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天狗の足音  作者: 逸取 生
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第九話 『クダ憑きの娘 一』

 昼休み。

 学食棟と渡り廊下で繋がっている図書棟は、食後に立ち寄る生徒も多い。二階の図書室は静かなにぎわいを見せていた。

 入り口そば、柱に沿って設置された大きな丸テーブルはほぼ満席。談話コーナーの名の通り本来ならばそこは私語の許される空間だった。だが昼食後の緩い空気は感じられない。響くのはページを(めく)りペンを走らせる音に、椅子を引く音。座っているのは自習コーナーからあぶれた三年生たちだった。

 受験生の隣に座るのはためらわれる。貫二はカウンターに顔を向けた。うずたかく積まれた返却本の隙間から、忙しそうにしている映子の横顔が見えた。

 二人の来訪者に気付いた映子は『ちょっと待ってて』と口だけを動かすと、結った髪をしっぽのように揺らして奥へと引っ込んでいった。 

 てきぱきと動く彼女だから容易にこなしているようにも見えるが、一人当番というのは実際大変なはずだ。貫二は映子の座っていた隣の空席を見た。本来ここに座っているべき人間は今は入院中である。

 そういえば、と貫二はポケットから紙切れを出した。昨晩から制服のズボンに入れっぱなしになっていた小さな紙は、病室を出る直前に守から渡されたものだった。



 ※



「貫二これさ、映子が図書当番やってるときにでもこっそり渡しといて。恥ずかしいから他の奴に見せんなよ」

「中身は? また怪文書とか言うなよ」


 手の平に載せられたノートの切れ端は、四角く二回折られていた。


「さっきの天狗の呪いとは違うって。これはオレから映子(アイツ)への愛の告白。マジもんの」

「守お前──」


 俺を介すなよ。

 そう言いかけた貫二の顔を、守は悪戯っぽく見上げた。


「なーんてな、冗談だよ。お前すげえ顔してるぞ、ちょっとは動揺したか?」 


 焚きつけたつもりだろうが、余計なお節介だ。

 渡された四角い紙きれを守に返して、貫二は腰を上げた。


「ふざけてるだけなら俺もう帰るぞ、鉄吾も待ってるし」

「ちょっと待て貫二! ごめんってば、別に中を見てくれてもかまわない」


 守は焦った様子で貫二のズボンを(つか)んできた。


「ただのお願いごとだから」

「映子に直接メールなりしろよ」

「いや、オレだとバッサリだろうな。貫二から頼んでくれればアイツも無下に断んねえと思うから」

「お前どんな無茶振りするつもりだよ……言っとくけど、俺だから断らないなんてことはないからな」


 その『お願いごと』の内容次第では映子に冷たい目つきで見下される。


「いやいや大丈夫、別に変なことじゃない。な、たのむ貫二!」

「……わかったよ」


 ──またメッセンジャーか。 


 守に両手で拝まれた貫二は、ポケットに紙を押し込まれてから病室を出た。



 ※



「貫二、その紙何? 例の脅迫状とは別なの?」

「え、ああこっちは違うんだ。守がさ、映子に渡してくれって。借りたい本のリストだよ」

「ふーん、相変わらず読書熱心だなあ守は。感心しちゃうよ、僕は本読まないからさあ」


 興味がなさそうに壁にもたれかかっていた舞が、ふと身体を起こした。


「あ、来たよ」


 眼鏡の女性、鈴木明子が静かに姿を現した。鈴木は今年の六月、前任者の急な退職により入った司書教諭だ。歳は五十過ぎと聞いたが、角度によってはそのずっと若く見えるような印象を受けた。彼女の赴任挨拶は六月末、貫二たち水泳部員が県大会に出ている最中だったに行われたとのことだった。どうりで面識のない教師だと貫二は納得した。

 鈴木は豊富な知識と穏やかな性格で映子たち図書委員の心をしっかりと掴んでいる様子だった。彼女のことを語るときの映子の顔からもそれは見て取れた。理想、憧れといったところだろうか。

