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天狗の足音  作者: 逸取 生
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第五話 『奈緒と天狗』

 九月二日の夜──。

 時家(ときいえ)奈緒(なお)が家の中で黒い羽根を見つけてから、既に二日が経過していた。


 この二日間、奈緒は小さな不幸に見舞われていた。差し入れのシュークリームが原因だったのだろう。夏休み最終日は一人、トイレと部屋を行ったり来たりして終わっていった。

 腹痛がおさまったと思った次の日、新学期の初日のっけから通学路で猫の糞を踏んづけた。そのときに転んでスカートも汚れた。半泣きになりながら校庭の洗い場で汚れを落としているうちに、チャイムがなって遅刻した。持ってきたと思っていた夏休みの宿題を自宅に忘れていた。席替えで前の席になったのは座高が異常に高い男子だった。担任に交換を申し出ても却下された。そして夏休み中に受けた模試の結果は──最悪だった。


山津(やまづ)高校合格判定……F? はあっ? 何じゃこりゃあああ?」


 春海鉄吾(はるうみてつご)の叫び声が、土間に響いた。



 夜八時過ぎに、鉄吾が自宅を訪れた。

 パーカーにハーフパンツというラフな格好に着替えていた鉄吾は、自宅に帰ってからすぐに奈緒の家に来たようだった。

 夕飯五分で食ってきた。そう言う鉄吾のパンツには、柔らかそうな米粒がついていた。


『テッちゃん、もらい物のスイカあるから食べてって』


 奈緒の母に誘われて食卓に加わっていた鉄吾は、白いパーカーの袖を早速赤い汁で汚していた。それを見た奈緒が、指を差して笑ったのが言い争いのきっかけだった。


 奈緒と鉄吾はささいなことで口げんかをする。だから今日も何度か言葉の応酬をしてそれで終わる。奈緒だけでなく鉄吾もそう思っていただろう。

 だが誤算だった。この晩は仲裁役の貫二がまだ帰っていなかった。更に奈緒の母も忙しく、二人の険悪な様子に全く気が付かなかった。父は出張、曾祖父と祖父母は既に奥の部屋で寝る支度に入っていた。



 鉄吾はスイカを食べ終わってもまだ家にいた。貫二の帰りを待っているとのことだった。土間の上がりであぐらをかいて、厳しい顔で紙を広げている。


「いいか奈緒、判定結果のFってのは『ふざけんな』のFだ。DやEどころじゃない。知ってると思うけど」


 片腕で頬杖をついて模試の結果を指で弾く。その態度が奈緒の(しゃく)に障った。


「っるさいなあ、もうわかってるって。そんなことよりも! こっちはね、テッちゃんが持ってきたシュークリームのせいですっごく大変な目に遭ったんだから!」

 

 まずそれを謝ってよ、と言う奈緒を、鉄吾はジロリと(にら)んできた。


「そんなことだあ? シュークリームは単に食い過ぎだろ? おれは平気だったし、貫二だって何も言ってなかった。お前の日頃の行いが悪いんじゃね」

「何それ」

「それにお前、もう部活も……えっと卓球部だっけ? そっちも引退したんだし、食い気だけそのままだとデブるよ」

「んなっ……」

「いるんだよねえ、うちの部にもさ。大学入ったら水泳やめちゃって、新弟子検査かよってOGが。飲み会ばっか出てんのか、ひっどい体形になっちゃって」

 

 矢継ぎ早に繰り出される言葉。おれ自分より太ってる人無理なんだよね、と涼しい顔をする鉄吾に、奈緒はますますイラついた。小柄な体格の鉄吾は顔立ちもあいまって、女子に間違われるぐらい華奢なのに。子供の頃から水泳を続けている割に、鉄吾の肩幅は並の女子より狭くみえた。


「何なのテッちゃん、彼女いたこともないくせに。偉そうなこと言わないでよね!」


 いつもならここで鉄吾がキレて、なし崩し的に終わるけんかだった。だがこの日はまだ続いた。


「ああいませんよ、いたことありませんよ。でもな、おれはちゃんとこの時期には合格ラインに届いてたぜ、お前みたいにダメダメじゃあなかったからな」

「…………」

「志望校のランク下げろよ、お前じゃ無理だったんだよ山津(うち)は。他に近くて通えそうなところだと……そうだな、蜂裂(はちざき)高校なんてどうだ?」


 通称蜂高(ハチコー)。この御時世に、いまだ世紀末の雰囲気を漂わせている弱肉強食の高校だ。棘のついた肩パッドをつけた生徒がいるとかいないとか。なぜかやたらと体格の良い生徒ばかりが集う学校で、山津高の生徒は彼らからしばしば恐喝の被害に遭っていた。


