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カエデの決心

「おーい」


にゃー子たちは、声のする方を振り返った。


「薫子。それにかえでさんも一緒だ。」


愛梨沙が目を凝らして確認する。


よかった、兄さん思い止まってくれたんや…。


かえでは、みんなが無事なのを確認して安堵の表情を浮かべた。


「ところで、兄さんは?」


みんなの元に走り寄ったかえでは、兄の姿を探して辺りを見回した。


にゃー子たちは、一斉にこんがり焼き上がったへたれ天狗をここだと指さした。


「兄さーん」


変わり果てた兄の姿にかえでは、悲鳴に近い叫び声をあげた。



和馬の父は、難しい顔で黙って和馬を見下ろした。拳は、強く硬く握られ、足にはぐっと力が込められていた。


口は、真一文字だが目元は哀しい色を含んでいた。



「親父、負けてもうた。取り返せんかった」


「和馬…」


「おれ」


「何も言うな、もうええ」


「ええことない。羽団扇ないせいでどんだけ偉い目みた思うてんのや。かえでかて…」


「ちがうんや」


「ー?、違うって…、何が違うねん」


和馬の思考回路が一瞬停止した。禅問答のような受け答えに「違う」という言葉の意味がこぼしたインクのシミのように広がっていってしまったからである。


両手両膝をついた和馬が、父の顔を見上げる。

「違う言うたら、違うちゅうことや。ーあの羽団扇は、お前のやない。お前のはこれや…。ずっとわしが預かっとった」


和馬の父は、懐から羽団扇を一本取り出した。


「な、なんやて。ほな、誰の羽団扇やねん。あの猫が持っとるやつは正真正銘天狗の羽団扇や。」


和馬は、ショックを受けた。


「あれは、お前の母親のもんや」


「なんやてー」


立ち上がろうとする和馬の肩を押さえ、父は、和馬を座らせた。


「落ち着け、和馬。話はまだ終わってない」


和馬の父は、和馬がおとなしくなったのを見届けると先を続けた。


オロチとの戦が終わったあと和馬父と母は、それぞれ別の場所にいた。


和馬の父は、式神に遠くに飛ばされ気を失い、母は、戦場となった田助の村に倒れていた。


月千代(にゃー子)が和馬の母を見つけた。息がある上、自分と同じく身籠っている様子。


月千代は、和馬の母を助け、和馬が無事産まれたのであった。


そのお礼に和馬の母が月千代にあげた羽団扇だったのだ。


「お前が今、おるんは、この猫さんのお陰や。その大事な恩人に手をかけるなんて…」


下をうつ向く和馬の父の姿に茫然とする和馬。


和馬は、更にショックを受けた。雷の非ではない。自分の培ってきた人生観から発する憎しみ、怒り、全ての負の感情は、この瞬間どこへ向かうべきか方向を見失ってしまった。


ぐるぐると心の羅針盤が回り始める。


「ほな、なんで黙ってたんや。そのことで俺らいじめられたんやぞ」


「和馬、お前を一人前にするためや。天狗の里を逐われた時から俺も母ちゃんも人になることに決めた。お前がそこで立派に勤めあげることができたら俺も母ちゃんもお前に羽団扇を返そう思っとたんや…。それが、見てみい。いつまでたっても怨みごとしか言わへんで、何の努力かてせいへん。今度の転生が最期やさかい、きちっと酒造りにせいだしてくれるかと思ったらこの有り様や。」


