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天狗の足音  作者: 逸取 生
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第四話 『呪い 三』

 日野森守(ひのもりまもる)が救急車で病院に担ぎ込まれたのは七月下旬、夏合宿の帰りのことだった。

 

 駅から自宅まで原付に乗って帰る途中、居眠りをして転倒したらしい。

 事故当初は車によるひき逃げを疑われた。膝から上は目を背けたくなるような酷い状態だったからだ。だがタイヤ跡もなく、守も「自分で転びました」と言うだけだった。結局、自損事故として取り扱われた。

 原付・バイクによる登下校は校則で禁止されている。夏期休暇中だが部活帰りの事故ということで、守の扱いをどうするか教師の間で揉めたようだった。

 

 噂によると新学期以降は特待生資格を剥奪するとした校長以下を、担任の龍臣は熱心に説き伏せたという。

 先ほどの龍臣の言動を思い出した貫二は、その話を少し信じてみようかという気になった。



「それでお前、また病院(ここ)に来たのか?」

「『あら二日ぶり』って、そこの受付でも言われたよ」


 四階の六人部屋は、一昨日来たときよりも更に名札の数が減っていた。今は守と、他一名しかいないようだ。『面会者』のタグを首から提げて貫二が部屋に入ったとき、守はちょうど夕飯を済ませたばかりの様子だった。

 彼の両大腿部は、今はチタンの釘が入っているらしい。固定された両足は相変わらず痛々しいが、今は足に力をかけるリハビリも始まっていると聞く。痛みに負けることなく元気そうにしている親友を見て、貫二は安心した。


「『次に会うときはメダルを手土産に持ってくるぜ』って、カッコよく決めて帰ってったのにな、お前」


 守の少しスカした物言いに貫二は笑って首を振った。「そんな言い方はしてないって。それに舞はともかく、俺らは自己ベスト更新が目標なんだから」


「まあ、新人戦だし目標はでっかく持とうぜ、オレの分まで頼む。あとOB会もな、面倒だろうけどちゃんとスーツ着てけよ」

「ああ、兄貴が家に置いてったのがあるから──あ、そうだこれ龍臣から」


 渡した封筒を、守は「ははっ、ありがたく」と両手で受け取った。

「このまま休みを重ねるわけにはいかないからなあ……よっと」


 守が手を伸ばした棚にはハサミなどの日用品の隣に、本が五冊置かれていた。「一人で寂しいから、とにかく何かを読んでいたい」と言った守のために、夏休み中に貫二が持ってきたものだった。


「そうそう貫二、これな、もうあと一冊で全部読み終えるよ」


 封を開けながら守が言った。


「早いな」

「やっぱり紙の本だからかなあ。オレ液晶が全然ダメでさ」

「爺さんかよ」


 目頭をつまむ守を見て貫二が笑った。


「お前の方がジジイっぽいのに何言ってんだよ。でも全部オレ好みだった。さすが、よくわかってるな」


 褒めてもらって恐縮だが、選んだのは自分ではない。貫二は鼻を掻いた。


「それ曾祖父ちゃんチョイスなんだ」

「へえ、ミステリ好きなの? 曾爺さん。どれも海外物だけど」

「そうだな……好きそうだな、あの感じは」


 親友の見舞いだと聞いた曾祖父は嬉々として本を選んでいた。『きっと気に入るはずだから持っていけ』と自信満々で差し出してきた五冊だった。


「じゃオレ退院したら、貫二の曾爺さんに直接お礼言わなきゃな」

「しばらくはリハビリできついだろ、無理すんな」


 守のベッドは窓際に位置している。

 斜め向かいから聞こえてきた大きないびきも、今の守の日常になっているようだ。

 カーテンの向こう側、夜の明かりを眺めてから「あ、そうだ」と貫二は思い出して言った。


「守、鈴本がよろしくってさ。また見舞いに来るって」

「ああ、そう」


 意外にも、返ってきたのは平坦な声だった。


「──それだけか?」

「何だよ?」

「いや別に」




 貫二なりに加南のことを応援しているつもりだった。


『自分でもバカみたいだなって思うけど、でも……やっぱり好きなんだ。日野森君の泳ぎも、ちょっと勝手なところも。全部』


 六月、県大会のときだった。男子自由形二百メートル、守の出番を待っている間に加南が漏らした言葉だった。他の部員は調整中で、応援席にいたのは貫二と加南だけだった。


『四月のプール掃除、日野森君サボったでしょ。あれ何でだか、もうわたし早い内から知ってたよ。古左和さんと一緒だったんだよね……うちのクラスにあの子と仲いい子がいてさ。日野森君、ふだん偉そうなこと言うくせに、ほんとしょうもないなって思ったけど』