 その映子は、今は無表情とも取れる顔つきで鈴木の後ろで控えている。

 今朝のHR(ホームルーム)前、貫二は自分が持つ手紙のことを映子に明かしていた。

 担任の龍臣から、守宛てに黒い羽根付きで手紙が渡されたということ。その内容に関して、出張中の龍臣本人に問い合わせている最中であること。そして鈴木が監修したC組の劇の台詞と重なる部分が多いことも──。



   天狗がかけた 黒い呪い

   やにわに眠り 沈む呪い

   クダ憑きの子を (にえ)にして

   天狗の(しん)を 手に入れろ

   十日月(とおかづき)まで 間に合わなければ

   時家の子は 食い殺される

 


 映子は手紙を一通り読んだ後、その中の一文を反芻していた。 

 

『天狗の心を手に入れるため、クダ憑きの子を贄にしろ、か……』

 

 ──そうだ。()()のことが書かれていた。劇の台詞もだ。気にならないわけがない。  

  

 クダ、またはクダ狐。

 足ることを知らぬ貪欲な獣が、映子の背負う『(のろ)い』の正体だった。 

 

 

 ※ ※ ※

 


 二週間前、曾祖父の手伝いで蔵を掃除していたときだった。

 

西(にし)山津(やまづ)村……迫凪……榮一郎(えいいちろう)? 消印は明治四十年十月だ」

「ああ、そのはがきな。先々代の五郎右衛門(ごろうえもん)宛てだ。貫二、お前さん読めるか?」

「いや、無理」首を振りつつ貫二は答えた。「達筆すぎて俺にはさっぱり」 


 草書で書かれた一枚のはがきは『日露戦役史 後編』という明治三十九年の書物に挟まっていた。辛うじて読み取れた差出人の名に貫二は驚いた。

 迫凪榮一郎。

 映子からその名を聞いたことはなかったが、親戚には違いない。

 曾祖父は貫二からはがきを受け取ると、ルーペを片手に視線を走らせた。薄暗い蔵の中でしゃがれた声が響く。

 

「いまは山津市として一(くく)りだが、迫凪家のある旧西山津村と、(わし)らのおる旧山津町はこの頃はまだ山一つで遮られていてなあ。随分と遠く感じたよ」

「電話は?」

「当時迫凪家には引かれていたようだが、うちに来るのはこれよりもう数年先なんだ。急ぎなら電報、そうでないならこうして便りを出す」

「そう考えるとすごい時代だよな、現代(いま)ってさ」


 貫二は素直な思いを口にした。

 皆が当たり前のように持っているスマートフォン。練習指示で使っている防水のインカムデバイスに、陸でのトレーニングに使うバネ付きシューズ。

 これらを持ったまま、もし今の自分が当時にタイムスリップしたならば──きっと宇宙人扱いされるに違いない。

 

「で、それって何て書いてあるんだ?」

「ああ、これはまだ迫凪家がクダ憑きの噂に悩まされる前の便りだな。伏せがちだった妻の体調も少しずつよくなっており、榮一郎自身も、子供二人も息災であると書かれている」

 

 今、曾祖父はクダ憑きと言わなかったか?

 貫二は驚き曾祖父の顔を見た。

 

「その噂、いつからなんだ? クダ憑きって……迫凪家自体がその噂に悩んでいたのか?」

 

 映子が気にするクダ憑きの(のろ)い。貫二が映子からそのことを打ち明けられたのはつい先月、夏合宿中のことだった。

 

「そうだな、これは儂がお前さんぐらいの頃に先々代から聞いた話だ」

 

 逆さにしたビールケースに腰掛けた曾祖父──第十九代目の五郎右衛門はゆっくりと、だがしっかりとした口調で語り始めた。

間が空きましたことをお詫び申し上げます。

期日内の完結を目指していきたいと思います。

本文の修正情報等は、今後は最新話あとがきにまとめて掲載していく予定です。

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