りかざして暴れ回った。


護らねば、護らねば…。


鬼畜の如く妖刀を力任せに振り回し続ける。


事態を察し、人びとがかえでの母を取り囲む。


侍は、腰のものに手をかけ、間を伺う。


渡辺惣右衛門と田助もやって来た。


多勢に無勢。神通力も怪我と身重のせいで疲弊していた。かえでの母は、天を仰ぎ観念した。


妖刀を自分の首もとに突きつけた。


月千代は、とっさに近くにいた鳥を空へけしかけた。


せっかちな侍が敵襲と勘違いし、鉄砲を空に放つ。


皆の注意が一斉に空へ向かう。かえでの母も思わず空へ視線を投げた。


その一瞬の隙に月千代は、かえでの母の懐に潜り込み、妖刀をはたきおとした。


後ろ手に羽交い締めにすると、かえでの母は、がっくりと膝から崩れ落ち、下を向いてしまった。

「腹の子、腹の子だけはどうか、どうか平に…」


消え入る声が痛いほど悲しい。


すらりと刀の鞘から抜きでる音が四方から呼びあうように聞こえ、月千代にも緊張が走る。


「待て、手だし致すな。下がっておれ。月千代どのこの天狗は一体…」


じっと事の成り行きを見守っていた惣右衛門が人払いをした。


「腹にややがおりまする」


「身籠っておるのか、なぜにかような戦に…。」


惣右衛門は、膝を下ろし、かえでの母に語りかけた。しかし、かえでの母は、何も答えない。


「何も答えたくないか。ーーーここにおる田助とその妻、月はよき夫婦じゃ。お前の案ずることなど何一つない。おまけに、妻の月は妖怪で猫又である。しかも、お前と同じく身重の体じゃ、そなたの気持ちはよくわかると思うがのう」


かえでの母は、疑心暗鬼で月千代の顔を見た。


人間と猫又が?


人を喰らうが猫又。人を愛し、人に愛される猫又など聞いたことがない。

かえでの母は、心許した振りをして、子を産んだらすぐに逃げようと考えた。


きっと人間は、自分を騙して母子共々、煮るなり焼くなり、見せ物にしたりするに違いない。


かえでの母は、しおらしく礼を述べ従うふりをした。


「違うよ。おばちゃん。このお月さんは、ほんとの猫又だよ。それに、渡辺様も田助さんもおばちゃんを騙したりなんてしない。」


「?」


小さな女の子がしきりにかえでの母の袖を引きながら語りかけてきた。


「奈津、何を泣いておるのじゃ」


月千代に奈津と呼ばれた少女は、号泣してやまない。


「だって、だって悲しいよー。悲しすぎて止まらないんだ」


かえでの母は、少女の意図していることもこの少女が何者かも知らない。ただ、不思議な気持ちで少女の泣き叫ぶ姿を見ていた。


「奈津は、サトリじゃ。そなたが閉ざしている心の闇を紐解いたのであろう。サトリに隠しごとはできぬゆえ」


心の内を読まれてはまずいと必死で閉ざそうとするものの、かえでの母の側から奈津は、まったく離れない。

そうこうするうちに、田助と月千代の周りには村人たちがやって来た。


人びとは、天狗に目もくれない。田助たちと軽口を叩きながら談笑を始めた。惣右衛門も一休みとばかり振る舞われた茶をゴクリと一飲みして草の上にそのまましゃがみこんだ。


かえでの母は、呆気にとられた。


人間は、地位とか名誉を重んじると聞いていた。家老というのは、民にとって雲に近い位で寄り付けないお人と聞いていた。


それがどうだろう、村人とこんなに気さくに触れ合っている。


かえでの母は、月千代をもう一度向きなおした。そこへ、茶がすっと差し出された。かっぷくのいいおばさんであった。


「まだ、お月ちゃんのこと疑っているのかい。およしよ。あの子は、そんな子じゃないよ。ほんとに気立てのいい子だよ」


「猫又でもか…いやそれ以前にほんとに猫又なのか」


かえでの母は、いまだぬぐいきれない疑念を口にした。


あんたもしつこいね、親方何とか言っておやりよ」


おばさんが、苛ついたように田助に叫ぶ。


「困ったのう、ならば猫になってみせるか、お月」


田助は、月千代の顔をおどけてみた。


「親方まで馬鹿言うんじゃないよ。見せ物じゃあるまいし、お月ちゃんだって身重だよ。猫の目の玉みたいにくるくるかえられちゃいい迷惑だよ。やめておくれ」


おばさんのたしなめに一同笑い声をあげた。


月千代の方は、その気になっていたのか立ち上がる素振りをもじもじとしていたようで、中腰の体勢で躊躇していた。


「あら、いやだ。お月ちゃんまでその気かい。ほんと素直な子だよ」


おばさんに見とがめられ、顔を赤くしてゆっくりと月千代はその場にしゃがみこんだ。


また、一同の笑いが起こる。


かえでの母は、自分の身をこの者たちに預ける決心をした。


夫の言葉を思い出す。


人だろうと、妖怪だろうと関係ないのだ。


そう、関係ないのだ。人だろうと、妖怪だろうと。信じられる者と信じるという行為においては…。


「私は、天狗の里に住む、飛兔美(ひとみ)と申します。お願いがございます。あなた方を襲うようなことは決してしないので、出産し、怪我が癒えるまでどうか私をここにおいてくださいまし。」


深々と土下座するかえでの母にみな、何事かと笑うのを止めて目を丸くする。


「端から、そのつもりだよ。顔をおあげよ。飛兔美さん」


おばさんは、皆の気持ちを代弁した。


顔を上げた、飛兔美は、赤ら顔を更に赤らめ泣きじゃくる。長い鼻をすすりながら、まつ毛の長いつぶらな二重を両手でぬぐう。


ポツリポツリと自分の身の上話を始めた。


山伏の格好の上から、月千代がそっと着物を羽織らせた。


「身体を冷やすとややに障りまする。続きは家で伺いますゆえ」




この日より、飛兔美は、田助の家に厄介になることになった。


そして、暫くして月千代より少し早く、無事男の子を出産した。


後の和馬であった。






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