「本気で言ってんの?」

「だってそこまで落とさないと、お前の模試判定にAって文字が出てこないだろ」

「はあ? ちょっとそれ、私にも蜂高の人にも失礼だと思わないの……?」

「おれはお前のためを思って言ってるんだけど、割とマジで」

「さっきから何なの? 何で私がここまで頑張ってるかも知らないでさ」

「んなの知るか。気持ちだけじゃダメなんだよ、ちゃんと結果出さないとな」


 鉄吾が更に傷口をえぐってきたときだった。


「……あのさ奈緒、お前がさっきから頭に載せてるその──それ(・・)がいけないんじゃないの?」

「え?」 

「ちょっと動くなよ」


 頭に伸びた手は身長の割に大きい。間近で見る鉄吾の顔は、整った人形のようだと思った。顔が小さいからその瞳も大きく見える。

 じっと見ていたからだろうか。奈緒の視線に気付いた鉄吾は、怒ったような顔をして目をそらした。その態度にまたカチンときた。


「──ほら、取れたぞ」

「そんな……」


 鉄吾の話が怖くなって、二日前に捨てたはずだった。

 またこれ(・・)が降ってくるなんて。

 奈緒は信じられないという顔で黒い羽根を摘まんだ。


「鳥頭だな──だからFか」


 ボソッと言ったようだったが、至近距離だ。十分過ぎるほど伝わった。

 鳥頭。

 この言葉がダメ押しになった。馬鹿にして……!


「もう……もうやだ! 帰れ、帰ってよッ!」

「えっ、ちょっと奈緒……?」


 思いっきり投げつけた羽根は、鉄吾のパーカーに真っすぐ刺さった。

 奈緒は彼の身体をグイグイと押していった。ポカンとした顔の鉄吾はされるがまま外に追い出されていく。


「おい、おれ貫二が帰ってくるの待ってんだから! それにまだ話は──」

「知らないッ、もう帰れバカテツ!」

「あっ、くっそお前……! おれがその言い方嫌いだって知ってんだろ! こら奈緒!」


 表門を開き、鉄吾を外に追いやった。「二度と来ないでよッ! バカッ!」


 力一杯叫んでから、奈緒は(かんぬき)をしっかりと横に掛けた。静かな通りに声が響き渡ったが、恥ずかしさよりも怒りが勝った。


「おい奈緒! この……黒い羽根のことだけどさ、倒れた人、亡くなったんだ……意識不明だった人がさ! さっき死んだんだよ!」


 門を叩く音を無視して、奈緒はそのまま家の中へと走っていった。



 ※



 深夜一時──。

 奈緒は眠れず、自室の窓に腰掛けてぼんやりと外を眺めていた。箱階段を上がって二階、二部屋あるうちの一室が奈緒の部屋だった。

 新月を過ぎてすぐの夜空を──星を見て、鉄吾の言葉を忘れたかった。だが窓から見える東の空には、めぼしい星は見当たらない。

 九月に入ってまだ間もないが蝉の声はもう聞こえなかった。代わりにコオロギと鈴虫がリンリンと鳴いている。階下に広がる裏庭に隠れているのだろう。明かりのない暗い庭。その奥、林の前に鎮座する松の大木は、奈緒の視界を一層暗く覆っていた。


 小さく嘆息して、奈緒は視線を窓の外から机に移した。参考書の上に広げられている模試の結果はクシャクシャに丸めた跡がある。一度はゴミ箱に捨てたが、次兄にはまだ見せていなかったと拾い直したものだった。

 ゲーム機もノートパソコンも、スマホですら極力開かないようにしてきたのに。確かに手応えがあったと思ったのに──結果は惨敗。

 判定結果をもらったときはショックだった。それでも奈緒は前向きな気持ちでいた。本番は来年だ、十分間に合うと思っていた。鉄吾が来るまでは。

 

 今は鉄吾の言葉がグルグルと頭の中を回っている。ランクを落とせ、鳥頭──頑張ろうという気持ちが一気にしぼんでいった。

 そして鉄吾の父の会社──倒れていた若い女性が亡くなったという言葉も。

 

 ──だから私も死ぬって言いたいわけ? テッちゃん……!


 沸々と怒りが湧いてきた。奈緒は手元にあったぬいぐるみを振りかぶった。八つ当たり。ネズミの人形が壁に当たった瞬間だった。


 ドォォォォォン……!


 轟音が響いた。反射的に振り返り外を見る。

 裏庭の方角、奥の林から鳥が一斉に飛び立つ音が聞こえた。


 ──爆発……?


 弾かれたように部屋から出て、階下に駆け下り土間の上がりまで一気に走った。

 スニーカーを慌ただしく履いた奈緒は、懐中電灯をひっ(つか)んで外に飛び出していった。



 ※



 奈緒は裏庭の奥まで懸命に駆けていた。

 段々息が切れてきたが、奥に行けば行くほど、何かが焼けるような煙たさと不自然な熱を感じた。


「ハア……ハア……」


 荒くなる息に、自身の運動不足を呪った。部活を引退してからろくに動いていない。


 ──こんなとき、テッちゃんみたいに速ければ……!


