にゃー子と菜子
あくる日、にゃー子と愛梨沙はいつもの通学路を並んで歩いていた。今年一番の冷え込みに愛梨沙は手袋をしてこなかったことを後悔し、時々手に息を吹きかけながら身を縮こませて早歩きで学校を目指した。
呼吸に合わせて刻む息は白い。二人は、昨日のことやマユの体の具合を気にかけながら学校の手前にある信号までたどり着いた。
そこへ、後ろから「おはようですぅ」という聞き覚えのあるほんわかな声がふたりにかかった。茶色いコートに耳あてをしたメイが二人の肩をたたきながら前に回り込んだ。
さっそく朝の恒例行事、にゃー子の調教が始まった。カバンから猫じゃらしを不敵な笑みとともに取り出したにゃー子は、うねうねと軽くメイの前にちらつかせた。
メイがピクリと反応し、そわそわ落ち着かなくなる。
その反応をにゃー子は見逃さず、すかさず、うねうねを大きくし始める。上に下に横にガードレールの上を止まってる自転車の上を、地面を生き物のようににゃー子が猫じゃらしを這わせていく。
メイは、困った顔をしながらもつられるように猫じゃらしの後を追う。
「ほれ、ほれほれー」
新体操のリボンのように激しくにゃー子が舞う。
「あーもう、にゃー子さ
んのいじわるー」
メイも朝から衆人監視の中はじけ乱れ飛ぶ。
周りの冷めた視線を一身に集めるにゃー子とメイ。そして、何もしてないのにとばっちりをくって二人以上に恥ずかしい目になぜか遭う愛梨沙。
「ちょっと、二人ともよしなさいよ。みんな見てるわよ。恥ずかしい・・・」
愛梨沙は、動いてもいないのに妙に体が暑くなる気がした。それと同時に反比例して心は体感気温以上の寒さを覚える。
「もう、にゃー子さんのせいです。恥ずかしいですぅ。これ、しばらく私があずかります」
メイが顔を火照らせてながら、にゃー子の手から猫じゃらしを奪い取った。
「あー」
にゃー子は幼子がいたずら道具を取り上げられたかのようなふてくされた声を上げた。しばらく、ぶーたれるように唇を突き出していた。
「---にしても、こんなものどこで買ったのよ、にゃー子」
愛梨沙は、メイの手に握られた、撫でると気持ちいい、ふさふさの毛が先端についた猫じゃらしを眺めた。
「それは、菜子に入るときもらったんにゃ」
「菜子ちゃんににゃー子が入るとき?誰に?」
愛梨沙は、にゃー子に聞き返した。愛梨沙は、菜子ちゃんににゃー子が入るきっかけをまだ聞いたことがなかった。にゃー子が語らなかったこともあるが、何となく聞いてはならないような気がしていたからだ。
妖怪は、人に「化ける」ことができるとサトリである薫子から以前教わった。にゃー子は妖怪でありながら人に「化ける」ことができない。したがって、他人の中に入ることで「人」になりすますのである。
成りすます「人」生死は問わない。愛梨沙の中にだってその気になればにゃー子は入れるはずである。実際、狐と戦った際、愛梨沙の友人の藤崎琴音は、閻魔の娘に生きたまま体を2年もの間操られていたのだ。
しかし、にゃー子はそれを嫌う。成りすました者の気持ちやその周りの親や友人たちの気持ちを考えてしまうからである。
だから、にゃー子は死んだ者の体をかりそめの宿り木と選んでいるのだ。
信号機が赤から青に変わった。人の流れは、一斉に学校方向に向かっていく。にゃー子たちはわたるのも忘れ、そのままの場所に立っていた。にゃー子は、ゆっくり思い出すように言葉を選んで語りだした。その時、歩行者用の信号が点滅を始めていた。
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12年前のことだ。菜子5歳の時にさかのぼる。父、陽一の仕事の関係で夏休みがなかなか取れなかった菜子たち一家は、海辺の水族館に日帰り旅行へ行った。
菜子にとっての初めての海。そして、魚たち。遊び疲れた菜子は、帰りの車の中で寝ていた。後部座席で、買ってもらったイルカのぬいぐるみを枕代わりにして寝息も立てず。
高速道路を下りようと料金所で順番を待っていた時だった。後ろから突っ込んできた車によって、菜子はひどいけがを負った。陽一だけが自力で脱出したものの中には助手席にいた菜子の母、香織と後部座席の菜子が取り残されてしまった。
二人を助けようと、陽一は車に戻ろうとするが、救助隊と警察によって阻まれてしまった。そのころには、車から火の手が上がっていた。
泣き叫ぶ、陽一の声。その声が聞こえたのか、気を失っていった香織が目を覚まし、菜子をつぶれた後部座席から必死でたすけだし、奇跡的に車から脱出したという。
燃え盛る炎が時に強く激しく天に怒りをぶつけゆく様を魂の月千代は、眺めていた。
