稲田姫子
次の日、昼休み。
にゃー子と愛梨沙が購買部でパンを買って教室に戻るとマユが血相を変えてにゃー子の元へ駆け寄った。
「大変!メイが」
「どうしたにゃ?」
マユの手には、汚いない字で果たし状と書かれたくしゃくしゃの紙切れが握られていた。
にゃー子は、マユの手からそれを奪い取ると黙って目で追い、走りだした。
愛梨沙もそれに続いた。
「心配にゃ」
「ほんと、大丈夫かしら」
愛梨沙は、メイの身を案じた。
今度はどんな妖怪なのだろうか。
まさか、ヤマタノオロチ!?
愛梨沙は気が気ではなかった。
しかし、にゃー子は、意外なことを口にした。
「心配にゃ…。あの眼鏡」
「え?」
メイの心配じゃない?
愛梨沙は、自分の耳を疑った。
とりあえず、二人は、決闘の場所である屋上へ走り続ける。
その頃、屋上ではメイの前に例の腕を怪我した眼鏡が対峙していた。
「よっくぞ、あちしからこそこそ逃げ回ってくれたでありんす。今日こそ我が恨み晴らすでありんす」
「わたし、逃げも隠れもしてません。こそこそしているのは、あなたの方じゃないですか。何で私に嫌がらせなんてするんですか?理由をおっしゃってください」
「黙らっしゃい!」
包帯ぐるぐる巻きの片手を眼鏡が悔しそうに挙げて見せた。
「その怪我がわたしのせいだというのですか?知りませんですぅ、わたし」
メイは、合点がいかぬと反論した。
「問答無用、覚悟するですのん」
眼鏡がメイに飛びかかる。
繰り出される蹴り技は、常人とは思えないほど速く重い。
メイは、受けながらじりじり後退していく。
眼鏡が蹴りこむたびにショートカットの頭につけたピンクリボンがヒラヒラ揺れる。
背は、メイより少し低いが割りと色白で、胸も意外にある。
目もぱっちりしていて愛らしい小動物のようだ。
ただ、この眼鏡…。
惜しいかな、話し方と格好と性格が痛そうだ。
メイは、眼鏡の攻撃をかわしながらそんなことを思った。
「あなた、妖怪ですか?ただの人間ではないですね」
後退し、追い詰められたメイは、屋上のフェンスを利用して、中央に反転した。
左手の人指し指と中指に術符を挟んで眼鏡を睨んだ。
「そんな紙切れ無駄でありんす、あちしは妖怪ではなく神でありんす」
「神ですか?」
「そう、神に見初められた女。つまり神の妻でありんす」
「え?ということは…」
メイは、理解するため一瞬戸惑った。
「つまり、あなたは…」
「そうですのん、あちしは…」
「えっと、あなた、アタマ大丈夫ですか?」
「お前に言われたくないわい!!」
眼鏡は、憤慨し、猛攻を仕掛けてきた。
蹴りの鋭さが増している。
「理由をおっしゃってください!!理不尽過ぎます。でないと、わたし…」
「お、泣くのんか?泣け、喚け、あちしの受けた苦しみはこんなもんじゃないですのん」
更に眼鏡の執拗な攻撃が続く。
「いい加減にしてください!!でないと、わたし…、本当に…」
メイの肩が震える。鼻をすする音がする。
「おらおら」
その様子にご満悦の眼鏡は、ひたすら蹴りをメイに繰り出していく。
「いい加減に…」
「しやがれ!!この包帯眼鏡ー!!」
サンドバッグに鋭い一撃がくわえられたような鈍い音が響いた。
そこへにゃー子と愛梨沙が屋上のドアを派手に開け、飛び込んできた。
「遅かったか」
にゃー子の目の前には、腹を押さえてきれいにへの字に横たわる眼鏡の姿があった。
メイの目付きは完全に変わっていた。
「怪我人だと思って、下手にでてりゃ、いい気になりやがって」
メイの神通力は、ご先祖様の力の上に成り立っている。
普段は、うまくメイがコントロールして意識下に抑えているのだが、怒りと悲しみで我を忘れてしまったようだ。