 鉄吾の駿足ぶりを思い浮かべた。あっという間に遠くまで行ってしまう彼を。だが同時に二度と来るなと言って閉め出してしまったことも思い出した。

 言い過ぎたな。

 走りつつ、後悔が心をよぎったときだった。

 ぐちゃっと、何かを踏んだ感触がした。


「うわっ!」


 落ちていた物体に足を滑らせて尻餅をついた。手にぬめった物が触れる。奈緒は懐中電灯で手元を照らした。

 それは柔らかくてべたついた物体だった。片方の腕を伸ばしたぐらいの長さに、手首ぐらいの太さ。薄紫色の物体だ。秋の始まりの風に形容し難い臭いが混じった。

 ああ、この臭いには覚えがある。

 奈緒は確信した。社会科見学で行った場所、食肉市場の臭いだった。

 これは腸だ。

 でも何の……? まさか。


「あ……」


 言葉にする前に、もう一本降ってきた。

 自分が踏みつけた物と出所は同じだと悟った。引きちぎられた状態で、奈緒の足元にボトリと落ちてきた。


 上を見た。

 見上げた松の木は、高さ二十数メートル。その半分ほどの高さにある太い枝の先に、何かが引っかかっているようだった。

 枝は途中でささくれている。以前、奈緒がペットボトルを破裂させたときに折れたからだ。

 持ってきた懐中電灯では明かりが届かない。奈緒は苦心して末端を照らした。

 だらんとした足が見えた。ピンクのスカート、ベージュのミュールを引っかけた誰かの……女性の足。真っ白だった。もうあの身体には魂がない。そう感じた。

 奈緒の脳裏にひとつの言葉がよぎった。モズの早贄(はやにえ)──。

 次に、(ついば)むような音を認識した。鳥にしては大きい。一体何だ、何がいる。


「あ、が……」


 いくら声を出そうとしても、(かす)れた音しか出てこない。


 ──逃げなきゃ。


 頭ではそう思っているのに、身体が全く動かなかった。


「さっきから、こちらに光を向けてくるのをやめてくれないか。捜し物ができないじゃないか」


 木の上から不自然な声が聞こえてきた。変声器だろうか。テレビで聞くような、プライバシーフィルタをかましているような声。男か女か、全くわからない。それでも、ミュールの女性の亡骸(なきがら)をあさっていることだけは奈緒にも理解できた。


「なっ……何を探してるってのよ? それにあんた誰! ここはうちの庭なんだから!」


 やっと声が出たと思ったら、口をついて出てきたのは挑発的な言葉だった。

 これはまずい、逃げるんだ。

 奈緒は何とかして直情的な自分をコントロールしようとした。中学生なりに自分を俯瞰(ふかん)することを試みた。だが止まらない。


「出て行きなさいよ! 不法侵入でしょ、警察に言ってやる! あとその死体のことも!」


 おやおや、と声を漏らした影は遺体の腹に手をつっこんでいるようだ。何か棒のようなもので中をかき回している。それがカラスの啄みのように耳に響いた。奈緒は顔をひきつらせながらも、気を失わないように耐えた。


「ワタシが誰かなんて、どうでもいいだろう? ──ああ、やっと見つけたよ」


 目的の物を見つけたらしい声の主は、遺体から手を離すと一段下の枝に降り立った。音もなく立つ影は暗闇と同化していた。月明かりもない夜だ。松の木の背後は真っ暗な林。奈緒は奥歯を噛みしめて、懐中電灯を影に向けた。


 その姿に絶句した。

 

 大きな、とがった長鼻の鉄仮面で顔を覆ったその影は、頭からすっぽりと全身を黒いローブで覆っている。足元は見えないが、とにかく背は高く見えた。

 鉄仮面はポケットに手を入れて言った。


「失礼だねえお前。ヒト様の顔にむやみに明かりを向けるなと、家で習わなかったのか?」

 

 不機嫌そうな声を出し、奈緒に向かって何かをふるう。


「きゃっ」


 奈緒はあぜんとしていた。ムチのようなものが手元に伸びてきて、奈緒の懐中電灯を絡め取っていったのだから。


「何今の……」

「さて何だろうね、お家の人に聞いてごらん」


 奪った懐中電灯を懐に入れた鉄仮面は、再び遺体の場所まで飛び上がった。


「あ、あんたその人、どうする気?」

「ここで見つかったらまずいだろう? 元々の場所に戻すよ。ワタシが来たときはもうとっくに死んでたから」


 機械的な声に奈緒は「ウソだ!」と怒鳴った。


「あんたがやったんでしょ、全部! あんたがその人を殺したんでしょ……腹を裂いて!」


 残酷な言葉だと胸の内を痛めながら、奈緒は叫んだ。「人殺し! 警察に言ってやる! あんだが犯人だって、全部言ってやるんだから!」


「好きにすればいい、ただし──」


 鉄仮面はフードを更に深く被って言った。「到底信じるとは思えない」


 女性の遺体を抱いた影は奈緒の目の前で音もなく消えていった。


「そんな……」 


 裏庭で一人、奈緒は辺りを見渡した。ああそうだ、と空中から滑稽な声が響いた。


「お兄さんにこれを返しておかないと。十日月(とおかづき)までにワタシを見つけるようにと伝えておきな」

 

 お前も、この女と同じ目に遭いたくないだろう?


 最後に不気味な言葉を残した鉄仮面は、今度こそ完全に消えたようだった。

 

 奈緒の元に三度目の黒い羽根が落ちてきた。

 血だらけの羽根からは、甘い煙草の臭いがした。

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