気がつくと一人の少女が月千代の傍らに立っていた。少女は、身体中に傷を負っていたが、肉体を有している少女に誰も気づかない。
暗がりの中、車のヘッドライトや炎、緊急車両の赤色灯が時折彼女の姿を映し出した。
高速道路にはおよそ不釣り合いなセーラー服。
それが、月千代に見えた精一杯の彼女のプロフィールであった。
女は、足を引きずりながら、右肩を押さえ、香織に近づいていった。
煙にやられ、危険な状態であった。
少女は、香織の側に寄り添うように腰を下ろすと自分の怪我に構うことなく術を唱え、香織の怪我の治療をした。
そして、立ち上がると月千代の所へ近づき、名前を呼んだという。
少女は、月千代に橘菜子の中に入るよう勧めた。
それが、田助と出会う近道であると…。
少女は、なぜ月千代がみえたのか、なぜ月千代の名前を知っていたのか、彼女は何者だったのか…。
月千代が訊ねようとした時、消えてしまった。
手に握っていた猫じゃらしを月千代の手に押し込めて…。
そのあと、菜子は、病院に運ばれ手術を受けた。
既に心肺停止の状態にあったが、月千代が宿ったことで菜子は、「キセキ」という名の復活を遂げた。
数日後、目を覚ました菜子の枕元に誰かが立っていた。
ボンヤリした意識で菜子が問いかけると若い女性の声が返ってきた。
高速道路で聞いたものとは、別の声だった。
菜子に入った月千代は、そこで初めて望月愛梨沙の名前を聞いたという。
転生人GO!!と式神のトオルの話を照合し、満を持してにゃー子となった月千代は、望月家の隣に越してきたのだという。
「気味悪いわね、その人たち。何者?幽霊?なんで私のこと知ってんの」
違う寒気に愛梨沙は、肩から腕にかけて何往復も大袈裟に擦ってみせた。
信号機は、既に三度目の青に変わり、愛梨沙たちもさすがに学校に向かって歩き始めた。
「さあ」
にゃー子が間を空けて間延びした返答を愛梨沙に返した。
「さあ、ってあんた。よく知らない人の言うこと聞いたわね」
呆れと怒りの入り交じった複雑なため息と共に刺々しい言葉を愛梨沙は、にゃー子に浴びせた。
「ちゃんと調べました!」
にゃー子もちょっといらっときたのか強い口調で言い返した。
「まあまあ、あーりん結果オーライってことで・・・。怒ったらダメですよ」
メイがすかさず猫じゃらしを振って二人の間に割って入る。
愛梨沙は、じっと猫じゃらしを見たあと、メイの手ごとそっと持ち上げた。
愛梨沙は、愛らしいけど、何の変てつもない猫じゃらしをくまなく見回した。
「メイドインジャパン。製造元ワンニャンファクトリー…か」
愛梨沙は、空いてる方の手でスマホを取りだし、何の気なしに検索をしてみた。
「え」
暫く画面を指で繰っていた愛梨沙は、野太い驚きの声をあげた。
「この会社、ペットの玩具製造してる会社なんだけど…たちあげたの3年前よ…」
「えっ?」
にゃー子もメイもそれきり黙ってしまった。
この事実が何を意味するのか、にゃー子たちは考えていた。
もし、ーーもし、高速道路に佇んでいた少女がメイであり、にゃー子が病室であった少女が自分たちの仲間の一人だとしたらそれは何を意味するのか。
オロチとの闘いが関係するのだろうか。
不安がよぎる。
あの島根の山中で出逢った白峰という蛇はにゃー子をまるで子供扱いするかのように全員いなしてしまった。それも唯の一匹だけでである。
そのボスのオロチはそれ以上に強いはずである。
にゃー子たちの前にある日常とにゃー子たちが踏み込んでしまった非日常。
人びとが進むべき道へ進んでいく。校門の前で立ち尽くすにゃー子たちの前を通りすぎていく。
その人たちの笑顔が日常が、オロチの恐怖を不確かなものに薄めていく。
「おい、菜子」
にゃー子たちは、ハッとして我に返った。
スーツにコート姿の男性が笑顔で立っていた。神村トオルだった。
「あ、おじちゃん」
にゃー子が不安を打ち払うように明るい声を出した。
「にゃー子さんこの方誰ですか?」
メイが興味ありげににゃー子に尋ねた。
「あ、私の叔父さんで、神村トオル。それが仮の姿。ホントの正体は神様で式神にゃ」
「えー神様ですかー」
「シー、声でかいってメイ、みんなが見てる」
愛梨沙は、メイの口を慌ててふさいであたりを見回した。そんな、愛梨沙達を尻目にトオルはにこやかににゃー子に話を進める。
「ちょっとこっちの方に用事が出来てね。ここで捕まってよかった。はい例のもの…」
トオルは、にゃー子に紙袋に入った雑誌を手渡した。にゃー子はトオルの手からサッと紙袋を取ると無言で素早く自分のカバンに押し込んだ。
「トオルさん、例の物って何ですか?」
愛梨沙は何の気なしにトオルに訊ねた。
