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天狗の足音  作者: 逸取 生
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第三話 『呪い 二』

「いい御身分だな時家、会議はとっくに始まってるぞ」


 教室の中──四十名ほどの生徒の視線が、一斉に貫二に注がれた。


「は、遅れてすみません」


 そもそも化学実験室に集合という時点で十分に嫌な予感はしていた。文化祭実行委員を束ねるのはこの部屋の主──二年A組、化学教科担任の龍臣(たつみ)だった。 

 打ち合わせ場所に入っていった貫二は、早速冷たい歓迎を受けた。

 会議の進行をわざわざストップさせた龍臣は、壇上からよく通る声を響かせた。


「また遅れてくるなんてな……ひょっとして時家、お前の趣味は遅刻か?」


 龍臣の棘のある台詞は毎度のことだった。クラス担任でもある彼のイヤミに、貫二はもう慣れっこのつもりだった。だがまるで遅刻魔のように言われるのは納得がいかない。遅刻したのは数か月前、登校途中に人身事故に遭遇したときのみだ。

 反論すべきか否か、迷っていると横からハスキーボイスが聞こえてきた。


「ちょっと龍臣先生ひどいじゃありませんか。時家君は部活で忙しい中、わざわざこっちに来てくれたんですよ、『俺は弥生と一緒にいたいんだ』って!」


 ナイス助け船、と思ったが最後の言葉は余計だった。「いや古左和さん、そんなこと俺はひとことも──」


「時家」


 眼鏡の教師は口の端だけで笑って言った。


「大会前にも関わらず文化祭(こちら)の裏方にも参加したのは、そういう理由(わけ)か……まあしょうがない、今回はお前の彼女に免じて許してやるよ」

「いや、ですから──」

「ああよかったあ時家君、明日からは遅刻しないように私と(・・)一緒に行きましょうね!」


 ──南無三。


 漏れ聞こえる笑い声を受けながら、貫二は席についた。 



 ※



 会議終了後、ボスには確認したいことがあった。だが彼女は「それじゃあ貫二君、私いろいろ忙しいからまた明日ね」と教室をさっさと出て行ってしまった。

 首を傾げつつ、貫二はまだ残っている龍臣に声を掛けた。極力関わり合いを避けたい相手だが、自分のクラス担任にそうも言ってはいられない。


「龍臣先生」

「……何だ?」


 眼鏡の奥の瞳は冷たいままだ。龍臣は氷のような表情を貫二に向けてきた。 


「うちのクラスの模擬店なんですけど」

「ああ、カレー屋に変更したと古左和からは聞いてるが。クラスの合意も得ていると」


 それだ。なぜほぼ決まっていたものを変えたのか。合意と言っても少なくとも自分と、あとは映子には確認を取っていないはずだ。

 貫二はボスの意図がさっぱり読めなかった。


「先生は急な変更にOKを出したんですか?」

「特段問題はないだろう、提出書類も揃っていたしな。俺はお前たちの自主性を重んじているつもりだよ、これでも」


 龍臣は表情一つ変えずに答えた。これは取りつく島もなさそうだ。

 カレー嫌いの少女はまだ図書室で作業中だろうか。貫二は彼女にどう説明をしようかと考えあぐねていた。


 ──頑張れ、と言うしかないか。けどな……。


 一年次の夏、学年キャンプのときだった。夕飯のカレーから逃れていた映子を思い出した。忘れもしない、去年の七月二十三日のことだ。

 人気のない川縁にいた彼女を、隣のクラスの貫二がたまたま見つけた。お腹の鳴る音が聞こえたから、ポケットに入っていたカロリーメ○トを渡した。上擦った声の映子から、えらく感謝されたことを覚えている。それまではお互いにあまり良い印象を持っていなかったと思う。

 長方形のビスケットひとつで気持ちが緩んだのだろうか。そのとき初めて彼女から家族の話を聞いた。ちょうどその日の十年前に母親が亡くなったということも──。


 

 考えにふけりながら教室を出る直前だった。


「ちょっと待て時家、話がある」


 珍しく、龍臣が普通に声を掛けてきた。「折り入って、お前に頼みたいことがある」


 貫二は耳を疑った。


 ──頼みだと? 龍臣が俺に?


