決着 サトリの正体
にゃー子も間に合わない。
目をつぶって、頭を抱える愛梨沙。
しかし、すんでのところで、華閻の拳がとまる。
「私、かまって頂かないとふてくさるタイプなんですぅ、そちらだけで盛り上がるのはやめていただけますか」
メイの神通力による防壁が、愛梨沙と華閻の拳を隔てていた。
にゃー子は、羽団扇を広げ、何事か唱えた。
小さな竜巻がにゃー子の周りにいくつも巻き起こり、華閻に襲いかかった。
しまった、華閻がそう思った時にはもう遅かった。
華閻の体が空高く舞い上がり、口から何か黒い闇のようなものが吹き出した。
にゃー子は、すかさず華閻の元に飛んで行き、腹部に拳を叩き込んだ。
華閻は、短いうめき声と共に更に大きな闇を吐き出す。
中から絞り出すようなうめき声。
まるで、琴音が華閻を自分の中から押し出しているようにもにゃー子たちには、思えた。
完全に闇を出しきったとき、華閻いや、琴音は、力なく、屋上の床に落ちた。
そして、もう一体、琴音の側に女性が倒れていた。
髪が長く、色が透き通るように白い。目が切れ長で琴音とは異なる。黒い着物は般若と赤い炎を模した刺繍で、所々、金が施してある。
年の頃は、同い年くらいに見えた。ただ、倒れている様子からは、攻撃的で威圧的な雰囲気の女性には見えない。
異空間が解け、いつもの青空が広がる。
木々のざわめき。小鳥のさえずり。車の音。
徐々に愛梨沙たちは、日常への帰還をその五感で確かめる。
そこへ、屋上のドアを豪快に開け放つ赤いジャージ姿の女性が一人。
笑顔満天の黛 薫子だった。
「お前ら無事かー?しかし、はじめてにしちゃ、上出来だわ。追々、神通力の使い方覚えてもらわないと」
にゃー子とメイは、薫子の登場に少し戸惑いを見せた。
薫子の口調だとまるで、ここで何が起こっていたのか知っているかのような口振りだからである。
「先生?」
メイが薫子に問いかけた。
薫子がニタっと笑いながら、にゃー子の方を向いた。
にゃー子がぎょっとした顔でおののく。
強い風が吹き、にゃー子の長い髪を撫でた。
一瞬の沈黙の後、薫子が口を開いた。
「やだなー、もぅ。忘れたの?わたしよ、ワ・タ・シ…。サトリの奈津よ、お月さん」
「にゃあああああー」
にゃー子は、化け物でもみたかのように座ったまま二、三メートル飛び上がった。
「あーりん、サトリさんって?」
メイは、増えた疑問を解こうと愛梨沙に問いかけた。
「にゃー子と桜林を大昔、オロチの呪いから守って赤い糸で結びつけた妖怪のことなの。そして、そのサトリというのが・・・」
「そう、何を隠そうこのワ・タ・シ」
自分を指差し、とても楽しそうな薫子。
「おっ?お月さんが逃げる、望月捕まえろ」
愛梨沙が振り返ると、四つん這いで、そろりそろりとこの場を去ろうとするにゃー子の姿が。
あわてて、逃げるにゃー子の足を愛梨沙は、掴んだ。
「にゃー、武士の情けにゃ、見逃すにゃ、あーりん~」
「おかしいと思ってたのよねー、なんか、嘘ついてたでしょ、にゃー子。待ちなさい」
サトリのこととなるとどうも口を濁らすにゃー子。愛梨沙は、いつもおかしいと思っていた。
「にゃー子は桜林と巡り合うまでは、一緒にいる約束だったのにサトリさんが途中でいなくなったって言ってたんだけど・・・」
愛梨沙の言葉に不敵にゆっくりと薫子は頭を振る。
「逆よ、逆」
「お月さんが私のとこから逃げたの」
愛梨沙は、にゃー子の足をさらに引っ張って、薫子の元へ引き寄せた。
もはや、にゃー子も観念したか抵抗せず、ずべっとしたまま薫子の元へ連行されていく。
「神宮司は知らないみたいだから少し説明するね。300年ほど前、田助という人がいたの。その生まれ変わりが桜林。田助とお月さんすなわち橘は夫婦だった。仲間を殺されたヤマタノオロチに二人は目をつけられた。田助さんが襲われて、私が魂だけ救った。魂の転生後、二人が出会って恋におちてハッピーエンド。そのためにはオロチとの戦いに備えなければいけない。だから、お月さんを鍛え上げようと思った」
