第1話
その乙女の麗しさ譬えようもなく
銀色に流れたる艶やかな髪は暗闇のなか輝き
月光をはじき返すほどなり
その輝きにも負けぬ愛らしい花の顔
柴水晶の如く光る瞳は温かな眼差しを湛え
玉審よりいずる言霊、何よりも真実のみを告げ我らを正しく導く
まさに月より賜った月光の乙女
その心を勝ち得た者こそ、この世で一番の幸いを手にする者となろう
宵も更け行く満月の夜。
神殿の入り口前の石段に腰を下ろしたコンラートは、いつもより大きく間近に見える月を眺めていた。
今晩の月はことさら美しく感じられる。
漆黒の闇に散りばめられて光る星を凌駕して、輪郭線から滲み出る柔らかな光。
そしてくっきりとその姿を魅せる冴え冴えとした輝きときたら、もうため息しかでないほどだ。
赤々と松明の燃えている場所からはよく見えないだろうに・・・
兄やその取巻き達にすれば、満月の夜に行われるいつもの行事でしかないのだろうが、
幼い頃より『月光の乙女』に興味を抱いていたコンラートには乙女そのものを穢す行為のような気がして、いつも途中で抜け出してしまうのだ。
四代前の王が書き記した『月光の乙女』の伝説は現在の世代にも引き継がれている。
最も、これを伝えた四代前の時代でも既に大昔の出来事だとされていたらしい。
はっきり言ってどれくらい前の話なのか、何より『月光の乙女』とは本当に実在したのかさえも定かではない。
それでもその当時は、乙女が現れたと伝えられている九の月の満月になると、王位継承者となる者は全て神殿に籠もり祈りを捧げながら
乙女の訪れを願ったのだと云う。
実際には『月光の乙女』など一度も現れた事は無く、いつの間にか九の月満月の晩は、神殿前広場での男だけが集まる月見の宴へと成り果てた。
この集まりに参加出来るのは未婚の若者のみ。
特に今年は王族での参加はコンラート達だけなので、いつにも増して賑やかだ。
「兄上はただの伝説だと思っているんだ。」
非難めいた口調で振り向いた視線の先には、男達と腕を交差させながら大きな杯をグイグイと空けている5歳年上の兄ディルクがいた。
どちらかと言えばやせ型で、瞳も金髪も薄い色の165cmのコンラートと比べて、190cmはあろうかと言うディルクは、
短く切りそろえたライトブラウンの髪と濃いブルーの瞳が美しい美丈夫だ。
自分と同じ歳には、既に隣の国との戦いにも加わり何人もの首を取って来たという活躍ぶりだった。
そんな兄はコンラートにとって憧れであり目標でもあるのだが、この『月光の乙女』の事に関してだけは譲れない気持ちがあった。
「兄上は、この月見を民との触れ合いを密にする機会だと思えば良いって言うけど・・
やっぱり僕はお酒も苦手だし、女の話にも興味が持てないや。
こうして静かに月を眺めている方がいい。
今日もきっと乙女は現れないだろうけど、こんなに美しい月が見られたんだもの満足だな。」
そうつぶやくと晴れ晴れとした顔で月に微笑みかけた。
月の方でも今の自分の言葉が分ったのだろうか?
まるで頷いてくれたかのように上下に揺れ始めると、徐々に明るさを増していき、
やがて光はグングンと帯状に伸びて神殿の屋根に吸い込まれていった。
始めはポカンと空を見上げていたコンラートだったが、まばゆい光が神殿に向かって行くのが分かると
弾かれた様に神殿に向かって駆け出したのだった。
神殿の前は大変な騒ぎになっていた。
地面にひれ伏して神に許しを請う者や泣き叫びながら手を合わせる者、隣の人間に何が起きたのかと必死に訊ねている者。
兄は何処だろうかと目で探すと、周りの者達に縋りつかれてもみくちゃにされていた。
「兄上!」慌てて傍に寄るコンラートに気づいたディルクは、安どの笑みを浮かべると無理矢理人の輪から抜け出して
弟を抱き締めた。
「コンラート!何処へ行っていたんだ。姿が見えないから心配したんだぞ!」
「兄上ごめんなさい。僕、入り口の階段に座って月を見てたんだ、そうしたら月が!兄上、月が!」
思わず咳込んでしまったコンラートの背をやさしくさすりながら兄は弟の言葉に続けた。
「ああ、俺も見た。月の光が神殿に吸い込まれていったな。」
その静かな声に兄も自分と同じ事を考えているのだと分かったコンラートは、目を輝かせて頷いた。
二人で神殿の扉の前まで来ると、ディルクが大声で叫んだ。
「皆鎮まれ!!月光の乙女が先程ついに我らの許にお越しになられたぞ。
取り乱すでない!冷静になれ。良いな、今からお迎えに上がる。皆はそのまま其処で待つように。」
王子の叫び声に皆一時は静かになったが、月光の乙女の名が出た途端に今度は大きな歓声が沸き起こった。
その声は途絶えることがなく、二人が神殿の中に入ってもずっと続いていた。
月光の乙女伝説でも分かるように、この国では月の神秘な力を崇拝している。
伝説では、地上に降り立った乙女はこの国の神官でもあった第二王子と結ばれ神殿に住まったのだと云うが、
現在では神官を務めるものも居らず無人の為、誰もが自由に入って祈る事が出来る。
昔風に、ただ石を積み重ねて作られた神殿の中は普通なら真っ暗で、一歩も進む事など出来無いのだが今は違った。
月から降ってきた光が建物中を明るく輝かせていたからだ。
特に神殿の奥にある「祈りの場所」辺りが真昼のように明るい。
「月光の乙女は本当にいたんだな。」ふと立ち止まって呟く兄の神妙な顔つきに、コンラートは戸惑いながら頷いた。
「僕は信じていたよ。だからすごくドキドキしているの。兄上、乙女はどんな方なんだろうね。
伝説の通りならきっと女神様みたいなんだろうなぁ。」
夢中で話し出す弟にそっとため息をついた兄は黙ってその頭を撫でると柔らかく笑った。
「そうだな。お前の話しを聞いているとどんな事でも前向きに考えられるから不思議だ。
どうか、乙女がこの地に居着いてくれるように俺たちで何とかしような。」
その言葉にうなずきながら歩を進め、ついに光源の祈りの場所へとたどり着いた。
そして二人はついに乙女と出会ったのだ。
祈りの場所
窓というものがほとんど無い神殿の中でこの祈りの場所には明り取り用の小窓が付いている。
先程から二人を導いていた光はその窓から入り、建物全体に広がっていたようだ。
今も頭上から目がくらむ程の眩しさで輝きを放っている光の帯。
コンラートが何とか目を凝らしてみると、自分の頭の高さ辺りに人がふわふわと浮いているのが見えた。
驚いて兄の方を向くと、兄も唖然として見上げている。
しばらく様子を見ていると、ゆっくりと浮いていた体がコンラートの方へ移動を始めそして、
急に落下しだした。
慌てたコンラートが両手を差し出すとストンとその体はその手の中に納まったのだ。
「コンラート!」
焦った声を出して近寄って来た兄と二人、腕の中で眠っている乙女を見下ろす二人はただポカンとしていた。
無事に乙女が腕の中に納まったのを確認したからか徐々に薄まっていく光の中、兄弟が見たのは
光も弾く美しい銀色の髪を肩まで伸ばした、まだいたいけな童女だった。