 よほど変な顔をしていたのだろうか。貫二の顔を見た龍臣が吹き出して笑った。いつもの薄い笑いではなく、少年のような笑みだった。


「すまんな、お前の驚いた顔が珍しくてつい」

「あ、いえ」


 それは隙を見せたら突かれるからだ。特に龍臣には。


「時家お前、今日は日野森の見舞いに行くか?」


 貫二はかぶりを振った。


「面会受付は午後七時までで、泳いだ後だともう間に合わないんで」


 実験室の時計は五時前を示している。


「そうか、実はお前の相方に届け物をしてもらいたいんだ。できれば今から」

「プリントか何かですか? それなら先生が──」

「いや、俺はこれから出張なんだ。もう出ないと間に合わなくて。まあそんなだから明日の化学は自習だよ」

 

 となると明日のクラスの雰囲気は随分と緩くなるだろう。それはさておき、頼みを断るという選択肢はこの時点で消滅したようだった。


 ──明日の朝練、一時間早く行くか。


「わかりました」

「よし、では日野森によろしく頼む」


 龍臣はスーツの内ポケットから白い封筒を出して言った。


「今朝上がってきたばかりの、特待生制度の要項だ。来年度のな。前年度に何日休むと対象から外されるかということも載っている。遅刻早退のカウントもだ。今のうちに渡しておいた方がいいと思って」

 

 結構危うい、と龍臣は付け足した。


「じゃあ入院中も欠席扱いなんですか?」

「そうだ、いくら日野森の学業成績が良くても、事故を起こした時点で本来はアウトだ。原付だろうと校則違反なんだから」

「そうですか……」

「まあ、まだ自損なのが不幸中の幸いというべきか。それに命があっただけでも運が良かった……普通ならとっくに死んでるよ」


 龍臣は遠くを見るようにして言った。


 母一人子一人の家庭にとって授業料免除は大きいはずだ。資格を外されないため、休むにしても上手くやれという、担任としてのせめてもの情けなのだろう。 

 一部の女子ファンを除き、概して冷血漢と評されている龍臣。貫二はそんな担任の意外な一面を見た気がした。



 ※



「──貫二君、かーんじ君!」


 理科棟の出口付近を歩いていると、背中を尖ったものでつつかれた。次に耳に残る独特の声。振り返ると予想した通りの人物がそこにいた。

 二つ隣のクラスの部活仲間、鈴本加南(すずもとかな)だ。明るい色のボブカットを揺らしながら、ボールペンで貫二の背中をつついていた。


「さっきは委員会お疲れさまだったね、見てたよ」

「何だ鈴本、C組はお前が当番なのか。どこにいたんだ?」


 手をひらひらと振る加南に、貫二は尋ねた。


「実験室の隅っこ」

「ほんとか? 気付かなかった」

「貫二君、龍臣先生からゴリゴリ神経削られてたでしょ、だからだよ」

「ああ……でも何だかんだで、いたらすぐに分かるはずなんだけどな、お前」

「え、それってわたしが可愛くて目立っちゃうってこと? やだあ」

「いやそれは──あ、ああ、そうそう、そう、かもしれない」


 今更違うとは言えなかった。

 目立つのは彼女の声だ。その独特な話し声で、一声発すればすぐ分かる。

 お世辞を真に受けた加南は上機嫌のまま話を続けた。


「でもわたし美化委員と掛け持ちだし、部活も出たいし……あの会議の場じゃ極力意見は求められたくないから、あんま目立ちたくはない、かも」

「委員会掛け持ちって……そんなのあるのか。初めて聞いた」


 忙しいな、と言う貫二に、加南は困った顔で笑って頷いた。


「ジャンケンで負けて残ったのがわたしと東並(とうなみ)君だったんだ」

(まい)も?」

「そそ、どっちか一人が文化祭ってね」


 数少ない水泳部員が二人で文化祭の当番争い。そして貫二自身もなし崩し的に当番だ。ひょっとしてうちの部員は運がないのかと思わずにはいられなかった。運、不運なんてそんなもの、あるわけないと思っているのに。