「ははぁ、それで、厳しすぎてにゃー子さん逃げ出しちゃったわけですね」
「そうなの、にゃー子」
「・・・・・・。」
にゃー子は返事がない。まるで、屍のようだ。
「そう、何一つ会得しないまま、こそこそと。気配を消すことだけは一著前に長けたみたいだけど・・・」
薫子が笑いながら、にゃー子をしばきあげる姿を想像して、愛梨沙は、身震いした。
にゃー子は借りてきた猫のようにおとなしく下を向いている。
「お取込み中、悪いんだが、この娘さんは、預かっていくぞ。例の件で・・・」
琴音と華閻の倒れている方から突如、男の声がしてにゃー子たちは振り返った。
いつの間にか、ワインレッドのシャツとカジュアルスーツをスマートに着こなす紳士が華閻を肩に担いで立っていた。
「朱雀!!」
にゃー子と薫子は同時に叫んだ。
「この人が朱雀・・・」
愛梨沙は、人と呼んでいいかわからなかったが、とにかくほかの適切な呼称が思いつかなかったので、そうつぶやいた。
見てくれも何ら人と変わらなかったし、格好も想像していたのと違っていたからかもしれない。
「その子が探してた閻魔の娘さんなの?」
「ああ、とにかく急いで戻らにゃ。おまいさんたち、言いたいこともあるだろうがここは一つ俺の顔に免じて許してくれ。そこの御嬢さんは・・・」
朱雀は琴音を指差した。
「まぁ、悪いようにはしない。俺が約束する」
「でも、琴音の2年間・・・」
愛梨沙は、心配そうに朱雀を見つめた。
「事の仔細は、把握してる。それも含めてだよ。俺に任せなさい。あの子が歩みたかった高校生活と歩むべき人生にちゃんと修復しておいた、あの子の記憶もみんなの記憶もすべての記録さえもな、心配することはない」
愛梨沙の目にうっすらと涙が浮かんだ。
「おっとと、女の子の涙は勘弁してくれよ、おれはそういうのは本当苦手なんだ。それと、猫の…なんだ、ほら、あれ、名前…月ちょん」
朱雀は、頭をぼりぼり掻きながらにゃー子の方を向いた。
「銀狼にやられた猫又たちの件だが・・・。今は、よしておこう。ただ、おれが言うのもなんだが、ずっとこの娘のそばにお仕えしてきた身だ。この娘の気性はよくわかってるつもりだ。家出してからの150年に何があったのか調べる必要がある。もう少し待ってくれ、決しておまいさん達が考えているような娘じゃない」
そう言い残して、朱雀は、消えた。
じんわりと風景に溶けるように…。
風だけがそこに置き去りになる。
「トオルさん、式神さんは?」
愛梨沙が訊ねた。
四使徒の朱雀の手を煩わせなくとも、式神ならすぐに今回の問題も解決できそうにも思えたからだ。
「あ、あいつ?会社の部下が得意先とトラブって、謝りに朝から行ってるって…。サラリーマンはツライね」
薫子は、腰に手をやってケラケラと高らかに笑った。
神さまが、お国のために働いている。人間さまに頭を下げて…。
愛梨沙は、思わず、吹いてしまった。
「ホームルームまであと少しね、と、その前に…」
薫子は、貯水槽の鉄の階段をあがり、中から何か取り出した。
学園祭金賞の証、金猫のトロフィーだった。
にゃー子たちもすっかり忘れていた。
「呆れた連中ね、これを取り戻しに来たんじゃないの?あんたたち…」
薫子は、深いため息を大袈裟について見せた。
「ほれ」
薫子は、愛梨沙に猫を投げてよこした。
「うっ…?」
愛梨沙は、何も考えず反射的に手を出してしまい、猫を受け取って、気づいた。
濡れている。
「さ、みんな教室へ戻るわよ、あと少しでチャイムなるから」
薫子がへたりこむにゃー子とメイに促した。
どうやら、異空間にいた間の時間は止まっていたらしい。
「藤崎なら心配ない。さっき朱雀が何事もないように教室に戻したから」
愛梨沙の心を読んで、薫子が先に解説した。
「待て!!」
その声に一同足を止め、振り返った。
「な、なんで、ボクを生かしたんだ。君たちの命を狙ったんだぞ」
薫子は、苦笑いして彩萌に呆れ顔をした。