完全に気性の荒いご先祖様が現れてしまっている。
以前、メイの誕生日に覚醒してしまい、にゃー子が危ない目にあい、大変だったのだ。
「メイ、私…。わかる?」
愛梨沙は、恐る恐るメイに訊ねた。
「ああ」
メイは、コクリと頷いた。
あの時と違い、にゃー子は、妖怪猫又でもメイの友人だということを今度は認識してるようだ。
「メイ。ですぅ、って言ってみて」
愛梨沙は、おずおずとメイにリクエストした。
メイは、唇をもにょもにょと動かしながら、慎重に言葉を発した。
「デ、デスウウウウウウウ」
腹の底から響くような声に愛梨沙とにゃー子は絶句した。
「にゃんか、deathに聴こえるのは、にゃー子だけだろうか…」
「いあ、私も間違いなく聴こえちゃったわ。直るまで喋らないほうがいいわね、わかった?メイ」
メイは、大人しく大きく頷いた。
眼光は、相変わらず鋭い。
「おっと、忘れてた」
にゃー子は、いまだきれいなへの字のまま唸って倒れている眼鏡を抱き起こした。
「お前何でこんなことしたんにゃ、話してみろ」
包帯眼鏡は、正座すると三人を見回した。
「あっちし、稲田姫子と申します。夏休みに入ってすぐのことでありんす…」
姫子と名乗った眼鏡は、ぽつりぽつり話し始めた。
須佐之男命の妻、クシナダ又の名を稲田姫。
遠い昔、ヤマタノオロチを退治した神が退治の見返りにめとった女神の名である。
それが、稲田姫子らしい。
オロチの復活によって、付け狙われた二人は、オロチを倒そうとしたのだが、逆に須佐之男がオロチによって人形の中に封印されてしまったのだという。
一人になった姫子は、オロチの手下のムカデに追われ逃げていた。
すると、突然体に衝撃が走り、姫子は、身体中の骨がバラバラに砕けてしまった。
姫子は、気を失う寸前にダメージの全てを左腕に集中した。
気を失った姫子は、幸か不幸か神通力を失った。
ムカデは、神通力に反応して姫子を追っていたので姫子を見失った。
代わりに神通力全開でバトルを開始したにゃー子とメイの元へ飛んでいった。
オロチは、一旦追うのをやめて、消えてしまった。
「あの、ムカデはそういうことだったのか…。」
にゃー子は、メイの誕生会で神社の境内で見たあの大きなムカデを思い出していた。
しかし、それにしても、まだいくつか疑問が残る。
「その腕の怪我とメイが何の関係があるの?それに今頃になって」
にゃー子が聞きたいことの二つを愛梨沙がまず、姫子に質問した。
「あっちし、ずっといい続けましたですのん。あの晩も…。」
「あの晩も?メイが覚醒した誕生会の日のこと?」
「直しておけって叫びましたのん」
「あなたの声だったの?」
愛梨沙は、ずっと気になっていたのだ。
メイもにゃー子もあの晩疲れきって寝てしまった。
愛梨沙は、はじめ寝言かと思ったが、思い当たる声の主が浮かばなかった。
しばらく引っ掛かっていたのだ。
「あれから、毎夜神宮寺の枕元に立って、語り続けたのに一向に気付いてくれませんのん。それで、嫌がらせやら尾行やらをしたんでありんす」
「尾行・・・。気付かなかったぜ…」
メイは、感心したような素振りであごを撫でた。
かなり鈍感だ、愛梨沙とにゃー子は思った。
「腕の怪我との関係は?」
愛梨沙は重ねて姫子に説明を求めた。
「神宮寺が壊した髪飾りが問題でありんす」
メイは、術師の家系。女の子が生まれるとその神通力を抑えるため体に身につける物に封印の文様を刻んでおくのだ。
メイの場合、母譲りの髪飾りだったのである。
しかし、ムカデと戦うためメイが自ら握り潰してしまったのだ。
「あれとあんた何の関係があんの?」