「それで結局お前が負けたのか?」

「ううん、東並君にはちゃんと練習に出てほしいじゃない? うちの部のエースなんだから。だからわたしが買って出たの」

「えらい鈴本」

 

 頭を撫でると、加南はゴロゴロと猫のように喉を鳴らした。「そんなことするから女が勘違いするんだニャ」


「ニャっておい……」 


 ハッとした加南が照れて言った。「も、もう練習行く?」


「いや今日はちょっと、俺これから守のところに行くんだ」

「え、病院に……? 何で?」


 加南に白い封筒を見せた。


「お使いだよ、龍臣の」



 ※



 廊下の窓から夕暮れ時の光が差し込んでいる。

 貫二は目を細めながら、心持ち早足で歩いた。加南への説明は短く済ませた。


「──でも龍臣先生いないんなら、明日の会議は誰が音頭を取るのかな?」

「そりゃ生徒会とか、三年の誰かだろう」


 それよりも、と貫二は続ける。


「今日は鉄吾が全体を見てくれてるみたいだけど、鈴本も練習に行ったら一年を見てくれないか? 映子も今日は図書当番で忙しそうだから」 

「OK、ねえ……その封筒、開けてみないの?」


 先ほどからチラチラと加南の視線を感じると思ったが、これのせいか。

 封筒の中身が何なのか言わなかったので、加南は気になるようだった。


「ちゃんと封もしてあるものを開けるわけないだろ」


「うー気になる」


 思い余ったのか、ついに加南は封筒を取り上げて、廊下の窓に透かし始めた。「あれ、よく見えない……」


「こらやめとけ、守宛てなんだから──中は特待生基準の資料らしい。守、今ギリギリなんだよ」


 結局、加南に言ってしまった。


 だがそれで、自分のしていることに気付いたのだろう。加南は申し訳なさそうに封筒を返してきた。


「ごめん、日野森君の場合は特に、授業料のこととかあるもんね……」


 加南は頭をペコリと下げて言った。「じゃあ日野森君に……よろしくね、わたしもまたお見舞いに行くからって」


 守の名を呼ぶ加南の声は、貫二の耳に甘く響いた。赤く染まる空を見つめる彼女に、貫二は顔を(ほころ)ばせて言った。


「ああ、バッチリ伝えておくよ」



 ※



 高校から病院までは電車とバスを乗り継いで行く必要がある。国道一本で繋がっているというのに、直通のバスは夕方以降ゼロになる。


 ──まだ今日は朝練出といてよかったな……泳がないと気持ちがスッキリしない。


 電車を待っている間、端末を確認すると未読メッセージが一件。鉄吾からだった。


《今日の練習中色々あった。夜話す。あとお前の彼女、プールサイド出禁だかんな》


「……」


 彼女じゃない。だがこの単語で誰が来たのかはすぐにわかった。


 ホームのベンチに深く腰掛けて、貫二は叫び出したい衝動に駆られた。こんな思いは生まれて初めてだ。もちろん、悪い意味で。


『何だかツかれているあなた、(のろ)いのせいかもしれません。癒やしのお(まじない)いサロン 夢羅美林巣(ゆめラビリンス) で検索☆』


 雑居ビルの派手な看板がやたらと目に焼き付いた。


9/21:ルビ追記、台詞修正(内容変更無し)、一部追記

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