幻惑 その正体は狐
愛梨沙は、はっとして現実に戻った。
近所のおばさんの話声。子どもたちが自転車で通り過ぎる音。鳥の羽ばたき。青空。あらゆるものが、視聴覚に一気に流れ込んできた。
「あら、兄さん、愛梨沙ちゃん・・・も?」
振り返るとにゃー子と母親の香織がそこに立っていた。
「おじちゃん」
にゃー子はトオルに突進した。
「おお、菜子相変わらずだな、どうだ学校は?それとこの町にも慣れたか?」
「うん。とーても、いいとこ」
「そうか、にゃー子の好きなフィッシュバーガーとテリヤキチキン買ってきたぞ」
これだけを聞いていると、日常の叔父と姪っ子の会話であろう。誰も妖怪と神様とは夢にも思わないだろうなと愛梨沙は、おもった。
「じゃ、わたしこれで・・・」
ハンバーガーの話をされたので、忘れていた空腹が一気に思い出された。そして、コンビニに向かおうと愛梨沙が向きを変えた途端・・・。
グ~
おなかの虫が私も混ぜてちょうだいなとばかりにタイミングよく鳴った。
「家を教えてもらったことだし、一緒にどう?実は、買いすぎちゃったんだ」
「え、でも…」
愛梨沙は、まだ、完全に、にゃー子を許したわけではない。ましてや、はいそうですかと親戚の対面の席にノコノコついていくのも厚かましい。
「遠慮しないで。菜子がいつもお邪魔して迷惑かけているんだから…、たまには、ね」
迷っている愛梨沙に香織がさりげないお誘いの一言を差し出してくれた。
「じゃ、お言葉に甘えて」
愛梨沙は、にゃー子の家にはじめてお邪魔した。
にゃー子の家は、玄関を入ると香水のいい香りが した。
向かって右手の靴箱の上には、花瓶が飾ってあり、綺麗な花が清楚に飾られていた。
そして、反対側には童話にでてきそうな和やかな少女の愛らしい仕草をとらえた大きな絵が飾られていた。
リビングには、恐らくは食卓と思われるテーブルと四脚の椅子、少し離れたところにテレビがおかれ、ソファーがそれに向かい合うようにおかれていた。テレビとソファーの間には丸い小さなテーブルがあった。
香織の性格がわかるような落ち着きある、きちんとした生活空間であった。
「菜子!脱いだものくらい片付けなさい。何度言ったらわかるの。ごめんなさいね、愛梨沙ちゃん、散らかってて」
「いえ」
これで、散らかっていたら家はごみ箱だと愛梨沙は思った。
返事をしたにゃー子の方は、手慣れた手つきで折り目正しく上着をたたんで奥の部屋へ片付けに行った。
愛梨沙は、いつもいい加減なにゃー子しか見たことがないので意外な一面を見てしまったと思い、少し笑ってしまった。
愛梨沙は、テレビの置かれている側のソファーに招かれ、座った。
「紅茶入れるわね」
香織は、キッチンに立った。
にゃー子は戻ってくると二つのハンバーガーを一つずつ両手につかむと、頬にあてがって、嬉しそうに微笑んだ。
「あーりん、風邪は?」
「あ、もう大丈夫」
「よかった…、あれ?ペンダントそれ?」
にゃー子が、愛梨沙の首から下がっているものに気が付いた。
「薫子にもらったの。恋愛相談に乗ってもらったときに。開運の石なんだってさ」
愛梨沙は、恋愛相談をわざと強調しながら、首からペンダントを外して見せた。
「これは、開運というより、魔よけ。もっといえば魔封じの石。」
「え!?」
トオルの言葉に二人は息をのんだ。
「この石は殺生石といってね、狐を封じるための石なんだよ。もしかすると、愛梨沙君て言ったっけ?キミを惑わす犯人は、狐。九尾の狐なのかもしれない」
「九尾の・・・狐・・・」
愛梨沙がつぶやくのと同時ににゃー子の表情が変わった。
にゃー子にはあの時のーーーー古の仲間たちが惨殺された悲しい記憶が鮮明によみがえった。手からは、フライングで食べていたフィッシュバーガーの黄色いマヨネーズの塊が一粒ぽたりと大きく丸いテーブルの上に落ちた。
「お茶入りましたよ。・・・・菜子!!まただらしない、ソースこぼして・・・」
「あ、ごめんなさい」
にゃー子は、香織の一言で我に返った。そして、慌てティッシュを探しに立ち上がった。
そこへ、愛梨沙の携帯がタイミングよく鳴った。
愛梨沙とにゃー子は同時に条件反射的にビクッと体を震わせた。
愛梨沙が確認すると、母親からだった。愛梨沙は、すぐ帰るつもりで何も告げず出てきたことを思い出して、しまったという顔をした。
「もしもし」
「愛梨沙。今どこにいるの?何も言わず出てって。それに今、あなた、病気でしょ。かえってらっしゃい」
愛梨沙は、参ったなと思っていると、香織が電話を代わるように言った。
長いこと香織と愛梨沙の母親が話し込んでいるうちに、ハンバーガーと紅茶をやっつけつつ、愛梨沙は、今までの経緯をにゃー子に語ることができた。
そして、作戦の段取りがまとまったところで、香織の電話もひと段落つき、トオルと愛梨沙は、一緒に帰り支度を始めた。
香織は、二人を引きとめたが、用事云々を理由にそれぞれの家路に向かった。