「あのねぇ、いちいち生徒の喧嘩ぐらいで先生が、生徒を殺しちゃってたら、誰がそんな危ない学校に子どもを通わせるの?あんたも馬鹿なこと言ってないで教室に戻りなさい」
「なんなら、燃え尽きるまでボクは戦う、そして…」
「いいかげんにしろ!!」
薫子は、愛梨沙のモップを素早く手に取ると彩萌の目の前に力強く振って見せた。
寸どめ。
わずか、彩萌の鼻先数センチ。
彩萌は、思わず目をつぶって、防御の姿勢をとっていた。
「高校生になってまだそんなガキみたいなこと言ってんじゃねえー。死にたい?生きたくても生きれないやつがこの世の中、山ほどいるんだよ。それぞれ理由はあるけど。そんな人たち前にして、そんな言葉吐けるか?生きていることに誇りをもて!!それだけでいい。死ぬな。緑川、お前今なんで、目をつぶった?お前の中の魂が生きたいって叫んだからだろう?お前自身が自分の魂の叫びに蓋をしてどうする。緑川彩萌という人間はお前しかいない。お前は『人』なんだ。」
彩萌が見上げると、薫子は、
その視線に合わせるように彩萌と頭の位置を揃えた。
薫子は、瞬き一つせず、彩萌を見つめる。
「あんたの本当の敵は、月さんじゃない。ヤマタノオロチ…でしょ?」
「死ぬな。その体、その色がお前の生きてきた証。すなわち、あなたなの…。そして、あなたを作ってきたもの。それはあなただけじゃない。あなたを愛する人たちが作ってきたってことでもあるの。よく考えて…」
薫子は、彩萌の肩に手をそっと置くと立ち上がり、教室に向かって歩き出した。
にゃー子たちも慌ててそれに従った。
「彩萌さん、独りにして大丈夫でしょうか?」
メイが薫子をチラッとみながら呟いた。
ダメなら、足引っ張ってでも連れて帰るわよ。あたしゃ、サトリ。ちゃんとアイツの胸の内読んでんから平気よ。」
そんな薫子に足を引っ張られながら教室へ連行される猫又系女子一名。
「先生もにゃー子みたいに誰かの中に入ったんですか?」
愛梨沙は、おずおずと薫子に訊ねた。
「藤崎とか、これは別」
薫子は、にゃー子の襟首をきゅっとつまんで持ち上げると、これだと指差した。
「神通力を使える連中は、普通人間そのものに化けれるからね。コイツはなぜか化けれないのよね。」
薫子は、気持ちいい音を響かせ、にゃー子の頭をピシャンと一回叩いた。
「人間そのもの…ですか」
薫子の言葉の意味を考えるように愛梨沙は、復唱した。
「何て言うのかな…。いない誰かになってそれが現実に認知されるみたいな…。例えばさ、一人っ子の家なんだけど、いないはずの兄弟になっちゃうみたいな」
「そうなるとどうなるんですか?」
「その人の記憶とか記録とかちゃんと今まで存在してたように補完されるの」
「ふーん」
愛梨沙は、橘菜子という女の子の存在について考えた。
今、目の前にいる菜子は、にゃー子であって菜子ではない。それは、菜子がもうこの世に存在していないことを意味する。
もし、菜子が生きていたらどんな人生を歩んでいたのだろう。
目の前の菜子がにゃー子であると菜子の両親である陽一と香織が知ったら…。
やっぱり哀しむのだろうか、にゃー子は、二人を騙していることになるのだろうか…。
愛梨沙は、少し複雑な気持ちがした。
「さ、教室だ。お前ら昨日は、ご苦労様ー。ホームルームはじめんぞー」
薫子は、そう言って教室のドアを開いた。
愛梨沙は、薫子の隙間から見える教室の光景に目を疑った。
それを確信するため薫子に割って先に教室に入った。
メイもそれに気付いて後に続いた。
にゃー子は…、薫子に放られた。
教室は、元通りに直っていた。
壁紙も天井も…、イスもテーブルも…、にゃー子の看板も何もかもが壊れた様子なく、教室に存在した。
愛梨沙の持っていたトロフィーも、もはや濡れていない。
愛梨沙は、無意識に、制服の前面を撫でて見た。
やはり、濡れていない。
今朝の事件だけ、皆にはなかったことになっていたのである。
ホームルームの後、予定通り、記念撮影を済ませ、名残惜しい雰囲気の中、後片付けは進んだ。
薫子は、ほほ笑みながら見守っていた。




