回想 田助 契の酒
それからしばらくが経った。
田助と月千代の仲むつまじい姿が、そこにあった。
「見ろ、また、親方どのと月どのが昼間からのろけておる」
村人の一人が茶化した。田助は、村人からは、親方と呼ばれ、一目置かれていた。
村の長でさえ、事あるごとに一番に相談を持ちかけるほどであった。
月千代の方も、頃合いの体を仮初めの衣として、人として暮らしていた。
「妬けるのー」
と誰かが言えば、
「夫婦なら当然じゃ、というてやれ、月どの」
と別の者も囃し立てる。正式にはまだ、祝言をあげてはいない。月千代自身人として暮らすのはかりそめと考えていた。田助の心変わりした場合、自分の存在そのものが田助の迷惑になる。
「しかし、親方は、月どののような、べっぴんを村からも出ず、よう探してこられたものだ」
「なあに、一山越えた崖下の岩穴におったから連れて参ったまでじゃ。」
田助が平然というものだから、月千代は、はらはらと気を揉んだ。月千代が猫又とばれてしまっては、身もふたもないからだ。
すると決まって皆から笑いが起こった。
誰一人、真に受ける者がいなかったのである。
「これ、月が、困った顔をしておる、そろそろよさぬか」
まんざらでもない様子の田助がたしなめる。これが、村の日課になっていた。
月千代は、田助にとってだけでなく、いつしか、この村にもなくてはならぬ存在となっていた。
月千代は、満ち足りたときを過ごしていた。
ある日の晩、月千代は田助と縁側で夕涼みをしていた。
団扇でゆるりと田助に風をおくりながら、田助の優しい横顔をながめて幸せにひたっていた。
コオロギの鳴き声だけが、二人の心に響いた。
「なあ、月よ。」
そう言って、田助は、盆の上から盃を一つ、月千代の前に差し出した。
「今日は一口だけ口をつけよ。明るくて、いい月夜じゃ。風流この上ない。」
田助は、何時もなら、月千代に断られることを知っているので、酒を勧めるようなまねは、しなかった。
月千代にしても何時もなら、断っていたところであるが、場の雰囲気というものなのであろう、田助から差し出された盃を両手で頂戴した。
初めて口にする酒。月千代は、量の加減がわからず、むせてしまった。
田助は、月千代を微笑ましそうに眺めた。
月千代の方は、むせた姿を笑われたと思い、意地悪だとすねてみせた。
「そうではない、月千代があまりに愛しいので、つい、見とれておっただけじゃ」田助は、弁解した。
月千代は、下を向いて真っ赤になった。田助の口からまさか、そんな言葉を聞くとは。
「月よ」
改めて、田助が切り出した。
「わしは、お前に花嫁衣装の一つも着せてやれん、この盃が夫婦の契りの代わりぞ。これからも末長く一緒に暮らしてはくれまいか」
月千代は、思いもよらぬ言葉に持っていた盃を落としてしまった。
「不服か?」
田助が畳み掛けた。
「不服もなにも・・・。田助どのは意地悪でございます。」
「では、決まりでよいのだな」
田助の言葉に月千代は、大きくうなずいた。