 元カノ、つまり古左和(ボス)を家に連れ込んでいた守は、掃除のことをすっかり忘れていたそうだ。既に守本人から打ち明けられていたことだが、貫二は誰にも言わなかった。練習中は厳しい態度でいる守に対して、反感を抱く後輩もいた。士気にも関わるからだ。

 だが結局、この話は程なくしてC組にも伝わっていた。女子のネットワークは恐ろしい。貫二は閉口するばかりだった。

 そんな話を聞いてもやっぱり諦められない、そう言っていた彼女を『あいつは今フリーなんだから、がんばれよ』と励ました。加南には自由形(フリー)と掛けた寒いギャグだと思われたようだが。


 ──そろそろ行くか。


 早く帰って鉄吾の話を聞かないと。メッセージの文面からすると電話ではなく直接会って話をしたいのだろう。


「──なあ貫二」


 重い気分を振り払うように立ち上がった貫二を、守が引き留めた。「この封筒、オレ宛てじゃないな」


 守が、封筒ごと貫二に渡してきた。「読んだ方がいい」

「いいのか? 龍臣からお前にと預かってきたんだが」

「……でも特待生の資料じゃない」


 渡された封筒の中に入っていたのは、三つ折りの用紙だった。その印字された文字に、貫二は目を見開いた。


 ──なんだこれは。

 


    天狗がかけた 黒い呪い 

    やにわに眠り 沈む呪い

    クダ憑きの子を (にえ)にして

    天狗の(しん)を 手に入れろ

    十日月(とおかづき)まで 間に合わなければ 

    時家の子は 食い殺される



 そしてその紙に添えられていたのは。


「カラス?」


 黒い羽根だった。



 ※



 天狗がかけた呪い──。


 守は黒い羽根を回しながら言った。「お前、龍臣に何かしたか? 黒板消しを教室の戸に挟んだとか」


「ないな」

「そっか、オレは中学んときよくやったけど」


 悪びれずに言う守を横に、貫二は文を読み返した。

 なぜ時家(うち)の名を出す。龍臣の風当たりがキツいのはいつものことだが、こんな不幸の手紙を貰う羽目になるとは──。

 それにしてもあの教師の本心が読めない。この封筒を渡してきた龍臣は中身についてウソを言っていたようには思えなかった。

 貫二は守から渡された羽根を透かした。きれいな濡羽色(ぬればいろ)だ。カラスのものだと思うが……。


「失礼します、検温のお時間です──あ」


 入ってきたのはナースステーションで言葉を交わした看護師だった。黒い羽根を指して目を丸くしている。二十代半ばぐらいだろうか。石けんの香りに混じって甘い煙草の匂いがした。


「キミたち、それ──触っちゃった?」

「ええ」

「あちゃー」


 頷いた貫二たちに、看護師は除菌スプレーを渡してきた。「はい、もう手遅れかもしれないけど。でも女の子じゃないし、大丈夫かな」


「手遅れとか女の子とか、どういうことですか?」

「あれ、知らないの?」


 主語がない会話だ。


「知りません」

「オレも知らない」


 首を横に振った二人を見て、看護師は言った。「あのね、怖い話してもいい?」


「え、それはちょっと」

「いいよいいよ、こいつはほっといても」


 たじろぐ貫二の隣で、守が話を促した。入院中に仲良くなったのだろう。ざっくばらんな話しぶりだ。



「その黒い羽根ね、知らないうちに自分の部屋に落ちてたりするんですって。で、一度でも触れちゃうとね、十日以内に倒れて……もうそのままよ」


 おどろおどろしく話をする看護師に、貫二は思わず横やりを入れた。「それ単なる迷信か何かですよね?」


「そうね、あくまでも噂、患者さんのご親族とかから聞いた話だけど──でもねこんな話も聞くの」


 と、今度は一転して明るい調子で、彼女は話を続けた。



「幸運の羽根だあ?」


 素っ頓狂な声を上げた守に貫二も同調した。


「何でそこまで両極端なんですか?」


 貫二の方を向いて、看護師は苦笑した。「まあそう思うわよね、でも変な話なのよ」


 彼女の話によると最近、倒れて意識不明で入院する若い患者が多いらしく、その患者の所持品に黒い羽根があるとのことだった。


「黒い羽根を持ってうちに入院してくるのは、皆若い女の子ばかりなのよ」

「お姉さんも十分若いって、まだ二十代でしょ」

「あらやだ、最近の高校生はお世辞が上手ね」


 守の言葉に、看護師は鼻を膨らませて言った。


「ええとそれで、『幸運の羽根』でもあるっていうのは?」


 貫二が促した。


 彼女は「ここだけの話だけど」と声を潜めていった。

「何だかね、その羽根持ってる患者さんで、宝くじの一等を当てた人がいるみたいなのよ」


「マジで?」


 食いついた守に看護師が「マジマジ」と頷いた。


「他にもイケメン彼氏ができたとか、癌細胞が消えたとか夫婦仲が改善したとか(かん)の虫がおさまったとか嫌な上司が飛ばされたとか痴漢常習犯を捕まえたとか粘着ストーカーが逮捕されたとか。怖い話よりも、実はこっちの噂の方が多いのよね」