和馬の父は、深いため息を一つ吐いた。


「俺は、お前の父親として死んだ母ちゃんにあわせる顔がない」


和馬の父は、目頭を押さえた後、持っていた酒の瓶を薫子に渡し、一礼すると半天を脱いだ。


「今日限り、酒造りはしまいや、お前も好きにせい」

和馬の父は、その場にドカッと胡座をかいて座りこんでしまった。



長い沈黙が澄んだ森の空気を湿気を帯びたように重くする。


この間、薫子に促され、メイは、姫子の腕の怪我を治すべく神通力による治療を施した。


メイは、地面に壊した髪飾りを静かに置くと薫子は、そこにさっき和馬の父から渡された琥珀色の秘蔵古酒をゆっくりと満遍なくかけた。

日本酒のにおいというよりシェリー酒のようなひねたにおいが立ち込める。



メイが、胸の前で手を十字に交差させ何事か唱えた。


髪飾りが不意に光輝いた。


その眩しさが終わると同時に髪飾りは、元の傷痕一つない状態になっていた。

姫子が意識を取り戻した。


包帯している手をゆっくりと確かめるように動かす。


「治ったでありんす」


みんなにこやかに諸手を挙げて喜んだ。


が、直ぐに場違いなほど緊張した和馬一家の様子に一同大人しくなってしまった。


和馬たちは、互いに向き合っていたがどこか視線はバラバラのようであった。


時だけが確実に進んでいく。



その時、かえでが意を決して口を開いた。


「父さん、私が酒を造る。父さんの跡を継ぐ。兄さんは好きにしたらええ。死んだ母さんに誇れる立派な酒を造って見せる」


きつい目だった。しかし、信念に満ちた輝いた目だった。


「かえで…」


父親は、驚いて前のめりでかえでの顔を見上げた。


「ええでしょ。父さん」


握り拳のまま、かえでが涙を拭う。


「お前、それでいいんか…」


「ええも何もうち何も取り柄あらへんし」


「なら…」


和馬の父が決まりだといいかけたときだった。


「待てい、勝手に話進めるなや、ぼけ」


「兄さん?」


「俺がいつ造らん言うた?俺が本気出したら親父なんぞすぐに抜かしたるわ」

「麹の振り方一つのなっとらんお前がか?」


和馬の父は、下を向いて鼻で笑う。


「アホ抜かせ。あれはたまたまや。明日本気みせたるさかい、びびんなや」


「ふふふ」


「何がおかしいねん」


成人しているのに駄々っ子のような和馬。


それでも、息子と父である。父にとって嬉かったに違いない。


和馬の父の気持ちを汲んだにゃー子たちも自然に表情が和らいだ。


「兄さんのやりますは、三日続いたことあらへん。うちも造ります」


かえでが和馬のおでこを人指し指でちょんと弾いた。


「あほ、お前の酒なんて人様に出したら蔵の評判がた落ちや。造らせられるかい」


「そこまでいうならうちと勝負や」


「お前なんかとできるかい」


「兄さん、恐いんだ。うちに負けるんが。そうやろ」


「お前になんか負けるかい」


兄妹の微笑ましい喧嘩に父も少し、呆れ顔を見せた。


「なら、かえでちゃん。しっかり酒造り勉強しなきゃね」


「え?」


薫子の提案にかえでは、和馬から顔を反らし、振り返った。


「現場は、和馬と俺が何とかする。お前は理論や基礎をしっかり大学の醸造科で学んできてくれ。」


「父さん?」


「高校出て、大学行ってからでも酒造りはおそうない」


「でも…」


かえでは、躊躇した。また、いじめられたら…。正直かえでは、逃げ場がほしかったのかもしれない。社会との、人との。薫子は、その小さなほころびをサトリとして見抜いていた。



「あなたが踏み出した一歩よ。もう、あなたは一人じゃない。家族もいるし、ほら」


薫子が自分の後ろを指差す。


綺麗に横一列に並ぶ笑顔のにゃー子たち。


「泣きたければ一緒に泣くにゃ」


「重たい荷物はみんなで持つから」


「喧嘩の相手にだってボクらなるし」


「笑顔は倍になりますよ」


「恐がることはないでありんす」


「三毛根高校にいらっしゃーい」


それぞれのプレゼンの後、全員声を揃えてかえでにカモーンと手招きした。


「なんやろ、今日はずっと泣きっぱなしや…」


かえでは、笑うのも久しぶりなら、泣くのはもっと久しぶりだった。


ずっと我慢していた。


泣いたら負けだとずっと我慢していた。


いじめられても・・・。


いじめられても・・・。


つま先立ちするように自分の人生に片意地を張って生きてきた。


「うれし涙ならいいじゃにゃいか」


人間の姿に戻ったにゃー子がかえでを抱きしめた。


そうだ、涙の色が違うんや。


かえでは、心の窮屈なつま先立ちをやめ、そっとかかとをおろした。


かえでは、にゃー子からそっと離れて、父の方へ向きなおした。


「父さん。兄さん。しばらく東京へ修行に行ってきます。酒造りのため、そして過去にけじめつけるために」


父は、ゆっくりかえでの目を見てうなづいた。


にゃー子たちは、大喜びした。








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