「あぁ、最新の転生人GO!!をね・・・って、わーまただ。また君の誘導尋問に引っかかってしまった。何度目だ。俺としたことが・・・。君は天才だ。誘導尋問の天才すぎる。忘れてくれ、転生人GOのことは忘れてくれ」
トオルは口を押えながら、冷や汗を吹きだしている。これがいわゆる変な汗ってやつか、
愛梨沙は変に納得した。と納得したところで愛梨沙としても聞いてしまったものは忘れるわけにはいかない。
それに、この雑誌については愛梨沙もトオルに聞いてみたいことがいくつかあった。
転生人GO!!は、愛梨沙がはじめてにゃー子に会ったとき存在を知った魔界の刊行誌のことである。月刊誌なのか、一年に何回か発行されているようだ。
そして、魔界からの持ち出し禁止の品らしく、ばれると大変なことになるらしい。そして、人間は見てはダメなものらしいのだ。
愛梨沙は、表紙に書かれていた魅惑的な中吊にどうしても見たくなってにゃー子の手から奪おうとした。しかし、にゃー子から「あっしの口からは言えねえっす」と言わしめるほどの恐ろしい目に合うと説得されやむなく手をひっこめた経緯がある。
以来、にゃー子のうちに遊びに行っても手すら触れていない。
いったいどんな目に遭うというのか・・・、愛梨沙は、トオルに意を決して訊ねてみた。
「魔界の刊行物はね、みな魔力を帯びているんだ。そして、見たものを魔界に引きずり込む。つまりは見た人をあの世へ連れてっちゃうってことだ。ただ、厄介なのは見た人だけに留まらず周りにいる人も巻き込む恐れがあるってことなんだ。例えば、キミたちの学校で誰か一人生徒がこの雑誌を見ちゃったとするだろ。そうしたら、クラスの人全員とかはたまた学校中の人とかも巻き込まれちゃう可能性があるってことなんだ。アイツらは、一人でも多く魔界に引きずり込みたいからね」
「そんな爆弾より危ないもん、通学路で渡さないでよ。よかった盗み見しなくて・・・」
愛梨沙は、にゃー子に近寄るなと言わんばかりに両手を差し出して首をぶんぶん横に振った。メイも反対側で、眉間にしわを寄せ愛梨沙と同じしぐさをする。
「大丈夫。君たちは長生きするよ。神様の僕が言うんだから間違いない。そうだな、は・・・おっと危ない危うく寿命を宣告するとこだった」
トオルは再び口を押えた。
「はち?え、80代ってこと?短い。やだ。もっと。まだ、おいしいもの全然食べてない、恋してない」
「そーです。もっと長生きしたいですぅ。神様のいじわるー」
二人で、駄々っ子みたいにトオルの肩を左右からゆする。トオルは苦笑いしながら、ほうれい線のあたりをポリポリと指で掻く。
「基本そのぐらいってことだから、キミたちが行いよくすればもっとそれ以上伸びるから・・・」
二人は、ほんと、と言ってやったーとはしゃぎながら飛び跳ねた。その様子をこまった顔で見ていたトオルは時計に目をやり三人に別れを告げ、去って行った。
校門からクラスに向かう廊下でも三人話題は、寿命についてであった。およそ、前途有望な高校生の女の子の会話とは到底思えない。
「でも、なんか悔しいわよね。にゃー子なんか、猫のくせに何百歳と生きてるんだし…」
「そーですよね、猫さんなのに恋もしてますし」
「猫じゃにゃいもん・・・猫又だもん・・・」
にゃー子は、不満そうに背中をかがめ二人をじとっと見つめ返す。もうじき、クラスに到達する、そんな時だった。隣のC組の前に人だかりができている。男子の歓声がひときわ目立つ。
「なんでしょう?」
メイが首をかしげる。
C組の前を通りかかった時、たまたまそばにいた、にゃー子のクラスの男子たちの話す声が聞こえた。
すっげーかわいい」「あんな子同じ学年いたっけ?」「ノーマークだったぜ」
かわいい?子?女の子?
ハテ ダレダロウ?
にゃー子たちは、教室に入る前に揃って、ピタッと足を止め、うしろ歩きでC組の扉まで後戻りした。並みいる男子を押しのけにゃー子たちが見たものは、ほかでもない稲田姫子の姿であった。
「なんだ姫子じゃない」
愛梨沙が失礼なほどがっかりな声を上げる。
「でも、私は素質あると思ってましたよ、ただ、あの恰好と話し方がねー」
メイが愛梨沙の頭の上から顔をだし、持論を述べる。
「神通力で魅力全開にしたろ、あいつ」
にゃー子も少々呆れ顔だ。その横で生暖かい視線のサングラスを頭に乗っけた生徒が無言で姫子を見ている。
「いつの間に」にゃー子たち三人がおののく。彩萌だった。彩萌はそれでも一言も発することなく呆れたように姫子を見る。
そんな様子に気付いた、姫子がにゃー子たちにウインクして指鉄砲で撃ちぬいた。
彩萌以外は撃たれたふりして苦しんで遊んでいたが、彩萌はサングラスをかけるとやれやれと言ったそぶりをして一人A組の教室へ帰ってしまった。
ホームルームを告げるチャイムが鳴った。