愛梨沙には、トオルが帰り際にゃー子に例の物お前の机に転送しておいたからという言葉が少しだけ気になったが、とりあえず、うちを黙って出たことを母親にどう言い訳するかということと狐のことで頭がいっぱいだったので、捨てておいた。
一週間ほどして、桜林ナオトと宇都宮リュウトがにゃー子とすれ違う機会が来た。遠巻きから愛梨沙は、二人の赤い糸に注目して見ていた。
もう惑わされない。
相変わらず、ナオトの方が薄く、リュウトの方が濃かったが、愛梨沙は、にゃー子に話すふりをしてリュウトの指から延びる濃い糸を握った。
サア、コイ、キツネ、オマエニナンカ、ゼッタイ、マケネエ
ナオトもリュウトも愛梨沙に何事か声をかけた。その瞬間、愛梨沙の周りは薄暗くなった。二人の問いかけに愛梨沙は雰囲気で自然に応対した。スローモーションになっていく。
握っていた赤い糸の感触が人の手のそれに変わる。
愛梨沙は、ぎょっとして前を見る。
愛梨沙とつないでいる手の先には、狐の面をつけた高校の制服を着た女がたっていた。
見覚えのある着こなし。髪形。背格好。
その女が、狐面を少し上にあげ、口元だけ見せ、ニタと笑った。
「?!」
みんな見えないの?ここに、狐がいるの・・・
愛梨沙は、不思議がる周りの顔を、そして、にゃー子の顔を見た。
狐は、おいでおいでをすると、すっとそのまま後ろに遠ざかって行った。
「逃がすか」
愛梨沙は、夢中で追いかけた。
途中、何人かの生徒にぶつかったのも分からないほどにひたすら、狐の後を追った。
かどをまがったところで、狐は上にすっと上った。
愛梨沙は、飛びかかろうとした。
「あぶない!!」
「?!」
誰かに、抱きつかれ、愛梨沙は、そのまま、抱きつかれた誰かと転がって、壁にぶつかって止まった。
幸い、頭は、誰かにしっかりガードされていたおかげで、どこにもぶつけることなく助かった。
「なにやってんの、望月!!飛び降りる気!?」
薫子の声だった。
薫子の指差した方向は、開け放されて、風が吹き込む校舎三階の窓だった。
愛梨沙は、ぞっとした。
そこへ、にゃー子がやってきた。
「そっちか、あーりん、待っててね、黛先生、あーりんのことお願い」
にゃー子は、何かを察して追っていった。おそらく狐だろう。
「あんたたち、全く、一体何なの?」
薫子は髪をかきあげながら考え込むように言った。
「待て~」
にゃー子の目にも、狐面の女の姿がはっきりととらえられた。
すごい勢いですっと退いていく。
にゃー子は、それ以上に、ものすごいスピードで相手の先に回り込んだ。
「逃がさない」
にゃー子は、狐面にけりを加えた。狐面が大きく弾かれ廊下に転がる。
狐面の女は、顔を両手で隠した。
「両手が使えなきゃ、こっちのもん。おとなしく正体を・・・」
にゃー子がもう一蹴り加えようとした時、後ろから、何者かがにゃー子に体当たりしてきた。
「ぎゃん」
にゃー子が転がった。その隙に狐面の女は、姿をくらました。
「だれにゃ。邪魔してー」
「悪い、悪い。ボクもちょっといそぎのようがあってさ、悪気はないんだ、勘弁してよ、プリティガ~ル」
人を食ったような言いぐさで、転がったにゃー子の前にボクっ娘の緑川彩萌が立っていた。
「確信犯だろ、こんなとこにどんな用があるんにゃ」
にゃー子が声を荒げたのも無理はない。この場所は、立ち入り禁止の場所。屋上に続く生徒の誰も寄り付かない通路の踊り場だったのだ。
「お前が出てきたってことは、狐は藤崎だにゃ、もう許せない、どかにゃいと、お前ぶっとばすにゃ」
にゃー子は、彩萌を睨みつけていった。
「へえ、ボクを・・・。ぶっとばせるんだ、キミが」
ニヤリと彩萌が笑った。
「いっとくけど、ボクは、一通りの武道は段持ちだよ」
彩萌が構えを取った。
速いスピードで間合いを詰めて、彩萌の前にしゃしゃりでた。
寸止めのつもりで、にゃー子は彩萌の顔面に正拳を繰り出した。
と、彩萌は、素早く背面でのけぞると、そのまま、両手を地面につき、反動を利用して、にゃー子に両足蹴りをお見舞いした。
にゃーこは、不意を突かれ、よろけた。間髪入れず、彩萌ののど輪が入った。
「うげ?!」
にゃー子の体は宙に投げられると、彩萌の回し蹴りで、にゃー子は、地面に叩きつけられた。
倒れて、腹を抑えているにゃー子の傍にゆっくり腰を沈めると彩萌は、不敵な笑いを浮かべてにゃー子の口元に人差し指をあてがい、ウインクしながらこう告げた。
「女の子相手に、そんな攻撃して・・・。もしものことがあったらどうするつもりだーい、しかも昼間から。場所と時を選ぼうよ、た・ち・ば・な・さん」
そして、くるりと向きを変え、教室の方へ帰って行った。
「あいつも・・・、人間じゃないのか。油断した」
起き上がりながらにゃー子は、つぶやいた。
「にゃー子」
「にゃー子さん」
愛梨沙とメイの声がした。にゃー子はよろよろと声のする方へ歩きだした。
いつかの蜘蛛が、その様子を天井の隅から見ていたのをにゃー子は知らない。
「上等にゃ」
にゃー子は、人間ごときが生意気、少し脅かしてやれと思った。




