助走をつけて、全力で
「佐伯先輩……!」
「……よ。許可証持って来た。なんか大変みたいだね」
許可証をひらひらと見せびらかしながら部室に入って来たのは、細りとした長身の文芸部元部長。三年の佐伯祐介だ。
通称はユウだが、後輩からは佐伯先輩と呼ばれている。
恐らく何かの用事で、職員室に赴いたのだろう。その時に、顧問の三原に捕まったに違いない。
「なに? 誰かクラス企画と掛け持ちしてんの?」
「あ……はい。俺とリンが」
佐伯の声にナオが片手を軽く上げる。
部誌を移動させたリンも、ペコリと頭を下げた。
「そうなんだ……大変だな。当日の受付も人数足りない感じ?」
「いえ。それは大丈夫です。他に四人居ますし、ちゃんと時間組みます」
「そか。手が足りない時は遠慮なく言ってね。俺ら模擬店だけだから、のんびりしてるし」
「あ、はい。有難うございます」
「……で? 二人が抜けるのは五時なの? ミカも連れてくるからその時間は任せてよ」
「……げ。お姉ちゃん来るんですか」
佐伯の申し出に、あからさまに嫌な顔をしたのはユカ。
ミカと言うのはユカの姉で、斉藤美香。引退した元文芸部副部長だ。
「非常事態だし、人手は沢山あった方が良いだろ。二人とも製本は慣れてるから、何も知らない奴がやるより、早く終われるだろうし」
「そりゃまあ……そうですけど。……人の作品見て、批評しだすんですよねえ……」
「……あるね。しかも、ちょっと偉そう」
「でしょ? あんた何様よって言いたくなります。そうじゃなきゃ、良い姉ですけど」
「まあ……性格なんだろうね」
憮然とした表情のまま作業を続けるユカに、佐伯は困ったように苦笑する。
その時、手首の腕時計が視界に入ったのだろう。
佐伯は時間を見ながら声を掛けた。
「……あれ。印刷室四時からだったよね? 行かなくていいの?」
「あ……もうそんな時間。俺行きます」
見れば時計の針は、三時五十分になろうとしていた。
慌てた様にナオが立ち上がる。
リンが、端に置いてあった訂正原稿に手を伸ばした。
「……いや、許可証俺持ったままだから……俺が行くよ。ナオはそのまま作業してて」
「え。良いんですか?」
「まあ、行くだけね。そのままクラスに戻るよ。五時頃また来るから。……リン」
「……あ、はい」
「一緒に行こう。話したい事もあるし」
そう言うと、佐伯は原稿を手にしたリンを手招きする。
リンは、少し戸惑うように眼差しを揺らした。
ナオは驚いたように、リンを見つめる。
ぎこちないリンの表情に、違和感を覚えたのは言うまでも無く……。
「……はい」
ややあって、コクリと頷いたリンは、佐伯の元へと。
「じゃあ、ちょっと行ってくるから」
「……はい。よろしくお願いします」
佐伯の声に、ナオがお辞儀を。
その言葉に頷くと、佐伯はリンを伴って部室を後にした。
廊下に響く二つの足音が、徐々に小さくなっていく。
「…………話って、なんだろねえ」
二人が去って、暫くの沈黙の後……ポツリとタケが呟いた。
「さあね。手……動かせよ」
「ナオったら……。気になるくせにぃ」
「んなことねえよ」
からかうようなタケの口調。
けれど、ナオの表情は普段のままだ。作業は順調に進んでいる。
その中に、ユカが言葉を投げ入れた。
「……お姉ちゃんから、聞いた話なんだけどさ……」
誰に向けるでもないその言葉。
けれど、部室に居た誰もがユカへと視線を向けた。
……ナオを除いて。
「佐伯先輩……リンの事が好きみたい」
「あ、やっぱり? 俺もそんな気がしたんだよねえ」
「だよね? なんかリンに対する対応が違う感じは、私も思ってた」
「みたい……。だろ? 憶測だけで話するなよ。仮にそうだったとしても、俺らには関係のない話だ」