「その昔、オロチから守るためあっちしは須佐之男命に櫛へと姿を変えられたのでありんす。その一部は別の素材として出雲大社に置かれたのでありんす。あの髪飾りの素材は神宮寺家が、出雲大社から賜ったものでありんす。いわば、あっちしの体の一部のようなもんでありんす。そして、壊された。でも、それだけではあちしも怪我まではしなかったでありんす」
「じゃ、何がいけなかったの?」
愛梨沙は、眉間にシワを寄せた。
「文様でありんす」
「文様?」
姫子はずり落ちた眼鏡を直して愛梨沙の顔を見た。
「神宮司の母が、封印に用いた文様がたまたまあちしの神通力を抑える封印と一致してしまったのでありんす」
「偶然が招いた悲劇ってわけね。じゃ、どうすればその怪我治るの?髪飾り元通りにすればいいの?あの髪飾り粉々よ」
「島根の出雲大社近くにある酒蔵、八塩酒造の幻の古酒「千年の眠り」を髪飾りに吹きかけ封印を術師に解いてもらえばいいのでありんす」
「高校生が行ってそんなたいそうなもの、しかもお酒でしょ?売ってくれるかしら・・・」
愛梨沙は財布をはたくふりをした。にゃー子も腕を組んで下を向いてしまった。
そこへ、おまたせといわんばかりに屋上のドアが大きく開かれた。
「なになに?迷える子羊ちゃんたち、私の助けがぜひ必要だって?何を隠そう私はオ・ト・ナ。大人の女性・・・」
一人芝居を入ってくる早々始めたのはD組担任黛薫子だった。
「?」
姫子だけ合点がいかぬ顔をしている。
「薫子は、妖怪サトリにゃ」
にゃー子が姫子に説明した。
「サトリって、人の心が読めるっていうあの妖怪ですのん?」
「そうにゃ」
驚いた顔をする姫子ににゃー子は腕組みしたままうなづいて見せた。
「お酒じゃしょうがないわよね、いくらあんたたちでも。でも大丈夫あたしがついてるから。ここは、どーんと大船に乗ったつもりで私にまかせなさい」
人の心を読むということは決してたやすいことではない。
しかし、今薫子の前にいる者たちにははっきりと彼女の心の声が聞き取れて仕方なかった。
そして、彼女の思いがすでに遠く島根に飛んで行ってしまっていることも・・・。
にゃー子たちはじとーっとした目つきで薫子を眺めた。
それに気づいた薫子が左手でちょいちょいした。
「やだな、お前たち。そんな不純なこと考えてないって、私は教師だよ。お前たちのため!お前たちのためだって!!」
もはや、何の説得力もない。笑顔全開の薫子がそこにいた。
「ところで、封印された須佐之男命はどこにゃ?」
「ダーリンならここに」
姫子は、ポケットをごそごそやるとへんちょこりんな人形を取り出した。
10センチほどの軽いプラスチックのような素材で出来ている人形。
その顔は、かなりまぬけだ。
顔の上半分はへのへのもへじが縦にクラッシュされたような感じで妙な哀愁を漂わせている。
口元は、なぜか不敵で笑みをうかべている。
しかも、誇らしげに端からチロッと舌を上にだしている。
片手を腰に、もう片方は剣を高々かかげているが正直弱々しい。
弥生時代のような白い服装と頭の両方にくるくる巻きがつけられている。
一同笑うに笑えず、絶句してしまった。
これが神様の姿とは信じがたい。
いや、これは人形。
姫子は、そう言った。
確かに言った。
人形という物体に須佐之男命の魂が封印されたのだと。
そう、だからにゃー子たちの目の前にある物体は人形なのであって決して須佐之男命そのものではない。
にしても、妙にインパクトの強い人形だ。
りが適当すぎる。
なげやり。
仕事の雑さ加減が、半端じゃない。
ご当地にいるようないわゆる、ゆるキャラ以上のゆるさだ。
とにもかくにも、まずは姫子の怪我を治さないことには始まらない。
皆は、とりあえず島根の八塩酒造なる酒蔵を目指すことにした。