「すっげえ、ヤバイな」

「噂ねえ……」  


 ノリのいい守に反比例して、貫二の心は冷めていった。

 信じかけていた龍臣のことも、変な手紙で一気に怪しくなった。この黒い羽根の悪い噂も良い噂も、全て眉唾ものだ。


「──とまあいろいろと言ってといて何だけど、次回からは持ってこないで」

「わかったわかった、ごめん。はい体温計」

「んもう、それじゃ日野森さんはまた後で。何かあったら呼んでね」


 去っていく看護師に手を振ってから、守が小声で言ってきた。「なあ貫二、その羽根オレが持っててもいい? 宝くじが当たれば、学費の心配しなくて済むんだけど」


 手を伸ばす守から羽根を引き離した。「ダメだって、ここ病室だろ。それに話が大袈裟すぎる」


「ちぇ、貫二はこういうの一切信じねえからなあ」


 すがる守の横で貫二は再度、手紙を読み返していた。



 ※



 天狗がかけた 黒い呪い──。


 こんな手紙に同封されているのだから、幸運の羽根ってことはないだろう。

 疑問をぶつけたい相手は出張中だ。学校のメールアドレスぐらいしか知らないが、出先で見てくれるかもしれない。とにかく聞くだけ聞いてみよう。

 自分にとって敵なのか味方なのかわからない──曰くありげな担任に、貫二は疑念を抱くばかりだった。




 帰り際、小腹を満たそうと病院一階のコンビニに並んでいるときだった。


「ねえキミ」


 先ほどの看護師が、貫二に声を掛けてきた。休憩に入るのだろうか、財布を片手に持っている。


「さっきの羽根、どうした?」

「すいません、ちゃんと僕が持って帰りますんで」


 会計を済ませたところを「ちょっとちょっと」と彼女が手招きしてきた。「ねえ……あれ、私にくれない?」


「え、でも感染とか心配じゃないですか?」

「まあちゃんと隔離するから。それに私だって幸せ欲しいのよ……何だか最近虚しくて」


 まただ。煙草とは思えないほどの甘い香り。兄が吸うから知っていた。


「だからキツいの吸ってるんですか? ガラムなんて──」


 身体に悪いですよと言う前に「高校生が何言ってんの、生意気よ」と小突かれた。




 結局羽根は看護師に渡した。

 羽根をビニール袋に入れ、更に紙袋に包んだ彼女は満足そうに笑っていた。「これで私も幸せになれるわ」


「でも不運な方だったらどうするんですか?」

「実はそんなに若くないから私。きっと平気よ」


 私にはきっと幸運のお守りになると思うの。自信満々に言う看護師を半ば呆れ顔で見ながら、貫二は息を吐いた。


 看護師は貫二の態度を気にせず言葉を続けた。「日野森君に見せつけられて、私も恋人欲しいなあって思ってたのよね」


「え、守が? 恋人……?」


 貫二の反応を見た看護師は「しまった」という顔で言ってきた。


「あ、キミ知らなかったのか──これ忘れてね。日野森君、夏休み中に彼女が結構来ててね、お母さん働いててふだん来られないでしょ? だからかな……それはもう甲斐甲斐しく世話をしてたわよ」



 ※



 ──水くさいな守の奴。


 病院から帰りのバスに揺られながら、貫二は大きくあくびをした。目の端の涙を手でぬぐって両腕を回す。乗客は貫二だけだった。

 寂しいから本をよこせと言っていた割には、結構充実した入院生活を送っていたのか。クラスの誰かなのか、それとも中学の同級生か。今度はどれだけ続くのかわからないが、とにかく今は支えてくれる人がいるだけでも違うだろう。

 でも──。

 加南はまた寂しく笑うのだろうか。

 交差点で停車中、車の通りもまばらだった。何となく目をやった先に自分の高校の制服が見えた。小さめの背丈に明るい髪のボブカット。今しがた考えていた人物が前方を歩いていた。


 ──鈴本……?


 守の見舞いだろうか。病院の周りは田んぼと山林に囲まれていて、それ以外に行く所もない。彼女の家の方向とは真反対だ。

 後ろ姿を見守っていたはずだった。向かいの車が通り過ぎた一瞬後、少女の姿は完全に貫二の視界から消えていた。

9/22:誤字修正、追記(内容変更無し)

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