タケとユカの会話を切るように、ナオが言葉を挟む。
その声に、二人はナオへと視線を向けた。
ホッチキスの針を外すその姿……。
いつもと変わらぬ表情に、タケとユカは、どちらからともなく顔を見合わせる。
やがて、タイミングを合わせた様に、同時に肩を竦めた。
「……ああ、はい。四時から文芸部の原稿……両面一枚ね。ちゃんと聞いてるよ」
「有難うございます」
印刷室の管理をしている職員に、佐伯が許可証を渡すと、二人はあっさり入室出来た。
許可証があるのだから、当然だが。
印刷室の扉を閉じると、佐伯はリンに手を差し伸べる。
「……え?」
「原稿。セットするから」
「良いですよ。先輩クラスに戻らないといけないんでしょう?」
「いいから。時間無くなるよ」
「……はい」
なんだか、押し問答に負けてしまった気分のリンは、渋々と原稿を佐伯に手渡す。
佐伯はリンから原稿を受け取ると、満足気な笑み。
原稿をセットしてボタンを押した。程なくして、試し刷りの一枚が排出トレイから出てくる。
佐伯はそれを取り出すとウンウンと頷き
「去年と同じ部数で良いんだよね?」
「あ、はい」
リンの返答を聞きながら、数字を入力して、スタートボタンを押した。
程なくして排出トレイから、印刷された用紙が一枚……更に一枚……。リズム良く出てくる。
「これで良し……と」
佐伯は、安堵のような息を吐くとリンへと眼差しを向けた。
リンは、慌てて佐伯に向かってお辞儀を向ける。
「あ……有難うございますっ」
「いいって。引退したとはいえ、卒業までは文芸部の仲間だと思ってるんだから。……違う?」
「いえっ。そう思って下さると、本当に嬉しいです」
「ん。良かった」
リンの言葉に佐伯は微笑むと、後ろの壁に背中を預けた。
「……ねえ、リン?」
改めて掛けられる言葉。……リンの肩が少し震える。
「返事。……聞かせてくれない?」
佐伯とリンの眼差しが重なった。
リンの胸の鼓動は酷く速くなる……けれど、その瞳を逸らす事は無い。
ややあって、何かを決意した様に瞳を閉じると、リンは佐伯に向かって大きく頭を下げた。
「ごめんなさい。先輩の気持ちには応えられません」
「……うん。だろうと思ってた」
「……へ?」
間の抜けた声。
顔を上げたリンは、何度も瞳を瞬かせながら佐伯を見つめた。
佐伯は可笑しそうにクスクスと笑う。
「変な声」
その言葉……その表情に、リンは恥ずかしそうに顔を伏せる。
「……すみません」
「しかし、きっぱりと断ってくれたね。相変わらず清々しいよ。そういうところ、やっぱり好きだなあ」
「え。……あの……」
「大丈夫だよ。今のところは、諦めてあげる。でも、振られたら俺んとこ来てね」
「…………え?」
佐伯の言葉。
リンは驚いたように顔を上げた。
その表情に佐伯は不思議そうに首を傾げ
「ナオでしょ? 気付かれてないと思ってた?」
「────っ!────」
リンの表情は途端に赤くなる。耳まで真っ赤だ。
リンは慌てて表情を隠すように、両手を頬に当てた。
その表情に佐伯は、楽しげに瞳を細める。
「まあ、俺はずっとリンを見てたから。……告白しないの?」
続く声に、リンは頬に両手を当てたまま小刻みに顔を横に振る。
「ないですないですっ! ナオは、私の尻拭いばかりしてて……私の事迷惑とか思ってるだろうし……」
「……そんな風には、見えないけど……」
「ナオは優しいから……。あまり感情を、表に出す方じゃないし」
「ふうん……。まあ、リンが玉砕してくれた方が、俺は嬉しいけどね」
「うっ……」
「なんてね……冗談。じゃあ、もう行くね。後でまた」
「あ、はい! 有難うございます。よろしくお願いします」
手を振りながら、部屋を後にする佐伯に、リンは再びお辞儀を向ける。
静かに閉じられる扉。
佐伯は、その扉に身体を預け
「……半分は、本気だけどね」
その呟きは、誰にも届かない小さな声。
微かに笑みを浮かべると、ゆっくりとその場を後にする。
佐伯が去った後の印刷室の中……。
リンは大きく息を吐くと、そのまま足元にへたり込んだ。
「……はあぁ……。緊張したあ……」
そのまま、印刷機に身体を預ける。足元が酷く震えていた。
ガコンガコン……。印刷機が紙を吐き出す音が頭に響く。
リンは、その音を聞きながらゆっくりと瞳を閉じた。
「……告白なんて、無理だよ……」
リンが、力なく呟く。
男子以上に女子にモテてしまうような自分だ。自分の勝ち気な性格も良く理解している。こんな色気の無い自分を好きになってくれる奇特な人なんて、佐伯先輩位だろう。
しかも相手は、迷惑しか掛けていないナオ。
嫌われこそすれ、好かれる要素など微塵も無いのだ。
──考えるだけで、気分が滅入る。
「あ……やだ。なんか泣くかも」
小さく呟くと、指先を目尻に添えた。
連日の徹夜の所為だろうか。今日はどうも情緒不安定で、調子が悪い。
「……ダメダメ。背筋伸ばそう」
そう言って、リンが大きく息を吸った時──。
──バタン──
扉が開く。
入って来たのはナオだ。
印刷機にもたれて座り込んでいたリンと、バッチリ瞳が重なる。
ナオが大きくその瞳を開いた。
リンも驚いたように瞳を瞬かせる。
……と、溢れた涙が頬を伝った。
「──どうした?」
扉を閉じるとナオは、すかさずリンに駆け寄った。リンに目線を合わせるように、しゃがみ込む。
リンは慌てて頬に伝う涙を拭った。
「佐伯先輩と、何かあったのか?」
「ないないっ! 何にもない」
「だって、泣いて……」
「ちがっ……。これは目にゴミが入って……」
「タイミングよく両目に? 両方とも目が赤いぞ。嘘なら、もちっとマシな嘘つけよ」
「タイミングよく両目に入ったの! 嘘じゃないし」
「…………。まあ、そういう事にしといてやるよ……」
全力で抵抗してくるリンに、これ以上の詮索は無理だと思ったのか……ナオは諦めた様に肩を落とした。
……その時、印刷機の音が止まる。
ナオが立ち上がり、排出トレイへと視線を投げた。
「ああ……。片面終わったんだな」
言いながら、印刷機の原稿カバーを外す。
「あ、ごめん。私やる」
「いいよ。どうせ紙乾くまで、裏面印刷出来ないし。……暫く待ちだな」
慌てて立ち上がるリンに、ナオは軽く掌を見せながら声を掛ける。
リンは傍らに置いてあった裏面の原稿をナオに渡した。
「そういえば……どうして此処に?」
差し出された原稿を受け取るナオ。
セットされていた原稿を、リンに手渡しながら向けられた言葉の返答を。
「ああ、そうそう。通し稽古……四五分からだって。ちょっと早くなったな」
「そうなの? 刷り上がり原稿……部室に持って行けないね」
「うん。だから、五時前に此処に来るように、タケとシンに頼んできた。そもそもお前一人で、持ち運べる重さじゃないしな」
「…………そう言われれば、そうね……」
「なんだ……気付いてなかったのか。……お前らしいな」
手際良く原稿をセットしたナオが、リンへを眼差しを向けると小さく笑う。
向けられたナオの言葉に、リンはプクッと頬を膨らませた。
「もう、またバカにして……」
「そんなつもりは無いんだけど……」
プイ……と視線を逸らすリンに、ナオは頭を掻きながら肩を竦める。
その声を聞きながら、リンは静かに息を吐いた。
大丈夫……。いつも通りに接している。
リンは、自分に言い聞かせるように瞳を閉じた。